多田淳之介、きたまり、岩渕貞太、Aokid、斉藤綾子 etc.「RE/PLAY Dance Edit」吉祥寺シアター
多田淳之介氏の東京デスロックが2011年に発表した演劇作品「再/生」をオリジナルとするダンス作品。
ダンスバーションは2012年京都で初演。その後、横浜、シンガポール、カンボジア・プノンペン、京都、フィリピン・マニラで各地のダンサーと上演してきたらしい。
公演のチラシやウェブサイトに記載されている文章を鑑賞前はよく読んでいなかったのだが、見終わってみると、その文章通りの作品だった。すなわち、「連続で繰り返されるポピュラーな楽曲、サドンデスで踊り続ける8人のダンサーの疲弊していく身体。ダンスの根拠も意味もなぎ倒していくその果てしない構造が、切実な「生」や混沌とした現代社会を浮き彫りにし、ダンスの概念を覆す問題作です」。しかし、この文章を知らずに見た方が衝撃はもちろん大きいだろう。
「Dance to the music(音楽に合わせて踊ろう)」という歌詞の軽快な音楽とともに1列で登場した8人のダンサーたち。横1列に並び終わったところで音楽がやみ、ダンサーたちは動きを止める。しばらくして動き出すが、その動きは一見、即興(インプロヴィゼーション)のようだ。ダンスのワークショップで行うような「人間の彫刻」のようにも見える。少しずつタイミングをずらしながら、ダンサーたちはポーズを取っていく。しかし、実際は決まった振付を行っているのだろう。
しばらく音楽なしで動き続けた後、誰もが聞いたことのある英語の歌が流れる。いかにも踊り出したくなる曲だ。ダンサーたちは無音のときと同じように動き続けている。しかし、音楽が流れていると、「ポーズや動きの連続」ではなく「ダンス」に見えてくるような気がしてしまう。公演パンフレットに多田氏は「踊る/踊らない」というテーマに言及しているが、【音楽がかかっている中で動けばダンスになるのか?】という問いが提示されているように感じた。
この曲は2回ほど流れただろうか。途中で数回、数秒ほど曲がいったん止まるが再開する。曲が止まっている間もダンサーたちは曲が流れているときと変わらずに動き続けている。「曲に乗って踊っているわけではない」ことを強調するための仕掛けだろうか。
歌の音量が徐々に大きくなったりする。かなりの大音量。それで一瞬、音楽が止まると、「シーン」という音が聞こえてきそうな静けさが訪れる。
その後、別の英語の歌が流れる。これも聞き覚えのあるよく知られた曲だ。曲名は分からないが、歌詞に「Life goes on(生きることは続いていく)」とある歌。この歌の間、ダンサーたちは走ったり、腕を振ったり、足踏みしたり、回転したりといった動きをそれぞれ行う。
歌が終わった。しかしまたすぐに同じ曲がかかった。ダンサーたちは曲が終わっても動きを止めないが、曲が新たに始まると、また初めの位置に就いて動きを「再生」し出した。この辺りでやっと、そうか、作品名が「RE/PLAY」だったのはこういうことか、と気付いた。
だが、このときはまだ分かっていなかった、この同じ曲と踊りがいったい何回「再生」されるかということが。正確には数えていないが、少なくとも8回くらいだろうか?同じ動きが繰り返されるのだが、だんだんと動きにバリエーションが出てきたように思う。音楽に乗るように派手になってきたのか、それとも疲れ過ぎてハイの状態になり投げやりな感じで大げさな動きをするようになったのか(そういう演出なのか)?
冒頭から、時折バタッと床に倒れる動きが取り入れられている。「一時停止、生の停止」を表しているのかと思ったが、ダンサーが一時の「休息」を得るという目的もあるのだろうか?(それとも、いったん止まってすぐに動き出すのは余計につらい?)
曲が止まるとダンサーたちの激しい息遣いが聞こえ、倒れているときは胸が激しく上下し、顔には汗が流れている。苦しそうな表情で踊っているダンサーもいる。笑顔が無理やりに見える。
こんなに何度も同じことを繰り返すのは苦痛なのではないだろうか?でも日常生活も同じかもしれない。朝が来たら、また昨日と同じことを繰り返す。しかし、公演パンフレットに多田氏が「東日本大震災」と「繰り返す/繰り返せないこと」について書いていたことを思うと、「繰り返せること」は平和でもあると思える。昨日と同じ今日、今日と同じ明日は時に退屈かもしれないが、同時に幸せかもしれない。もう二度と繰り返せないことがあることを思うと。
それにしても、ダンサーたちは体力の限界にきているかのようにつ苦しそうだ。そしてやっと曲がやみ、ダンサーたちはストレッチのような動きをして、突然話し出す。公演が終わり、打ち上げで飲みに行ったという設定の会話だ。英語と日本語交じり(もしかしたら他の言語もあったかも)。メタフィクションとでもいうのか、この東京公演について「ざっくばらん」な感じで話したりしている。
これでエンディングだ、と思ったら甘かった!今度は別の歌(日本語の歌)がかかり、また踊り出す。この曲も数回繰り返された。終盤、ダンサーたちはそれぞれ得意とするダンスの動きを多く行っていたようだ。ブレイクダンスやバレエなど。
その後、さらに別の曲で数回。「ラストダンスは私に(Save the Last Dance for Me)」という歌だったと思うので、やっとlast dance(最後のダンス)か!と思った次第。でも、もうここまで来ると、もっとずっと踊り続けてほしいなんて恐ろしいことを思い、椅子に座っているだけにもかかわらず疲れ切ってよろよろな感じなのにずっと見続けていたいかも、と思った。この時は永遠には続かないけど、だから永遠になるように時間を止めて取っておきたい、というような。でも止まることはきっと「死」だから、それはできないのだ。
2時間か3時間くらいたったのではないかと思っていたら、1時間30分強の公演時間だった。まさに、生で体験し、この時間を出演者と観客とで共有することでしか味わえないダンス作品だ。いつ終わるかが可視化され、ダンサーの限界と疲れが目の前の生身の肉体として感知できない「動画」では、この作品を本当に見たことにはならないだろう。
途中の「会話」の場面で、「シンガポール(だったかな?)の観客は、疲れていたけどタイトル通りの内容だから納得してくれた、コンセプトを理解してくれた、clever(賢い)観客だ」というようなせりふがあった。これはジョークだと思うし、確かにコンセプト通りのダンスなのだが、こう言われると、それ以外の解釈がしづらいような印象を観客に与えてしまうかもしれない。まあでも、冗談だからいいのか。
「あなたはなぜダンスを見るのですか?」という多田氏の観客への問い。私はどう答えるだろうか?ばかみたいと思われるかもしれないが、答えの一つは「生きている実感を得たい」になるかもしれない。目の前に、たとえ動いていなくても圧倒的な存在感を放つ身体がそこにいてくれたら、日常の中で忘れがちな、ただ「在る」ことの貴さと美しさを感じられる気がする。
「RE/PLAY Dance Edit」のとんでもない構成を考え出したであろう多田淳之介氏と、彼の構想に食らいついて疲弊しながら見事に具現化してくれたダンサーたちに大きな拍手を送りたい。
アフタートークのある回に行けなくて聞けなかったのだけが残念だった。
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国際共同制作『RE/PLAY Dance Edit』東京公演
2019年2月9日(土)19:00開演|10日(日)19:00開演|11日(月・祝)18:00開演
吉祥寺シアター
演出: 多田淳之介
振付・出演:きたまり、岩渕貞太、Aokid、斉藤綾子、シェリダン・ニューマン(シンガポール)、ソポル・ソー(カンボジア)、カリッサ・アデア(フィリピン)、ジョン・ポール・オルテネロ(フィリピン)
照明:岩城 保/舞台監督:三津 久/音響:相川 晶(有限会社サウンドウィーズ)/通訳:齋藤梨津子
プロデューサー:岡崎松恵/デザイン:阿部太一(TAICHI ABE DESIGN INC.)/Webデザイン:加藤和也
一般前売3,500円/当日4,000円|U25(25歳以下):前売3,000円/当日3.500円
アルテ友の会会員価格:3,000円(一般前売のみ)|TPAM参加登録者特典:3,000円(一般前売のみ)
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