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2月9日 「糸満海人工房・資料館」を見学する

2019.02.16 13:23



沖縄本島最南端に位置する糸満は、沖縄随一の漁業の町である。




いにしへの昔から、月を見て潮を読み、木造舟サバニを巧みに操り、追い込み網漁アギヤーで豪快に魚を仕留める糸満海人(いとまんうみんちゅ)は、海の勇者「海ヤカラ」と讃えられてきたという。


糸満といえば、女性の活躍もよく知られている。




漁師のおかみさんたち「糸満アンマー」は、頭上に溢れんばかりの鮮魚が入ったタライを載せて、ここから10km以上も離れた那覇の市場(マチグヮー)や、近隣の農村などに行商(カミアキネー)に出ていたという。


男性に比べ、沖縄の女性は逞しいと言われるが、糸満の女性たちは輪をかけて逞しかったのだろう。




今日は、そんな糸満人の活躍を知るための施設「糸満海人工房・資料館」を見学することに。



車のナビで名前を入れて検索すると、なんとそこは、いつも利用している道の駅「いとまん」の並び、一つ建物を挟んだ通り沿いにあった。


間にある公園があまりに広すぎて、まつたく気付かなかったKY夫婦なのであった。



正確には、広場から見て左側が「工房」に、



右側が「資料館」になつている。


工場を思わせる広い施設内には、「サバニ」と呼ばれる木造の漁船や漁網、漁具や民具、パネルなどが展示されていて、スタッフの城野さんが、展示品のひとつひとつを丁寧に解説してくださる。



糸満の伝統「追い込み漁(アギヤー)」は、かつて北は東北・金華山、南は東南アジアからオーストラリア海域まで、独自の漁法として世界的に知れ渡った。


海外にその名を轟かせたのは、華僑のように祖国を飛び出し海外に拠点を置いた、「糸満系」の漁師たちであった。


そんな漁師たちの中には、「糸満売り」といわる前払いの年季奉公制度で下働きをしながら、糸満漁業の技術を叩き込まれていった者たちもいた。


彼らは、10歳前後の少年時代から雇用主の漁師の下で住み込みで働き、満20歳をもって年季奉公明けとされ、漁師の技術を身につけた若者たちは、全国各地に渡り、その技を伝えていったという。


貧困層の多かった沖縄本島北部の山原(ヤンバル)や離島出身者が多かったが、後に、糸満売りは人身売買とみなされ、1955年に禁止されている。





漁船や海亀の標本のような大きな展示物につい目が行ってしまうが、糸満の追い込み漁の特徴を最も良く表す展示物は、「ミーカガン」と呼ばれる手作りの「水中眼鏡」である。



追い込み漁とは、狙いの場所を漁網で囲い、そこに魚群を追い込んで捕獲する漁法。


糸満の追い込み漁の特徴は、漁船ではなく、漁師がバタフライのように腕で水面を叩くように泳ぎながら魚群を追い込んでいく。なんともエコロジカルな、骨の折れる漁法なのだ。


琉球王国の時代から昭和まで続いたこの漁法で、当初は裸眼で潜っていたのだが、水中が見えにくいし、眼を痛めてしまうことが多かった。


明治に入って、糸満海人の玉城保太郎氏水中眼鏡「ミーカガン」を考案し、糸満の追い込み漁の効率がグンと上がったという。



また、木板を2枚張り合わせた「サバニ」は、糸満海人の漁を支える大切な乗り物。


鮫(サバ)と、舟(ンニ)で「サバニ」と呼ばれるようになったといわれている。



鮫や魚を素早く追い回したり、暗礁や珊瑚礁がある浅い海域への侵入もしやすく、しかも、船底が厚く舷側は薄く造られていたので、網にかかった魚の引き揚げも楽々。


サバニ大工は人気のマトで、南洋までサバニを広めた時期もあったという。



また、「スルシカー」いうヒラヒラした紐に、石の重りをつけた道具も糸満海人の考案。



追い込みをする漁師は、この道具を体につけて泳ぐという。


ヒラヒラで視覚的に魚を驚かすのと同時に、ロープの先につけた3kgほどの石を海底にぶつけて、音で魚を追い込むのだ。



糸満海人の漁具には、いろいろと創意工夫が凝らされているのが分かる。 



他にも、茶色の「漁網」は豚の血で変色させたものを使用。


血液はタンパク質で、時間が経つと凝固し繊維質の漁網の強度を高めるという。


また、白い網だと目立って魚が気付くので、茶色の方が都合がいいそうだ。



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糸満の伝統「追い込み漁(アギヤー)」は、残念ながら、現在では全く行われていない。


漁業に限らず、技術や方法は時代とともに変化するのは当然だが、ちょっと淋しく感じる。





追い込み漁の模型は、漁師さんたちのお手製。



その名残を残す「ハーリー」というイベントが行われているが、サバニを操る若者たちも、その多くが現役の漁師ではなく、普通の会社員だったりするという。




資料館では、「サバニ体験」などの体験メニューがいくつかある。


詳しくは、資料館を運営する「NPO法人ハマスーキ」に事前に連絡が必要とのこと。






資料館がある「糸満海のふるさと公園」には、かつての漁村風景も再現されている。



その敷地内には、他にも意外な展示物が。



今は使われていない小型漁船。



なんと、これは東日本大地震で被災した石巻市から、なんと3年ほどかけて、ここ糸満の海岸まで流されてきた釣り船であった。


船に記された「MG3-39391」の船番号で、その所有者が確定されたそうである。

(持ち主の方もご無事で、一度糸満へも確認にいらしている。ちなみに、同じように石巻から流された釣り船が、もう一艘今帰仁にも辿り着いている。こちらも持ち主が特定されたが、やはりご無事で沖縄の地を踏まれている)




KY夫婦が4ヶ月半前に訪れた、あの宮城県石巻の港から、流れ流れて遠く離れた南のこの島まで辿り着くとは……。



海は、たしかに繋がっている。



船に乗り、自由に海を行き来する海人。


その魂に触れた一日であった。