Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

堺から日本各地を歩く

源平合戦 (年表)

2019.02.15 12:21

1156年(保元元年)に崇徳上皇方と後白河天皇方の対決に源平両氏共に一族を二分して争った『保元の乱』。それまでの貴族中心の社会から武家社会へと大きく変化した争いになります。この項目では『源平合戦』として平家物語を中核に『保元の乱』から1189年の『源頼朝による奥州平定』までの簡単な年表と作り、そこから関連人物・関連事項などに関して少し深く紹介するためのインデックスにもなっています。


1156年:<保元の乱>
1159年:<平治の乱>
1160年:源義朝、尾張の野間で謀殺。源頼朝、伊豆へ流罪
1167年:清盛太政大臣に就任(間もなく辞任) 
1172年:平徳子が高倉天皇の中宮となる 
1177年:<鹿ケ谷の陰謀>
1179年:清盛、後白河法皇を幽閉。院政は停止となる 
1180年:<源氏挙兵>以仁王、各地の源氏に平家追討の令旨を出す
1180年:
源頼政が以仁王を立てて挙兵するが、平知盛に敗れ、平等院にて敗死
平家、福原遷都を強行(ただし、年内に京都に戻る)
源頼朝、挙兵するが石橋山の戦いで敗れる
源(木曽)義仲挙兵
富士川の戦い 頼朝、鎌倉入り。平氏軍は水鳥の飛び立つ音を源氏の襲撃と誤認して敗走
頼朝、侍所を設置
平重衡が東大寺・興福寺を焼く 
1181年: 養和1年 平清盛病没 
1183年:
倶利伽羅峠(砺波山)の戦いで義仲が火牛の奇襲で平家を破る
義仲、京都入り
頼朝、寿永宣旨を受け、東国支配権を獲得 
1184年:
宇治川の戦いで源義経が義仲を討つ
一の谷の戦いで義経が「鵯越の逆落し」で平家を破る 
平家惣領・平宗盛らは四国・九州に敗走
頼朝、公文所、問注所を設置 
1185年: <平家滅亡>
屋島の戦いで義経が平家を破る
壇の浦の戦いで義経が平家を破る 平家滅亡
頼朝、諸国に守護・地頭を設置
義経と頼朝の対立が始まる 
1187年:
義経、藤原秀衡を頼って奥州に落ちのびる
秀衡病没 
1189年:<衣川の戦い>