小説文読解で身に付く、感情処理能力
こんにちは。
さて、コミュニケーション能力は生きていく中で必要か・・・。
ひとりで生きていかない限り必要ですよね。
実質、一人暮らしをしている方は多くても、
生涯ひとりっきりで自分以外の他者と関わらずに生きていくことなんて、
実際には不可能なのですから、
人間が生きていく上で、コミュニケーション能力は必須です。
AI時代の今後、人間が人間しかできないことが重宝されるのであれば、
その場その場で、人の言葉、言葉遣い、表情、声の高低を読み取り、
ダイレクトに言葉になっていない部分まで、把握し、対応する能力は必要性です。
空気を読むAIも今の技術では、出てきそうですが、
人間の複雑な感情を正確に読み取り、
処理できるAIはなかなか出てこないのではないかと思います。
何より、「人の感情」を読み取るって本当に難しいのですから。
そして、この
「人の感情を読み取る」取り組みは、
国語の小説文読解で行われます。
ああ、苦手だった!という人も多いのではないでしょうか。
「ダイレクトな表現」を避ける日本文化ならではの、感情の機微に触れる問題は
「曖昧」であり、不合理であり、いけ好かない人も多いでしょう。
しかし、
そもそも人間の感情とは「曖昧」で「不合理」なものであり、
自分自身を見つめてみても、一日一度は、「曖昧で不合理な感情」を抱いています。
だからこそ、そこに向き合い、
「曖昧な感情を処理する」能力は、
どの場でも必要とされるでしょう。
自己感情も他者感情も、適宜適切に処理できる人は、
柔軟にその場その場を生きていくことができます。
私は、子育てにおいて、この「自己感情処理」と「他者感情処理」を重視しています。
不合理なものといかに付き合うか。
自分の中にも他者の中にもある不合理な感情を、読み取り把握し、
処理する。
人生を豊かにおくるための、ひとつの知恵と考えています。
さて、人のさまざまな感情に触れ、読み取り、解釈する取り組みが、
まさに「小説文読解」です。
たとえば、最近高校生と扱った小説文ですが、
ひたすら筆者はたまたま川で目にした「真鮒」の描写ばかりが詳細に描かれていました。
そこには、真鮒(マブナ)に対する筆者のダイレクトな感情表現はありません。
そこから、真鮒(マブナ)に対する筆者の感情を読み取る問題でした。
勿論「~だと思う。」 「~のように感じる。」 「うれしい」 「たのしい」 「切ない」
といった単純な感情語彙がないわけです。
では、どこから読み取ればよいのか。
ここを生徒と一緒に考えました。
すると、感情につながるであろう情報がみえてきます。
「 小さな魚体を駆って、未来に何の恐れも疑いもなく、春昼を喜びながらさかのぼる」
「いじらしい跳躍を続ける」
「ぼくに啓示を与えながらひらめき続ける」
これらの文面から、筆者が、「真鮒」に感じる思い、読み取ることができますよね。
人の言葉から、感情を読み取る学問。
感情を読み取ることも、
感情を表す言葉に数多く触れ、
感じることで、
学びの中で身につきます。
これって、生きるための学びだと思いませんか?
きらり✨