功利主義的観点から証明する『パンチラ=善』
皆さんこんにちは。
「お前だけコラムの専用の画像作ってない?自分で作ったの?」
でお馴染み、北山のヒューマンコラム、略してマン コラムのお時間です。
勿論画像は自分で作りました。この肥大した自己顕示欲に何か文句でもおありでしょうか。
それでは早速今回の本題に入りましょう。
まず前提として皆様に問いたい。
【今でも鮮明に覚えているパンチラはありますか?】と。
僕はあります。その中で特に鮮明なパンチラは二つ。
中学時代の町田さんのパンチラと、高校時代の小澤さんのパンチラです。
まず町田さんのパンチラから解説していきましょう。僕の中学はスカートの下にハーフパンツを履くことが習慣になっており、女の子のパンチラを拝むことはまず無い学校でした。
ですが、その習慣を破壊する存在こそが、そう。ギャルです。
町田さんはギャルで、制服を着崩す存在でした。ある日僕が下校をしようと靴箱に向かうと、町田さんが他の女子たちと下駄箱のリノリウムの床に座り込んでいます。
僕は少しもそのグループと仲良くなかったので、彼女たちの横をすり抜けて、下校したのです。
そうです、この何でもない一瞬。僕は彼女のパンツを完全に捕えていたのです。
向日葵の柄でした。快活な彼女にお似合いの素敵なパンティですね。
僕はこの一瞬の記憶を何度も趨反して自慰行為に耽りました。
高校時代の小澤さんも同じです。
僕の目の前に一瞬座り込んだ彼女の薄桃色の秘境。ナプキンの羽を持った天使が彼女のパンティに降臨していたのを今でも覚えています。それ以来僕は狂ったようにナプキンがはみ出しているパンチラのエロ画像を集めていました。
高校時代に4000枚以上はエロ画像を集めていました。
どちらのパンチラも見えたのはたかだか数秒。しかし僕がその記憶を再生し、思い出した秒数は膨大な長さになります。
そうです。1パンチラ当たりの興奮のコストパフォーマンスが異常に良いのです。
エネルギーとして置き換えると、一秒の供給で10年ほどは興奮に変換可能なエネルギーということです。
ここで今回の本題の
【功利主義】
のお話をしましょう。
功利主義とは、哲学者であり経済学者のジェレミー・ベンサムらが提唱した思想で、物凄く簡単に言うと
『快感や幸福は善』
『最大多数の最大幸福こそが社会にとって正しい選択である』
という主義である。
まとめると、「一人が一億持ってるよりもそれを分解して100人に100万いきわたる様にした方が、多くの人間が幸福になっているからやるべき正しい行いだよね」
という考え方に基づく主義である。
(めちゃくちゃざっくりなので気になった人は功利主義、とかで調べてみてね。哲学的な思想もあって結構面白いですよ)
この功利主義的な立場に立って物事を見てみると、とある結論に行きつくのである。
それが
『パンティは見せるのが善である』
『パンティを見せない行為は、善を行える立場にいるのに行わないという善の放棄。つまりは悪である』
という事だ。
パンティを見せることによって、そこからの将来10年以上に渡って人類に幸福をもたらすことが出来るのである。
パンティを見せることによって発生する損害は、女性の精神的な羞恥心のみである。
それに対してどうだろう、仮にパンティを50人に同時に見せた場合、トータルで500年分の幸福が発生するのである。
そして、功利主義としての善は
『最大多数の最大幸福』
である。
彼女の羞恥心が500年分の幸福に勝る程の大きさとは到底思えない、500年の幸福に勝るような周知が訪れるリスクがあったならば、アナタはスカートなんてパンツを見せる確率の高い衣服を着用しますか?しないですよね。
つまり
『パンティを見られる一人の不幸<パンティを見れる多数の幸福』
となり、功利主義の『最大多数の最大幸福こそ善』の前提により。
『パンティを見せる=善』
となる。
以上。証明完了。
この記事を見た女性は善を行うべく、僕にパンティの写真を速やかに送ってきてください。
それを今回の宿題とします。以上。今回の講義はここまでとします。
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