仏陀の言葉3
欲しくて欲しくてたまらない相手をつくらないように。
欲しくて欲しくてたまらない相手が、君の思いどおりにならないとき。
とりわけ、その相手をいつか君が失わねばならぬとき。
そのとき、君の心には激痛が走るだろうから。
その「ホシイヨ、ホシイヨ」と求めてばかりの呪いから解き放たれたなら、君の心は何にも縛られず、自由となる。
法句経211
●嫌いで嫌いでたまらない相手をつくらない
「どうしても今すぐ会いたい。会えないと苦しい」
こんなふうに強い欲望が生じるような相手をつくらないように。
「最低限の常識もわきまえない最低の人間だね、あの人は」
こんなふうに嫌悪感の執着が生じるような相手をつくらないように。
欲望の執着が生じた相手と会えないでいると、つねに苦しみがわく。
嫌悪感の執着が生じた相手といっしょにいることもまた、苦しみ以外の何ものでもない。
法句経210
●歪んだ愛情という呪縛
家族や恋人や子飼いの部下など身近な人々に対しては、愛情があるからこそついつい甘えてしまって、「私を大事に思ってくれているなら、このくらいはしてくれるはず」と思い込んでしまう。
けれども、そのわがままな欲求はたいていの場合、満たされず、憂鬱になる。
このような愛情による執着が強すぎると、自分のことを大事に思ってくれるか不安になり、恐れが生じる。
すなわち、歪んだ愛情ゆえに、憂鬱さや恐れが生じる。
歪んだ愛情という呪縛から解放されるなら、もはや君に憂鬱さや恐れは存在しなくなるだろう。
法句経212
●鉄の鎖よりも強く私たちを縛っているもの
たとえ君が鉄の鎖で縛られても、木の拘束具で拘束されても、麻ひもでグルグル巻きにされても、それらは「強力な呪縛」ではない。
自分の稼いだお金への執着や、買いこんできては増えてゆく物への執着や、「私の子どもはこうなれ、こうはなるな」「私のパートナーはこうなれ、こうはなるな」という支配欲への執着。
智慧ある者にとっては、これらのあくことなき執着こそが、「強力な呪縛」に見える。
その呪縛は、ゆるやかに見せかけて実はぎゅうぎゅうギリギリしつこくからみつき、あまりに逃れ難きものゆえに。
これらの呪縛を断ち切った君は、「こうしてほしい」「ああしてほしい」と求める浅ましさから自由となるだろう。
法句経345、346
●渇愛の蜘蛛の巣を断ち切る
欲によって脳内快楽を味わいたければ、わがままになる。
「私のこと、ちゃんと理解してほしい」
「もっとちゃんと見てほしい」
「もっとちゃんと評価してほしい」
「もっとちゃんと愛してほしい」
と、わがままな欲望思考に君が洗脳されてしまうなら、まるで蜘蛛が自分の糸にからまるように、自分の渇愛の糸にからまり、その苦しさに窒息してしまうだろう。
君が智慧を武器にしてこの蜘蛛の巣を断ち切ったなら、苦しみを捨てて悠々と歩いてゆける。
法句経347