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緑蔭や玄門石を通ふ風 五島高資

2025.07.18 04:23

https://ameblo.jp/t-akita2009/entry-12740568866.html 【「新緑(しんりょく)」と「緑陰(りょくいん)」。】より

昨日から5月に入って 新緑のまぶしい季節になってきました。私の住む新居浜からも西日本最高峰である 石鎚山(いしづちさん)をはじめ、多くの四国山地の山々を眺めることができます。

この時期、特に感じるのは ( ̄▽ ̄+) 緑というのは 一色だけではなく、 様々な色があるんだなぁということです。

冒頭で登場した 新緑とは、今の時期、3~6月位まで 季語ですが、他にもこの時期の季語は数多くあります。

中でも、私のお気に入りの季語の1つに 緑陰(りょくいん)というものがあります。

これは、青々と茂った樹木の影のことを意味しており、木漏れ日が射していたり、涼しい風が吹いたりする 木陰(こかげ)と言う意味の季語です。

新緑も、緑陰も、 同じ緑の樹のまわりのことを表していますが、見る方向や場所が ちょうど真逆になっています。

同じ緑の樹を見ても 方向や場所が変われば、それに伴って 感じ方やイメージも、変わってくる訳です。

論文を書く際も、同じように 観点や視点といったものが設問で問われることがありますよね。同じもの(ネタ)を考えるにしても、違うところから見ることによって 感じ方や考え方が変わってくる訳です。いずれにしても、1つのことを ひとつの方向からだけで見るのではなく、 様々な視点から見ることによって、見ている1つのものが形を変え、その内容が はっきりとわかってくるようになります。


https://spica819.main.jp/100syosyo/4162.html 【【20】  緑陰をよろこびの影すぎしのみ   飯田龍太】より

暑さと涼しさ。この辺りに掲句におけるポイントの一つがあるのかもしれない。「緑陰」とは、青々と葉を茂らした樹木によってできた木陰のことで、夏の季語ということになる。「陰」が生じるわけであるから、時間帯は主に日射しの強い昼頃と見ていいであろう。

掲句は、基本的に「緑陰の涼しさ」を描いた句ということになるのではないだろうか。「緑陰」の上部や外には厳しい夏の日射しが直接降りそそいでいる。このことによって生じる自然の景物の織り成す光と影の微細なコントラストがなんとも印象深い。そして、その「緑陰」を通り過ぎる「よろこびの影」。この「影」は、やはり人のものと解すのが自然であろう。「緑陰」へと入ることによって、厳しい夏の日射しから免れ得た安堵と喜びの感情がこの「よろこびの影」という措辞によって表現されているのではないだろうか。

陽光の遮蔽された「緑陰」をよぎる「人の影」。この濃淡を伴う陰影の精妙さもまた掲句の世界を奥深いものとしていよう。ここで描かれている「人の影」については、年齢や性別、身長などといった人そのものに付随する具体的なディテールが一切省略され、非常に抽象化されたものとなっている。そして、そのことによってこの句に感じられる「緑陰の涼しさ」は、誰にでも共有可能な一つの「体験」として無名性を獲得し、一般化される結果となっている。

また、掲句の最後は「のみ」という言葉によって締め括られている。「すぎにけり」や「すぎゆけり」、「すぎ去りぬ」などではなく、「すぎしのみ」という終り方。このように末尾を過去の時制に規定し、作品を一つの完結した世界として囲繞することで、「緑陰」の涼し気な感覚と「よろこびの影」の優美なイメージがよりくきやかに印象に残る結果となっている。

掲句は第3句集『麓の人』所載の昭和40年(1965)の作である。思えば飯田龍太の作品には第1句集『百戸の谿』の頃から〈砂丘冬少女に父の髪ひかる〉〈夏川のこゑともならず夕迫る〉〈みのるひかりと幾家のいのちことなれり〉〈さむざむと地の喪へる夕鴉〉〈山の娘の交語みどりを滴らす〉〈蛍火や箸さらさらと女の刻〉〈花桐に一語を分ち愛の旅〉など割合抽象的な句が多く確認できる。また、第2句集『童眸』、第3句集『麓の人』にも〈月の道子の言葉掌に置くごとし〉〈穂孕田の上茫々と時間過ぐ〉〈冬の海てらりとあそぶ死も逃げて〉〈山枯れて言葉のごとく水動く〉〈川上に一燦の過去竹煮草〉〈蔓先に禁断の鳥さくら咲く〉〈氷上の一児ふくいくたる暮色〉〈空腹のはじめ火の色冬景色〉など、抽象的な句が少なくない。

掲句については、所謂「前衛俳句」からの影響というのも少なからず考えられそうであるが、やはりそれのみならず〈抱く吾子も梅雨の重みといふべしや〉〈露草も露のちからの花ひらく〉〈春すでに高嶺未婚のつばくらめ〉〈いきいきと三月生る雲の奥〉〈女らの肌みのりて山の出湯〉〈隼の鋭き智慧に冬あをし〉〈昼の汽車音のころがる枯故郷〉〈雪山を灼く月光に馬睡る〉〈枯野星こころ鋭き目をあつめ〉〈月光のまばたくたびに小鳥飛ぶ〉などの句にみられる「梅雨の重み」、「露のちから」、「未婚」、「生る」、「みのりて」、「鋭き智慧」、「ころがる」、「灼く」、「こころ」、「まばたく」といった常凡な措辞を劃然と斥けようとする試行性からも端的に窺えるように、月並な表現レベルとの妥協を潔しとしない強い作家精神の働きによって成された作品であるように思われる。

飯田龍太(いいだ りゅうた)は、大正9年(1920)山梨県生まれ。昭和29年(1954)、『百戸の谿』。昭和34年(1959)、『童眸』。昭和37年(1962)、蛇笏の没後「雲母」継承。昭和40年(1965)、『麓の人』。昭和43年(1968)、『忘音』。昭和46年(1971)、『春の道』。昭和50年(1975)、『山の木』。昭和52年(1977)、『涼夜』。昭和56年(1981)、『今昔』。昭和60年(1985)、『山の影』。平成3年(1991)、『遅速』。平成4年(1992)、「雲母」8月号を以て終刊。平成19(2007)、逝去(86歳)。

Categories:百句晶晶


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 古着売り緑蔭にひろぐ婚衣裳

                           藤田直子

作者が思わずも古着売りの前で立ち止ったように、句集のなかのこの句の前では立ち止らざるを得ない。緑陰にひろげられた婚礼用の衣裳は、和風であれ洋風であれ、純白のものだろう。木々の緑との対比が、まぶしいほどに目に鮮やかだ。そこまではよい。が、戦後の混乱期ならいざ知らず、これは現代の光景だ。だから、作者と同じように読者もここで立ち止るのは、すぐにひとつの素朴な疑問がわいてくるからである。いったい、どんな人が何のために古着の花嫁衣裳などを買うのだろうか。思いつく答えとしては、劇団関係者が舞台用に求める可能性はあるという程度だ。今度古着屋さんに出会ったら、ぜひとも質問してみたいと思う。『極楽鳥花』所収。(清水哲男)

 緑蔭や人の時計をのぞき去る

                           高浜虚子

公園のよく茂った緑の樹々。その蔭のベンチで憩う作者の手元に、いきなりぬうっと顔を近づけて去っていった男がいる。瞬間、作者は男が腕時計をのぞきこんだのだな、と知る。無遠慮な奴めと不愉快な気持ちもなくはないが、一方ではなんとなく男の気持ちもわかるような気がして憎めない。緑蔭にしばしの涼を求めていた彼は、きっと時間にしばられた約束事でもあったのだろう。シーンは違え、誰にでも覚えのありそうな出来事だが、見過ごさず俳句に仕立ててしまった虚子は、やはり凄い。「全身俳人」とでも言うべきか。安住敦に「緑蔭にして乞はれたる煙草の火」があり、これまた「いかにも」とうなずけるけれど、いささか付き過ぎで面白みは薄い。最近は時計もライターも普及しているので、このような場面に遭遇することも少なくなった。公園などで時間を聞いてくるのは、たいていが小学生だ。塾に行く時間を気にしながら遊んでいるのだろう。いまどきの子供はみんな、とても忙しいのである。(清水哲男)

 緑蔭に読みくたびれし指栞

                           辻田克巳

ひんやりとした日蔭での読書。公園だろうか。日差しを避けて、大きな木の下のベンチで本を読んでいるうちに、さすがにくたびれてきた。読んだページに栞(しおり)がわりに指をはさみ、あらためてぐるりを見渡しているという図。木の間がくれに煌めく夏の陽光はまぶしく、心は徐々に本の世界から抜け出していく。体験された読者も多いだろう。「指栞」が、よく戸外での読書の雰囲気を伝えている。これからの季節、緑蔭で読むのもよいが、私にはもう一箇所、楽しみな場所がある。ビアホールだ。それも、昼さがりのがらんとした店。最高の条件にあるのが、銀座のライオン本店だけれど、残念なことに遠くてなかなか足を運べない。若いころに、あそこで白髪の紳士が静かにひとり洋書を読んでいるのを見かけて、憧れた。さっそく試してみたかったが、若いのがあそこで読む姿はキザで鼻持ちならない感じになると思い、五十歳くらいまでは自重していた。で、「もう、よかろう」と思う年齢になって試してみたら、これが快適。適度なアルコールには雑音を遮る効用があるので、驚くほどに本に没入できたのだった。以来、ビアホール読書に魅入られている。当然のように、疲れると「指栞」となる。『今はじめる人のための俳句歳時記・夏』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)

 病みし馬緑陰深く曳きゆけり

                           澁谷 道

緑したたる明るい青葉の道を、一頭の病み疲れた馬が木立の奥「深く」へと曳かれてゆく。情景としては、これでよい。だが「曳きゆけり」とあるからには、力点は馬を曳いている人の所作にかかっている。つまり、緑の「健康」と馬の「不健康」の取り合わせの妙味ではなく、眼目は曳き手が馬をどこに連れていき、どうしようとしているのか、それがわからない不気味さにある。「緑陰深く」曳かれていった馬は、これからどうなるのだろうか。謎だ。謎だからこそ、魅力も生まれてくる。句は、そんな不安が読者の胸によぎるように設計されている。ずっと気にかかってきた句だが、近着の「俳句」(2001年7月号)に、作者自身の掲句のモチーフが披露されていて、アッと思った。当時の作者は医師になるべく勉強中で、インターンとして働いていた。「舞鶴港に上陸した多数の傷病帰還兵の人々が送り込まれ、カルテを抱えて病棟の廊下を小走りに右往左往する日々の只管痛ましい思いの中で詠んだ句であった」。すなわち、作者は「緑陰深く」に何があって、そこでどういうことが起きるのかを知っていたわけだ。句だけを読んで、誰もこの事情までは推察できないだろうが、謎かけにはちゃんと答えの用意がなければ、その謎には力も魅力もないのは自明のことである。『嬰』(1966)所収。(清水哲男)

 緑陰に話して遠くなりし人

                           矢島渚男

季語は「緑陰(りょくいん)」で夏。青葉の繁りが作る陰のこと。美しい言葉だ。最初に使ったのは、どこの誰だろう。万緑などとと同じように、やはり昔の中国の詩人の発想なのだろうか。作者に限らず、このように「遠くなりし人」を懐かしむ心は、ある程度の年齢を重ねてくれば、誰にも共通するそれである。真夏の日盛りの下で話をするとなれば、とりあえず木陰に避難する他はない。話の相手が同性か異性かはわからないけれど、私はなんとなく異性を感じるが、むろん同性だって構わないと思う。異性の場合にはウワの空での話だったかもしれないし、同性ならば激論であったかもしれない。とにかく、暑い最中にお互い熱心に戸外で話し合うことそれ自体が、濃密な時間を過ごしたことになる。それほどの関係にありながら、しかし歳月を経るうちに、いつしか「遠くなりし人」のことを、作者はそれこそ緑陰にあって、ふと思い出しているのだろう。あのときと少しも変わらぬ緑陰なれど、一緒に話した「人」とはいつしか疎遠になってしまった。どこで、どうしているのか。甘酸っぱい思いが涌いてくると同時に、もはや二度と会うこともないであろうその「人」との関係のはかなさに、人生の不思議を感じている。句の第一の手柄は、読者にそれぞれのこうした「遠くなりし人」を、極めてスゥイートに思い出させるところにある。美しい「緑陰」なる季語の、美しい使い方があってのことだ。『延年』(2002)所収。(清水哲男)

 緑蔭に低唱「リンデン・バウム」と云ふ

                           上田五千石

季語は「緑蔭(りょくいん)」で夏。青葉の木陰は心地よい。二通りに解せる句で、ひとつは、緑蔭で誰かが低く歌っている「リンデン・バウム」が聞こえてきたという解釈と、もう一つは自分で歌っているという解釈だ。私は「緑蔭に」の「に」を重視して、自分が口ずさんでいると取る。ほとんど鼻歌のように、何の必然性もなく口をついて出てきた歌。それがシューベルトの名曲「リンデン・バウム」だったわけだが、作者はその曲名をあらためて胸の内で「云ふ」ことにより、美しい歌の世界にしばしうっとりとしたのだろう。あるいはこの曲にはじめて接した少年時代への懐旧の念が、ふわっとわいてきたのかもしれない。いずれにしても、ちょっとセンチメンタルな青春の甘さが漂っている句だ。♪泉に沿いて繁る菩提樹……。私は中学二年のときに習ったが、この曲を思い出すと、教室に貼ってあった大きなシューベルトの肖像画とともに、往時のあれこれがしのばれて、胸がキュンとなる。学校にピアノはなく、オルガンで教えてもらった。ところで「リンデン・バウム」を菩提樹と訳したのは堀内敬三だが、ドイツあたりではよく見かけるこの樹は、お釈迦様の菩提樹とも日本の寺院などの菩提樹とも雰囲気がかなり違う。両者の共通点は同じシナノキ科に属するところにはあるのだけれど、この訳で良かったのかどうか。もっとも「菩提樹」という宗教的な広がりを感じさせる訳だったからこそ、日本にもこの歌が定着したとも言えそうだが。『田園』(1968)所収。(清水哲男)

 緑蔭や光るバスから光る母

                           香西照雄

句を一読する時間というのは、ほんの数秒、ほとんど一瞬である。そこで瞬間の出会いをする句もあれば、一読して、ん?と思い、もう一回読んでなるほどとじんわり味わう句もある。時には、あれこれ調べてやっと理解できる場合も。この句は、一読して、情景とストーリーと作者の思いが心地良く伝わってきた。緑蔭は、緑濃い木々のつくる木陰。そこで一息ついた瞬間、木陰を取り囲む日差し溢れる風景が、ふっと遠ざかるような心持ちになるが、緑蔭のもつ、このふっという静けさが、この句の、光る、のリフレインを際だたせている。作者は緑蔭のバス停にいるのか、それとも少し離れた場所で佇んでいるのか。バスの屋根に、窓ガラスに反射する太陽と、そのバスから降りてくる母。まず、ごくあたりまえに、光るバス、そして、光る母。光る、という具体的で日常的な言葉が、作者の心情を強く、それでいてさりげなく明るく表現している。『俳句歳時記第四版・夏』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)

 緑陰に置かれて空の乳母車

                           結城昌治

緑が繁った木陰の気持ち良さは格別である。夏の風が涼しく吹き抜けて汗もひっこみ、ホッと生きかえる心地がする。その緑陰に置かれている乳母車。しかも空っぽである。乗せてつれてこられた幼児は今どこにいるのか。あるいは幼児はとっくに成長してしまって、乳母車はずっと空っぽのまま置かれているのか。成長したその子は、今どこでどうしているのだろう? いずれにせよ、心地よいはずの緑陰にポッカリあいたアナである。その空虚感・欠落感は読者の想像力をかきたて、妄想を大きくふくらませてくれる。若い頃、肺結核で肋骨を12本も除去されたという昌治の、それはアナなのかもしれない。藤田貞利は「結城昌治を読む」(「銀化」2013年5月号)で、「昌治の俳句の『暗さ』は昭和という時代と病ゆえである」と指摘する。なるほどそのように思われる。清瀬の結核療養所で石田波郷と出会って、俳句を始めた。波郷の退所送別会のことを、昌治は「みな寒き顔かも病室賑へど」と詠んだ。『定本・歳月』(1987)所収。(八木忠栄)

 夏あざみ真昼間も星動きつつ

                           塩野谷仁

美しい花に惹かれて伸ばした手に葉の鋭いとげが刺さることから、「欺(あざむ)く」が語源といわれるあざみ。夏のあざみは一層猛々しく茂る葉のなかで守られながら、愛らしい玉房飾りのような花を天に向かって開く。色彩も青紫、深紅など目を引くあざやかなものが多いが、それらはどれも華美というよりどこか悲しみをまとって咲いているように思われる。鋭いとげに守られたあざみの孤独が、青空の奥にしまいこまれた星を感じることで静かに伝わってくる。〈緑陰を出て緑陰に入り休日〉〈虹二重人影にひと追いつけず〉『私雨』(2014)所収。(土肥あき子)

 緑蔭に赤子一粒おかれたり

                           沢木欣一

この句の話をちょっとしてみたら、え、一粒ってドロップじゃあるまいし、という人あり、いやでも一粒種って言うじゃないですか、という人あり、それはちょっと違う気も。しかしやはり、一粒、が印象的な句なのだろう。一読した時は確かに、赤子一粒、という思い切った表現が緑蔭の心地よさと赤ん坊のかわいらしさを際立たせていると感じたが、何度か読み下すと、たり、が上手いなと思えてくる。おかれあり、だと目の前にいる感じで、一粒、と表現するには赤ん坊の像がはっきりしすぎるだろう。おかれたり、としたことで景色が広がり、大きい緑陰の涼しさが強調される。『沢木欣一 自選三百句』(1991)所収。(今井肖子)


https://miho.opera-noel.net/archives/2845 【第五百三十五夜 千代田葛彦の「緑陰」の句】より

 だいたい、他人の悪口をいうというのは、サーヴィス行為であります。いいながら、自分もすこしは爽快な気分になりますが、いわれる相手がつねに主役であり、いっている自分が脇役であるということをおもえば、「いわれている当人」ほど爽快な気分とはいえません。

 キリストは「右の頬を打たれたら、左の頬もさし出せ」といったそうですが、これは「右手で百円もらったら、右の手もさし出せ」というのと論理的にはおなじであり、かなり物欲しい訓(おし)えであるようにおもわれます。

 だから悪口をいわれたら、悪口をもってこたえねばならない。それが友情であり、義理というものであります。

                     ――家出のすすめ――

 一字に影があるように、一行にも影がある。

                     ――黄金時代――

  

 寺山修司の『両手いっぱいの言葉』413のアフォリズムから、上の2つの言葉を選んでみた。今日は四月尽。日中は25度という夏日となり、影濃き一日となった。

 

 今宵は再び、稲田眸子編著『秀句三五〇選 影』から作品を紹介させて頂こう。

  緑陰にたくはえし影つれていづ  千代田葛彦

 (りょくいんに たくわえしかげ つれていづ) ちよだ・くずひこ

 句意は、日盛りを来て青葉の茂る緑陰にしばらく涼んだのち出てきた作者。緑陰の中でたっぷり蓄えた緑濃き影をつれて出てきましたよ、となろうか。

 編著者の稲田稲田眸子さんは、次のように鑑賞している。

 「この一連の動作を、作者は、緑陰に憩う間蓄えていた影を日盛りの中へ引き出すとみたのである。「影」を生きもののように親しく眺め、詠ったのだ。「たくはえし影」「影連れていづ」とは面白い。」と。

 この影を、私は、緑陰の中で蓄えた緑濃き影である、とみた。【緑陰・夏】

 

 シンプルなリズミカルな表現、機知ある表現から、小説『影を失った男』ならぬ「影を連れてきた男」も案外いそうだと思った。

  生き残りたる人の影春障子  深見けん二 

 (いきのこりたる ひとのかげ はるしょうじ) ふかみ・けんじ

 句意は、連れ添いに先立たれた老いた母、夕餉が済み自室へもどった母は春灯の下で何をしているのだろうか、その母の姿が春障子に透けて見えていますよ、となろうか。

 わが家にも祖母が住んでいた。息子一家と同居し、家族は皆やさしい。それでも夕食後の一家団欒には長居はせずに、しばらくするといつの間にか自室に戻っていた。手仕事したり読書したりテレビを見たりなど、祖母は祖母で好きなことをしていたのだが、息子である父や嫁である母の方は、気にかかるのか、部屋の前を通りかかると障子に映る影を見てほっとしていたことを思い出す。

 「生き残りたる」は、誰人にも訪れる、生きとし生けるものの人生終盤の頃である。【春障子・春】

  麦踏みの影のび来ては崖に落ち  村松紅花

 (むぎふみの かげのびきては がけにおち) むらまつ・こうか

 句意は、後ろに手を組んだ農夫が黙々と麦踏みをしている。影は進む方向に伸びている。やがて谷に面した畑の端に来ると、その伸びた影は谷間の崖に落ちてゆきましたよ、となろうか。

 50年ほど昔、東京近郊でも麦踏みを見ていた。この春、茨城県の常総市あたりまで麦の芽の様子を見に行った。何回か行ったが麦踏みの農夫には出会うことはなかった。麦踏みは、冬の間の霜で土がゆるみ、根が浮いているのを抑え、根を強くするためであるという。その作業は今は、機械でするのだろう。

 だが、崖に落ちたのが伸びた影だけでよかった。【麦踏み・春】