二項対立を超えて
https://note.com/sense_of_life/n/n0b325121401c 【二項対立の壁を超えて:統合の世界で輝く未来へ】より
二項対立の壁に息苦しさを感じていませんか?
実は、私たちは日常生活の中で、二項対立という壁に無意識のうちに縛られています。 善悪、正誤、好き嫌い...。物事を単純化し、白黒つけたがる二元論は、私たちの思考を制限し、分断や対立を生み出してしまうのです。
私は、二項対立を超えた新たな視点「統合」の重要性をお伝えし続けてきました。 統合とは、異なる要素を尊重しながら、全体としてより良いものを作っていく考え方です。
この記事では、二項対立の罠から脱出し、統合の扉を開くための具体的な方法を、わかりやすく解説します。 コミュニケーション、問題解決、意思決定など、日常生活の様々な場面で実践できるヒントが満載です。
この記事を読むことで、固定観念を手放し、柔軟な思考を育むことができるようになります。 相手の立場に立って物事を考える力、グレーゾーンを受け入れる寛容さ...。 統合の視点を取り入れることで、あなたはより豊かな人間関係を築き、より充実した人生を送ることができるでしょう。
結論は、二項対立は乗り越えられるということです。
統合の世界へようこそ! 一緒に、多様性が尊重される持続可能な社会を創造していきましょう。
1. 「0」と「1」の狭間で:二項対立の迷宮
二項対立とは何か?
私たちの生活は、様々な二項対立で溢れています。例えば、「善悪」「正誤」「好き嫌い」「成功失敗」などです。二項対立は、物事を単純化し、理解を容易にするというメリットがあります。しかし、同時に、複雑な問題を単純化しすぎて、本質を見失ってしまうというデメリットもあります。
二項対立の例
善悪:良いことと悪いこと 正誤:正しいことと間違っていること 好き嫌い:好きなものと嫌いなもの 成功失敗:成功と失敗 白黒:白と黒 男と女:男性と女性
二項対立の思考がもたらす問題
二項対立の思考に固執してしまうと、以下のような問題が発生します。
分断と対立:自分と異なる意見を持つ人を排除しようとする
柔軟性の欠如:物事を多角的に捉えることができない
固定観念:先入観にとらわれ、新しい考えを受け入れられない
グレーゾーンへの不寛容:曖昧な状態を受け入れられない
二項対立を超えた世界へ
二項対立は私たちの思考を縛るものではありません。二項対立を超えた世界には、多様性を受け入れる寛容さ、柔軟な思考、そして新たな可能性が広がっています。
2. 分断を超えて繋がる:統合の力
統合とは?二項対立を超えた新たな視点
二項対立の思考にとらわれず、物事を多角的に捉える「統合」という概念があります。統合とは、異なる要素を一つにまとめるという意味だけでなく、それぞれの要素の個性を尊重しながら、全体としてより良いものを作っていくという考え方です。
二項対立と統合の比較
ホリステック思考:全体を見ることで見えてくるもの
統合の重要な要素の一つが、ホリステック思考です。ホリステック思考とは、物事を部分ではなく全体として捉える考え方です。例えば、人間を身体、心、精神の単なる集合体ではなく、相互に関連し影響し合う一つの存在として捉えるのがホリステック思考です。
ホリステック思考によって、以下のようなメリットが得られます。
問題の本質を見抜く 創造的な解決策を生み出す 多様な視点を取り入れる
多様性を尊重し、共存を目指す統合の重要性
現代社会は、ますます多様化しています。異なる文化、価値観、考え方が共存する中で、統合の重要性がますます高まっています。統合によって、私たちは分断や対立を超え、より良い社会を築くことができるのです。
統合の重要性
分断や対立を解消する 多様性を尊重する 持続可能な社会を実現する
3. 二項対立の罠を脱出する方法
二項対立の思考に固執してしまうと、様々な問題が発生します。固定観念に縛られ、新しい考えを受け入れることができなくなったり、相手の立場に立って物事を考えることができなくなったり、グレーゾーンを認めずに白黒つけたがるようになってしまいます。
二項対立の罠から脱出するためには、以下の3つの方法が有効です。
固定観念を手放し、柔軟な思考を育む
二項対立の思考は、多くの場合、固定観念に基づいています。例えば、「男は仕事、女は家庭」という固定観念があると、男女の役割分担を二元論的に考えてしまうことになります。
固定観念を手放すためには、以下のような方法が有効です。
自分の価値観を疑い、常に新しい情報を取り入れる 様々な人と交流し、多様な価値観に触れる 自分の経験や知識に固執せず、柔軟に考えられるようにする
相手の立場に立って物事を考える
二項対立の思考は、自分と異なる意見を持つ人を排除しようとする傾向があります。
相手の立場に立って物事を考えるためには、以下のような方法が有効です。
相手の意見をよく聞き、理解しようと努力する
自分と異なる意見を持つ人にも敬意を持って接する
自分とは異なる視点から物事を考えてみる グレーゾーンを受け入れる
二項対立の思考は、物事を白黒つけたがる傾向があります。しかし、実際には多くの問題は白黒はっきりつけられないグレーゾーンが存在します。
グレーゾーンを受け入れるためには、以下のような方法が有効です。
完璧を求めない 曖昧さを恐れない 多様な可能性を受け入れる
まとめ
二項対立の思考は、私たちの思考を縛り、様々な問題を引き起こします。二項対立の罠から脱出するためには、固定観念を手放し、柔軟な思考を育む、相手の立場に立って物事を考える、グレーゾーンを受け入れることが重要です。
4. 統合の扉を開く:具体的な実践例
二項対立の罠から脱出し、統合の視点を取り入れるためには、日常生活の中で具体的な行動を起こすことが重要です。ここでは、統合を実践するための3つの例を紹介します。
1. コミュニケーション:対話を通して理解を深める
二項対立の思考は、自分と異なる意見を持つ人を排除しようとする傾向があります。しかし、異なる意見を持つ人々と対話することで、新たな視点を得ることができ、統合の第一歩となります。
具体的な方法
相手の意見を最後まで聞き、理解しようと努力する
自分の意見を押し付けず、質問を通して相手の考えを引き出す
共通点を見つけて、議論の土台を作る
相手を尊重し、批判的な態度を避ける
2. 問題解決:多角的な視点で解決策を探る
二項対立の思考では、問題を単純化し、白黒つけたがる傾向があります。しかし、問題には様々な側面があり、多角的な視点から解決策を探ることが重要です。
具体的な方法
問題の全体像を把握し、様々な要素を考慮する
関係者全員の意見を聞き、それぞれの立場を理解する
ブレインストーミングなどを行って、解決策を自由に発想する
複数の解決策を比較検討し、最適な方法を選ぶ
3. 意思決定:選択肢を比較検討し、最適な道を選ぶ
二項対立の思考では、選択肢を単純化し、どちらか一方を選ぶ傾向があります。しかし、選択肢にはそれぞれメリットとデメリットがあり、慎重に比較検討することが重要です。
具体的な方法
それぞれの選択肢について、メリットとデメリットを書き出す
自分の価値観や目標に基づいて、各選択肢を評価する
時間を置いて、冷静に判断する 必要であれば、周囲に相談する
まとめ
二項対立の思考は、私たちの思考を縛り、様々な問題を引き起こします。しかし、具体的な行動を起こすことで、二項対立の罠から脱出し、統合の視点を取り入れることができます。
5. 統合の世界へようこそ:私たちが目指すべき未来
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二項対立の思考を超え、統合の視点を取り入れることで、私たちが目指すべき未来は大きく変わります。
二項対立を超えた社会:多様性が尊重される世界
二項対立の思考は、自分と異なる意見を持つ人を排除しようとする傾向があります。しかし、統合の視点を取り入れることで、多様な価値観を受け入れ、共存できる社会を築くことができます。
統合の力で実現する持続可能な社会
二項対立の思考は、問題を単純化し、白黒つけたがる傾向があります。しかし、統合の視点を取り入れることで、問題の全体像を把握し、多角的な視点から解決策を探ることができます。
私たち一人ひとりができること
統合を目指すためには、一人ひとりが意識を変えていくことが重要です。
固定観念を手放し、柔軟な思考を育む
相手の立場に立って物事を考える
グレーゾーンを受け入れる
まとめ
二項対立の壁を超えて、統合の世界へようこそ。統合の力で、私たちが目指すべき未来を創造していきましょう。
6. 旅は続く:統合への道
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二項対立の壁を超え、統合の世界へようこそ。しかし、統合はゴールではなく、プロセスであることを理解することが重要です。
統合はゴールではなく、プロセス
統合は、一夜にして達成できるものではありません。日々の生活の中で、意識的に統合の視点を取り入れ、実践していくことが重要です。
学び続け、成長し続ける
統合の世界は、常に変化しています。新しい情報や知識を学び続けることで、視野を広げ、柔軟な思考を育むことができます。
統合の世界を共に創造していく
統合は、私たち一人ひとりの努力によって実現していくものです。周囲の人と協力し、共に統合の世界を創造していくという意識を持ちましょう。
まとめ
二項対立の壁を超え、統合の世界へようこそ。統合は、私たちに新しい可能性を与えてくれるものです。学び続け、成長し続けることで、統合の世界を共に創造していきましょう。
結論:二項対立の壁を超え、統合の扉を開く
二項対立の罠から脱出するには、固定観念を手放し、柔軟な思考を育むことが重要です。相手の立場に立って物事を考え、グレーゾーンを受け入れる寛容さを持ちましょう。
統合は、私たち一人ひとりの意識によって実現していくものです。日常生活の中で、意識的に統合の視点を取り入れ、実践していくことで、より豊かな人間関係を築き、より充実した人生を送ることができるでしょう。大切なことは、二項対立は乗り越えられるということです。
ここから始まる統合の旅へ、一緒に一歩踏み出してみませんか? 明日からできること
相手の意見を最後まで聞いて、理解しようと努力する 自分の意見を押し付けず、質問を通して相手の考えを引き出す 問題の全体像を把握し、様々な要素を考慮する
関係者全員の意見を聞き、それぞれの立場を理解する 選択肢を比較検討し、最適な道を選ぶ
統合の世界は、あなたを待っています。読者のみなさまにとって、二項対立と統合について考えるきっかけになれば幸いです。
https://ameblo.jp/yujyaku/entry-12859402816.html 【雅びなる名の夏草や鄙の道】より
雅びなる名の夏草や鄙の道
( みやびなる なのなつくさや ひなのみち ) *原句一部修正
ここ数日は、雨が降ったり止んだりの日が続いている。梅雨の真っ最中なのでしょうがないと思うが、それに暑さも加わって蒸し暑く、不快指数も日に日に高まってる。
そんなおりだから、どうしても家に籠りがちになるが、短時間でも外に出てみると、様々な夏草の中に濃い朱色の花を咲かせている草花を時々見かける。
名前は、「姫檜扇水仙(ひめひおうぎずいせん)」というが、「姫」「檜扇」「水仙」が連なる何とも「雅び(みやび)」な名前である。数ある植物の中でも最良の名前の一つであると言って過言ではない。*最悪は「屁糞葛(へくそかずら)。
本日の掲句は、そんな名前が付けられた草花が、非常に鄙(ひな)びた道端に咲いているのを見て詠んだ句である。これは、対義語でもある「雅び」と「鄙び」を取り合わせたもの。それぞれの意味は下記の通り。
【雅び(みやび)】
宮廷風で上品なこと。都会風であること。また、そのさま。洗練された風雅。
【鄙び(ひなび)】
田舎風であること。田舎めいて素朴。やぼったい。里び(さとび)ともいう。
尚、今回は「姫檜扇水仙」という名前は使わず、「雅びなる名の夏草」とした。「夏草」はいうまでもなく夏の季語。
因みに、「姫檜扇水仙」に関しては、過去に以下の句を詠んでいる。
*「姫檜扇水仙」は季語になっていないが、②、③では、夏の季語に準じるものとして詠んでいる。
【関連句】
① 夏草に紅一点の姫檜扇水仙
② 川端に巫女舞う如く姫檜扇水仙
*原句を大幅修正
③ 浪漫の夢に憧れモントブレチア
https://ameblo.jp/yujyaku/entry-12754573310.html 【雅びとも鄙びともいう姫檜扇水仙】より
雅びとも鄙びともいう姫檜扇水仙
( みやびとも ひなびともいう ひめひおうぎずいせん ) *原句一部修正
昨日は、「花園衝羽根空木(はなぞのつくばねうつぎ)」という長い名前の花木を取り上げたが、今日は、それに負けず劣らす長い名前の「姫檜扇水仙(ひめひおうぎずいせん)」を取り上げたい。
この草花は、その名前が「姫」「檜扇」「水仙」が組み合わされたもので、何とも雅やかな感じがし、花の姿もそれなりに美しい。ただ、道端や荒地などでもよく見かけるため、いささか鄙びた感じもする。
本日の掲句は、そんな微妙な印象を詠んだ句である。
【雅び(みやび)】
宮廷風で上品なこと。都会風であること。また、そのさま。洗練された風雅。
【鄙び(ひなび)】
田舎風であること。田舎めいて素朴。やぼったい。里び(さとび)ともいう。
尚、「姫檜扇水仙」は季語になってないが、掲句では、夏の季語に準じるものとして詠んでいる。また、「姫檜扇水仙」は10音だが、大幅な字余りで下五に入れている。
これは、当方の独自ルールで、植物名などの固有名詞は字余りでも可としているためである。*このルールは、一般には認められていないが、そうでもしないと、長い名前のものは全く句に詠めないことになる。
因みに、「姫檜扇水仙」に関しては、過去に以下の句を詠んでいる。
*以下の②、③では、「姫檜扇水仙」「モントブレチア」を夏の季語に準じるものとして詠んでいる。
【関連句】
① 夏草に紅一点の姫檜扇水仙
② 汚れなき巫女の如くに姫檜扇水仙
③ 浪漫の夢に憧れモントブレチア *浪漫(ろうまん)
①は、緑一色の夏草の中に、「姫檜扇水仙」だけが、鮮やかな紅色の花を咲かせていることを捉えて詠んだ句である。
②は、花の朱色を巫女(みこ)の袴に重ねて詠んだ句。その喩えは、当たらずとも遠からずと今も思っている。
③は、洋名の「モントブレチア」の響きに、西欧風のロマンチズムを感じて詠んだ。和名の「姫檜扇水仙」とは違った趣がある。
「姫檜扇水仙」は、アヤメ科モントブレチア属の多年草(球根植物)。南アフリカ地方原産。「檜扇水仙(ひおうぎずいせん)」と「姫唐菖蒲(ひめとうしょうぶ)」の交配種。明治期に園芸植物として渡来し、その後野生化した。花期は6月~8月。
和名の「姫檜扇水仙」は、交配した「檜扇水仙」=「ワトソニア」よりも小さいという意味でつけられた。但し、これらは別属の草花。
尚、「姫檜扇」あるいは「檜扇」という名の植物も別にあるので、「姫檜扇水仙」という長い名前のどこかを省略して呼ぶ訳にはいかない。*実際のところ、かなり混同して使われているが・・・。
洋名の「モントブレチア」は、この植物を交配した仏人のモントブレットに因む。他に「クロコスミア」 という別名がある。
姫檜扇水仙(モントブレチア)は季語になっていないせいか、詠まれた句はほとんどないので、参考句は割愛する。
https://weekly-haiku.blogspot.com/2011/05/29.html 【週刊俳句時評第29回 被災と俳句
関 悦史】より
最初に個人的な被災状況を記しておく。
3月11日の大震災で茨城県土浦市の私の家は屋根瓦が崩れ落ち、ブロック塀も損壊した。壁土、風呂場も罅だらけとなった。本や家財は言うまでもなく部屋中に倒れ、飛び散った。隣近所も同様。
最初の3,4日、電気、ガス、水道が止まり、近所の家に避難させてもらってしのいだ。半壊れの廃墟のようになった真っ暗な家で、繰り返す激震に一人で耐えるのがきつかったせいもあるが、避難先がプロパンガスの家だったため、そちらでは火を使った調理もできた。
飲み水の入手に難渋し、中学校の給水車や、井戸を開放していた民家、寺の湧き水を容器を持って転々とした。
トイレはありあわせの物で自分で作った。
断水が解かれ、灯油が入手可能となり、入浴できるようになるまでに半月かかった。
屋根は未だ落ちたままで、ブルーシートだけかけてもらってあり、落ちた瓦で使えそうなものが庭に積んである。
屋根が落ちた家が100軒や200軒ではないので、屋根屋の手配がつくのは3ヶ月先だと工務店に言われた。
その話を市役所の住宅相談会場でしたら、3ヶ月とは、今まで聞いた中で一番早い、皆大体3年後だと驚かれた。今のところ見積もりすらいつ出してもらえるものかわからない。そしてその見積もり額が工面し得るものかどうかも。
怪我がなくて済み、家屋も全半壊はしなかったという意味では被害は軽微だったが、家も街も何年先になったら復旧するのかは、見当がつかない。
そういう立場、状態から、この1ヶ月の震災と俳句がどう見えたかという話である。
3月13日には早くもネット上で「季語歳ブログ」(http://kigosai.sub.jp/002/)というところが震災俳句・震災短歌の募集を始めていた。
危機管理総理はいづこ春の雨 長谷川冬虹
この国に底力あり花辛夷 朋子
震災の瓦礫に降るや春の雪 ゆうこ
これらは特に出来がいいとか悪いとかではなく、早い時期の投句から適当に引いた。政権への苛立ち、咲く花に託した励まし、テレビ映像や想像をもとにした被災地想望といった、見る前から想像のつく要素が大体初期から出揃っている。
今回の大災害のテレビ映像を、私はほとんど見ていない。始めの何日かは停電でテレビが映らず、自宅に戻ったらすぐアンテナが余震と暴風で倒れ、屋根全体が傷んでいるので手のつけようもなく放置してある。大体、体を壊しながらの水やトイレの確保に追われ、テレビどころではなかった。避難先の家で一度津波の映像を見ただけである。上記の「震災俳句」も私が気がついたのはかなり日数が経ってからだったが、見て、気が滅入ったというよりは、何とも白々した気持ちになった。
この時期、震災のショックから出てきた、「俳句で励ます」とか、「俳句は無力か」といった言説を、それらに対する批判も含めてよく目にしたが、一番納得がいったのは俳人の言葉ではなく、『東京スポーツ』に載ったというビートたけしのインタビューだった。
「こういう時にさ『芸人は被災地に笑いを届けることしかできない』なんて意見もあるけどさ、そういうのは戯言でしかないんだよね。メシがちゃんと食えてさ、ゆっくり眠れる場所があって、初めて人間は心から笑えるんじゃないかな」(http://www.j-cast.com/2011/03/21090939.html)
被災者側から見ると、「励ます」というスタンスがそもそも酷なのだ。次の瞬間自分に弾が当たるかもしれないと理性ではわかりつつも、しかしまさか自分がという無根拠な楽観のもとに突撃する戦場の兵士と同様、私も未体験の大揺れに揺さぶられ続け、本棚が倒れる込んでくるのを見ながら、まさか自分の家が壊れるとは思っていなかった。命を落とした被災者も、最後の瞬間までまさかと思っていたはずである。「さりながら、死ぬのはいつも他人ばかり」(デュシャン)。命を失いはしなかったまでも、壊滅的な打撃を被ることになった人たちはみなこの「他人」の位置へと暴力的に自分が追い落とされたことを感じたことと思う。
「励ます」というアクションは、無事に済んだものからこの「他人」へかけるものであり、いかに善意に満ちていようと、それとは無関係に「励ます」という行為そのものによって、無事な者と「他人」となってしまった被災者との絶対の懸隔をまざまざと見せつけるのだ。
この励ましを「挨拶」の一種と捉えるならば、時機を失していると思われる。葬儀に参列したら遺族を励ます前にお悔やみを述べ、悼むのが先決ではないか。まして今回の震災ではまだ死傷者数の確定も出来ておらず、断水が復旧していない地域もあり、原発事故収拾の目途も立っていない。
「俳句は無力か」という問いも、直接被災地に役に立つことができるかという意味であればナンセンスだが、しかしこれは「俳人」と自己規定している人間が、大災害を目にして、それと自分との間にいかなる関係の道筋をつけることが出来るかが見出せないという困惑が露呈しているという点においては、それなりに誠実な問いなのだとはいえるかもしれない。だがその困惑が直ちに「俳句=自然=日本」といったイデオロギー強化や、それへの随順に回収されてしまう、被災をも俳句をもともに陳腐化してしまう光景を見せてほしいとは思わない(小野裕三「今回の大地震に関連して思うこと」がその例)。大災害に当たっての日本人の冷静と礼節を褒め称えた海外の報道に対し、それも一つのオリエンタリズムではないかとの言説を見かけた。日本人は本来自然と調和した云々の言説は、そうしたオリエンタリズムの無自覚な内在化に他ならない。
『俳句』と『俳句界』の五月号が、東日本大震災の句を特集している。
角川『俳句』は一人一句で、それに三行ほどのコメントがつく形式だが、そこで髙柳克弘と神野紗希が俳句と力/無力の問題に触れている。
さへづりや光さしくる雨の芝 髙柳克弘
詩歌は社会に対する実効的な力を一切持たないが、そのことを恥じる必要はないだろう。役に立たなければ存在意義が無いという考え方が、原発を生んだのだから。今後も何の役にも立たない俳句を作っていきたい。
暁鴉・睡魔・マイクロシーベルト 神野紗希
「詩歌の力」という語の乱用を避けたい。本当の詩歌の力は、何も言わなくても、しずかで深いところで、変わらずはたらくと思っている。
髙柳克弘のコメントを私流に敷衍すると、これは合理性・有用性を全否定して脱却をはかるといったことではないし、無用であること自体に居直る裏返しのロマンティシズムやイロニーでもない。合理性と非合理性、有用性と無用性という、異なる水準においてどちらもそれぞれ機能していなければならないバイロジカルのうち、前者すなわち合理性や有用性の圧倒的な肥大化と暴走に対し、後者、非合理性や無用性を育みかえす道を探ること、その潜在する経路の一つを詩歌に求めたものとして捉えるべきだろう。
私個人の状況に戻っていえば、俳句は思いもかけない形で役に立った。もちろん句自体を通してではないが。
被災直後と、停電が復旧して以降、携帯電話からツイッターで自分の置かれた状況を実況し続けたせいもあるのだろうが、発生直後から救援物資を送るという申し出が殺到し、それが九割方俳句つながりの人たちからの申し出だったのだ。私は結社も句会もほとんど無縁に近い過ごし方をしてきたので全く想定していなかったのだが、一度しか会ったことのない人、一度も会ったことのない人まで含めて助けの手が幾つも現われ、ガスが止まって調理が出来なくても食べられる食糧、飲み水、薬、ティッシュ等の消耗品があちこちから一斉に送ってもらえた。1ヶ月経ってずいぶん減ったが、未だに段ボール四箱分くらいが台所に残っていて、個人的には過去最高の食糧備蓄量である(ついでにいえば、被災直後の印象では、救援物資を送ってくれる人は震災俳句に批判的、または関わらない人が多かった気がする。しかしいち早く震災俳句を作りだしてしまった人たちも、まさか身近に被災者がいれば必要な物くらい送ろうとしただろうし、救援物資や義捐金を送ってくれた人たちからも、1ヶ月経った今では震災を詠んでいる人も出てきているので必ずしも「救援物資」と「震災俳句」は二項対立ではないのだろう)。
句自体に関しては、私自身は被災後しばらくは読みも作りもしなかった。読もうにも現実と俳句の間でリアリティのチューニングが一向に出来なかったし、自分の体験を句にするにしても、現実生活が未だに何をどうしていいかわからない状況が続いており、それを句の形にまでまとめる生成・変形の回路が見つからなかったのだ。
最近ようやく少しずつ句作も再開し始めたが、この混乱の期間、「詩歌の力」は「休止符」の形で現われたのではないかと、後付けで思い始めている。休止符のない音楽はなく、休止符は重要な音符のひとつである。
余震につぐ余震、大気や水道水の放射能汚染に脅かされる変動のさなか、先行き不安のなかで句を作ることは難しい。意識するしないに関わらずわれわれは二重の生を生きている。時間的に限られた個人としての生と、発生以来現在に至るまで一度も死んだことのない生命の連続自体としての生とである(死ぬのは常に個々の生物である)。後者を「客観」とか「物自体」とか言い換えてもいいかもしれないが、極度の緊張・不安・恐怖は、この二重性から生じる大らかさや余裕を奪い、前者の、ただ一個の生命しかない個体としての生、危機としての現在に、虫ピンのようにわれわれを刺し止めてしまう。句作が難しかったのはそのためだ。俳句という形式において、こうした「客観」や二重性が失われることは致命的なことなのではないかという気がする。短歌や自由詩はその点、そこまで致命的なことにはならないのではないか。
被災した当事者が句を作ることで苦痛を昇華していくという形での「詩歌の力」の現われとして際立ったのは、被災地宮城に拠点を置く『小熊座』の主宰高野ムツオだっただろう。震災後、『小熊座』四月号を既に刊行し、3月23日の読売新聞には短文とともに《泥かぶるたびに角組み光る蘆》1句を発表したという。
「角組む」は角のように芽が出ることをさす。植物が希望と再生の象徴になっている点は他の多くの震災俳句に共通するが、当事者であるだけにまだ易々と花は咲かない。粘り強い意志の力を形象化している。
たしか多田道太郎ではなかったかと思うが、俳句とカメラをアナロジカルに捉えているエッセイを読んだことがある。素人からプロまでそれなりの水準で一瞬の光景を切り取れるといった点に類似を見出していたのではなかったかと思う。
読んだのは20年以上前のことで、さほど感心もした覚えはないのだが、今回このカメラと俳句の類似を思い起こすきっかけになったのは、被災地で大量の写ルンですを配り、避難者たちの視点で当地の模様を撮ってもらうプロジェクトを目にしたからである[1]。カメラを向けられ一方的な観察の対象とされることは、場合によっては武器を向けられるに等しい。ここでは被災者がその武器を手に持つことになった。そこから生まれるのは、スローガンかキャッチコピーのような紋切型の被災地写真とはいささか異なる、静かに輝き出る普通の生活の尊さとでもいったものだ(http://www.rolls7.com/)。
被災地において、俳句がこのような形で現われる可能性、被災した人がこのような形で「詩歌の力」の恩寵を受ける可能性は今後ある。
では被災地以外に住む者は震災を詠んではならないのかといえば、そうは思わない。
角川『俳句』の震災俳句特集「励ましの一句」(この題名については前出の理由で、あまり励まさないでほしいと思う者だが)は、作者の年齢順配列なので筆頭にあるのが金子兜太の句なのだが、兜太がコメントなしで出したのは次の一句だった。
津波のあとに老女生きてあり死なぬ
テレビにこういう映像はおそらくよく現われたのだろう。私程度の被害ですら、稀に3月11日に死んでいたほうがよかったのではないかとの思いが頭をかすめる。しかし個々の思いがどうであれ、実際の生死はそれとは全く無関係に分かたれる。この句は大災害の後、死ななかったという酷さとして現われた生を、他者として突き放し描写するのでもなく、過剰に寄り添い励ましているわけでもない。自分の生の全体験の内部へと受容し、響き合わせ、そして、内側から照らし返すようにして、老女の姿を立ち上げる。これは人に人を救うことは出来ないという厳然たる事態を前にして、俳句がとり得る一つの倫理の形だろう。
[1]……ROLLS TOHOKU 3/31-4/3
《今回の震災が起こった3月11日、「ROLLS of one week」という私主催の写真企画展が開催されていました。
その中で、同じ国にいながらも直接手を差し伸べることができないことに無力感を感じていたのですが、一人の人間としてただ無力感に苛まれてる場合じゃないと、現地に大量の写ルンですを持って向かいました。この「ROLLS TOHOKU 3/31-4/3」は3/31〜4/3の被災者の目線の被災地の記録です。
復興までには、私たちが思うよりずっと永い時間がかかるはずです。ここでの写真をみて現地に対して何かしたいと思う方がいましたら、是非行動してください。
自分の信じられる方法、信じられる機構を利用して、どうか被災地により多く、より永く支援を届けてください。》http://www.rolls7.com/
https://kangempai.jp/seinenbu/essay/2019/hotta02.html 【夢見る俳句(2)堀田季何】より
今回はいきなり脱線して、一句に季語が二つ以上ある状態、季重なりについて少し考えてみよう。これは季題(※ここで云う季題は、あくまでも題であり、季語と同義ではない。同じ「ホトトギス」でも、虚子は題として、その孫の稲畑汀子は季語とほぼ同義として使っていると、それぞれの文章から推察される。季語は虚子と対立した乙字・井泉水が提唱していたので、虚子が季語の意味で季題という言葉を使っていた事はまず有り得ない)でなく、季語の問題である。例えば、季題派の虚子は、花鳥諷詠もとい季題諷詠を説き、季題を重んじたが、季感と密接に関係している季語には興味なかった。実際、季語が複数入っている季重なりの句の論評にあたり、季重なりを良いとも悪いとも言っていない。虚子選において季重なりはタブーではなかった事は、近年では、筑紫磐井や岸本尚毅が指摘しているところである。そもそも、和歌以来、季題には複合的な結題のようなものがあって、「初春霞」「蝉声夏深」「蛍火秋近」「月多秋友」といった季題がある事から、季語が複数入っている季重なりを季題派が気にしないのは当然の事かもしれない。
虚子に限らず、芭蕉、蕪村、一茶、子規といった面々も季重なりをタブー視していなかった。それどころか、季題派にとどまらず、季感を重んじた季語派の俳人でさえ季重なりの句を作っていて、秋桜子は特に多い。結局、近代以降も、季題・季語に対する考え方はともかく、虚子や秋桜子の他にも、鬼城、蛇笏、誓子、素十、草城、楸邨、波郷、龍太といった大御所たちが季重なりの句を堂々と作っている。それも、同じ季節の季語だけではなく、異なる季節の季語が入っている季違いという類の季重なりの句もたくさん作っている。しかし、この21世紀、彼ら大御所たちの弟子や孫弟子たちが主宰や選者として、季重なりを理由に句を自動的に難じたり落したりする景を目にする事は多く、俳諧・俳句の歴史を鑑みれば、この現象は奇異に映る。
もちろん、俳句は短歌よりも短いゆえ、無駄な季語は要らない。上記のような「蝉聲夏深」(「蝉の声」と「夏深し」)や「蛍火秋近」(「蛍火」と「秋近し」)のような組合せは俳句では成功しにくい。本意本情を思えば、「蝉の声」に「夏深し」、「蛍火」に「秋近し」がそれぞれ含まれるのがわかるからだ。そういう意味で、初心者が作りがちな「夏暑し汗かきながら氷菓食ふ」といったような句は、季重なりの失敗例と言えよう(「氷菓」で足る)。しかし、「秋天の下に野菊の花弁欠く」(虚子)、「枯菊の根にさまざまの落葉かな」(虚子)、「小春日や石を噛みゐる赤蜻蛉」(鬼城)、「蛍火や馬鈴薯の花ぬるる夜を」(蛇笏)、「啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々」(秋桜子)、「風邪の床一本の冬木目を去らず」(楸邨)、「春すでに高嶺未婚のつばくらめ」(龍太)といったような季重なりの句は、句の出来は別として、季重なりを以て没とすべき句ではない。重要なのは、季重なりでも成功しているか失敗しているか、言葉が必然か無駄か、といった事であり、季重なりを自動的にタブー視するのが愚である事はわかると思う。
では、なぜ季重なりがタブー視されるようになってきたか。愚見だが、1970年代後半からの俳句ブームに付随したカルチャースクールや俳句教室の隆盛がその背景あるように思われる。初心者に良い季重なりと悪い季重なりを教えるのは難しい(上級者でも判別に迷う事が多いのは事実)ので、前述した「夏暑し汗かきながら氷菓食ふ」のような句を作らせないためには、一句に一つの季語と安易に指導した事は想像に難くない(指導者によっては、季重なりは大家になってからなら良いとか言った可能性もある)。これがいつの間にか教条的なもの、ルールのようなものになって行った可能性が高いと筆者は踏んでいる。師弟のつながりが強く、師風が受け継がれてゆきやすい俳句界の事、生徒側は、大成しても、季重なりを基本的にタブーだと信じ込んだまま専門俳人になっただろうし、教える側も「模範例」となるべき句を作ろうと、その時期以降、季重なりに慎重になって行ったのかもしれない。証拠というのも変だが、80年代以降、総合誌や実力俳人の句集に出てくる季重なりの句が大幅に減っているように思われる(※厳密に数えてはおらず、あくまでも推測である)。ちなみに、季重なりの反対で、季語が無くても良いと教えていた教室も少なかったと思われるが、それは無季容認派であった指導者の少なさに因る。結局、複数でも無でもなく単数の一つという指導になったようである。
さて、21世紀現代において、季重なりを基本的に忌避する俳人たちには二つタイプがいるようだ。一つは絶対に忌避するタイプ。彼らの師の師くらいは季重なりの句を残していると思われるが、理屈抜きの教条派なのだから仕方がない。彼らの自由である。もう一つは厳しい制約を設けているタイプ。こちらは季語派に多く(※季題派だと冒頭の虚子の態度に落ち着く)、彼らの主張はまちまちであるが「季語が一句の中で最も重要な言葉であるからそれに焦点を当てたい。二つあるとぶれる」や「どの季語の季感で句を捉えればよいのかわからなくなる」や「歳時記の分類に困る。季違いの句だと本当に困る」(分類に困るからどうした、と言いたくなるが)といった意見をよく聴く。そして、彼らの妥協点として、「主季語、従季語のように強弱が明快であれば、主季語が焦点だし、その季感で句を捉えればよいし、主季語で分類すれば済む」といった意見に落ち着くことが多い。確かに、季語の主従というのは、季重なりの句を基本的に忌避する人間が容認する上で便利な概念である。
しかし、季語の主従という概念を扱う場合、主従の判定方法が欠かせなくなる。概ね、次のような方法である。季語の主従を説く俳人の殆どは、季題諷詠でなく季語の季感を重んじる人間であるから、第一ステップとして、特定の日に限定される季語を他の季語よりも優先する。一句に「桃の花」と「蠅」があったら、「桃の花」は春だけのものであるから、「蠅」を夏でなく春の蠅と解釈し、「桃の花」を主季語とする。「時雨忌」と「冬」があったら、どちらも冬の季語であるが、「時雨忌」の方が日を限定(特定)するので、「時雨忌」を主季語とする。「月」と「スケート」なら、本来「月」は秋における最強の季語であっても、一年中ある「月」は寒月と解釈され、まずは冬にしかない「スケート」の方を主季語とする(秋のスケートとはまず解釈されないだろう)。それが難しい場合、第二ステップとして、竪題や横題の季語があれば新季語よりも優先する。新季語は明治以降にたくさん提唱ないし歳時記採用された季語であり、季感や認知が衰えたら比較的容易に排除され得るものである。「時鳥」と「サングラス」なら「時鳥」を主季語とする。「時鳥」と「ビール」だったら尚更で、「ビール」は新季語である上、一年中飲まれていて季感も弱くなっているので、迷わず「時鳥」を主季語とする。重要なのは、第一ステップが第二ステップに勝つ事である。前述の「月」と「スケート」はそれぞれ竪題季語と新季語だが、第一ステップにより「スケート」が主季語になる(第二ステップを用いると反対の結果になってしまう)。それらの方法でも駄目な場合は、第三以降のステップになるが、この辺は曖昧であり、俳人によって様々である。ここまで来ると「一句の中での働きで決める」「句に漂う季感で決める」とする俳人も多いが、それは容易な事でなく、同じ句でも俳人によって主従の決定が異なる事も少なくない。そして、それでも主従が決められない場合、季語の主従を説く俳人たちの殆どは主従の見えにくさを理由にその季重なりの句を不可とする。
雪を月が照らしていて、「雪に月」という五音が入っている句があったとしよう。「雪」は冬以外にも見られるし、「月」は秋以外にも見られるので第一ステップは適用できない。例外として、春を示す語彙が別に入っていれば、春雪と春月と解釈され、春を示す語彙が主季語になってしまうだろう。しかし、季語が「雪」と「月」だけなら無理である。そして、いずれも新季語でないので、第二ステップも適用できない。しかも、「雪」も「月」も「雪月花」に含まれる最強の竪題季語なので、竪題と横題、比較的古い竪題と少し後の竪題といったような区別もできない。こうなると、個別の判断になると思うが、秋の句か冬の句か悩むはずである。秋雪と月の事なのか、雪と寒月の事なのか。そして、焦点にしても、雪が照らされている事と月が照らしている事とどちらを重んじるかは大いに疑問の余地がある。つまり、主従の判断はまず無理、歳時記分類は完全に無理であろう。季重なりを基本的に忌避する俳人からすれば、この状態ではどんな句であっても受け入れられないだろう。だが、「雪に月」という語句を含む秀句はないはと言えないのではなかろうか。特に、季語派でなく、両極端の季題派や無季容認派から見れば、「雪に月」という語句を含む秀句は可能であるはずだ。
これが前回の世界俳句にどうつながるかと言えば、季語が成り立たない外国語俳句の場合(※季節性のある言葉、season wordは、和歌的ないし俳諧的な意味での本意・本情がないので季語ではない。漢字文化圏における季節性のある言葉は季語に近いが、厳密には季語ではない)、季節性のある言葉を含む句であっても実質上は無季(雑)の句であるから、季重なりは意味を持たない。また、季語の本意や本情が成り立ちにくい地域(主に海外。日本でも、沖縄等)にて季語が示すコトやモノを詠んだ日本語俳句の場合、その句は季語を含んでいたとしても実質上は超季(雑)の句であるから、季重なりはやはり意味を持たない。「季語の本意と本情はこうなのだから、それが成立しない地域においても季語は本意と本情で解釈されるべきで、季語でなくなる事はあり得ない」と主張して、サハラの蠅を詠んだ句を夏の句としたり、モスク(マスジド)の上の月を詠んだ句を秋の句としたりするのは、極めて失礼な事である。「蠅は夏で、月は秋なんだから、どういう場合でも夏と秋と解釈すべき」というのは、自分が相対した土地や人々や文化に全く心を砕かない態度であり、挨拶として最低の表現であり、そもそも連句の発句に季語が入れられた時以来の俳諧の挨拶性、精神そのものを大いに害する。きちんと、サハラの自然やイスラムの文化を理解した上で蠅や月を捉えるべきであり、いくら日本語で「蠅」「月」と表記されてもそれらは季語として機能していないのを理解すべきである。
そうなると、「日本国内の大きい範囲の地域」で詠んだ日本語俳句においてしか季語は成立せず、それ以外の地域では季語入りの日本語俳句でも実質上は雑、外国語俳句なら季語の訳や現地の季節性のある言葉を入れても実質上は雑、という事になり、俳句の世界的普及の上で季語という概念が障碍、いや、その反対、無視できるものとなるのは自明である。無論、有季の句を作るか作らないか、また、有季を俳句の絶対条件とするかしないか各自の自由であるが、国外の俳句人口が国内のを上回っているという俳句の国際化の現状を鑑みれば、21世紀において季語固執はあまり広がりのない態度であると言えよう(「伝統」という言い方もできようが)。ただし、21世紀における俳句のあり方として、無季や雑を標榜するのも同様に莫迦らしい。無季や雑というのは、有季に対する概念であり、態度の本質は季語固執と変らない。しかも、無季を標榜しては、俳句及び季語が育った「日本国内の大きい範囲の地域」で詠まれる日本語の有季俳句を切り捨ててしまう事になる。そこで、もっと包括的な、一種のアウフヘーベン的な態度があっても良いという考えが浮かぶ。つまりは、季に捉われない、有季や無季・雑の概念を越えた自在季の精神である。その精神を以て、従来の季(キ)語(ワード)から、どの言語どの地域でも成立し、それぞれの言語・地域文化に特有の強い力を持つ、季に捉われないキーワードへの移行が行われ得る。無論、「日本国内の大きい範囲の地域」で詠まれる日本語俳句においては、竪題や横題の季語は大切なキーワードであり続け、自在季に基づくキーワードの概念は季語を否定しない。ただ、「日本国内の大きい範囲の地域」で詠まれる日本語俳句においても他の(雑の)キーワードがあり、他の地域や言語には(決して季語でない)多種多様なキーワードがあるという事である。
◆「世界俳句(3) 夢見る俳句(2)」:
堀田季何(ほった・きか)