ZIPANG-10 TOKIO 2020『じゃらんアワード2024 泊まって良かった宿大賞【総合】京都府2位』受賞|海の京都・夕日ヶ浦温泉「一望館 はなれ櫂」
実際に宿泊のお客様から高評価を、静寂と癒しの舟形湯宿
株式会社アウルコーポレーション(所在地:京都府京丹後市網野町木津253番地)は、海の京都と呼ばれる京都府京丹後市・夕日ヶ浦温泉を中心に、政府登録国際観光旅館「佳松苑」ほか、「佳松苑 別邸ふうか」「一望館」「一望館 はなれ櫂」「雨情草庵」の 5館の旅館とホテル「HOTEL&湖邸 艸花 -そうか-」を運営。
じゃらんアワード2024『泊まって良かった宿大賞』とは?
多くのお客様から「泊まってよかった」との声
「はなれ櫂」は、《じゃらんアワード2024『泊まって良かった宿大賞【総合】 京都府 50室以下部門 第2位』》を受賞しました。
本賞は、2024年度を通じて寄せられたクチコミ総合評点に基づき、多くのお客様より高い評価を得た宿に贈られる、大変栄誉ある賞になります。
京都府内で「じゃらん」に登録されている宿泊施設は約2,500軒。その中でも、50室以下の小規模宿はおよそ200軒。当館は、その200軒の中で総合評価第2位という評価でした。
海に沈む夕日と湯、十周年の祝酒とともに過ごす夏
【客室】船首和室-デッキ付 -オーシャンフロント・フォアキャビン-からの夕景
露天風呂から見る絶景[男女入替制]
舟形を模した湯宿「一望館 はなれ櫂」は、2025年開業十周年を迎えました。日頃のご愛顧に感謝を込め、この夏、心尽くしの特別な夏のひとときをご用意しております。
夏の夕暮れ、湯船から望む海に沈む夕日は、まさに一期一会の絶景。湯に浸かりながら、ゆっくりと変わりゆく空のグラデーションを眺めるひとときは、まるで時間が止まったかのような、特別な空間。やわらかな湯けむりとともに日頃の疲れを忘れ、至福の時間をお愉しみください。
お食事は、丹後・但馬の旬を活かした夏会席。そして、十周年記念プランをご予約のお客様には、オリジナルラベルの記念地酒を進呈いたします。特別な夏の旅の思い出として、ご自宅でもその余韻をお愉しみいただけます。
十周年記念オリジナル地酒
開業十周年記念|-第三弾-
〈プラン特典〉
〇1日2組様限定の特別価格
※表示価格は割引後の金額です
〇『十周年記念地酒』を一室に一瓶、謹呈
※宿泊料金は日程、部屋タイプにより変動いたします
※食事は個室の食事処にてご用意いたします
※大人の方を対象とした宿です(対象:中学生以上)
-十周年記念イベント- 振る舞い酒
【ラウンジ】ロビー併設のカフェスペース
現在、期間限定でロビーにて「振る舞い酒」をご用意
地元の銘酒(冷酒)をはじめ、ウイスキー(ロック・ハイボール)、ビールなど、旅の疲れを癒すお飲み物を取りそろえております。ご到着後や温泉の後、またはご夕食前のひとときに、どうぞごゆっくりとお愉しみ下さい。
施設概要
施設名:夕日ヶ浦温泉 一望館 はなれ櫂
住 所:京都府京丹後市網野町浜詰669
電 話:0772-74-9099
コメント
多くのお客様から「泊まってよかった」とのお声を頂けたこと、そして今回の受賞へと繋がりましたことを、スタッフ一同、心より嬉しく、また深く感謝申し上げます。
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
元伊勢 籠神社
籠神社御本殿
御祭神
主祭神 彦火明命(ひこほあかりのみこと)
別名を天照国照彦火明命ともいう天孫邇邇藝命の兄弟神。天祖から息津鏡・邊津鏡を賜り、当社海の奥宮である冠島に降臨され、丹後・丹波地方に養蚕や稲作を広め開拓された神様。
相殿
豊受大神(とようけおおかみ)
天照大神(あまてらすおおかみ)
海神(わたつみのかみ)
天水分神(あめのみくまりのかみ)
御由緒
神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮の地眞名井原に匏宮(よさのみや)と申して豊受大神をお祀りして来ました。その御縁故によって第十代崇神天皇の御代に天照大神が倭国笠縫邑からお遷りになり、天照大神と豊受大神を吉佐宮(よさのみや)という宮号でご一緒に四年間お祀り申し上げました。その後天照大神は第十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は第二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢にお遷りになりました。それに依って当社は伊勢神宮内宮の元宮、更に外宮の元宮という意味で「元伊勢」と呼ばれております。
両大神が伊勢にお遷りの後、御本宮を奥宮眞名井神社(吉佐宮)の地から、現今の籠神社の地へお遷して、社名を吉佐宮から籠宮(このみや)と改め、養老三年に、天孫彦火明命を主祭神としてお祀りしました。
旧社名の匏宮の「匏(よさ)」と吉佐宮の「吉佐(よさ)」という宮号は現在も郡名(与謝郡)や海の名称(与謝の海)となって継承されて来ております。
社殿様式(神社建築最古の様式)
御本殿は伊勢神宮と同様の神明造りで、御本殿の勝男木は十本、千木は内そぎになっています。 心御柱や棟持柱があり、特に高欄上の五色(青、黄、赤、白、黒)の座玉(すえたま)は、伊勢神宮御正殿と当社以外には拝せられないもので、日本神社建築史上特に貴重なものとされています。
これは山陰道第一の大社として、古来の御神徳・御社格を象徴するものであります。
神明造りのお社は他にもありますが、規模・様式とも伊勢神宮御正殿の様式に近似しているお社は当社以外にはなく、当社と伊勢神宮が古代から深い繋がりにあったことを物語っています。
社格(延喜式における社格)
当社は延喜式社格の中で山陰道八カ国(但馬・丹波・丹後・因幡・伯耆・隠岐・出雲・石見)中、唯一の官幣大社であり、名神大社にも列していました。
延喜式社格とは平安時代(912年)に完成した法政書『延喜式』の「延喜式神名帳」に記載された神社の社格のことであります。社格は神祇官(中央)の管轄となる「官幣社」と地方官(国司)の管轄となる「国幣社」に分けられます。更に幣帛を案(神事用の机)の上に奉るか、案の下に奉るかの違いで大社と小社に分けられます。また、国家の事変に対して奉幣し、臨時祭のあった神社を名神社と云います。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「元伊勢 籠神社と神宝」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5698991
大神神社 四季のおまつり
大神神社 奥宮 三輪山
ご由来
大神神社の創祀(そうし)に関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀(まつ)られることを望んだとあります。
また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂(みたま)として顕現(けんげん)され、三輪山に鎮(しず)まられたということです。
この様に記紀(きき)の神話に創祀(そうし)の伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、大神神社が神代に始まった古社中の古社と認識されており、ご祭神(さいじん)の神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。 そして、ご祭神(さいじん)がお山に鎮(しず)まるために、大神神社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初(げんしょ)の神祀りの様を今に伝えており、その祭祀(さいし)の姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。
「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神(すじん)天皇の時代には国造り神、国家の守護神として篤(あつ)く祀(まつ)られました。
平安時代に至っても大神祭(おおみわのまつり)、鎮花祭(はなしずめのまつり)、三枝祭(さいくさのまつり)が朝廷のお祭りとして絶えることなく斎行され、神階は貞観(じょうがん)元年(859)に最高位の正一位(しょういちい)となりました。
延喜式(えんぎしき)の社格は官幣大社(かんぺいたいしゃ)で、のちに大和国一之宮(やまとのくにいちのみや)となり、二十二社の一社にも列なるなど最高の待遇に預かりました。 中世には神宮寺(じんぐうじ)であった大御輪寺(だいごりんじ )や平等寺を中心に三輪流神道が広まり、 広く全国に普及し人々に強い影響を及ぼしました。
近世に入ると幕府により社領が安堵(あんど)されて三輪山は格別の保護を受け、明治時代にはその由緒によって官幣大社(かんぺいたいしゃ)となりました。現在も国造りの神様、生活全般の守護神として全国からの参拝があり、信仰厚い人々に支えられて社頭は賑わっています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「古社中の古社 三輪明神 大神神社 四季のおまつり(その弐)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3450591
大神神社 三ツ鳥居と拝殿
大神神社三ツ鳥居(みつとりい)
ご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮まるために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。
大神神社拝殿の奥は禁足地として普段は神職さえ足を踏み入れない神聖な場所で、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居(みつとりい)と瑞垣が設けられています。三ツ鳥居(みつとりい)の起源は不詳で、古文書にも「古来一社の神秘なり」と記され、本殿にかわるものとして神聖視されてきました。この鳥居は明神型の鳥居を横一列に三つ組み合わせた独特の形式で「三輪鳥居」とも呼ばれています。中央の鳥居には御扉(みとびら)があり、三輪山を本殿とすれば、三ツ鳥居(みつとりい)は本殿の御扉の役割を果たしていると言えます。
拝殿は鎌倉時代に創建されたことが文献に見え、現在の拝殿は寛文(かんぶん)四年(1664)徳川四代将軍家綱公によって再建されたものです。白木造りの質実剛健(しつじつごうけん)な建物は横が約17m(桁行けたゆき九間)、縦が約8m(梁行はりゆき四間)の切妻造(きりづまつくり)で、正面には唐破風(からはふ)の大きな向拝(こうはい)がつき、屋根は檜皮(ひわだ)で葺(ふ)かれています。拝殿は江戸時代の豪壮(ごうそう)な社殿建築として、三ツ鳥居(みつとりい)と共に国の重要文化財に指定されています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「大和国一之宮三輪明神 大神神社『原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社』」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5703792
伊勢神宮社殿の建築
正宮は正殿を中心にして、瑞垣(みずがき)・内玉垣(うちたまがき)・外玉垣(とのたまがき)・板垣(いたがき)の四重の垣根がめぐらされ、その建築様式は、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と呼ばれます。唯一神明造は、日本古来の建築様式を伝え、ヒノキの素木しらきを用い、切妻(きりつま)、平入(ひらいり)の高床式の穀倉(こくそう)の形式から宮殿形式に発展したものです。屋根は萱葺(かやぶき)、柱は掘立(ほったて)など、その姿は簡素にして直線的で、素木の美しさを最も輝かせる建築様式と言えます。
唯一神明造りの特徴について
1.ヒノキの素木造りであること
2.丸柱の掘立式で礎石を使用しないこと
3.切妻・平入の高床式で棟木(むなぎ)の両端を支える 棟持柱(むなもちばしら)があること
4.萱葺の屋根の上には鰹木(かつおぎ)が置かれていること
5.千木は屋根の搏風(はふ)が伸びた形状であること
内宮と外宮の違いについて
神宮の社殿の中でも両正宮の正殿は、その規模が格別に大きいことや、外に高欄(こうらん)※が廻らされ居玉(すえだま)※が飾られていることなど、別宮以下の社殿とは特徴が異なります。また内宮と外宮の正宮は、殿舎の配置、構造など、ほとんど変わりませんが、細部には相違点があります。
※高欄(こうらん) 建物の外縁などに縦横に材をわたした、人の墜落を防ぐ手すりです。
※居玉(すえだま) 内宮(ないくう)と外宮(げくうの)正殿(しょうでん)の高欄(こうらん)に取り付けられた玉。青、黄、赤、白、黒と5色があります。
「内宮」「外宮」の相違点
内宮の正殿の構造は京呂組(きょうろぐみ)、外宮は 折置組(おりおきぐみ)。
内宮の正殿の鰹木は 10本(偶数)、外宮は 9本(奇数)。
内宮の千木は 内削(うちそぎ )、外宮は外削(そとそぎ)。
内宮の東・西宝殿は正殿後方の左右、外宮は正殿前方の左右。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~平成最後のお伊勢参り~「『平成』から次の時代へ 感謝と祈りのお伊勢参は 『常若』の精神に通ずる!」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5673545
~昔ながらの伊勢参りとは~(1)
二見からはじまる昔ながらの伊勢参り
古くから伊勢神宮に参拝する人は二見浦で禊(みそぎ)をし、その後、外宮、内宮の順番に参拝していたと言われていました。また、伊勢音頭の一節に「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と唄われたとも言われているように、朝熊山の金剛證寺にも参詣するのが習わしでした。 地元民オススメの”昔ながらの伊勢参り”をしてみませんか。
二見興玉神社(夫婦岩)→ 豊受大神宮 外宮(伊勢神宮 )→ 皇大神宮 内宮(伊勢神宮)
→ おはらい町 → おかげ横丁 → 朝熊岳金剛證寺→ 朝熊山頂展望足湯
→ 斎王の斎宮(明和町)
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~昔ながらの伊勢参りとは~「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り(1)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5732084
~昔ながらの伊勢参りとは~(2)
お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り
朝熊岳金剛證寺
(あさまだけこんごうしょうじ)
伊勢神宮の鬼門を守る名刹
「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の一節にも唄われたように、伊勢神宮へお参りする人々はこのお寺にも参詣するのが習わしでした。 御本尊の「福威智満虚空蔵大菩薩(ふくいちまんこくうぞうだいぼさつ)」は、日本三大虚空蔵菩薩の第一位として広大無辺な福徳・威徳・智徳の三徳を有する仏様であります。
また、ご朱印もいただくことができます。(有料)
住所 〒516-0021 三重県伊勢市朝熊町548 電話番号 0596-22-1710
伊勢神宮の鬼門を守る寺『朝熊岳金剛證寺』
昔より伊勢神宮の鬼門を守る寺として、神宮の奥之院ともいわれ「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の俗謡にも唄われ、参宮する人々は当寺に参詣するのが常でありました。
当山の草創は古く欽明天皇の頃、暁台上人によって開かれ、平安時代には弘法大師(空海)によって堂宇が建立され、密教修業の一大道場として隆盛を極めました。
その後応永年間(1394~1427)に鎌倉建長寺開山大覚禅師の法孫である仏地禅師(東岳文昱)が法燈の衰微を嘆き再興して以来、禅寺に改められ、現在は臨済宗南禅寺派の特例地で、御本尊の福威智満虚空蔵大菩薩は、日本三大虚空蔵菩薩の第一位として広大無辺な福徳・威徳・智徳の三徳を有する仏様であります。
御本尊は秘仏で、伊勢神宮のご遷宮の翌年に、二十年に一度のご開帳を厳修いたします。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~昔ながらの伊勢参りとは~「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り(2) おはらい町~伊勢神宮の鬼門を守る名刹~斎王の斎宮」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5736043
天照大神の両親を祀っている多賀大社
お伊勢参らば お多賀へまいれ お伊勢お多賀の 子でござる
お多賀さんとは
延命長寿・縁結びの神として古くから全国的な信仰を集め、豊臣秀吉の厚い信仰もありました。祭神として天照大神(あまてらすのおおみかみ)の両親の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀っている旧官弊大社である。「お多賀さん」の名で親しまれ、駅前の大鳥居から神社までの参道の両わきにみやげ店などが並ぶ。
神社を清流が囲み、太閤橋(たいこうばし)と呼ばれる石の反り橋を渡って門をくぐると、玉砂利を敷いた境内の向こうによく茂った木立を背に堂々とした風格を持つ本殿が建っている。
厳かな雰囲気が漂う境内には、本殿右に能舞台、左に絵馬殿がある。また、東廻廊の横にある石は、61歳の重源(ちょうげん)が東大寺を再建するために延命を祈願し、無事願いが叶ったたことを記念したもので、延命石と呼ばれている。拝殿などの格天井が、大変に美しいと評判である。社殿は何度かの倒壊や火災により建て替えられ、現在の社殿は昭和7年(1932)に再建されたものである。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「お伊勢参らば お多賀へまいれ お伊勢お多賀の 子でござる 多賀大社」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2993655
名古屋城
伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ 尾張名古屋は城で持つ
名古屋の見どころご案内
名古屋城天守閣。確か焼失する前の名古屋城は「徳川家康公」の命を受け築城の名手「加藤清正公」が建築したと小さいころから聞かされていましたが、そろそろ本当のことを調べようと思います。
現在はコンクリートですが、河村市長のおかげで木造建築になりそうです。
徳川園
かつての尾張徳川家名古屋別邸の表門、通称「黒門」をくぐると、緑に囲まれた石畳の向こうに、徳川美術館の前景が見えてきます。
公園と美術館とが一体となったゆったりとした雰囲気は、そのまま館内へと続いてゆきます。当時の最先端技術を駆使した建築でありながら、日本文化の伝統の薫りに浸ることのできる雰囲気は、徳川美術館の最高の魅力といえましょう。
平成16年(2004)11月には、隣接する池泉回遊式の日本庭園「徳川園」と尾張徳川家旧蔵書を収蔵する「名古屋市蓬左文庫」がリニューアルオープンし、 美術館をとりまく一帯が整備されました。徳川美術館と蓬左文庫の展示室は一体化し、近世武家文化を体感できる歴史文化拠点となりました。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「(一社)日本色彩学会 平成29年度研究会《NAGOYA》大会及びLOJ&LC 大会前日(11月24日・金)プレ企画(見学・懇親会)のご案内(第一報)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3213274
千年先へ、語り継ぐために。ものづくりの技と知恵を結集!
名古屋城本丸御殿 公開
「名古屋城本丸御殿」は、尾張藩主の住居かっ藩の政庁として、1615 (慶長20)年に徳川家康の命によって建てられた、日本を代表する近世書院造の建造物で、総面積3 , 100 ㎡、木造平屋建こけら葺き書院造、13棟の建物で構成されています1930 (昭和5年)には天守閣と共に、城郭として国宝第一号に指定され屈指の名城として知られていたものの、1945 (昭和20)年の空襲により建物の全てを焼失。
しかし幸いにも焼失を逃れた、
1049面の障壁画、309枚の実測図、約700枚の写真、約2000個の礎石など、他に例を見ないほどの豊富な史料が保管されており、様々な分野の専門家の協力を得て2009年1月から待望の復元工事に着手し、2018年の江戸幕府将軍(三代将軍家光)が宿泊するために建造された最も豪華絢爛な「上洛殿」などの完成をもって、10年をかけた復元計画を終えました。
本丸御殿の復元は、技術や文化を後世へと継承する貴重な場にもなっています。武家文化の正統を受け継ぐ華麗な意匠、ものづくりの技と知恵、しなやかで美しい木の文化。本丸御殿は、この地に華開いた名古屋文化の原点ともいえます。木曽の森で数百年の時を刻んだ檜は、新たな命を吹き込まれ、千年先の未来へと受け継がれていきます。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「千年先へ、語り継ぐために。ものづくりの技と知恵を結集!名古屋城本丸御殿完成 6月8日(金)~ 公開」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4312637
高床式にて平柱を使用
対馬(厳原町) 椎根集落の石屋根倉庫
長崎県「対馬」石屋根倉庫
板石をもって屋根を葺く習俗がいつ頃から始まったのかは、明白ではありませんが、瓦より堅固な石材が容易に得られる地方では、古くからあったと考えられます。
現在椎根で見られるような整形した石は格別で、この厚い砂岩の板石は浅海の島山から運んだと言われています。 この石屋根はどこも小屋と呼ばれる倉が主で、人家には使用せず、衣類の櫃と穀類の俵等が格納されていたそうです。
対馬の集落の佇まいは、人家の火災等から小屋だけは残るように配慮され、人家と小屋は離して建てられています。 椎根はそれが特によく分かり、人家は両側の山際に一列に並び、中央を流れる川の両岸に小屋が群をなしています。
※当時、対馬では瓦は武家しか使用できなかったので、母屋は杉皮や檜皮を使用。
台風対策として重要な物は石屋根倉庫に、内部は三部屋に仕切られ穀物、衣類、貴重品が収蔵されています。
対馬の中部地区のお屋敷では、倉庫とは別に茶室として使用されている所もあります。(拝見したのは30年程前ですが、現在も使われていると思います。)柱、建具、壁には用途に応じて松、モミ、栗などが使用されています。柱は平柱で高床式です。
瓦のルーツを探る
石州瓦。山陰地方は島根県の西部、大田市から江津市、浜田市、益田市に展開する地場産業です。石州瓦は今から約400年前、江戸時代の始まり頃に誕生、現在日本第2位の生産量を有するまでに成長している瓦屋根材。平成19年3月に地域ブランド認定を受けた典型的な地場の伝統産業です。
前号に続き、より多くの皆様に、山陰の田舎町(失礼!)で綴られたモノ造りの物語を知っていただきたく、ここにご案内いたします。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~ 石州瓦物語(その2)~「瓦のルーツを探る 日本での鬼瓦のもつ意味は、ルーツと同じで厄除け・魔除けです。」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5325788
日本海に漕ぎ出でる舟形の宿
夕日ヶ浦温泉「一望館 はなれ櫂」(1)
海・空・湯がひとつに溶け込む
美人湯を湛えるインフィニティ露天風呂に浸かると、まるで海に浮かんでいるかのような幻想的な景色が目の前に広がります。朝は澄んだ青、昼は輝く碧、夕暮れ時には黄金色に染まる空と海――時間とともに移ろう絶景を、美人湯に癒されながら独り占めすることができます。※大浴場は男女入替制
地酒と旬の逸品を個室で堪能
春の丹後但馬を味わう全10品スタンダードコース
春の訪れを告げる菜の花や蛍烏賊など、旬の食材を華やかに盛り込んだ前菜をはじめ、椀物、造里、焼物、鍋物、デザートまで全10品の会席料理をご用意。地魚や但馬牛、鯛しゃぶなど、春の恵みを贅沢に味わえる構成で、料理長が一品一品丁寧に仕上げています。季節や仕入れにより内容は変わりますが、旬の味覚に彩られた大人の美食時間をお愉しみください。