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須和間の夕日

農業は壊滅から救えるか

2025.08.11 03:45


日本の農業は壊滅寸前である。各地に広がる遊休農地や耕作放棄地を見て,日本農業が著しく衰退していることは誰の目にも明らかだ。しかし,数字が示す農業の衰退は想像以上である。農業従事者は111万人(2024年),全産業に占める比率は2.7%(2020年)しかない。平均年齢は69.2歳(2024年),農業への新規就業者は4万人(2023年)で,その数は毎年,減少している。これらの数字は,日本の農業の未来はないことを正直に示している。

スーパーやデパートの食品売り場には,溢れるように食料品が並んでいるから,日本農業が壊滅寸前だと想像することは困難だ。日本に飢餓問題が近づいていると想像するのも困難である。

しかし,今年,日本人の主食である米が店にないという事態が起こった。政府の失政によるものだが,常時,食料を入手できないという飢餓状態に苦しむ人々は増えている。給食がない夏休み,空腹に耐える子どもたちがいる。

日本国民が飢えるなどということは起こらないと信じる根拠はほとんどない。何しろ,食料自給率38%の日本は,戦争を近づけている。戦争になれば,戦場で,そして非戦場の市民生活の場で飢餓が勢いづいて人々を襲う。これは誰でも知っている事実である。

戦争と食料の問題として,戦争を体験していない私が思い浮かべるのは,敗戦直後の人々の生活である。都市住民は交換価値のある着物などをもって農村に行き,農家はそれと引き換えに都市住民に米や野菜を分け与えた。当時の農業就業者は人口の24.4%(1946年)だったから,都市住民に食料を提供できるだけの余力があった。

しかし,現在はどうか。農業者は人口のわずか1%以下になり,その農家も,後継者がおらず自家消費程度の生産農家が増えている。1%にも満たない農家が,99%の国民の飢えを救うことは到底できない,ということは誰にでもわかる。

2014年の菅原文太の渾身のスピーチが,真実味を帯びて私たちの胸に迫ってくる。


政治の役割は二つあります。ひとつは国民を飢えさせないこと。安全な食べ物を食べさせること。もうひとつは,これは最も大事です。絶対に戦争をしないこと。


高度経済成長期,農村の変化は著しかった。農村の工業化が,至るところですすめられ,全国総合計画に組み入れられなかった農村は,自分たちも都市になりたいと願った。

私は,農村計画の専門ではなかったが,行けども行けども市街地の端に辿り着けない大阪市内から,茨城県地方中心都市の市街地に引っ越し,自転車でほんの10分も走れば農村地帯に入れる環境に来て,農村地域の住環境・都市計画の勉強を始めた。

水戸市郊外の田園地帯から調査をはじめたが,一番興味深かったのが東海村である。東海村は,どこよりも早く工業都市になった。村は,とくに科学の最先端である原子力開発の計画地に選ばれたことを誇りに思った。村民のなかにも,「自分たちは特別」という不思議なプライドを持ちつづけている人たちがいる。時代は流れたけれども,子ども時代に植え付けられたプライドは深く心に刻みつけられているのである。

日本の多くの村が深刻な過疎問題に悩むようになるなか,この村だけは,過疎とはまったく無縁でありつづけた。財政が豊かになったので,異常なほどの大量の宅地開発をすすめ,住宅都市の顔ももつようになった。

東海村は,その名前から抱くイメージとは違って,もはや農業の農村ではない。農業従事者率は3.03%(2015年)である。最新データは不明だが,村のHPには2%代と書かれている。この数字は全国平均と同じである。要するに,東海村は,原発と住宅の都市であって,産業としての農業は壊滅寸前である。

日本の人口は減りつづけ,宅地需要も大きく減っている。その一方で,農業の衰退が農地転用を押しすすめ,都市では都心の空洞化がすすんでいる。場所を問わず環境の荒廃が進行している。

農業の壊滅は,環境の荒廃をもたらし,国民の生活を破壊する。国家の存立も揺るがす。国の最重要産業として日本農業を再生する大幅な政策転換が必要だ。