2月11日 『沖縄の心 瀬長亀次郎回想録』を読む
本書は、戦後沖縄のカリスマ的存在であり続けた政治家・ジャーナリスト、瀬長亀次郎(1907-2001)の回想録。
地元紙「沖縄タイムス」に1990年、100回にわたって連載され、1991年に『瀬長亀次郎回想録』として出版されたものの改題・新装版である。
「米軍に最も恐れられた男」亀次郎。
不屈の活動家でありながら、『沖縄からの報告(1959年)』で米軍占領下の沖縄の社会経済を極めて詳細に調査・分析するほどの学者肌。
ひとたび演壇に立てば、万を越す聴衆を奮い立たせる闘士であり、家に帰れば男女平等主義者を地で行く家庭人。
沖縄中心主義者であり、同時に国際主義者でもある。
貧しい境遇から医学を志す農村の利発な少年が、このような多面的な顔を持つ亀次郎になった遍歴はどのようなものだったのか。
生い立ちから学生時代、そして占領下の沖縄での闘争から衆議院議員としての活動まで、彼が何を考え、何を相手にどのように闘ったのかが、本書には非常に明晰に描かれている。
「ムシルヌ アヤヌ トゥーイ(ムシロの綾のように、まっすぐ生きるんだよ)」と口癖のように言っていた母・ウシ。
彼の幼少時からハワイに出稼ぎに行き、重労働で得た金を息子の学費として送金し続けた父・信九郎。
こうした両親の存在は、彼にとっての精神的な支えであった。
そして、亀次郎の人生には大きな偶然もあった。
県立二中4年(現・那覇高校)のとき、ハワイにいる父から呼び寄せられた彼は学校を中退し、神戸港へと向かう。
その頃アメリカでは排日移民法が実施され、ちょうど彼が乗る予定だった船から、出航がストップしてしまったのだ。
もしこの時ハワイに移住していれば、彼には全く違った人生が待っているはずだった。
中学を中退してしまった亀次郎は、東京の私立順天中学4年に編入し勉強を続けることになる。
このわずか1年間の東京生活で、その後の彼を決定づける思想的目覚めがあったという。
同郷の先輩に勧められるまま、英語の勉強にもなるからと読んだ『空想から科学へ』、『共産党宣言』などの書物は、
なぜ、世の中には貧乏人が多いのか。
なぜ、労働者のくらしは働いても働いてもよくならないのか。
なぜ、戦争が起こるのか。
なぜ、資本家だけは肥え太っていくのか。
といった彼の疑問に、明快な答えを与えてくれた。
彼には、この「なぜ」という疑問の中に、沖縄の貧しさが二重写しになって見えたのだった。
そして、医学を志し、旧制七高理類(現・鹿児島大学)に入学する。
非合法の社会科学研究会に入会し、マルクス主義の基礎理論を学ぶようになった彼は、2年の冬、「三・一五事件」に関係した九州帝大の学生党員を匿ったことで逮捕される。
最終的には起訴猶予になったものの、特高課の圧力もあり、恩師・松原多磨喜(化学)の奔走も虚しく、七高は亀次郎の放校を決定してしまう。
そんな彼の人柄を知る松原は、生涯に渡り良き理解者となるのである。
亀次郎はその後、再び上京し、沖縄出身者の多い川崎・鶴見に移り住む。
生きるために働くことと、それまで学んできた科学的社会主義の実践のためだ。
彼は日本共産党が組織した日本労働組合全国協議会(全協)から、オルグとして京浜地区へ派遣される。
そこでは、日本人労働者の半分にも満たない賃金から、さらにピンハネされる朝鮮人労働者の姿があった。
ちょうどニューヨークに始まった世界恐慌が吹き荒れる中で、失業地獄の波をもろに受けたのが、彼らであった。
亀次郎は自らもダルマ船に乗り込み、石炭を運んだりしながら、底辺の労働者の組織化と待遇改善に取り組んだ。
そして、1932年には、丹那トンネル工事の労働争議の指導中に「治安維持法違反」で逮捕され、懲役3年を科されることになる。
この経験は、学問の道を閉ざされ、社会主義運動の現場へと身を投じた亀次郎にとっての最初の実践であり、その後の彼の人生を文字通り決定づけた。
その後、横浜と那覇で3年の間服役。
新聞記者となり、沖縄県庁で働く西村フミと結婚。
中国への出征後の1944年に、再び沖縄へと舞い戻る。
その後の政治家・亀次郎の活躍は、ご存知の通りである。
亀次郎は、日記をマメにつける人だった。
立法院議員当選後直後の「米軍への宣誓拒否」がもとで米軍に睨まれはじめた亀次郎は、「人民党事件」のでっち上げにより那覇・宮古に投獄されるが、当時の「獄中日記」、ならびに「病床日記」の一部がこの回想録にはじめて収録されている(なお、彼の日記は2008年に『不屈 瀬長亀次郎日記(全3冊)』として刊行された)。
本書の冒頭部分には、亀次郎の衆議院議員就任直後の1971年12月4日、衆議院「沖縄特別委員会」において、当時の佐藤栄作首相等に対して彼が行った代表質問のダイジェストが収録されている。
沖縄はこの翌年に本土復帰が決まっていたが、「沖縄国会」と呼ばれた国会において、1時間40分にわたり、平和を求める沖縄県民の切実な声を首相にぶつける亀次郎の発言は本書の目玉の一つである。
「戦後の本土にとって民主主義は与えられたものだが、沖縄にとっては勝ち取ったものだ」
という言い方がなされることがあるが、
本書における亀次郎の生き様からも、そのことは充分に感じられるだろう。(Y)