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帚木を浮かべて廻るこの世かな 五島高資

2025.07.15 03:34

まるで魔女の宅急便!

https://note.com/yudai_book/n/nd9a0136de025 【イーロン・マスクの驚異の人生!アニメ好き少年からテスラ&スペースXの天才へ】より

こんにちは、みなさん!

今回は、テスラやスペースXのCEOとして知られ、2025年現在も世界を驚かせ続ける**イーロン・マスク(Elon Musk)**の人生を紹介します。

日本のアニメとラーメンに夢中な少年時代から、いじめを乗り越え、起業家として成功を掴むまでの軌跡をエピソードとともに紐解きます。

天才的な記憶力と情熱で未来を変える彼の魅力に迫ります!

幼少期:アニメと読書に没頭した天才少年

イーロン・マスクは1971年6月28日、南アフリカのプレトリアで生まれました。父エロル(エンジニア)と母メイ(栄養士兼モデル)の長男として育ち、弟キンバル、妹トスカと5人家族。

幼少期から読書が大好きで、1日に2冊のペースでファンタジーやSF小説を読み漁り、図書館の本を全て読破。驚異的な記憶力で百科事典の内容を丸暗記し、「歩く百科事典」と呼ばれました。

日本のアニメも大好きで、『デスノート』『エヴァンゲリオン』『もののけ姫』『ハガレン』を愛好。9歳で両親が離婚し、いじめや父の精神的虐待を受けながらも、一人の世界にこもって夢を育みました。

小学生時代:プログラミングと初の成功

10歳でコンピュータを買い、独学でプログラミングをマスター。12歳の時、自作のゲーム『Blastar』を500ドルで売却し、初の商業的成功を収めます。しかし学校ではいじめが続き、不良グループに階段から突き落とされ病院送りに。どこにも居場所がなく、読書とコンピューターに没頭する日々でした。

中学・高校時代:アメリカへの憧れと移住

南アフリカの中学校ではいじめが続き、昼休みに襲われ意識を失うほどの暴行も。「いじめられる側にいたくない」と自己主張を強めます。高校はプレトリア男子高校に通い、物理学と数学で優秀な成績を収めました。

アメリカの「やる気さえあれば何でもできる」という精神に憧れ、17歳の1988年にカナダへ移住。母親の親戚を頼り、木こりやボイラー室の清掃など過酷な仕事を経験しました。

大学時代:起業への第一歩

1989年にカナダのクイーンズ大学へ入学し、2年後にペンシルベニア大学ウォートン校へ転校。経済学と物理学の二重専攻を達成し、1995年に卒業。お金がなく、寮でナイトクラブを開いて家賃を稼ぐ工夫も。

スタンフォード大学の大学院に進むも、「ネットで起業する方が価値がある」と2日で退学し、弟キンバルと「Zip2」を設立。1999年、約2200万ドルで売却し、起業家としての第一歩を踏み出します。

テスラ&スペースX:世界を変える挑戦

2002年にスペースXを設立し、民間宇宙開発に挑戦。2003年にはテスラに参画し、電気自動車革命を牽引。日本のラーメン愛も強く、歌舞伎町のラーメン二郎を「まさに私が求めていたもの」と絶賛し、テスラ工場にラーメン自販機を設置。「ラーメン最高!」と語ります。柴犬好きでもあり、自身で飼い、「新たなCEOは柴犬」とジョークを飛ばす一面も。2022年にはツイッターを440億ドルで買収し、2023年にAI企業xAIを設立。2025年現在、総資産は約2411億ドル(2023年時点)で、世界をリードし続けています。


https://plaza.rakuten.co.jp/tsurugikazuwo/diary/202412040000/ 【イーロン・マスクに侘び寂びを教わりたくない】より

 ネットを散策していたら、「テスラのイーロン・マスクCEOが自身のXに『侘び寂び』という日本語を投稿して注目を集めている」とあった。

 それによると、「(11月)21日、マスク氏のXアカウントには特別な説明も添えられないまま『侘び寂び』という日本語が投稿された。

 侘び寂びは『質素なものの中から奥深い趣を感じる心』という意味で、日本人特有の美意識を表す言葉だ。完ぺきでなかったり欠陥があること、また時間の流れによって移ろいゆくものの中から美を見出し、複雑で過度な装飾よりも簡素で素朴な美を追求するという意味で使われる。ミニマリズム、簡素さなどを表わす言葉でもある」とされた。

 イーロン・マスクがどういう趣旨でこの文章を書いたか分からないが、イーロン・マスクに侘び寂びをおそわるとは思わなかった。いや、教わりたくないのぅ。

 イーロン・マスクは2022年5月にもひらがなはなく漢字だけで「侘寂」と記し、「The Elusive Beauty of Imperfection」(定義するのが難しい不完全の美)というコメントを載せていたというから、よほど侘び寂びがお好きのようだ。

 だが、おいらはトランプ同様、イーロン・マスクを信用していない。一言で云えば、危なっかしいのである。「過ぎたるは及ばざるがごとし」だろうか。

 閑話休題。

 ネットの和英辞典で侘び寂びを検索すると、「In a few words, one could say that wabi sabi is the beauty of imperfect things. Of course, that would be overly simplistic explanation for such a deep and profoundly rooted notion in the Japanese spirit. Something between an artistic concept, a philosophy of life and a personal feeling, wabi sabi is everywhere in Japanese culture.」とある。

 だが、これだけでは分からんじゃろぅ。分からんのに分かったような顔をして説明されても困る。それが言いたくて、これを書いた。おしまい。


https://ameblo.jp/mikkyoukikou/entry-12909690271.html 【イーロン・マスクの密教信仰は、本当だったらしい。。。】より

イーロン・マスクが日本の密教を信仰していてマスクの机の上には、五鈷杵が置いてある。

そんな情報を聞きましたがえ?あのイーロンマスクが??どうせガセネタだよね?って思っていました。イーロン・マスクが、軽井沢に家を買ったとか余生は、日本で暮らしたいと言ってるとか・・完全にYouTubeのガセネタと思っていました。

が‼️今日たまたま観ていたまともな経済系のYouTubeで国際ジャーナリストが今の世界経済の話をしていたのですがイーロン・マスクの話題になりイーロン・マスクが日本の思想に傾倒していて大日如来を信仰していると🫨え〜びっくりですよ。本当だったんだ‼️

彼の行動見てるととてもそんな風に見えなかった。アメリカ大好きな人だと思っていました。

日本女性との間に子供が生まれたって話もありますよね。。。まぁ、どこからどこまでが真実か知らないけどまず無いって思っていた密教信仰が本当だったのは、目からウロコでした。

ちなみに私の机の上にも五鈷杵があるし仕事の時にもお守りとして持ち歩いていますが

効果あるって思っています。


Facebookバラ十字会日本本部AMORCさん投稿記事

2011年の東日本大震災の際には、亡くなった人たちのためにダライ・ラマご本人が、何度も般若心経を唱えてくださっていることを知り、それ以来、感謝とともに深い親しみを感じる人になっています。

https://www.amorc.jp/dalai_lama/?fbclid=IwY2xjawLisoFleHRuA2FlbQIxMQABHrsruMBQWY-jIRzZBGDLs29mH7QHNzxRox3pG4NDZaO2VY3zenu98wdc98j8_aem_Bwam48IOkzAt87UchrPPYA 【ダライ・ラマとチベット仏教-インド中観派との関係と倫理学と神秘家】より

チベット仏教の成立と赤帽派(サキャ派)

ご存じの皆さんも多いと思いますが、仏教はインドが発祥の地です。西暦8世紀にインドの僧侶パドマサンバヴァ(Padmasambhava)がチベットの人々に仏教、特に密教を伝えたとされています。その当時のチベット固有の宗教はボン教(Bon)という呪術的傾向の強い宗教でした。

そのためチベット仏教は長い間、密教とボン教が混ざり合ったものでした。信者はいつも赤い帽子を身につけていたので、サキャ派(Sakya-pa:赤帽派)の名で知られていました。

インド・レワルサール湖にあるパドマサンバヴァの像

インド・レワルサール湖にあるパドマサンバヴァの像、John Hill, CC BY-SA 3.0, https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons

黄帽派(ゲルグ派)

西暦1350年頃に、大乗仏教の僧侶ツォンカパ(Tsong-kha-pa)がチベットのラサ近郊のガンデン(Ganden)に寺院を起こし、ゲルグパ(Gelugpa)だけを受け入れる宗派を設立しました。ゲルグパとは「道徳にかなった道を歩む修行者」を意味します。

ここには微妙な点があります。つまり当時のチベットには、いわゆる「道徳にかなっていない修行」がかなり多くの人たちに行なわれていたということが示唆されています。

ツォンカパの影響により、チベット仏教は大乗仏教の道徳性と、密教の実践をバランス良く組み合わせた教えになりました。そして、大乗仏教の中でも先ほど話題にした龍樹が始祖である中観派の影響を強く受けています。

チベット仏教のこの宗派は現在ゲルグ派(黄帽派)と呼ばれ、チベット仏教の主流派を構成しています。一方で、少数派になったサキャ派は、中国とインドの間に位置するブータンに主に存続しています。

ツォンカパ像

ツォンカパ像、Source and copyright owner: Tibetan Museum Society, CC BY-SA 2.5 , https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5, via Wikimedia Commons

ダライ・ラマの継承と生まれ変わり(輪廻転生)

チベットでは僧侶のことを「ラマ」(Lama:精神的指導者)とも呼びます。ラマの最高位は「ダライ・ラマ」であり、「ダライ」(Dalai)はモンゴル語で「大海」を意味します。

現在のダライ・ラマの本名はテンジン・ギャツォ(Tenzin Gyatso)で、1935年に生まれています。第14代目のダライ・ラマにあたります。歴代のダライ・ラマは先代のダライ・ラマの生まれ変わりだとされ、ダライ・ラマが死亡すると、寺院の高僧はただちに彼が、いつ、どこに生まれ変わる(輪廻転生する)のかを探り出し、その地を訪れ、将来の準備のためにその子どもを連れて行く許可を両親に求めます。

インド仏教とチベット仏教の両方で重視されている時輪曼荼羅(Kalachakra mandala)

インド仏教とチベット仏教の両方で重視されている時輪曼荼羅(Kalachakra mandala)

中国のチベット侵攻とダラムサラ、ノーベル平和賞の受賞

1959年に中国はチベットに侵攻しました。そのためほとんどのチベット人僧侶はインドに避難しました。ダライ・ラマ14世も祖国を逃れ、現在はインドのダラムサラの寺院に住み、亡命チベット政府の最高指導者とダライ・ラマを兼任しています。

1989年には、チベットの解放と、歴史と文化遺産の保護のための非暴力的な活動が理由で、ダライ・ラマ14世はノーベル平和賞を受賞しています。

インド・ラダック地方の湖からのヒマラヤ山脈の眺望

インド・ラダック地方の湖からのヒマラヤ山脈の眺望

下記は、当会の研究者によるダライ・ラマについての記事です。

区切り

記事:『ダライ・ラマ、倫理学と神秘家』

The Dalai Lama: Ethics & Mystic

ベティ・メイン

By Betty Main

テンジン・ギャツォ、ダライ・ラマ14世は世界で最も尊敬を集めている宗教的指導者の一人です。苦痛と苦悩に満ちたこの世界における内面的改革の必要性を彼は長年の間説いてきました。1935年7月6日にチベット北東部に生まれた彼は、2才の時に、前任者ダライ・ラマ13世の生まれ変わりであり、したがって慈悲の観音菩薩、チェンレンシの化身であると認定されました。菩薩とは、悟りを得ても涅槃に入らず衆生を救うために生まれ変わることを選択した存在です。

テンジン・ギャツオ、ダライ・ラマ14世

テンジン・ギャツオ、ダライ・ラマ14世

1950年、15歳の時に中国の軍隊がチベットに侵攻し、その政治的な力に屈することを彼は余儀なくされました。9年の間彼は、毛沢東や他の政治家たちと和解の話し合いをしていましたが、チベットでの武装蜂起によりそれは中断され、その結果中国側は「夏の宮殿」(ノルブリンカ宮)を爆破すると脅迫してきました。伝統ある建築物の数々とそこに住む居住者を守るために、彼はヒマラヤ山脈を越えてインドへ逃れざるを得なくなり、その地への政治的亡命が認められました。

インド北部のヒマシャル・プラデシュ州ダラムサラに本部を設立し、彼はそこで教えと導きによってチベットの伝統と文化を守り続けようとしました。亡命政府の人々は非暴力的な方法で、故国の将来に備えて活動を続けてきました。

肯定的そして否定的振る舞い

仏教の僧侶としての修行の結果、彼の教えは他者への愛、共感、配慮に基づくようになりました。その教えは、日常生活に組み入れられている原理の多くを反映しているので、バラ十字会員にとって興味深いものです。内面的改革という観念に鼓舞されダライ・ラマは、不幸と苦痛の原因となっている否定的な思考をやめて、代わりに精神が肯定的に思考できるよう訓練することを世界中の人々に説きました。

現在世界中に存在している悪の多くは人間が作り出したものであると彼は認識しています。テレビや新聞で毎日見られるイラク、アフガニスタン、スーダンのダルフール地区での戦争や暴動は、そのような例です。ダライ・ラマは様々な問題は暴力と破壊ではなく、対話と話し合いによって解決すべきであると唱えています。国境や国家主義の存在を彼は悲しんでいます。というのもそれらは「彼ら」と「私たち」との間の対立を作り出しているからです。対話と非暴力を実践することを通して何らかの和解に到達できるようにするために、力を行使するのではなくて、あらゆる角度から様々な問題を分析し議論すべきであると彼は信じています。

ダラムサラの本部で語るダライ・ラマ

ダラムサラの本部で語るダライ・ラマ

殺人、暴力、レイプ、結婚生活と家族生活の破綻もまた同じように否定的な振る舞いによって生じています。それらは恐怖、疑い、無力感、自己嫌悪を引き起こします。肯定的な思考を展開することにもし人生を捧げれば、愛、共感、寛容、非暴力に実践などの倫理的徳を広めることができます。否定的な振る舞いによってなされる損害に打ち勝つだけではなく、倫理的な価値観を広めることにも努めなければなりません。

肯定的思考を目指すだけでは十分ではありません。私たちはまた自身の行為の責任も背負わねばなりません。もし自身の思考と感情を再び整えたら、もっと容易に苦痛を乗り切ることができるだけではなく、おそらくはそもそも苦痛が生じることも避けることができる筈です。倫理を肯定して行動している人は一般に、倫理を無視している人よりも幸福であり、より満足感を得ていることが分かっています。

倫理学

ではこの倫理とはいかなるものでしょうか? それは本質的に他者への配慮を基盤としています。私たちの生活は非常に入り組んでおり、そのため他人や他人の協力、そして日常生活に必要なものを提供してくれる無数の人たちがなくては自身が存在することができません。したがって、私たちの思考や行動が他者を傷つけたりしないのであれば、それは倫理的であり、他者を害するのであればそれは倫理的ではありません。

この意味では、私たちの生活は、幸福を求める偉大な探究によって支えられていて、特定の行為が幸福をもたらしてくれると望み、期待しています。幸福になりたい、苦痛を避けたいという望みに国境はありません。心理と感情の面から、私たちは皆同じなのです。たとえ、皮膚の色、外観、肉体的な作りが違っていてもです。私たちは皆、平和と平穏をもたらすこの肯定的な感情を、わずらわしい否定的な感情同様、分かち合うことができます。

この統合された目的に到達するために、倫理的基準として普遍的に認められる規律を設けなければなりません。このために、私たちは他者への共感という感情を発達させ、他人の悲しみを理解し、他人の苦痛を分かち合おうとするべきです。他者の幸福を大切にすることは内的幸福と精神の平安をもたらします。もし私たちの精神が十分強ければ、困難な状況の中にあったとしても、静かで平穏であり続けることができます。

世界には豊かな国もあれば貧しい国もあります。しかし奇妙なことに、その進歩した工業や科学にもかかわらず、より苦しんでいるのは多くの場合、物質的に発展した国に住んでいる人々です。というのも発展が遅れた国々では、期待がそれ程高くはないので、そこに住んでいる人々に比べて先進国の人達は、満足してもいなければ幸福でもないことがしばしばあるからです。豊富に物質な物を持つことで、その所有者がより多くのものを欲しがり続け、貪欲、羨み、悪意といった混乱した感情に屈することになっています。満足が幸福ではなく、物質的関心によるものであるところでは常に、不安、抑圧、混乱、不確実、憂鬱が蔓延しており、精神安定剤、薬物、睡眠薬を日常生活で治療のために使用することが時おり必要になります。

宗教の影響

仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、シーク教、ゾロアスター教のような宗教は愛、共感、許しを基盤としています。多くの宗教がそうです。世界中には多くの国々と共同体があることから、必然的に様々な信仰が存在し、それらは個人個人が育った文化によってある人々にはふさわしく、それ以外の人々にはそうではありません。しかしながら、この信仰の多様性の中で、すべての人々は調和して生活することと、他者の信仰に寛容であることを学ばねばなりません。

他国の旗に敬意を示すダライ・ラマ

宗教の衰退の影響により、どのように生活していくかについての混乱が増大しています。かつては宗教と倫理学が密接に絡んでいました。今では多くの人々が、科学は宗教の誤りを証明してきたと信じています。精神的権威の最終的な証拠が何もないところでは、道徳そのものが個人の選択の問題となります。過去には、科学者と哲学者らが不変な法則と絶対的真理とを築くための堅固な基盤に対する差し迫った必要性を感じていました。いまやこの種の探究は成果をもたらさないものと見なされています。そのような探究では究極にはもはや何も存在せず、現実性そのものが疑問とされ、その結果は混沌です。

内面的改革

信仰の本質的基盤の欠如は、多くの不安、抑圧、混乱、不確実性、憂鬱に繋がっていますが、そこに配慮してダライ・ラマは自分の教えを通して、内面的改革の必要性を強く主張しています。その改革は誰にも受け入れられる倫理学的原理を基礎に据えなければならないと彼は述べています。そこでは共感と理解を発展させることによって、行動と思考が他者の幸福へと向けられます。

私たちは諸々の習慣を変換して思いやりのある人になり、美徳から倫理を作り出さねばなりません。私たちは忍耐と不屈の精神を持って非暴力を実践しなければなりません。我慢強さは否定的な思考を抑えます。怒りは、内的平安の、したがって幸福への大きな脅威ですが、忍耐を発達させることは怒りに対する解毒剤となります。倫理的訓練によって、私たちは共感を学ばねばなりません。それは他者の苦悩を気にかけ、分かち合うことを意味しています。

さらに私たちは環境を守るために行動しなければなりません。今のところ地球は、私たちの唯一の故郷です。月や国際宇宙ステーションに行き来した宇宙飛行士たちは、私たちの青い惑星を見下ろすことができ、地球が美しく壊れ易いものであることを理解しました。私たちは地球を破壊している環境汚染に責任があり、そしておそらく、もしかしたら、世界中で起きている洪水、地震、火山の噴火、その他の自然現象という今日の出来事は、私たちの扱いに対する地球の抗議の結果であるかもしれません。

ダライ・ラマは広く旅をし、世界中の指導者たち、大統領、法王、大司教、政治的指導者、宗教的指導者に会ってきました。また貧しくつつましい人々にも会い、彼はこのような人たちとも生活を共にしました。彼は議会、集会、あらゆる種類の集まりで発言し、非暴力の教えによる平和を促し、大きな問題も小さな問題も対話と議論を通して解決しなければならないと強調しました。彼にとって戦争は、人間の行いとして時代遅れなやり方でした。

平和を願って

この40年間、世論は変化し、真の平和を求める声が増えてきました。国家の経済がしっかりと絡み合い、集団安全保障が出現しました。そのため離れた幾つかの国において平和維持のために国連軍が配備されるのを目にすることも増えてきました。

ダライ・ラマの目標は、いつか世界に、現在の国連の視点をはるかに超えた「世界人民評議会」が設立されるのを目の当たりにすることです。そのような組織は実に様々な背景を持った人々からなることでしょう。学術関係者、芸術家、銀行家、環境問題の専門家、法律家、詩人、宗教思想家、作家、そして普通の男女です。

各界の専門家と語り合うダライ・ラマ

これらのすべての人々は、高潔で、基本的な倫理的人間的価値に自身を捧げていると評価されることでしょう。その評議会は政治的力を与えられておらず、その声明は法的強制力を持っていないことから、その独立性によって、様々な審議は世界の良心を象徴しています。したがってそれらは至高の道徳的権威を表しています。

多くの人々はこのことは不可能であると言うでしょう。しかし、物事がうまく行かないために人々が他者を批判し非難する傾向にある一方で、このような建設的観念を推し進めることには本当に価値があります。人間が真理、正義、平和、自由に対して一般に持っている敬意を考慮すれば、より良い、より思いやりに満ちた世界を作り出すことには、本当の可能性があります。人間にはそれを実現する潜在的な力があります。

もし教育とメディアを適切に用いてダライ・ラマが出した提案のいくつかを実行することができるとすれば、世界の中に永遠の平和を作り出したいという彼の夢を促進するのに役立つ状況を確立することができます。

区切り

あとがき(生まれ変わり、あるいは輪廻転生について)

本文でご紹介したように、ダライ・ラマの後継者には、生まれ変わり(輪廻転生)だと認定された人が選ばれてきています。

このブログで過去にご紹介した生まれ変わり(輪廻転生)についての記事には以下の2つがあります。ご興味がおありの方はどうぞこちらもお読みください。