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蝉の音について

2019.02.19 11:05

どうも、あわカノです


今回は少しだけ、真面目な話をしようかと思います、結構サクッと読めるのでご安心を


めちゃくちゃ笑いたい方はサンドウィッチマンのコントでも見てきてください





皆さんは『蝉』は好きですか?


自分は今ひとつ好きではありません


理由は明白

  1. うるさい
  2. 裏側が気持ち悪い
  3. 生きてるのか死んでるのかわからない時がある
  4. 小便を飛ばしてくる
  5. とにかくキモい

などがあります

しかし、自分はときおり蝉の声に耳を傾けてしまう時があります


別に蝉に求愛されて膣が疼いたという訳ではありません、そもそも自分は膣はありませんし


自分で言うのもなんですが、これについての理由はいまだに分かっていません


ただ、何かに『ハッ』とさせられるのです

いつもならイヤホンで耳を塞ぎFoo Fightersを聴いている夏の日も、なぜかイヤホンを外し、スマホを見るのをやめて、蝉の声や今の情景に身を委ねてみたくなるのです


そういうものが心の底から好きになる時が、たまに来るのだ



例えば冬、家についてドアを閉めるときに少しだけ音を大きくしてしまう


呼び笛を鳴らしているヤカンを少しだけそのままにしてみたり


夜に公園の周りを散歩してみたりする


いつもネガティブな自分の目が少し光を持つ日は、周りの景色が好きになる

逆に、いつもの生活に色や景色の彩りがないのは哀しい事だとも思う


また、些細な音に驚く日もある


気が張っているのだろうか、おそらく疲れていたのだろう

机がずれる音に驚いた日がある


いずれも退屈な音なのだが、その日その日によって受け取り方は違う

ある日は良い音に聞こえても、別の日は不快な音に聞こえることもある


そんな生活でも自分は不変的なものよりかはマシだと思う



スマホばかり見ていてはいけない


こんな事、年がら年中スマホばかりいじっている自分が言えた事ではないのだが、たまには『日常』に耳を傾けてみるといい



車が走る音、人々の足跡、会話

電車が線路を伝う音、カラスの鳴き声 

雨の音、五時の鐘、工事現場の音



目の前の『日常』から、何かを気づいていかなければいけないと自分は思う


日常のさりげない事柄を見ずにスマホばかりを見て教養を身につけたつもりでいる学生は沢山いる

そのような人から優れた意見を期待するだけ無駄だろう


言語にも同じことが言える


自覚はあるが、自分の言語能力は日々衰えている


もちろん、海外にいるのが理由なのだが

日本人と会話をしていない


というところが原因の8割を占めているだろう



『日本語が出てこなくなる』、この症状は本当に厄介で

  • 普遍的
  • 阿漕

のような、すこし小難しい単語が全くと言っていいほど出てこなくなる

前まで覚えていた単語も跡形もなく頭から消え去るし、本当に必要最低限な日本語しか残らなくなるのだ



そして、気づいている人もいるだろうが

日本にいてもこの症状は簡単に起こり得るのだ


スマホばかりいじり、他人とも会話を疎かにしていると言語感覚というものは簡単に頭から消えていく



何が正しくて、何が正しく無いか

スマホより現実をみて、その事象を肌身で感じて行かないと人の脳は簡単に麻痺してしまう


そのような脆いものをしっかりと自分の中に留めて、日々の生活の中にある日常に感謝する必要があるのではないだろうか