ZIPANG-10 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その78)日本各地の姥神たち・神奈川県 【寄稿文】廣谷知行
前回東京都に多数ある奪衣婆像のなかで、姥神信仰に関係がありそうなものを紹介しましたが、今回は東京都の隣、神奈川県にあるものを紹介したいと思います。
・大和市蓮慶寺
蓮慶寺の優婆尊
蓮慶寺の優婆尊と並ぶ閻魔様
大和市に、文禄元(1592)年創建とされる蓮慶寺があり、ここに市の指定文化財であり、室町時代後期作と考えられている木造優婆尊尼座像があります。
この像には姥山伝説と呼ばれる伝承があります。
その内容は、同寺のある福田地区を開拓したひとり、修験者とも医者ともされる小林大玄の妻の糸(イト)が、もともと気性が荒く大酒飲みで嫉妬心が強かったため夫との争いが絶えず、大玄は糸を見捨てて家を出てしまいます。
それを悲しむあまりに、姥山と呼ばれる場所に住み着いた糸は住人や旅人に危害を加えるようになったため、村人たちに花見の宴で毒をもられ殺されます。それ以来亡霊となって糸が出るという噂が広まり、誰も近寄らなくなるのですが、あるとき高貴な人物が通りかかったときにその霊を哀れんで和歌を詠んで冥福を祈ったところ成仏し、亡霊が出ることがなくなりました。
その後村人は糸への仕打ちを悔い、供養のために鎌倉の寺からいただいたのが現在蓮慶寺にある優婆尊尼座像です。
隣に閻魔像がありますが、大きさや造形も違っているため製作年代なども別と思われ、姥神像のみが厨子に入り、百日咳や子育てに霊験があるとされていることから、本尊―姥神型として祀られていた可能性があります。
・川崎市平間寺
平間寺のしょうづかの婆さん
平間寺のしょうづかの婆さんの顔
川崎市で川崎大師として親しまれている大治3(1128)年開山の平間寺。その境内にもともとお台場にあったと言う、主に歯痛に霊験のあるしょうづかの婆さんがあります。
“しょうづか”は葬頭河が変化したものであり、この川は三途の川のことですので、奪衣婆として認識されている像と言えますが、近くに閻魔像などは無く、単独で祀られ、様々な霊験があることから、本尊―姥神型として祀られていた可能性があります。
・横浜市東福寺
東福寺墓地入口にある葬頭河婆の堂
横浜市に不詳ではありますが寛治年間(1087~94年)に創建したと伝えられる東福寺があり、その境内に葬頭河の婆の像があります。鍵のかかった堂のなかにあり、姿を見ることはできませんが、目、鼻、耳、口の病気に霊験があるとされています。扉は閉まっていますが隙間からのぞいてみると、綺麗に彩色された像があることが確認できます。
その呼び名は川崎市の平間寺と同じであり、奪衣婆として認識されているようですが、墓地の入り口にありますので、境界-奪衣婆型として祀られていた可能性があります。
次回に続く・・・
寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
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発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
サーキュラー建築の必要性
日本政府が正式に宣言した「2050年カーボンニュートラル」。
資材製造・建築・改修・運用まで含む建築関連のCO2排出量は、日本の総排出量の33%を占めています。
世界の先進国で2番目の森林率を誇る日本において、樹齢45年以上の収穫適齢期を迎える樹木の割合が増える中で、森林資源を活用し、よりCO2吸収力が高い若い木を植えることは、大きなCO2削減効果を持ちます。
また、旧来の観光開発では、国立・国定公園を含む美しい自然の中に、コンクリートを大量に使った大型ホテルや旅館が建築され、生態系に大きな負担を与え、これらの建築物が老朽化・廃墟となってしまうような事例が各地で散見されます。
「人と自然の共生」を掲げ、企業活動そのものが自然の回復に繋がるような取り組みを目指すSANUとして、建築設計・施工のパートナー企業である株式会社ADXと連携し、1.原料調達、2.建設、3.運用、4.解体まで、建築のライフサイクルを包括的に捉えて、環境負荷を最小化するサーキュラー建築(※2)を模索してきました。
*2 サーキュラー建築: 資源の価値を減らすことなく再生・再利用し続ける仕組みづくりを軸に据えた循環型の建築設計を指しています。
SANU 2nd Home 独自プログラム「FORESTS FOR FUTURE」国産木材100%のサーキュラー建築や植林活動によりカーボンネガティブを実現