自壊する帝国
元外交官であった作家佐藤優さんが、外交官時代に現地で体験したソ連の崩壊の体験をもとに沿バルト海三国の独立やその前後の近隣共産国の様子や、現地で出会った人々とのエピソードを詳細に語る体験記です。
佐藤さんは、1985年に外務省に入省。大学時代の研究を深堀したいという思惑からチェコ語とチェコ神学を勉強できるためこの決断をしたようです。入省後は、ロシア語研修のためイギリスへ留学。1987年にモスクワへ赴任。モスクワ国立大学言語学部で研修を受けます。彼はそこで哲学部科学的無神論学科のサーシャという人物と出会います。(このサーシャの出会いから佐藤さんのロシア、バルト三国における人的ネットワークが広がっていきます。)1988年、ソ連大使館の政務班に配属。そこで彼は新聞や雑誌の整理係をして過ごしますが、佐藤さんはそこで、アゼルバイジャンとアルメニア間の紛争に注目し、民族問題の担当官になります。ここから佐藤さんは情報分析官として徐々に実績を積み、1989年頃からバルト3国(エストニア・ラトヴィア・リトアニア)の独立運動を現地へ幾度となく飛んで行き、外交官でも得られないような鮮度の高い現地情報を取得することに成功するのです。
特にバルト海三国の独立の動きを目撃し、現地からのナマ情報を取得するためにソ連の戦車の間を走り抜けたり、立入禁止のバリケードをくぐって独立活動家に面会し、情報を日本へ送ったり、、という場面の描写は思わず手に汗握ります。(日本にも外国の歴史的な出来事の渦中に果敢に飛び込んで行ってその動きの中心にいるような人物からその人しか知りえないようなナマの情報を取得する(できる)人物がいるのかと思うとちょっとうれしい気分になります。
この佐藤さんの情報分析官としてのキャリアに大きく寄与したのは前述した”サーシャ”。彼はラトビア出身のロシア人で出自は複雑な過程なのですが、頭脳は明晰。彼の優秀さにひかれた年上の女性のサポートを得て、大学過程で猛勉強を重ね、周りの学友、教授連中から一目置かれる存在となります。その後、共産主義体制に反対し、バルト3国の独立支援する活動家となる人物です。
読後の感想ですが、やはり非常に面白いと思います。共産圏で、当時のリーダー級の人々との親交を築いていく過程とか、非常事態に陥っている東側諸国で、日本のために情報収集する外交官(佐藤さん)の体験はめったに知ることはできないと思います。それだけにここに書かれた情報はとても貴重に思います。
ではなぜ、佐藤さんは彼独自の情報分析官としての人脈をつくれたのでしょうか。。本書で佐藤さんが少し語っていますが、「キリスト教であった両親やキリスト教のことや自らがクリスチャンであることなどの自らの出自の延長に同志社大学での神学研究があり、その神学探求の延長で普通の日本人外交官が築けないような人的ネットワークをつくり、そのネットワークで東欧からの貴重な情報を発信し続けることができた、」といことにはとても重要な示唆が隠されているように思えます。
本書を読んでも実感できるのですが、「キリスト教」というと、中東からヨーロッパの地域に根付いているようですが、実は東ヨーロッパやロシア、東側諸国にもいろいろな形で文化的に深く根付いています。(例えば、佐藤さんは、チェコの神学に深い教養がありますし、サーシャにしても「哲学部科学的無神論学科」という神学から派生した学問の秀才です。)ここがこの本のミソでもあると思うのですが、ユーラシア大陸の人々にとってキリスト教や神学論、というのは実に奥の深い文化(的教養)であるのです。共産圏では、一般論として宗教は否定されるものであるべきですが、逆説的に考えるといくら無神論云々といってみても、結局は神学を深く理解できていないと、実はその「無神論」も説得力を持たないのです。ですので、「科学的無神論学科」でもやはり深いキリスト教神学の素養が不可避になるのです。(うまく言えないのですが。。)このヨーロッパ人の複雑な精神に佐藤さんの研究の指向性がうまく合致したのだと思います。
さらに彼が出会った東欧諸国のリーダー(級の人々)もやはり、共産主義の崩壊やら自国の崩壊、政治の崩壊などで自らが幼いころから育んできた大切にしている価値観の崩壊を目撃してきた人々です。そういった世の中の革命級の激変の中で彼らが育んできた真義・教義があるのです。みな己の組織や地域の立場がころころ変わり、今日はここの組織にいたけど、明日は敵対する組織で活動している、、といった感じで。でも佐藤さんが出会った人々は自分の信念や信義を(それだけに)しっかりと堅持しています。(例えばバルト海沿岸国で佐藤さんが出会った軍人さん(名前は忘れましたが)。彼なんかもフランスのド・ゴール大統領を思い起こさせるような軍人で、武骨で生きるのに器用でないが、祖国をとても愛する人です。ちょっとうまく言えませんが、そういった世の中の価値観の大きな変動が起こり続ける中で、自分の中にそれに決して動じない価値観が少しづつ育っていくのだと思うのですが、そいうったものが彼等の思考の基礎になっているのだと思います。
おそらく佐藤さんも、東欧のリーダーたちもそれぞれの人生で育んでいった「信義」「信条」「信念」、そしてそれらをサポートするしっかりした「教養」。それらがしっかりが身についているのだと思います。それこそが佐藤さんを他の外交官よりユニークな存在にしているのでしょう。。