オイコスの美
https://www.aeonkankyozaidan.or.jp/midoripress/jp/column/20121112_post_5.html 【生物多様性とは地球の動的平衡 ーオイコスの美ー】より 福岡伸一
青山学院大学 教授
私は生物学者として「生命とは何か」という問題をずっと考えてきました。遺伝子や細胞などミクロなレベルで研究を進めてきましたが、基本のモチーフはこの問いかけでした。DNAの二重ラセン構造が発見された20世紀半ば以降、メカニズムとして生命の理解が進みました。そして生命とは何か、という問いに対する答えは、自己複製するシステムである、ということになりました。しかし、私は21世紀のいま、生命とは何か、とあらためて問い直されたとしたら、それは、「動的平衡である」と答えたいと考えるようになりました。
自己複製のメカニズムにのみ焦点をあてるのではなく、生命が持つ柔軟性、可変性、回復力、応答性などを中心に生命を捉えなおしたいのです。その答えが動的平衡です。
生命は絶え間なく動きながらバランスをとっています。動きとは、生命内部の分解と合成、摂取と排出の流れです。これによって生命はいつも要素が更新されつつ、関係性が維持されています。ちょうどジグソーパズル全体の絵柄は変えず、しかしピースを少しずつ入れ替えるように。これが動的平衡です。生命が動的平衡であるがゆえに、生命は環境に対して適応的で、また変化に対して柔軟でいられるのです。
動的平衡は生命の内部だけでなく、生命の外部、生命と生命の関係性についても言えます。つまり地球環境全体もまた動的平衡なのです。
地球上の生命はちょうど優秀なサッカーチームのように、物質・エネルギー・情報を絶えずパスし合っています。例えば植物は、他の生物が食物からエネルギーを取り出すときに呼吸中に排出する二酸化炭素を、太陽エネルギーを使って酸素と有機物に戻してくれます。それを他の生物が受け取って活動し、そこからまたパスが繰り出されます。その循環が滞りなく流れている状態が、地球環境にとって健康な状態といえます。
パスを出すプレーヤーがいろいろなところにたくさんいて、パスの織りなす編み目が複雑であるほど、その循環、すなわち地球環境の動的平衡は強靭なものになります。生物多様性が大切な理由はそこにあるのです。生物多様性とは単に生物がたくさんいればよいということではなく、プレーヤーとしての相互関係が重要だということです。
地球上の生物には、すべて「持ち場」があります。私は子どもの頃、昆虫少年でいつも蝶を育てていました。アゲハチョウは柑橘系、キアゲハはニンジン、ジャコウアゲハはウマノスズクサと、蝶の幼虫の食べる草は決まっています。地球上の資源は有限なので、生物はみな自分の持ち場を決めて棲み分けを行い、無益な争いを避けているからです。生命誕生以来38億年のあいだに、せめぎあいながら選んだ持ち場をみんなが守ることで、地球の循環を滞りなくし、動的平衡を支えているのです。
この持ち場のことをニッチと呼びます。ニッチ市場、のように、スキマみたいな語感で使われていますが、もともとは生物学用語。ある種が生態系の中で分担している固有の棲息環境のことを指します。ネスト(巣)という言葉はニッチを語源としています。生物はニッチ間で、物質・エネルギー・情報のパスを繰り返しています。それはあるときは食う・食われるの緊張関係であり、また別のときは呼気中の二酸化炭素を炭水化物に還元し、排泄物を浄化してくれる相互依存関係でもあります。つまりすべての生物は地球の循環のダイナミクス、すなわち動的平衡を支えるプレーヤーといえます。プレーヤーが急に消滅することは、その平衡を脆弱にし、乱すことを意味します。
蚊やゴキブリのような「害虫」は人間が都市生活をする上で勝手にそう名づけているものです。確かにマラリアの媒介にある種の蚊が関わっていることは確かですが、すべての蚊やゴキブリがそのような問題を持っているわけではありません。彼らは人間がこの世界に現れる以前から地球上に棲息していた先住者です。そして捕食者や分解者、あるいは他の生物のエサとして、目立たないながら何らかの役割=ニッチを地球環境の中で分担していたはずなのです。地球の動的平衡を支えていたのです。生態系の中でそれぞれでニッチを守るプレーヤーの退場がこのまま急速に続けば、地球の動的平衡は積み木崩しのようなカタストロフィーに至る可能性があります。
長い進化の歴史の中では、新しい生物種が現れ、古い生物種が絶滅することはいくらでもありました。しかしここ100年ほどのあいだに起きている生物種の絶滅の多くは、自然に起きたことではなく明らかに人間の諸活動の結果、生じたものと考えられています。たとえばカワウソ。乱獲や都市化による生息地の減少、エサとなる生物の減少などが主因とされます。
あるいは二酸化炭素の問題もそうです。今、二酸化炭素は環境にとって目の敵にされていますが、それ自体はゴミでも毒でもありません。地球の循環の一形態です。しかしその循環が人為的な要因で滞っているのです。私たちが化石燃料を燃やしすぎ、一方で、緑地を減少させてしまっています。この結果、地球の動的平衡に負荷がかかっているところに問題があるのです。
人為的な要因によって、地球の動的平衡が乱されることに対しては、人間がその責任を負わなければなりません。そこに生物多様性を保全することの理由があるのです。
オイコス(oikos)という言葉をご存じでしょうか。エコ(eco)という言葉の語源となったギリシャ語です。もともと、所在、すみか、家、生息地、といった意味でした。先に記したニッチと似た言葉です。
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そのオイコスが、だんだん「そこに共に生きる仲間」という意味に広がっていったのです。仲間の範囲を生物全体に広げて考えると、そこに必要なのは、oikos + logos (論理)ということになり、ecology エコロジーという言葉が生まれました。また仲間のあいだの交流の規則が必要だ、というふうに考えたとき、oikos + nomos (規則)=economy エコノミーという言葉も生まれたのです。
つまり、端的にいうとoikos とは生きるということと同義語です。そしてエコ(オイコス)の原点は、他の生命をふくめた自分たちのすみかのあり方を考えることということになります。
17世紀、デカルトからはじまった思想は、人間の理性の優位性を信奉し、世界のあらゆる因果律を制御しようする考え方でした。人間以外の生物はみな機械的なものだとみなしてどのように利用してもよいという極端な思考が生み出されました。これが多かれ少なかれ、私たちの現在の思考の底流に流れていることは否定できません。そのパラダイムはここにきてやはり袋小路に至っているといわざるをえないでしょう。
地球環境と生物多様性は、人間の専有物でもないし、人間のためだけの資源でもありません。生物の多様性は、ヒトがこの世界に現れるずっと前からこの場所に、動的な平衡としてありました。にもかかわらず現在、人間はその取り合いを繰り広げているわけです。
大切なことはシンプルです。世界に動的な平衡を回復しなくてはならないということです。あまりに専有(エゴ)に走り過ぎた思考から、もうすこしだけ共有(エコ)へ、パラダイムをシフトしなくてはならないということです。共有は平衡のとれたバランスであり、バランスには必然的に美があります。私たちが自然を見て、それが美しいと思えたとき、そこには何がしかの釣り合いがあります。動的平衡の精妙さ。私はそれをオイコスの美と呼びたいと思います。
FacebookOSHO Japaneseさん投稿記事 避けようとしてはいけない。
逃避、回避、放棄、孤立、それらはまちがった言葉だーーーそういう言葉を使ってはいけない。それをボキャブラリーの、自分の語彙の一部にしてはいけない。そういう言葉を捨てなさい。積極的な言い方を見つけなさい。
参加、かかわり、享受、祝祭、喜び、歓喜というようなーーーそうすれば正しい道にいることになる。
Osho
Facebook相田 公弘さん投稿記事 【思考に気をつけなさい】
井上裕之氏の心に響く言葉より…
潜在意識には善と悪の区別はなく、とにかく感情をそのまま受け止めるというのが特徴。
ですから大切なのは、潜在意識にポジティブな発想で働きかけること。
とにかくネガティブな発想を手放すことから始めましょう。
ネガティブな発想があなたの運命を確実に悪い方向へと誘っていくというメッセージを伝えたものに、マザー・テレサの、「思考に気をつけなさい」という言葉があります。
「思考に気をつけなさいそれはいつか言葉になるから 言葉に気をつけなさい それはいつか行動になるから 行動に気をつけなさい それはいつか習慣になるから 習慣に気をつけなさい それはいつか性格になるから 性格に気をつけななさい それはいつか運命になるから」
これが人間の法則です。
逆説的に捉えれば、ポジィティブな発想を持ち、いい言霊の言動を心がけ、積極的に接していれば、それはやがて優しさや犠牲的精神、利他的精神となって心の中に定着する。
愛に溢れた人は、豊かな人生を送ることができるということなのですから。
たとえあなたが、今は人間関係の暗闇の中にいたとしても大丈夫。未来を変えることはいくらでもできます。
人間の法則、宇宙の法則ともいうべき潜在意識の法則を活用し、ストレスのない充実した人生を手に入れることは誰にでもできるのです。
『すりへった心を満たして 「最高の人間関係」でいられる本』扶桑社
人生は、「思った通りになる」、と言うと、「それでうまく行くなら苦労はいらぬ」、と鼻で笑う人がいる。
しかし、どんな些細(ささい)なことでも、願ってすぐに実現することなどひとつもない。
努力に努力を重ね、あきらめずに何年も、いや何十年もコツコツと続けることによって成就する。
「思考は現実化する」という、ナポレオン・ ヒルの言葉がある。
それは、すなわち、思考は言葉に、言葉は行動に、行動は習慣に、習慣は性格に、性格は運命に、ということ。
思考の方向性は二つに一つしかない。
それは、「積極思考かマイナス思考か」、「現状打破か現状維持か」という二者択一。
中村天風師は、「蒔いた種のとおり花が咲く」という「善因善果、悪因悪果の法則」があるという。
よい種をまけばきれいな花が咲き、悪い種をまけば悪の花が咲く。
どんなときも、明るい積極(せきぎょく)の心で生きていきたい。
Facebook小早川 智さん投稿記事 エゴロジーからエコロジーに!!(^-^)/
新型コロナからの再生はグリーンリカバリーで。ヒントはオランダ・アムステルダム採用の「ドーナツ経済学」に | Circular Economy Hub - サーキュラーエコノミーハブ https://cehub.jp/insight/green-recovery-wef/
Facebook稲本 正さん投稿記事
やっと本ができました。森の惑星の旅で,中国やアマゾンやカメルーンで死にそうになって、それから20年、やっと見えて来た事をまとめた渾身の書です。是非、目次も見てください。
そして、Amazonでは本の予約が開始されました。
『脳と森から学ぶ日本の未来』 “共生進化”を考える(Amazonの予約URL)
http://ur0.work/MwxH
<内容紹介>
アインシュタイン、夏目漱石、SDGs、
ウイルス、縄文、AI、ブラックホール……
すべてつなげると、自然と調和した新しい生き方が見えてくる!(表紙の写真最初からリニューアルしました)
新型コロナウイルスをはじめ、自然災害、気候変動など、今世界ではさまざまな問題を抱えています。本書では、そんな私たちが今いる世界をどう捉え、どう考えたらいいのかを探ります。森と都会を行き来するトヨタ白川郷自然學校設立校長で東京農業大学の客員教授が、人類史、生命史から宇宙論までトータルな視点で世界を見つめます。
<全体目次>
新しい視点で自然と歴史に学ぶ、次世代のための教科書
第1章 私たち人類の現在を問い直そう
(1) 出会いが生き方を変える ―『日の名残り』の失敗を糧に
(2) 地球と人間の均衡 ―「人為淘汰」にしてしまった責務
(3) 人間を問い直すにはやはり「脳」 ―脳の役割と計測機器
(4) 脳と肉体の分離 ―近代化が招いたいくつかのこと
(5) 人間と細菌 ―見えないけれど共存している
(6) 人間とウイルス ―近代文明が招いた落とし穴
(7) 東西文化や人種を踏まえた相互理解 ―言語構造の違い
(8) 文科系と理科系の融合 ―専門分野を超えた総合的視野を
第2章 生き延びた生物からパラダイムシフトを学ぶ
(1) 進化のきっかけは樹上での直立二足歩行 ―森の『スタンド・バイ・ミー』
(2) 地上を走り始めて脳が進化 ―ホモ・エレクトスの登場
(3) 脳が大きくても生き延びるとは限らない ―ネアンデルタール人の絶滅
(4) 恐竜の繁栄と絶滅 ―巨大化した都市文明は危うい
(5) 落ちこぼれの魚が人類への道を切り開いた ―ピンチをチャンスに
(6) 地球上で最も種を増やした昆虫の選択 ―植物との「共進化」
(7) 強みを活かして絶滅を回避した鳥 ―特殊な気嚢(きのう)で羽ばたいた
第3章 日本を新しい視点で見つめる
(1)地球の中の日本列島の位置 ―地図をひっくり返す
(2)世界に誇れる日本の綺麗な水 ―体験を通してしか気づけない事
(3)海と森を繋ぐ国の民として ―自然は連動して豊かになる
(4)気候変動から日本の森を捉える ―最低13本の木を育てよう
(5)平和と環境を維持した縄文時代 ―第一次木の文明
(6)弥生、古墳、飛鳥にみる文明の変化 ―第二次木の文明
(7)縄文に学ぶ食料対策 ―多品種栽培と森の恵み
《日本人として知っておきたい木46種 ―生活文化を支える木》
第4章 日本の近代化を超えた自立を
(1) 問題山積みの明治維新 ―ファシズムを生まないために
(2) 国際的な視野と日本人の精神 ―夏目漱石と白洲次郎
(3) 戦後の経済発展で見えた課題 ―一億総白痴化
(4) それでも自立しようとした日本人 ―団塊の世代の苦悩と希望
(5) 日本人を動かす根源の分析 ―未来に向けた「共同幻想論」と「脳」
(6) 日本の新しい哲学を探る ―「じねん」に基づいた思想と体験
第5章 現代科学が切り開く新しい常識
(1) 近世ヨーロッパの動乱の中で天地がひっくり返った ―「天動説」と「地動説」
(2) 宇宙は有限でそれぞれの時空を生きている ―アインシュタインの相対性理論
(3) モノでありコトである遺伝子 ―シュレーディンガーと量子力学
(4) 現代生活のすべてで働く電子 ―電界と磁界の基本とソフトエネルギー
(5) 宇宙と人間を繋ぐ電磁波の力 ―情報革命からコミュニケーション革命へ
(6) 電磁波の一つである可視光と緑の葉 ―植物の「共生進化」に向けた働き
(7) 宇宙と人間の構成要素 ―梵我一如に結びつく気づき
第6章 脳と森から学ぶ日本の未来
(1)地球は「森の惑星」 ―植物界の優位性と共進化
(2)今こそ「共進化」から「共生進化」へ ―ミトコンドリアから里山へ
(3)ミクロとマクロを繋げて考える ―「ウロボロスのたとえ」と「グローバルブレイン」
(4)日本の森の具体的展開法 ―田舎の森も都会の森も
(5)「自給遊園」の創造を ―AIを取り入れた新しいコミュニティ
(6)コミュニケーションと自然体験の教育 ―先生も生徒も楽しく
(7)宇宙は私であり、私は宇宙である ―意識の変革と森のマインドフルネス
稲本 正 Tadashi Inamoto
1945年富山県生まれ。69年立教大学理学部物理科卒業、その後物理科に勤務。74年岐阜県・高山市に移住、67年岐阜県・清見村にオークヴィレッジを移転。87年環境総合プロデュース会社オークハーツ設立。94年『森の形 森の仕事』で毎日出版文化賞受賞。『森の惑星プロジェクト』開始。トヨタ白川郷自然學校設立校長。東京農大客員教授。(一社)日本産天然精油連絡協議会専務理事。岐阜県教育委員。著書に、『緑の生活』(角川書店)、『森の博物館』(小学館)、『日本の森から生まれたアロマ』(世界文化社) 、『森の旅 森の人』(世界文化社) その他 多数。
小林 廉宜 Yasunobu Kobayashi
福岡県生まれ。「世界の森」「未来に残したい風景」などをテーマに、希少な自然や文化を撮り続けている。シルクロード横断、フェルメール全作品の撮影など幅広く活動。旅先でのエピソードなどを記したエッセイも手掛ける。世界25ヶ国、日本8ヶ所の森を訪ねた写真集『森 PEACE OF FOREST』(世界文化社刊)を出版。
https://note.com/bold_bee4421/n/n6c0f675273f8 【動いているから生きている 〜オイコスの美を求めて〜】より
「生命とは何か?」
私は大学時代、この問いにずっと向き合ってきた。細胞の中で情報がどう伝えられるか、どうやって生き物同士が関わり合っているかーそんな授業を受けるたびに、根底にはこの大きな問いが横たわっていた。
そして今、もし改めて「生命とは?」と問われたら、私はこう答えたい。
「生命とは、動的平衡である」と。
生命は止まっていない。常に、動きながらバランスを取っている。例えば、体の中では分解と合成、食べることと排出することが繰り返されている。その流れの中で、私たちは古くなった細胞を入れながらも、私という存在を保ち続けている。
ジグソーパズルを思い浮かべてほしい。絵柄はそのままなのに、ピースが少しずつ入れ替わっていくような感じだ。それが「動的平衡」だ。
この動的なバランスがあるからこそ、生命は変化する環境に適応でき、しなやかに生きていける。
でもこのバランスは、生き物の体の中だけじゃない。もっと大きなスケールー例えば地球全体にも当てはまる。
地球上の生命たちは、まるで優れたサッカーチームのように、物質やエネルギー、情報をパスし合っている。例えば植物は、動物が呼吸で吐き出す二酸化炭素を使って、有機物と酸素を作ってくれる。そしてその酸素を私たちが吸って、また活動が始まる。
このサイクルが滑らかに回っている状態こそ、地球という生命の健康だ。
この循環を支えているのが生物多様性だ。いろんなプレーヤーがいて、いろんな場所からいろんなタイミングでパスを出しているからこそ、このチームは強い。
「たくさんの生き物がいること」が重要なのではない。生き物同士のつながりが大事なのだ。
地球に暮らす全ての生物には、自分のポジション=役割がある。
子供の頃、私はカブトムシとクワガタを育てていた。彼らの幼虫は、カブトムシなら腐葉土、クワガタなら広葉樹の朽ち木と、食べるものがちゃんと決まっている。なぜか?地球の資源は限られているからだ。だから、生き物たちは役割分担(棲み分け)をして、無駄な争いを避けている。
この役割のことを、生物学ではニッチと呼ぶ。マーケティングのニッチ市場の語源でもあるこの言葉は、もともと「それぞれが占める生態系の居場所」という意味だった。
生き物たちは、そのニッチの中で、食べたり食べられたり、呼吸したり排泄物を分解したり、エネルギーや物質を受け渡している。それぞれが地球の循環を支えるプレーヤーなのだ。
だから、ある生き物が突然いなくなると、チーム全体のバランスが崩れる。それはまるで積み木が一つ抜けた途端にガラガラと崩れていくようなもの。
人間が害虫と呼ぶ蚊やゴキブリだって、地球にはるか昔からいる先住者だ。人間が不快だからといって排除し続ければ、知らず知らずのうちに地球の動的平衡を壊してしまう。
ここ100年、人間の活動によって多くの生き物が絶滅してきた。ニホンカワウソもその一例だ。彼らは人間の乱獲や都市化によって、生きる場所を奪われた。
二酸化炭素の問題も同じだ。二酸化炭素自体は悪者ではない。太陽、植物、動物たちの間をめぐる地球の呼吸の一部にすぎない。ただ、人間が化石燃料を燃やしすぎたり、森林を減らしすぎたりしたことで、その呼吸が狂ってしまったのだ。
だから、動的平衡を乱してしまった責任は、人間にある。だからこそ、私たちにはそのバランスを取り戻す義務がある。
ところで、「オイコス(oikos)」という言葉を知っているだろうか?
これは、「エコ(eco)」の語源になったギリシャ語で、家やすみか、共に生きる場所という意味を持っていた。そしてこの「オイコス」に「ロゴス(論理)」が加わって、「エコロジー(生態学)」という言葉が生まれた。
つまり、「オイコス」とは、「共に生きる」ということ。生命とは孤立したものではなく、他の命とつながりながら存在しているということ。
17世紀、デカルトをはじめとする思想家たちは、「人間の理性こそが世界を支配できる」と信じていた。自然はコントロールできるもの、他の生き物は機械のような存在ーそんな考え方が生まれた。
けれど今、私たちはその考え方の限界を感じている。世界を利用するものとして見るのではなく、共有するものとして見直す時が来ている。
エゴ(独占)からエコ(共有)へ。
それが動的平衡を取り戻すためのシフトだと思う。
自然の風景を見て「美しい」と感じる時、そこには必ずバランスがある。乱れすぎず、静かすぎず、動きながら整っている。それが生命のもつ「オイコスの美」だと私は思う。
この星に生きる全ての命のために。
私たちはこの「動的な美しさ」を取り戻す旅を始めなければならない。