大和田 敢太『ハラスメント対策の原点:根絶するために』
女性に向かって「だから女はダメと言われるんだ!」と言うのは,女性差別である。これが業務上の会議で発せられたので,被害者は事務局に通報したが,2ヶ月後,今度は別の人間が,先の発言を「女性差別発言ではない」と言い放ち,被害者をさらに傷つけた。
たった一言の差別発言だが,いきなり額に石を投げつけられたような衝撃だったという。相手の人格の全否定する差別発言の威力はとてつもない。先の差別発言を追認した二番目の加害者は,被害者が心から信頼して新しい仕事を学んでいた人間,いわば,被害者にとってはお師匠のような人間だったから,この発言が被害者にもたらしたものは,最初の差別発言に劣らず大きかった。とうとう我慢の限度を超え,被害者は心と体の不調を自覚するようになった。
最初の差別発言が,差別追認発言を呼ぶという連鎖的ハラスメントとなり,さらに,よくあることだが,その周囲で二次的なハラスメントが起こり,被害者は幾重にも苦しめられている。
このハラスメントの被害者は私である。
ひとり湯船に浸かったときなど,「やめる,いつやめる」と際限のない考えに囚われて,お風呂からなかなか出られない。トイレに座っても同じ状況になる。足の爪3枚が,突然,同時に裂けて剥がれる。心と体に異常なことが次々と起こると,さすがに自分はおかしいのではないかと気づいた。突然,母のことを思い出したりした。
鬱になったかもしれないと家族に伝え,カウンセリングに通うことにした。無頓着な加害者2人に加害の事実に気づかせるため,組織に業務から離れることを宣言した。私をバックアップする人たちが尽力して第三者委員会が立ち上がり,現在,調査をしている。
日本のハラスメント問題の現在地はどこか。ハラスメント根絶に向かう道筋はどう描かれるべきか。
標記の本は次のように主張している。職場のハラスメントの問題は,個人間の争いではなく,組織構造の問題である。日本ではこのことが行政においても労働の現場でも理解されておらず,国際基準と比較しても遅れている。被害者の人権侵害救済の立場で,問題に対処しなければならないと。
以下に,本書を概括する。
職場におけるハラスメントは,かつては「いじめ」や「嫌がらせ」と言われていた。これに「ハラスメント」という言葉が最初に与えられたのは,1976年,アメリカの精神科医キャロル・ブロッキ『ハラスメントされる労働者』だとされる。同時期,フェミニズム運動のなかからセクシャル・ハラスメントという主張も生まれた。
EUでは,1990年から,加盟28ヶ国と未加盟7ヶ国の44,000人を対象にした大規模な面接調査が実施されている。この調査で,ハラスメントは,個人間のトラブルやコミュニケーション不調などの問題ではなく,労働現場に問題があって,企業経営の構造的要因によるものであり,経営的責任に起因していることが明らかにされた。
ILOが2019年の総会で採択した「労働の世界における暴力及びハラスメントを禁止する」条約で,ハラスメントとは「1回限りであれ繰り返されるものであれ,性差別に基づくものを含む,肉体的,精神的,性的あるいは経済的苦痛を与えることを目的とし,もしくはそのような結果を生み出す,受け入れがたい全般的な振る舞い,行為あるいは脅し」と定められた。
この定義で重要な点は,「ハラスメントの目的あるいは結果」の箇所である。目的がなくても結果があれば成立する,すなわち,その振る舞いや行為に目的や意図がなくても,結果があれば,ハラスメントは成立するという点である。
「優越的な地位」という当事者の関係性は要件ではないことも重要である。
これに関連して,日本では,労働の場における「パワー・ハラスメント」は,法律で定義され,巷にも流布されているが,著者は,この概念は,学問的裏づけのない非科学的な概念だと批判する。この概念は,労働の場の上下関係を前提としており,対等平等な労使関係の実現を遠のかせる概念である。「パワー・ハラスメント」を重用すればするほど,労働現場におけるハラスメントの温床を放置することになると,筆者は厳しく批判する。
日本における法規制には,このほかにも,次のような問題点が指摘される。
第一に,「ハラスメント禁止原則」を明確にせず,事業者への単なるメッセージになっている点である。被害者救済という原点を無視したまま,「労働者の相談に応じて」という条件をつけて,被害者に負担を課している。
また,日本では,パワハラ,セクハラ,モラハラ,アカハラ,マタハラ,アルハラなどの言葉が示すように,細分化された定義と制度の結果,ハラスメントは個別紛争として扱われる傾向にある点である。被害者は自分の被害が何なのかを理解しなくてはならず,被害の申告を困難にする一因にもなっている。著者は,ハラスメントの細分化の原因は,ハラスメントの適切な定義が意識的に回避されてきたからだと指摘する。
国際的な分類は,セクシャル・ハラスメント,モラル・ハラスメント,暴力的ハラスメントの3つである。これらは,結果重視の定義である。当然だが,ここに示される暴力的ハラスメントは,和製英語のパワー・ハラスメントとは別の概念である。
ハラスメントを根絶するために,日本の法規制はどう改善すべきか。
まず,非科学的なパワー・ハラスメント概念に依存することをやめ,ハラスメントの包括的な定義をすること,そして実効的な規制制度をつくることが必要だと述べる。そして,最後に,著者は,被害者の権利として,労働における危害から忌避する権利を具体化すべきだと提案する。
p.s.
もとの原稿は,ある報道機関のセクハラ問題について機関名を明記して書いていた。しかし,投稿するや即,表示拒否にあった。はねられた理由は私には明快だったので,この部分を削除し再投稿すると,問題なく公開された。7月に連続して拒否されたのもこの件である。(記:2025年8月9日)