Ride in Kyushu Day 62 (15/2/19) Hyuga 日向
Seinan Civil War 西南戦争 Satohara 佐土原
Seinan Civil War 西南戦争 Takanabe 高鍋
Seinan Civil War 西南戦争 Mimitsu 美々津
Seinan Civil War 西南戦争 Satohara 佐土原
薩軍は宮崎をさしたる抵抗もせず放棄して、佐土原に退いた。官軍は連日の勝利で勢いが増している。高岡を落とした官軍第2旅団が7月31日に佐土原に、別動第2旅団は高鍋に向かって侵攻。佐土原攻めが開始されたが、薩軍は少し交戦したのみで、高鍋に後退。官軍は8月1日に完全に佐土原を占領する。どこで交戦が行われたは分からないが、薩軍は市街地に陣取っていたようだ。
Seinan Civil War 西南戦争 Takanabe 高鍋
官軍別動第2旅団が一ツ瀬川を渡り薩軍・熊本隊を破り高鍋に迫る。佐土原を掌握した主力と合流し高鍋へ突入。薩軍はここでもまともに戦えず、更に北の美々津へ後退して戦線を構築し直した。そして本営を延岡に設置する。薩軍はもうこの時点で、かつての強さは失われており、兵士の降伏投降も相次いで、官軍も薩軍捕虜が増え対応に支障がきたしていた。実際どこで戦争が行われたのはわからないが、おそらく市街地付近の川沿いではないかと思う。多くの戦闘が川沿いで行われている。
Seinan Civil War 西南戦争 Mimitsu 美々津
美々津の薩軍は延岡からの奇兵隊との合流し体制の立て直しを行った。官軍はすぐに美々津を攻めず、美々津/延岡の包囲網を構築し決戦を挑む準備に入る。
美々津を通ったのだが、どこで戦いがあったのかは知ら無かったので、地形でこの辺かなという所を写真に撮った。たまたま、美々津町並保存地区の看板が見えたので寄ってみた。江戸時代の宿場町という感じの町並みが保存されている。新しい建物も古風な雰囲気を出すように建てられている。九州特有の宿場町の建物の造りなのか東海道や中山道と異なっている。九州の旅のはじめの頃に福岡で立ち寄った宿場町の造りと同じで、それぞれの家が独立して見える。東海道は長い長屋の様な感じなのだが、屋根の向きが家によって異なっている。各家の前には折りたたみのベンチが備え付けられている。ここに商品とか夕方はここに座って、町を行き交う人と話などをしたのかと想像。
この宿場町は耳川の河口にある。広い川幅の川なので、渡川の前日に泊まる客で賑わったのだろう。川の両側ともに険しい崖になっている。ここであれば延岡を守るには良い場所と思った。後から色々なサイトを調べると、まさにこの場所が西南戦争で戦闘があった場所だった。耳川の戦いという。衛星写真の耳川の中洲を挟んで、8月7日に官軍と薩軍が戦闘を行った。薩軍はここを防ぎ切れず、門川へ退却。本色々な所を見てきて、少しは感覚が出てきたのかと自己満足。
今日は日向に泊まり、明日、延岡で西南戦争で西郷隆盛が薩軍の解散の最後の戦い所縁の地を巡る。