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移動疲労が招く期待と現実のギャップ

2025.06.28 05:12

2025年、なでしこジャパンは2月の SheBelieves Cup では10得点を記録し3戦全勝を果たし、ニールセン新監督体制の華々しい船出を飾った。しかし、その後のブラジル戦では1-3、1-2と連敗を喫し、さらにスペイン戦でも1-3で敗戦。強豪相手の親善強化試合で急速に輝きを失ったように見える。

SheBelieves Cupで優勝し高まった「期待」に対し、直近の国際親善試合での「現実」は厳しいものとなった。この急激なパフォーマンス変化の背景には、技術や戦術以上に、選手たちのコンディショニングに深く関連する、過酷な移動と疲労の蓄積という構造的な問題が潜んでいるのかもしれない。


かつて男子日本代表の吉田麻也選手は、代表活動における移動の過酷さについて強い懸念を示していた。彼は2018年のロシアW杯以降の4年間で約31万8000キロ、「地球8周分」に相当する移動を強いられ、「いつ体が壊れてもおかしくない」と警告した。欧州でプレーするアジア人選手は、同じチームの他国籍選手と比較して長距離移動の負担が露骨に大きいという。この吉田選手の指摘は、なでしこジャパンが直面する現状を理解する上で極めて重要な示唆を与えるものだ。SheBelieves Cupで躍動した選手たちが、その後のブラジルやスペインとの連戦で本来の輝きを見せられなかった要因として、まさにこの移動疲労とコンディショニングの問題が強く浮かび上がってくる。 


なでしこジャパンの2025年の遠征スケジュールを見ると、その過酷さがうかがえる。2月にはアメリカ東海岸での SheBelieves Cup 3試合を戦い、4月に日本でコロンビアとの親善マッチ後、東京からサンパウロまで約24時間(時差12時間)かかるブラジル遠征を行った。そして6月にはスペイン戦が控えていた。 


スペイン戦の招集メンバーは欧州と米国拠点選手のみだったが、吉田選手が指摘したように、欧州を拠点とする選手たちにとっては「欧州⇔日本⇔南米」といった複数の大陸を跨ぐ「三角移動」が、著しい疲労蓄積の要因となり得る。この移動の多さが、選手たちのコンディションに大きな影響を与えている可能性は否めない。 


JOCの科学的データも、長距離移動がアスリートに与える生理学的影響の深刻さを示している。機内環境は標高2,000~2,500m相当の低気圧、湿度20%以下という過酷なものであり、女性選手は約1,350mlもの追加的水分損失に見舞われるとされている。長時間の座位は筋ポンプ作用を阻害し、浮腫みや血栓のリスクを増大させ、最大12時間もの時差は睡眠・覚醒リズムを狂わせ、日中の眠気や不眠、疲労感、集中力低下、食欲不振などを引き起こす。これらは直接的にパフォーマンスに影響を及ぼし、特に女子選手は男子選手に比べて、疲労や時差ボケによる影響がより深刻になる場合があることも指摘されている。 


長谷川唯選手がブラジル戦に続き、スペイン戦も「コンディション不良」で連続欠場したことは示唆に富んでいる。彼女はマンチェスター・シティでの過密な欧州リーグのシーズンと代表活動の重複、新体制における主将としての負担に直面していたかも知れない。4月のコロンビア戦には出場したが、彼女の「プロフェッショナルな判断」による欠場は、単なる個人の問題に留まらず、海外でプレーするトップ選手が代表活動に参加する際の、より広範なコンディション管理と疲労対策の必要性、ひいてはチーム全体の持続可能性への警鐘と受け取れるかもしれない。長谷川選手の連続欠場は、もしかしたら、現代のトップレベルの女子サッカー選手が直面する過酷な現実と、その中で選手が自身の体を守るために下さざるを得ない決断、さらには強化マッチに対して改善を暗に示す静かなメッセージであったのかもしれない。


実際に試合内容を見ると、ブラジル戦では、自陣ビルドアップでのボールロスからの失点や、長野風花選手のPK失敗などは、疲労の影響で集中力が不足したのかも知れないと考えさせられる。ニールセン監督自身も、ブラジル戦で「相手のプレッシャーに対する恐れが出てしまった」としていたが、技術的な問題というよりも、もしかしたら疲労蓄積によるメンタル面での影響だったのかも知れない。


スペイン戦でも、GKからのパス繋ぎでのミスからの失点や、後半での運動量低下など、疲労蓄積による複合的なパフォーマンス低下の兆候が継続していたと思われる。体力的な疲弊だけでなく、判断力や集中力の低下といった認知機能への影響、さらには精神的なタフネスの欠如とも合致するかも知れない。 


なでしこジャパンが国際試合をアウェイで戦う場合、相手チームとは準備条件に圧倒的な格差が存在する。移動距離は20,000km以上に及ぶ一方、対戦相手は0kmでホーム開催。時差調整も7~12時間を要するが、相手は不要。準備期間も、移動直後のなでしこジャパンは2~3日であるのに対し、相手は数週間の準備が可能だ。アウェイの大観衆の中で、慣れない気候や環境、ホテルでの食事といった条件も、パフォーマンスに影響を与えうる。この格差は、単なる「ホームアドバンテージ」を超えた構造的な不利を生み出している。 


男子サッカー以上に、女子サッカーにはリソースの制約や「弱音を吐けない」風潮があるのかも知れない。遠征費用やサポートスタッフの制限、移動手段の制約が、十分なリカバリー環境の確保を困難にしている可能性もある。なでしこジャパンが2027年W杯や2028年ロサンゼルス五輪で世界の頂点を目指すためには、この根本的な課題に真摯に向き合う必要がある。吉田麻也選手が提起した「地球8周分問題」は、リソースの制約や「弱音を吐けない」風潮など女子サッカー特有の課題も抱える なでしこジャパン にとって、より深刻な現実として立ちはだかっている。 


 技術・戦術的向上と並行して、より高度で個別化された科学的なコンディション管理システムの導入・強化が不可欠だといえよう。移動スケジュールの最適化、選手ごとの疲労度モニタリング、個人の特性に合わせた回復プログラムの導入など、短期的・長期的な改善策が求められる。今回のブラジル、スペインでの苦戦を教訓とし、科学的なアプローチと選手本位の視点を取り入れた改革を進めることが、なでしこジャパンが再び世界の頂点を目指す鍵となると思う。




Photo:HiroshigeSuzuki/SportsPressJP 

TEXT:TomoyukiNishikawa/SportsPressJP