生みの苦しみ
やっと五節句の童謡が完成した。一月・五月・三月・九月、最後に七月。一月は「七草」を無理矢理持ってきた感じがせんでもないがσ(^_^;)、七草粥は人日の節句に戴くものでもあるので善しということで、一応出揃ったということである。
↑手書きが大嫌いな小生、楽譜ソフトではなくなんと Illustrator で清書しておる次第。
これはこれで我ながら凄いなぁと(´∀`;A。
大阪弁で五節句で一連の童謡を作ると決めたからには、何が何でも5曲揃えたいもので、然しながら作らねばと思えば逆に曲想は浮かんでこなくなる。なまじ「七草」の出来が我ながら良かった上に一瞬で浮かび完成(寝起きに伴奏つきで曲が流れ出し、忘れぬうちにと飛び起きてそのまま書き殴り)したので、それ以上のものがなかなか浮かんでこなくなった。久々の作曲脳は一瞬であったか(´∀`;A。
最近の“若手作曲家”が書く合唱曲などを聴くにつけ思うのは、「なんかポップスくさ~~」である。ピアノパートのハーモニーにしても、何かしら何処かしら軽~いイメージがして好かんのである。自作はそうならぬよう常に気をつけておるが、寧ろ小生凝るタイプで、童謡と云いながら妙に変わった和音を使ったり変拍子を入れてみたりしたがる。また4度和音が好きらしく、知らぬ間に多用しており、どの曲も似通った定番おかずが入ったお弁当のようである。今回やっと完成した「七夕」は、気付けば他の作品と同じような節回しや和音がチラホラ出てきており、ある意味オマージュと云うか連作たらしめるというか、寧ろそういう方向性で肯定的に使って組み立てていった。
まぁ、チャイコーフスキィにしてもトスティにしても、「いかにも」的な節回しというのはどうしても出てくるもので、それがまた良かったりするものではある。
とりあへず完成はしたが、まだまだ推敲の余地もあろうしふといいピアノが思い浮かんで差し替えたりもするであろう。それを期待しつつ、暫くは頭の中でBGMにしながら適当な伴奏を充てておくとするか。たまにどんどん違う方向に行って大改定すること無きにしも非ず。
今年はあと4回の Salon G-clef にて、小出しにしながら全曲発表の予定。曲集のタイトル、ナニにしようかな。