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KANGE's log

映画「ファースト・マン」

2019.02.18 13:48

デイミアン・チャゼルの作品は、「主人公のエゴ全開で、それに入り込むことができれば最高だけど、できないと置いてけぼりをくらう」というのが特徴だと思っています。

ファースト・マンは、人類初の月面着陸という「偉大な一歩」の物語を背景にしながら、ニール・アームストロングの家族の物語を中心に語るという、これもまさに人類置いてけぼりの物語でした。X-15の飛行実験で宇宙空間に触れて感じるものがあったニール(面接でも、そんなことを言ってた)ですが、娘の死がなければ、宇宙に行こうとは思わなかったでしょう。実際、一度断っています。やはり、エゴ全開。

でも、今回は、うまく機能していると思います。

それは、主人公ニールが、徹底的に冷静沈着で感情を外に出さないタイプの人間だから。物語としてはエゴ全開なのですが、それが表面にはなかなか出てこないのです。むしろ、「もっと出してこいよ」と思ってしまうぐらい。

それも当然といえば当然で、人類未踏の月面着陸計画ですから、「いやっほーーーーい!」「うぇーーーい!」的な「俺が、俺が…」タイプの人間には務まらないわけです。彼は、軍のテストパイロットではありましたが、その本分は「エンジニア」。上手くいかないことがあれば、なぜそうなったのか原因を突き止めて、次に生かすという行動特性が染みついています。

ただ、彼の問題は、家族に対しても同じように接してきたということ。父親が宇宙飛行士になろうかというのに、そのことに息子たちはまったく関心がありません。お父さんが話してくれないから当然です。妻ジャネットにとっては、明日、夫が帰ってこれるかどうか分からないというのに、たまったものではありません。

でも、個人的には、ニールの気持ちも分からないではありません。どういう言葉で「もし、お父さんが帰ってこなかったら…」という話をすればいいのか。もし、息子に「行かないでほしい」と言われたら、「でも、行くんだよ」という話をどうやって伝えればいいのか。もう、想像するだけで頭が爆発してしまいそうです。

ニールの思いも、ジャネットの思いも、痛いほど分かるので、苦しかった。



長い上映時間ですが、とてもテンポよく進んでいきます。それでも、次のシーンの様子からその前に何があったのかは理解できます。それによって、ニールの悲しみと虚無感と対比的に、当時のソ連との苛烈な宇宙開発競争の勢いを表しているようにも思えます。

発射前に宇宙船に乗り込むシーンが何度か入るのですが、最初の方の「こんなんで大丈夫か?」と思ってしまうようなチャチいものから、1年とか数ヶ月とかいうスパンで、どんどん進化していくのが分かって、当時の技術開発の力の入れようが、そこだけでも分かるようになっています。


一方、家族のシーンは、色彩が当時のフィルムのようで、ニール本人に寄ったカメラワークもあって、ドキュメンタリーっぽい印象を受けました。

月面着陸については、みんなが知っている話なので、ネタバレも何もないとは思いますが、1点、事実かどうかは分からないニールの行動のエピソードの挿入がありました。もう1人の宇宙飛行士のバズは、とても社交的で饒舌、ときに行き過ぎた発言で、ニールにたしなめられることもあるような人物。そんな彼が計画発表の記者会見で放ったコメントが、後に月面でのニールの行動に影響したかもしれないと思うと、うまい作り方です。

みんなが知っている「人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては偉大な一歩だ」の後に、ニールはこんな言葉を続けたかったのかもしれません。

「私にとっては必要な一歩だ」