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「ろう教育」における私個人的な考えも含めて コラムNo4(Reem Mohamedさん)

2016.02.26 07:29

今日は、「ろう教育」について私の個人的な考えを含めて書こうと思います。

「聴覚障害者」といっても、全てを一括りにすることは出来ません。

世の中、思考、考え方、性格などが異なる千差万別の人間がいます。

聴覚障害者も、聞こえのレベルが軽度だったり中度だったり高度だったり、そして二重以上のハンディをもっているという人もいます。

私は、「ろう者」ですが先に書いたように「口話史上主義」の時代のろう学校で過ごしたので、「手話史上主義」というタイプの方とは全く異なります。

聞こえのレベルはもとより、育った環境、家庭や学校での考え方なども加わって「手話」を使う頻度も変わってくるように思います。

また、「ろう教育」については、色々な議論が各地で行われています。

ろう学校における「ろう教育」についてFacebookでも少し自分の意見を述べましたが、これは一般の小、中学校の特殊支援クラス(あるいは難聴クラス)でも同じことが言えると思います。

見逃されやすい教師の採用についても、みんなで考えていく必要があります。

各地で、この件について議論がなされていますが、日本全国で統一していく必要があるのでは?と思います。

私自身、一般の会社員のためろう学校の教員たちが集まって会議などを行っているかどうかはわからないのですが、おそらくあると思います。

さて、ろう学校及び特殊支援クラスの教員について、多くの方が誤解されてるのが、以下のケースの場合です。

教員採用試験は、都道府県によって差異はありますが、必ずしも、特別支援学校勤務において、特別支援学校教諭免許(聴覚障害者だけではなく視覚肢体障害者などの特別支援教育の分野)か 旧聾学校教諭免許が必須ではありません。

特別支援教育諸免許を持つ人を別枠で取らず、小中高の基礎免許を基に一括採用する都道府県がほとんどという現状です。

だから、本来ならばこの特別支援学校教諭免許、旧聾学校教諭免許を所持しておられる教師がろう学校に採用したほうが「ろう教育」としても最適であるわけです。

しかし、この小中高の基礎免許を基に一括採用する制度があるために、どうしても専門的な知識を持っていない先生が採用、転勤で来られるわけです。

ですので、ここが一番のポイントだと思ってください。

ろう学校=教員はみんな手話が出来る、子供たちも手話を覚える

こういう概念を持たれた方も多いかと思います。

しかし、現実はそうでもない学校も少なくないと思います。

先生方の中には、「ろう教育」「手話」とは全く無縁のところから来られる方も多いので先生方々も「ろう学校」でどうしたらよいのか、何をしたらよいのかで戸惑い、悩む方も多いだろうと思います。

ここで、本来ならば先生方の「手話」が、コミュニケーションのズレが全くないレベルが理想的ですが、先生方も初心者だったり、大学などである程度は出来るというレベルが多いかと思います。

長らくろう学校に勤務されておられる先生も中にはおられるもようですが、いつかは、先生も定年を迎えられます。

そうすると、後継ぎといったような感じの先生方がなかなか出てこなくなります。

こういったことが、「ろう教育」においては一番大事な土台だと私は思います。

ところで、※下の色文字をクリックして下さい

文部科学省のHPで特別支援学校教諭の免許資格を取得することのできる大学の一覧

がありますが、そちらを見て頂いたらわかるように、聴覚障害者を指導するための専門的な学部が非常に少ない事もわかります。

そして、小中高の基礎免許を所持する教員が、教員在職年数と単位修得により特別支援学校教諭免許状を取得する場合もあります。

このように、「ろう教育」における必要な専門知識を持った教員を育成する環境なども重要だと思います。

でも、先生方の中には「ろう教育」を真剣に考えてどのようにして子供たちと向き合っていくのか?子供たちに必要なことは何か?を考えておられる方もいっぱいおられます。

ところで、私は「口話史上主義」のろう学校にいたのですが、時々「手話史上主義」だったらどうなっていたのだろう?と考える時があります。

私の考えでは、言葉を知るためには「手話」は欠かせないものだと思っています。

「手話」を通して、「語彙力」が増えていくと思います。

発音の訓練や、聞き取りなどの訓練、文章力なども、もちろん大事ですが、それにかける時間を使うなら、やはり「手話」で「言葉」を知って覚えたほうが早いと思います。

そして、授業を手話で行うことは、大事なポイントなどを抑えることができ、些細なすれ違いがなくなると思います。

手話がないと、やはり音の区別が出来ないので、例えば「まだ」「また」などで混乱すると思います。

「手話」を基本として、「口話」を学ぶというスタンスがあってもいいと思います。

ところで、健聴者の友人が海外に旅行に行って会話が通じなくてつまらなかった!という話をときたまに耳にするのですが、ろうの友人は全く英語が話せないのに、現地の人とすぐ友達になって色々な思い出を作っている人がいます!

この友人は、普段は手話を使っています。

手話が出来るからこそ、音に頼らないから、なんでも身振り手振りでやっていけるのです。

(さすがに、その国によってはタブーされている身振り手振りは覚えていくもようですが)

だから、海外で長く生活している聴覚障害者の人たちもいっぱいいます!

次回は、何を話すか?まだ考えていませんがお楽しみに!


Reem Mohamed

「落語」と「手話」の話題で思った事 コラムNo5