クソ野郎のジャワ島横断記⑦ 想いを馳せること 2019.02.11 02:40 おじさんを見送り、オレとディタはゲストハウスへ向かった。 「ベニース ゲストハウス」。バンドン駅から程近い静かな立地のようだ。一泊個室約800円。800円とは実に安い。 フロントは改装中で工事をしていたが、営業中。 お姉さんがチェックインの対応をしてくれた。部屋はダブルベッド一台が部屋にぴったり収まり、両壁に挟まれ絶対にベッドからは落ちない。綺麗ではないがシャワーとトイレ付き。 必要な荷物だけを持ってすぐに玄関へ向かう。 昨日、インドネアシア到着直後に空港で出会ったディタ。 彼のバイクがバンドン駅に置いてあるとのことで、再び歩いてバンドン駅まで向かう。 歩きながら感じたが、涼しい。そういえば避暑地である、と本に書いてあった気がする。ジャカルタの夜よりずいぶん過ごしやすい気温だ。 駅前のバイク置き場には数百台が停められていた。その中の一台をディタが引っ張り出す。 「どこを案内しようか?」 流暢な日本語で彼が聞いてきた。ひとりで来ていたなら、どこか適当に歩こうと思っていたけれど、ここに住んでいるディタがいる。これはチャンスだ。 「良かったら君の家を見せてくれないか?インドネシアの家が見てみたいんだ。」 いつも旅先では、そこに住む方の生活を見たいと思う。一般の家庭が一番現地を感じられ、ローカルな場所は観光客の姿もなく、よりその土地を味わえる。日本でも海外でも、繁華街にはあまり興味がなかった。 彼に理由を説明すると、少々驚いた様子だったが、 「両親がいるけれど、それでもよければ」 と照れ笑いを見せた。 オレは彼のバイクの後ろにまたがった。片道30分ほどらしい。夕方には友人ローニーと再会する予定があるのでそれまでにまた戻って来られれば良かった。 途中、市民が集うという大きな公園に立ち寄り、後はそのままひた走る。 決して飛ばしはしないが信号などないので、30分とはいえ距離はかなりあるように思えた。ただどこを走っても商店が道の両側に立ち並び、田んぼなど一切見えないのでここバンドンが都市なのだということが改めて分かった。 ディタは、ある路地の前で停車した。 「ここを入って行くんだ。」 人ひとりがやっと通れる狭さ。 「ここが小学校で、家はその裏。この小学校に通っていたんだよ。学校は午前中だけだから生徒はもういないけどね。」 小学校だというが、見た目は保育園のような規模の小ささ。2階建ての建物に庭のような校庭があった。 その路地の入り口になにやら商店があり、上半身裸の男性たちが集まり椅子に座って話し込んでいた。そのうちのひとりがディタに何やら話しかけた。どうやらオレのことを尋ねているらしかった。 「近所の人たち。あの人がね、君がどこから来たか聞いているよ。」 オレがジャパン、トーキョーと答えると「オー、ジャパーン」と声を上げた。そこにいる皆が笑顔を送ってくれ、友好的な雰囲気を感じ取ることができた。 路地を入り、迷路のような角をひとつ曲がるとそこがディタの家だった。8畳ほどの庭があり、他にバイクが二台停めてある。 玄関で靴を脱ぐのは日本と同じ。床は大理石のようにツルツルした石。きっと一年中暑いこの国で室内を涼しく保つための建築の工夫なのだろう。また砂埃が多いため、そのほうが掃除がしやすいのかもしれない。 「こんな感じなんだけど。やだなあ、あまり綺麗じゃないからなあ。」 オレは初めて入るインドネシアの家庭に感動を覚え、彼に改めて感謝した。 「両親は出かけてるみたい。お昼のあまりがあるから、食べる?」 またしても腹は減っていなかったが家庭料理が食べられるチャンス。おもてなしを断る理由もない。ご飯に卵焼きのような物が載せてくれた。それに野菜と鶏肉。味は薄め。 美味しくいただいた。食べていると両親が帰宅してきた。すでにディタが連絡をしてくれていたので、オレは改めて簡単だが自己紹介をし、挨拶をした。覚えたてのインドネシア語だ。 両親は、満面の笑みで迎えてくれた。日本人を連れてきた息子を誇らしく思っているのかもしれない。ディタは三年間、外国人技能実習生として日本で働いた。日本語も覚えた。息子の日本語を耳にするのも両親にとっては初めてかもしれない。ディタは親孝行できたろうか。その一助になっていればいい。 両親にとっては初めて出会う日本人かもしれない。いわばオレは日本代表だ。日本人として恥ずかしくない態度をしなければ。ディタに通訳になってもらい、急に来てしまったことを謝罪しつつ感謝を伝えた。両親も、ゆっくりしていって、という事を伝えてくれた。 その後、ディタは家の中を簡単に案内してくれた。自分の部屋、兄弟の部屋。オレが無理を言って台所やトイレ、お風呂も見せてくれた。トイレは和式で、桶で水を流すタイプ。 「また、日本に住みたいと思ってるんだ。」 彼がどこか遠くを見てそう話した。日本の思い出を脳裏に見ているのかもしれない。 「どうして?」 理由はなんとなく察してはついていた。 「日本は景色がとても綺麗。みんな優しい。ご飯もおいしい。それに仕事がある。」 彼は時々、バイクタクシーで日銭を稼ぐ程度で今は仕事がないらしい。ここ、インドネシア、少なくとも大都市ではバイクタクシーはれっきとした個人事業の職業となっている。「Go Jek」というアプリを使い、客はバイクタクシーを呼ぶことができ、乗る前に現在地と行き先を入力し、料金も知ることができる。 バイクさえ持っていればいつでもどこでも仕事ができるというわけだ。 「君ならジャカルタで観光客相手の通訳の仕事とかできると思うけど。それだけ日本語話せるんだから。」 オレは褒めたつもりだったが、彼の顔色は曇っていた。 「そんなに話せないよ。自信がない。」 その謙虚さも日本で学んできたのだろうか。それとも彼の性格なのだろうか。 「それだけ話せればすごいよ。オレ、今、日本にいる時と同じ速さ、同じ言葉で話してるよ。それをちゃんとディタは理解しているんだから。自信持って。」 彼は少し眉を上げてオレを見て苦笑し、ありがとう、と零した。 ローニーから連絡が来ていた。仕事が伸びてしまったが七時頃にはゲストハウスに迎えに行けるとのこと。ディタにそれを伝え、送ってもらうことにした。出発する時、お土産にとインドネシアコーヒーをくれた。食事といい、おみやげといい、日本にいるかのようなおもてなしでオレはただただ恐縮するばかりであった。 再びバイクで30分の道のりを「べニース ゲストハウス」まで戻る。 ちょうど到着し、バイクを降りてディタにお礼を告げていると彼の背後から見覚えのある顔がやってきた。Yシャツにスラックス。熱帯インドネシアのほとんどの人がラフな格好をするこのバンドンの街で、その見た目は彼の職業が地位あるものだと物語っていた。 「ローニー!」 「やあ、久しぶり!」 オレたちは抱き合って再会を喜んだ。 それをディタが何事かと口をぽかん開けて見ていた。 以前、海外で出会った日本人が言っていた。 「旅先で出会った人とSNSで繋がれるから便利な時代だし、一期一会ということもなくなる。」 確かにそうだなと思った。でも、オレはそこに消化しきれない一抹の違和感を感じていた。繋がっていられることに重きを置いているつもりがなかった。 SNSがなかった頃、旅先での出会いと別れ、そして共に過ごした僅かなその時間は心の中にだけ残っていた。あの人は今、どうしているだろうか、元気にしているだろうか。時折そう「想いを馳せる」事が、旅の記憶と密接に繋がっていた。その記憶に出会うためにまたその土地へ行ってみたい。そう思わせてもくれた。SNSで繋がっていることで、「想いを馳せる」時間が人々の心から消えていってしまうのはとても悲しいことだと思った。 でも本当は、そこで出会った方々にとっても、自分がいつまでもそういう存在であり続けたいんだ。