ZIPANG-10 TOKIO 2020ツーリズムEXPOジャパン2025 愛知・中部北陸 開催!
観光予報プラットフォーム推進協議会では9月25日(木)12:30~16:00
「ツーリズムEXPOジャパン2025 愛知・中部北陸」に出展するとともに
【テクノロジーと経験が紡ぐ観光産業の未来~観光予報プラットフォームによる地域HUB機能への貢献~】と題しまして、
観光産業におけるデジタルトランスフォーメーション(DX)に向け多種多様な取組と貢献としている皆様による無料セミナーを開催いたします。
毎年立ち見となるセミナーのため、会場にお越しの方は早目のお申込みをオススメいたします!
出雲大社 御慈愛の御神像 編集局イメージ
【お申込み方法】
1.ツーリズムEXPOジャパン来場登録
https://tej2025.jcdbizmatch.jp/jp/Registration/Visitor
2.マイページログイン
https://tej2025.jcdbizmatch.jp/jp/Login
3.「TEJカンファレンス聴講登録」より「ツーリズムプロフェッショナルセミナー」申込
尚、お申込みは先着順となります。
会場にお越しいただけない方向けにZOOM配信(以下に申込URL記載)も予定しておりますが、リアル聴講を原則に準備しているセミナーとなりますため、
当日運営による通信不具合など不自由をおかけしてしまう点、ご了承ください。
今年も皆様のお申込みを心よりお待ちしております!
【セミナーテーマ】
テクノロジーと経験が紡ぐ観光産業の未来~観光予報プラットフォームによる地域HUB機能への貢献~
【第1部】
*データ活用事例とDMO登録制度ガイドライン変更に伴う観光予報プラットフォームの貢献*
▼第1部ZOOM申込はこちら
https://us06web.zoom.us/webinar/register/WN_tY2QWSRmT9auGHB3vzGszQ
▼日時
9月25日(木)12:30~14:15 ※終了時間は多少前後する可能性がございます
▼場所
Aichi Sky Expo (愛知県国際展示場)・セミナールームM3
▼内容
省庁、自治体、DMO、商業高校と、多種多様な取組を行っている方々に、データ利活用について考えるヒントや課題を発表いただきます!
▼講演内容 ※順不同
中小企業庁 事業環境部企画課調査室 調査員
矢木啓介 氏
「地域経済分析システム(RESAS)観光メニューの充実に向けて」
出雲市 観光交流部 観光交流部付主事
立花祐樹 氏
「データが結ぶ現場と行政―宿泊データ分析を起点とした事業者・行政の協働による観光DX推進」
株式会社DMC高野山 代表取締役
高野山未来創造プラットフォーム株式会社 取締役COO
大田原博亮 氏
「世界遺産高野山におけるDX交えた観光まちづくりの先進事例」
三島信用金庫 元気創造部 地域未来創造課 コネクトグループ グループ長
さんしんキャピタル株式会社 投資事業課 主任
遠藤貴規 氏
「(仮称)産官学「金」労言、データを元に地域の金融機関が観光産業に貢献する」
公益社団法人日本観光振興協会 事業推進グループ 調査部長
安本達式 氏
「観光消費額の準リアルタイム推計手法とその社会実装」
愛知県立岡崎商業高等学校 2年生 ※未来探究祭2024 銅賞受賞
「目で見て分かる岡崎 データで知る岡崎」
【第2部】
*観光DXの最先端地域から学ぶデータ活用術と全国のDMOを支援している技術とサービス*
▼日時
9月25日(木)14:30~16:00 ※開始時間は多少前後する可能性がございます
▼会場
Aichi Sky Expo (愛知県国際展示場)・セミナールームM3
▼内容
DMOによる基調講演&観光予報プラットフォーム推進協議会の構成員各社による観光DX、データ利活用に資するサービスをご紹介!
▼講演内容 ※順不同
*DMO基調講演
一般社団法人下呂温泉観光協会 会長
瀧康洋 氏
*観光予報プラットフォーム推進協議会 構成員サービス
株式会社ブログウォッチャー
三井彩子 氏
「観光地の課題を人流データで解決 ~成功事例から学ぶ、データ活用の第一歩~」
三井住友カード株式会社 データ開発本部 部長代理
高梨翼 氏
「観光DXを加速させるキャッシュレスデータを活用したDMP構築・EBPMの実現」
株式会社JSOL 未来共創デジタル本部 データ解析プロフェッショナル
鈴木悠哉 氏
「AI自動生成産業連関表を活用した経済波及効果の算出(仮案)」
ジョルダン株式会社|J MaaS株式会社 戦略企画部 統括部長 兼 J MaaS(株) 取締役
岡田円 氏
「観光DMPとMaaS基盤連携で叶える、最強のデータ活用とサービス展開(仮案)」
パシフィックコンサルタンツ株式会社 観光マーケティング担当
保多勇輝 氏
「国内唯一の人流データで、地域課題解決への"次の一手"を!」
マカグア株式会社 代表取締役
山本武志 氏
「人流データから見える観光客の行動(仮)」
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
出雲大社
ツーリズムEXPOジャパン
観光予報プラットフォーム推進協議会
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
出雲の宿
【NIPPONIA 出雲平田 木綿街道】日本酒発祥の地”出雲”の元酒蔵の宿で日本酒を好きなだけ堪能できる「日本酒インクルーシブ」提供開始
昔ながらの木綿街道
元酒蔵の雰囲気が伝わる重厚な漆喰の壁と千本格子…そして、見越しの松・・・
宿のコンセプトは、「居酒で繋がる縁の宿」
1750年(寛延3年)に創業した「旧石橋酒造」では、「酒屋に居続けて飲む」が語源である”居酒(いざけ)”文化が古くからありました。当時は社交場として”居酒”は機能しており、お酒を酌み交わすことで偶然居合わせた人とも会話が弾んだとか。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020 出雲の宿
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/35697311/
八雲立つ出雲の国が神の国
八百萬の神々と共に ~ 神 在 祭 ~
出雲大社 神迎祭
11月17日の夜に斎行されました神迎祭にて全国の神々をお迎えし、翌18日より始まりました今年の神在祭も、連日に亘って幸縁を祈る大勢の参拝者で賑わいました。
本年は、11月18日から24日までの1週間、八百萬の神々が出雲大社へ集われ、様々な縁結びの神議り(かみはかり=会議)をなされる神在祭の諸祭事が賑々しくお仕えされました。
御鎮座の由来
大国主大神様が国づくりによって築かれた国は、「豊葦原の瑞穂国」と呼ばれ、あらゆるものが豊かに、力強く在る国でした。大神様は国づくりの後、築かれた国を私たち日本民族を遍く照らし治める天照大御神様へとお還し(国土奉還=国譲り)になりました。
そこで天照大御神さまは国づくりの大業をおよろこびになり、その誠に感謝なさって、これから後、この世の目に見える世界の政治は私の子孫があたることとし、あなたは目に見えない世界を司り、そこにはたらく「むすび」の御霊力によって人々の幸福を導いて下さい。
また、あなたのお住居は「天日隅宮(あめのひすみのみや)」と申して、私の住居と同じように、柱は高く太い木を用い、板は厚く広くして築きましょう。そして私の第二子の天穂日命をして仕えさせ、末長くお守りさせます。
と申されました。こうして大国主大神様は目に見えない世界を司られ、天照大御神様の御命令によって高天原の諸神がお集まりになり、大国主大神様のために宇迦山の麓に壮大なる宮殿が造営されました。そして大国主大神様は永久にお鎮まりになって人々の幸福のために慈愛をそそいで下さることになり、今に至るまで厚い信仰をお受けになっています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-2 TOKIO 2020「 八雲立つ出雲の国が神の国 ~出雲大社~ 八百萬の神々と共に 」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5479758
~ 出雲大社『遷宮渡し』~
出雲大社の創建
出雲大社の御祭神の大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)様は、神代の昔、人々のために国づくりに汗を流され、国土を開拓されて、農耕・漁撈など山野河海の生業、医薬禁厭の法などをお授けになられ、人々の日々の暮らしのすみずみに至るまでシアワセの種蒔きをなされ、いしずえを成しととのえ結ばれました。
そして、国づくりなされた国土を御皇室の御祖先の天照大御神様に〝国譲り(国土奉還)〟なされ、神事(かみごと)の世界、幽世(かくりよ)という目に見えない世界、神々の世界、タマシイの世界をお治めになられる大神として、壮大な御神殿にお鎮まりになりました。
その御神殿は、広く厚い板を用いて御造営なされ、太く長い御柱は地下の岩盤に届くほどに地中深く突き固められ、御屋根に掲げられる千木(ちぎ)はたなびく雲を貫くほどと、その壮大な様が『古事記』(712)・『日本書紀』(720)に言い継ぎ語り継がれています。
また、『出雲国風土記』(733)には、祖神の八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が〝国引き〟をなさって国形を造られた後、国づくりをなされた大国主大神様を「天の下造らしし大神」と称えて大神様のお住まいを多くの神々集われて築かれた。
それゆえに、この地域をキヅキと言うと、地名起源に御神殿の御造営を語っています。また別に壮大な御神殿ゆえに、長い長い測りをもって御造営されたことなどが記されています。
「天の下造らしし大神」と称えられました大国主大神様の御神績とお住まいの御造営につきまして、我が国の古典中の古典にその様子がこれほどまでに記されているのは出雲大社に限られたことで、極めて特殊な事柄として語り継がれています。
それはすなわち、いかに数限りない人が大国主大神様をお慕いしお祈りを結び、そしてその期待にお応えになられたかという広大無辺なる御神徳を称えた証であり、その祈りは親から子へ、子から孫へと代々に祈り継がれ、後世の御遷宮御造営にも伝え継ぎ具現されてきたのです。
それゆえにも、御造営に関わります古代の古文書記録には、「国中第一の霊神」とも称えられています。
金輪の御造営
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~ 出雲大社『遷宮渡し』~「さらにより良き御遷宮をの思い 平成31年3月までに…新元号、4月1日に事前公表へ 」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5486470
〜〝しあわせの御縁〟を結ぶ神々のサミット〜
一般に旧暦10月を「神無月」と申しますが、これは全国の村々里々にお鎮りの神々が、1年に1度、目には見えない「神事(かみごと)」を司られる「大国主大神」さまがお鎮りになります出雲大社にお集いになられ、人々の“しあわせ”の御縁を結ぶ会議「神議(かみはかり)」がなされる故事に由来します。
それゆえ、古くより出雲地方では旧暦10月は神さまがお集いになられる月ですので「神在月(かみありづき)」と申しております。
神迎(かみむかえ)神事
神迎祭
全国の神々が出雲大社にお集いになられる“出雲神在”。
出雲大社の西方約1キロの稲佐の浜では全国の神々をお迎えする古式豊かな「神迎(かみむかえ)神事」が執り行われます。この神秘の神事の後、ご到着された神々は御使神「龍蛇(りゅうじゃ)神」さまをご先導として出雲大社まで御神幸なされます。そして、神楽殿にて奉迎の神迎祭がお仕えされます。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 神々集う出雲大社 ‘‘神在月” のお祭りとは〜〝しあわせの御縁〟を結ぶ神々のサミット〜
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7262895
世界遺産 高野山
真言宗 総本山金剛峯寺
女人道から見た根本大堂
正門
金剛峯寺前駐車場より境内に入って来るとき、最初にくぐられる門を正門といい、金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されて以来、今日まで建っています。
右のほうを見ますと小さな入り口があります。このくぐり戸は一般の僧侶がもっぱら使用しています。昔はこの門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけでした。
一般参拝の方はあまり関係のない話ですが、高野山では門の出入り一つでも、厳しいルールが存在したのです。
経蔵(きょうぞう)
門をくぐって左手に見えますのは経蔵で、延宝7年(1679年)3月、大阪天満の伊川屋から釈迦三尊と併せて寄進されたものです。経蔵は重要なものを収蔵するところなので、火災が発生しても安全なように主殿(しゅでん)とは別に建てられました。
金剛峯寺(こんごうぶじ)
高野山真言宗の総本山。高野山全体の宗務が行われており、住職には高野山真言宗管長が就任するしきたりになっています。
国内最大級の石庭「蟠龍庭[ばんりゅうてい」や狩野派の襖絵など見どころが多数あります。 拝観料:500円
蟠龍庭(ばんりゅうてい)
蟠龍とは、天に昇らずに地上でとぐろを巻き、潜んでいる龍のこと。広さ2340平方メートルに及ぶ石庭に、雲海の中雌雄1対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されています。
仏教と密教について
仏教は、今から2500年ほど前にインドで釈尊仏陀(ガウタマ・シッダールタ)が悟りを開かれたことを出発点とした「釈尊仏陀の教え」であり、キリスト教やイスラム教と並んで世界三大宗教に数えられています。
仏陀(Buddha)とは「目覚めた人」という意味であり、心の豊かさについて、どうやって心の悩みや苦しみをなくすか、どうやって完全な人格を作るかという方法を教えました。
「仏教は人間学だ」と表現されている先生もいらっしゃいます。まさしく理にかなったお言葉と思います。当時の仏教は無神教(むしんきょう)といったほうがよく、神の崇拝や釈尊仏陀自身を仏として崇拝することを許しませんでした。
さて、仏教では戒律を遵守する、禅定する、智慧を獲得するという三項目を「三学」と呼び、ことさら「実践する、実行してみる」ことが重要とされました。
初期の教学では三法印(四法印)や十二縁起、四諦八正道(したいはっしょうどう)が、大乗仏教時代になると波羅蜜(はらみつ)、仏性・如来蔵思想などが展開していきました。
インドで生まれた仏教は、やがて、中央アジアを通って、中国、モンゴルなどに伝わり(これを北伝仏教といいます)、その後、朝鮮半島を経由して6世紀頃日本に伝来したとされています。
またインドからセイロン(現スリランカ)を経由した仏教は、11世紀にはビルマ(現ミヤンマー)やタイへと伝わりました(これを南伝仏教といいます)。
このように仏教は世界各地へ広がりますが、弘法大師・空海(くうかい)によって開かれた真言宗は、仏教の中でも比較的中期から後期にかけて展開された「密教」であるといわれます。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-2 TOKIO 2020「弘法大師 空海の世界遺産高野山真言宗 総本山金剛峯寺」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4419291
高野山から世界平和を祈る
World Peace Gathering in KoyasanではCompaSSが執り行っているPeace Mandalaを、弘法大師が金剛峯寺にて行った萬燈萬華会をイメージした高野山式にアップデートして祈りを捧げます。
世界中の僧侶が集まり世界平和へ祈りを捧げる三日間。World peace gathering 2019を、弘法大師空海によって1200年前に開かれた聖地高野山にて開催致します。
金剛峰寺とは
高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって、開かれた日本仏教の聖地です。
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられています。
東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48,295坪の広大さと優雅さを有しています。
大門・根本大塔・西塔・金堂の独特な伽藍配置。金剛峯寺、奥院を中心に諸[[塔頭]たつちゅう]と周囲の山なみ。その歴史的宗教的景観は史跡名勝天然記念物として保護されています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 高野山から世界平和を祈る。「〜World peace gathering 2019 in Koyasan〜 開催」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/7027260
「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」
三つの霊場とそれらを結ぶ「参詣道」が形成
熊野大社証誠殿(神門より)
紀伊山地は本州最南端、太平洋に張り出す紀伊半島に位置し、標高1,000m~2,000m級の山脈が縦横に走り、年間3,000mmを超える豊かな降水量が深い森林をはぐくむ山岳地帯である。
紀伊山地は太古の昔から自然信仰の精神を育んだ地で、6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教をはじめとする山岳修行の場となった。
中でも、山岳修行により超自然的能力を獲得することを目的として10世紀中ごろから11世紀代に成立した修験道は、特に大峰山系の山岳地帯を中心的な修行の場としていた。
また、9~10世紀に広く流布した「神仏習合」思想(日本古来の神々は仏教の諸尊が姿を変えて現れたものとする日本固有の思想)の聖地としても信仰を集めていた。
さらに、10~11世紀頃の日本では「末法思想」(仏法が衰え世も末になるという思想)が流行し、死後に阿弥陀仏の居所である極楽浄土に往生することを願う「浄土宗(法然上人)」という仏教の教えが貴族や庶民の間に広まりました。
これに伴って、都の南方に広がる紀伊山地には仏教諸尊の浄土があると信じられるようになり、この地の霊場としての性質がいっそう強まりました。
この地方の神聖性がことさら重要視されるようになった背景には、深い山々が南の海に迫るという独特の地形や、両者が織り成す対照的な景観構成などが大きく影響していたものと考えられている。
このような特有の地形及び気候、植生などの自然環境に根ざして育まれた多様な信仰の形態を背景として、「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」と呼ばれる顕著な三つの霊場とそれらを結ぶ「参詣道」が形成されました。
参詣道(さんけいみち)
三霊場に対する信仰が盛んになるにつれて形成され、整備された「大峯奥駈道」、「熊野参詣道」、「高野参詣道」と呼ばれる三つの道。
これらの道は、人々が下界から神仏の宿る浄域に近づくための修行の場であり、険しく清浄な自然環境のなかに今日まで良好な状態で遺り、沿道の山岳・森林と一体となった文化的景観を形成している。
「大峯奥駈道」は、「吉野・大峯」と「熊野三山」の二大霊場を結ぶ山岳道で、修験道の最も重要な修行の場である。
「熊野参詣道」は、「熊野三山」に参詣する道で、京都方面からの参詣のために最も頻繁に使われた「中辺路」、「高野山」との間を結ぶ「小辺路」、紀伊半島の南部の海沿いを行く「大辺路」、同じく南西部の海沿いを行く「紀伊路」、伊勢神宮との間を結ぶ「伊勢路」からなっている。
「高野参詣道」は、金剛峯寺北側の紀ノ川から高野山に至る経路、霊場高野山を囲繞する経路などからなる参詣道である。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「世界が認めた!厚い信仰の聖地 熊野の神 熊野本宮大社 世界遺産登録」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2808217
高野山文化歴史研究所
高野山に秘められた約50箱の寺宝
高野山にまつわる歴史文化を見つけ、伝える研究所を開設
この度、
高野山 別格本山 清浄心院は、高野山にまつわる歴史文化を見つけ、伝える「清浄心院・高野山文化歴史研究所」を 2021 年 11 月6日に設立されます。
所長には高野山大学総合学術機構の元課長で高野山にまつわる著作を多数出版されている木下浩良氏を迎え、清浄心院内に眠る約50個の寺宝箱を開封するなど、高野山及び清浄心院の歴史文化を調査研究し、研究成果を発信します。
高野山真言宗別格本山。当天長年間(八二四〜三四)に高祖弘法大師により草創される。
徳川時代には院領高三五石、上杉謙信、佐竹義宣などの諸大名が檀家となりました。
その縁は深く、上杉謙信の祈願所、佐竹家の菩提所としての役割を果たしており、奥之院にある上杉謙信霊屋一棟(国指定重要文化財)は 当院の管理によるもの。
御本尊廿日大師像は、承和二年(八三五)三月二十日、入定を明日に控えた高祖弘法大師により彫刻され、 像の背後に「微雲管」の三字が書かれていると伝わっています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-5 TOKIO 2020高野山に秘められた約50箱の寺宝開封へ「清浄心院・高野山文化歴史研究所」11月6日設立のお知らせ。
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/22153008
下呂温泉 美人の湯を堪能!
国指定重要無形民俗文化財 下呂の田の神祭り
下呂温泉でしか味わえない夕景!
飛騨川が下呂温泉の中央を龍が飛ぶがごとく悠々と流れる。
飛騨川(益田川)
御嶽山に源を発し、高山市久々野町から下呂市小坂町で下呂市に流れ入り、小坂川、山之口川、竹原川など下呂市内に源を持つ川を合流させながら、市内を南北に貫流している。
河道が所々で大きく曲がっているのは、阿寺断層の活動によるといわれている。金山町で馬瀬川と合流し市外へと流れ出るが、美濃加茂市で木曽川と合流し、伊勢湾へと流れる。地元では益田川(ましたがわ)とも呼ばれている。
インテリア、建築、デザイン関係者には、
下呂市特有の「益田造り」という建築様式も見逃せない。
1000年の歴史をもつ下呂温泉
傷ついた一羽の白鷺が温泉のありかを知らせたという伝説がある
飛騨川の流域に湧く下呂温泉は室町時代京都五山の僧万里集九や、徳川家康から四代の将軍に仕えた儒学者林羅山により、兵庫県の有馬温泉、群馬県の草津温泉と並ぶ「日本三名泉のひとつ」と称された天下の名泉である。
(清少納言は、枕草子で日本三名泉は有馬温泉、榊原温泉、下呂温泉と書き記しておりますので念のため。いずれにしても下呂温泉はどの時代でも名泉と謳われている。
平安美人・清少納言の銅像も建てて欲しいな~)温泉街は飛騨川を中心に歓楽的な賑わいと山里の風情が調和して、下呂温泉の魅力を醸し出している。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「飛騨路に春を告げる 下呂の田の神祭り(国指定重要無形民俗文化財)と下呂温泉 美人の湯を堪能!」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3693829
表日本とは日本海側だったこと知っていますか?(1)
【寄稿文】日原もとこ
日本海 冬の海(石川県)
北陸の冬といえば、 どんよりした雲に覆われた灰色の空や景色をイメージされる方が多いのでは・・・ 確かに全国的にも雨が降る確率は高く、さっきまで晴れていたのにいきなり豪雨になることも多々ある。また、冬は雷が鳴り響く日も多く、そんな日は日本海の荒波を見ることができる。それは迫力があり自然の脅威さえ感じる。
江津市黒松海岸の夕日(島根県)
夕凪、海風から陸風に切り替わる、まさにその瞬間・・・夕陽が一直線に波の上を渡り砂浜に消えていった。雲一つない空に連れられ到着した先は、江津市の黒松海岸。風車の連なる浅利富士の方向にゆっくりと日が沈み、それを見つめながら穏やかな時を過ごす・・・
我が国の、日本海側に分布する地域は、太平洋側地域と比べて何となく寂れたイメージが付きまとうのでは…?
表か裏か?
これは、列車で列島を走って見ると一目瞭然ですよね。どちらが先か?後か分かりませんが、先ず目につくものと言えば、人やモノの交流を活性化させるインフラ整備でありましょう。新幹線や高速道が最初に着手された所は、狙い通り、大企業が張り付き、人口も増えるし、大都市圏となりました。
‘のぞみの‘ 停車駅(東京ー新大阪間)
東京⇋品川⇋新横浜⇋静岡⇋名古屋⇋京都⇋新大阪
先ずは東海道新幹線をみてみましよう。たとえばJR東海の新幹線“のぞみ“の停車駅名を見ますと、東京始発から終着新大阪迄、その距離にして…550.4km 所要時間は2時間27分。
東海道新幹線の開通は1969年に対して、裏日本のイメージの残る山形新幹線の開通は 1992年、走行距離360km 所要時間は今尚、東京ー山形間2時間40分※。
※東京―山形間の所要時間は2020年現在、山形新幹線開業 ❲1992,7.1)から二十数年間でわずか1分短縮されただけで、ほぼ変わりません。
この間、東京―山形間(360キロを2時間40分)の2倍近い距離(714キロ)がある東京―青森間は1時間56分短縮されて2時間59分となりました。
東京で同時に出発した青森行と山形行の乗客は昔ならば、ほぼ19分遅れの誤差範囲で到着するのです。・・・やはり、“裏日本“のイメージは払拭し難いものがありますね〜
今は八大都市圏と呼ばれるそうですが、これらは殆ど太平洋側に位置しています。
人口、面積及び人口密度等
その訳は、明治維新以降に250年間に亘る鎖国が解かれ、西欧諸国に対して文明の遅れを痛感した日本は外交の主軸をアジア諸国から欧米諸国へと移しました。
それは太平洋の遥か彼方にある西洋文明の吸収にありました。つまり、日本の表玄関が太平洋側となったのです。
歴史を辿れば、我が国の対外交流は記紀に見る古代の大量の渡来人(秦、や高句麗、渤海、新羅、百済etc,)等は、ほぼ東アジアに限られていた為、日本海側沿岸部に設けられていた主要港が国内外の玄関口であり、海運・物流拠点でした。
すなわち、明治維新までは長い歴史を通じて日本海側こそが我が国の表日本だったと言えましょう。
そもそも、太平洋側が何故に表日本となった由来を考えますと、歴史的には時の権力者聖徳太子が古代中国、隋の煬帝に向けて使者(遣隋使小野妹子)を派遣し、国書を携え朝貢しましたが、使者によれば次のように記述されていたのです。
倭王のタリシヒコ(用明天皇説が有力とも…)が「海西の菩薩天子(隋の煬帝?)に宛てた? ➡「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す 恙無きや…云々」
この意味は、ー真っ先に朝日が登る国の天子から日が沈む国の天子へ。ご安泰ご隆盛をお慶び申し上げる。ーという感じでしょうか?
これは、あまりにも大国に対して小国日本が胸を張ったとする、無礼極まる有名なお話(勿論、随国の煬帝は激怒したとか…しないとか…?兎に角収まった)。しかし、この時代に日本はすでに「日の本」の国であることを自ら明言していますね?
とは言え、日本海に面した日本海沿岸部は、恐らく長い歴史(氷河期から?)を通じて、日本の表玄関とはアジア大陸との外交関係からみても、れっきとした日本海側地域でした。
ところがつい最近まで私達の記憶にあるのは日本海側こそが「裏日本」。
そう呼ばれて来たのは明治以降の話なんです。たった100年足らずの間だけ。何故でしょう?
それは1960年頃、新潟県から一種の差別用語として苦情が出た為に禁句となり、メディアからもその言葉は一斉に消え去ったのです。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 表日本とは日本海側だったこと知っていますか?(その1)・・・【寄稿文】日原もとこ
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10889691
表日本とは日本海側だったこと知っていますか?(2)
「最上紅花」 と「北前船」
【寄稿文】日原もとこ
北前船の繁栄から誕生した「酒田まつり」
1609年から一度も休むことなく続いている山王祭。
上下両日枝神社の例大祭「山王祭」として、1609年から一度も休むことなく続いているお祭りで、酒田大火復興記念となった昭和54年から「酒田まつり」として開催。
本祭りでは、大獅子や仔獅子、傘鉾など約50台の山車行列がある。
はじめに
前回の記事では日本海側こそが「表日本」だったお話に焦点を合わせましたが、それには切っても切れない主人公が「北前船」だったからです。また、その「北前船」にとっては、切っても切れないプリンセスが「最上紅花」なのです。今回はそのお話が中心となります。
酒田 山居倉庫
北前船西廻り航路の主力商品はお米。ではなぜ数あるお米の生産地の中から酒田が北前船の寄港地として選ばれたのでしょう? それはお米の保管倉庫として使われている山居倉庫が最上川に隣接して建ち、船にお米を積み込むのに便利だったことが理由のひとつであり、保管に必要な様々な工夫凝らされていたことがあるのだろう。
この山居倉庫は白壁、土蔵づくりの倉庫が9棟も連なりお米が10,800トンも収容可能。風よけや西日による高温防止のために背後にケヤキを植えたり、内部の湿気を防止するため二重屋根にするなど、お米の保存に最適な倉庫にするための工夫があちらこちらに見られます。
今も現役の農業倉庫として使用されていて、秋には収穫されたお米を運ぶ風景を見ることができるのです。
本間家 ゲストハウス名勝「鶴舞園」
文化10年(1813年)に建築され、名勝「鶴舞園」をはさんで本館と新館(昭和43年竣工)がある。本館は清遠閣と称され、2階建ての銅板と瓦ぶきの建物である。
藩政時代は庄内藩主や幕府要人を、明治以後は皇族や政府高官、文人墨客を接待する酒田の迎賓館の役割を果たし、大正14年には昭和天皇の御宿泊所になりました。
昭和22年に市民に開放され、全国に先がけて地方都市の私立美術館として開館したのです。所蔵品には、本間家が大名から拝領した品、歴史資料として価値の高い文書、当主が好んだ茶道の器物など、重要文化財や重要美術品が多数あります。
2009年には、「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」にも掲載されています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-5 TOKIO 2020 「最上紅花」 が 「北前船」のプリマドンナだったこと知っていますか?(その2) ・・・【寄稿文】日原もとこ(色紐子)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/11002749
「 岐阜城楽市 」の誕生と岐阜市まちづくり
【寄稿文】一舟・光秀
ー「 岐阜城楽市」の誕生と岐阜市まちづくり ー
地域の歴史・風土・伝統 産業を活かし
次世代のくらしの未来環境へ 発酵文明の心で取り組んでいる
岐阜駅周辺から岐阜公園までの個性に満ちた4つのエリア( 「駅周辺エリア」「柳ケ瀬エリア」市役所及びぎふメディアコスモス周辺の「つかさのまちエリア」「岐阜公園エリア」)とそれをつなぐ連携軸を「岐阜市センターゾーン」とし、官民が連携してまちの魅力や回遊性の向上を目指している。
「岐阜城から望む市街と長良川の眺望」
岐阜城は、かつて稲葉山城と称し、戦国時代には、斎藤道三公の居城でもあった。
特に岐阜城の名を天下に示したのは、永禄10年(1567年)8月、 織田信長公がこの城を攻略するとともに、この地方一帯を平定し、地名も「井口(いのくち)」を「岐阜」と改称し、天下統一を目指した本拠地としてからである。
また岐阜城は城郭では有数の高さ約329mにあり、眼下に鵜飼で有名な清流長良川が市内を貫流し、西には伊吹、養老、鈴鹿の山系が連なり、南には濃尾の大平野が豊かに開けるなど一望できる。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-10 TOKIO 2020 特別編「 岐阜城楽市 」の誕生と岐阜市まちづくり 【寄稿文】一舟・光秀
https://tokyo2020-10.themedia.jp/posts/56978078
織田信長公にえらばれし町
近江八幡市の見どころ
文芸の郷(信長の館)安土城天主
城郭建築研究の第一人者、(故)内藤昌氏(当時名古屋工業大学及び東京工業大学教授兼任。1993年愛知産業大学学長歴任。名古屋工業大学名誉教授)セビリア万博展示の原寸大に復元された安土城天主は内藤案によるものである。
「安土エリア」見所ご紹介
安土城跡
近江の守護佐々木六角氏の居城“観音寺”や織田信長公の最後の居城“安土城”など歴史的な舞台となったエリア。 ハイキングやサイクリングで、四季の彩りを感じつつ戦国武将ゆかりの社寺仏閣や足跡めぐりがおススメです。
文芸の郷(信長の館)
スペイン・セビリア万博(1992年)で原寸大に復元された安土城天主(5・6階)が収蔵・展示されている。 内部には狩野永徳に描かせた「金碧障壁画」を復元。金箔10万枚を使用した外壁や金の鯱をのせた大屋根など絢爛豪華な安土城が蘇っている。 このほか、織田信長関係の資料も展示。
住所 近江八幡市安土町桑実寺800番地
連絡先 0748-46-6512
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-5 TOKIO 2020 ~ 織田信長公にえらばれし町 ~ 近江八幡市の見どころ(Ⅱ)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/16312538
〜ヤマタノオロチ伝説の里
奥出雲に日本古代を探る〜
日本最古の歴史書「古事記」に残るスサノオノミコトのヤマタノオロチ退治。
この舞台が雲南市をはじめとした斐伊川流域といわれており、現在でも数多くの伝承地が残されています。
前号では奥出雲の原風景の中に残されている重要な伝承地をご紹介いたしました。更に本号では、引き続き気になる伝承地を幾つかご紹介してまいりたいと思います。
『八塩折の酒を造った釜跡』
釜石
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 ヤマタノオロチ伝説(雲南市)「スサノオノミコトとクシナダヒメ~伝説の里に日本古代を探る~」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6760544
人と神を繋ぐ伝統芸能(雲南市)
龍頭が滝
落差40mの雄滝と30mの雌滝からなる龍頭が滝は、中国地方随一の名瀑といわれ、八重滝とともに「日本の滝百選」に選定されています。
激しくしぶきを飛び散らせながら流れ落ちる滝は、まさにうねりをあげて昇天する龍のようです。雄滝の裏側は『裏見の滝』と呼ばれ、百畳ほどの見事な岩窟があり、滝観音が祀られています。
毎年8月15日に「龍頭が滝まつり」が行われ、滝踊りが披露されます。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 人と神を繋ぐ伝統芸能(雲南市)「 うんなんの出雲神楽 ~特別編~ 」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6775727
雲南市の見どころ
ヤマタノオロチ伝承地と出雲神楽
一体何処の国の町なんだろうか⁉そう、ここが噂の、日本国島根県雲南市木次「神話のベールに包まれた町」なんですよ~緑が溢れ石州赤瓦の町並みが続く…春には春で、川の両岸には何時しか桜のトンネルが出現し、川からの風が桜吹雪となって赤い屋根の家々に…春の薫りのお裾分け・・・
雲南市は、島根県東部に位置する自然豊かな地域です。
雲南市を流れる斐伊川は、神話の舞台として有名で桜の名所も沢山あり、春には多くの観光客が訪れます。
その他にも雲南市は魅力満載!
当ウエブサイトにおいて出雲市、奥出雲市、雲南市の歴史や伝統・伝説を順にご紹介してから丁度1年が経ちました。「歳月人を待たず」と申しますが、とりわけコロナ禍自粛の影響なのか?時間的感覚が狂ってしまい、例年よりも月日の経過が恰も1/2にに縮まったかの心境です。
特に最近は1か月があっという間に流れ、歳月の経過感と歩行の距離感と寿命は正比例するものなのか・・・⁉
以前に通ったことのある道の距離も、何故か?短く感じるようになって来た今日この頃です・・・友人が 「おい、お前滅多なこと口走るなよ…" 瓢箪から駒 "の諺もあるからな…」とたしなめられました。(苦笑)
ふり返ると、前回、雲南市は出雲地方最後の取材先であったことと、スサノオノミコト・ヤマタノオロチ伝承地と出雲神楽という大変に興味深い二大テーマに取材を絞ったのですが、 次の記事の掲載締切に追われ、後ろ髪を引かれながらも雲南市につきましては他の見どころ迄、手が回りませんでした。と申すのも…
早く言って仕舞えば、歴史的に中味が濃すぎて、アレもコレもと血迷った当方のよみが浅すぎた結果であります。そんな申し訳なさが頭の片隅に引っかかっており、それが、つい4〜5ヶ月前の如き感覚なんですよね〜夏休みが終わる前に宿題は片付けるべし‼
そこで、一周年を記念して⁉雲南市の歴史的伝説と伝統文化を振り返りながら、前回ご紹介できなかった分、他の「見どころ」についてご案内いたしたく思った次第であります。
先ずは、前回ご紹介したスサノオノミコト「ヤマタノオロチ伝承地」と
伝統芸能「出雲神楽」のリンク記事からご覧ください!
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 ヤマタノオロチ伝承地と出雲神楽「雲南市の見どころ」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9631678
神話とロマンの里 奥出雲町とは
世界で唯一古来からの【たたら製鉄】の伝統技術を守る町(1)
この奥出雲の地は、古事記、日本書紀の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治や、素戔鳴尊(スサノオノミコト)が降臨したと伝えられる出雲神話発祥の地であり、古くから「たたら」製鉄で栄え、今でも世界で唯一、古来からの「たたら」操業を行い日本刀※の原料となる「玉鋼(タマハガネ)」を生産しています。
奥出雲町の町章
町章の4つの輪は、「人・自然・伝統・未来」の融合をイメージし、そこに住む人が和になって協力し、自然とともに、歴史(伝統)ある奥出雲町が伸びゆく町であるようにとの願いが込められています。
(平成18年1月11日制定)
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「神話とロマンの里 奥出雲町とは、世界で唯一古来からの【たたら製鉄】の伝統技術を 守る町です。【第一話】」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5764450
神話とロマンの里 奥出雲町
日本農業遺産認定
~たたら製鉄に由来する奥出雲の資源循環型農業~(2)
たたら製鉄(日本古来の製鉄法)の原料である砂鉄を採取するため、500年以上にわたって、鉄穴流し(かんなながし)という採掘技術で山々を切り崩し、採掘のために導いた水路やため池を再利用して次から次へと棚田に再生しました。
奥出雲地域の主たる母岩は深層風化の進んだ花崗岩(真砂土)で、この中に約1%の砂鉄を含有しています。棚田に再生するプロセスは、水流による比重選鉱で砂鉄を採掘し、削平された跡地を土羽で土手(畦畔)を築いて、導いた水流でさらに土砂を流し込み水平にしながら耕地を形成し、水路やため池はそのまま利活用しました。
島根県奥出雲地域は「たたら製鉄」のために切り崩した山々を500年以上にわたって棚田へと再生してきました。同時に、拡大する棚田の耕作のため17世紀初頭から続けた和牛改良の知識を肉用牛の飼養管理技術に受け継ぎ、系統を引き継ぐ種雄牛(仁多牛)を造成し、飼育で得た堆肥による土づくりで全国を代表する「仁多米」を育んでいます。
一方、約30年周期で伐採してきた薪炭林は、シイタケ生産に循環利用の知識を継承し、輪伐による健全な森林や水田畦畔に棲むミツバチが受粉を促し、在来ソバの結実率を高めながら遺伝資源を今日に伝え、「出雲そば」が日本三大蕎麦となりました。
農文化としてハレの日には蕎麦を振る舞い、稲作や和牛の信仰も根付き、鉱山跡地に拓かれた棚田には墓地や神木を祭った小山(鉄穴残丘)が無数に点在し、神(自然)を畏れ祖先を敬う日本の宗教観をよく示す農業景観を形成しています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「神話とロマンの里 奥出雲町 日本農業遺産認定 ~たたら製鉄に由来する奥出雲の資源循環型農業~【第二話】」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5782896
神々からの贈り物 『奥の地』
奥出雲町の文化的景観とは 黄金に輝くいなた(3)
現代、日本海側は『裏日本』とか『鄙(ひな)の国』などと言われていますが、遠い昔、弥生時代(紀元前4~500年から 紀元後300年くらい)は日本海側が『表日本』であり、日本海を通じて様々な交流が行われていました。
中国山地の山間に位置する島根県仁多郡奥出雲町。同県を代表する海側の観光地、「出雲大社」からは約70分、松江城からは約60分ほど内陸方面に車を走らせて辿り着く「奥の地」です。
視界いっぱいに広がる田んぼや、町を渡る緑の風、用水路を流れる水の音など、日本の原風景そのままの「懐かしい姿」は、「奥の地」ならではの賜物。
また、古事記や日本書紀で「スサノオノミコトが降臨した」と記されている出雲神話発祥の地であり、「たたら」と呼ばれる製鉄技術を極めた。日本の産業の礎の地でもあります。
奥出雲町は、島根県の東南端に位置し、中国山地の嶺を境に鳥取県と広島県が接しています。日本海側の出雲市や松江市からは約1時間、瀬戸内側の広島市からは約2時間、車にゆられて到着する「奥の町」。といっても、山に閉ざされた閑寂なところではなく、ぽっかり開けた明るい盆地が広がる、のどかな山里です。
光がいきわたる美しい丘陵の尾根つたいに広大な棚田が広がり、その先には悠然とそびえる山々。船通山、鯛ノ巣山、玉峰山、吾妻山、三郡山と登山客にも人気のある山が、町を見守るようにとり囲んでいますが、これらはいずれも『古事記』や『出雲国風土記』に記された、謂れのある山。ことに、船通山はスサノオノミコトが降り立ったといわれる伝説の地で、未知なるロマンを秘めています。
この船通山を源流に宍道湖へと注ぐ斐伊川は「ヤマタノオロチ」神話の舞台であり、言うなれば、このエリアの風土のもと。本町だけでなく、出雲地方全体の暮らしを支えてきた清流です。というのも、奥出雲の大地は上質な磁鉄鉱を含んでいるため、地層を濾過して湧き出る水には鉄分が含まれます。斐伊川流域の肥沃な大地は、この天然のミネラル水が生み出したものなのです。
正直、どこの都市からも遠いので、気軽に立ち寄れるところではありません。ですが、だからこそ「奥」には人をひきつける力があります。「奥は源」、「奥ははじまり」。パワースポットという言葉では片づけられない、生きるエネルギーに満ちたところです。