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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

オルレアンの少女6-ドンレミの村娘

2019.02.11 11:37

ジャンヌの生まれたドンレミ村というのは実はフランス北部、大都市といえばストラスブールの近くで、イングランドの支配地である。しかしこの村は古くからフランス王の直轄地で、フランス王への忠誠が強かった。ジャンヌの家は貧しくはなく働きづめではなかったが、家事や糸紡ぎ、羊の番をすすんでする少女だったと証言されている。

信仰も深く、告解し、教会の堂守が夕べの鐘を鳴らすのを忘れたときには叱って「ちゃんとすれば毛糸をあげる」と約束する機知のきく子であったのは確かである。実は姓のダルクも、生前一度も呼ばれていない。呼称は「ジャンヌ・ラ・ピュセル(乙女ジャンヌ)」。ダルクという姓が出てくるのは復権裁判での公的文書の中である。

ジャンヌの肖像はまるで残っていない。しかし服装から身長1m58㎝程度、均整がとれ強健であったとは推測できている。彼女が英雄になったときいて村の皆はびっくりしたというから体格からみても普通だったと思われる。

彼女は最初真夏の正午、畑に居るときに声をきき、光を見たと証言している。その光は教会から広がった、と回答しているが、当時悪魔の光は真直ぐな一条の光とされており、この点では審問官も突っ込めなかった。実は拙も、心筋梗塞で臨死状態にあったとき、その回復で見たのは横から一面を覆ってくる光だった。臨死体験をした人で光を見た人は多い。

下は今も残るジャンヌの生家と教会