魚沼市 ・南魚沼市 “越後三山”縦走(2日目)「越後駒ヶ岳」 2025年 初秋
私選“只見線百山”の検証登山として行っている“越後三山”縦走の2日目は、「中ノ岳」山頂(2,085m)を踏んだ後に、「越後駒ヶ岳」(2,002.6m)に登頂。その後、難所「グシガハナ」の急坂直降を経て、大倉登山口に戻り縦走完遂。帰路は小出駅からJR只見線の列車に乗車した。
*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/ *筆者にて一部、文字や線形を記入
先月登頂した「会津駒ヶ岳」を含め、“駒ヶ岳”と名の付く山は全国各地に17座あり、「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p412-413)によると、①山容がウマの形、②残雪がウマの形、③神馬が住んでいた、④独楽の形に見える、などの説があり、その土地その土地で“駒ヶ岳”と名付けるに至った理由は違うと思われる。
「越後駒ヶ岳」がどのような理由で“駒ヶ岳”と呼ばれるようになったかは定かでないが、会津藩の地誌「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の魚沼郡の項に「越後駒ヶ岳」を指す“駒嶽”として挙げられ、“春夏の際殘雪駒の形をなす、故名けしとぞ”と記されている
魚沼郡 〇山川 〇駒嶽
小出島組大湯村の南にあり、頂まで三里餘、東北は大湯村に屬し、西南は浦佐組の諸村に屬す、山勢峻しく半腹より上は人跡通ぜず、寒風殊に烈く熊猿の類猶棲こと稀なり、只獵人冬雪を踏て上攀ることを得ると云、春夏の際殘雪駒の形をなす、故名けしとぞ
*出処:新編會津風土記 巻之百六「外篇 越後國魚沼郡之一」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第34巻」p148‐149 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179230/1/80)
“魚沼駒ヶ岳”や“越駒(エチコマ)”とも呼ばれる「越後駒ヶ岳」は、「日本山名事典」に次のように記されている。
こまがたけ 駒ヶ岳(越後駒ヶ岳、魚沼駒ヶ岳)(高)2003m
新潟県魚沼市と南魚沼市の境。越後三山の主峰で、八海山・中ノ岳とともに魚沼三山とも呼ばれる信仰の山。秩父古生層とそれに貫入した花崗岩類からなり、鋭く浸食された谷には夏なお残雪が見られる。1等三角点がある。山頂付近にはニッコウキスゲ・ハクサンコザクラなどの高山植物が自生。山麓には大湯・栃尾又・駒ノ湯などの温泉がある。 *出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p413)
ちなみに“駒ヶ岳”17座の最高峰は「富士山」山頂の一峰「駒ヶ岳」(浅間ヶ岳)の3,710mだが、独立峰としては「甲斐駒ヶ岳」(山梨県北杜市‐長野県伊那市)の2,967mで、以下、「木曽駒ヶ岳」(2,967m)、「会津駒ヶ岳」(2,133m)と続き、「越後駒ヶ岳」は4番目に高い“駒ヶ岳”となっている。
「越後駒ヶ岳」は「日本百名山」にも挙げられているが、著者の深田久弥はその項で「越後駒ヶ岳」だけではなく、“越後(魚沼)三山”全体を記している。
・・・(前略)・・・
魚沼三山は水無川の上流を包んで三角形に立っている。そのうち一番高いのは中ノ岳二〇八五米、一番名の聞えているのは信仰登山でにぎわう八海山であるが、私があえて三山の代表として駒ヶ岳を挙げたのは、山としてこれが一番立派だからである。(後略) *出処:深田久弥 著「日本百名山」<新装版>(新潮社、p119)
今回の“越後三山”縦走は、南魚沼市の大倉登山口を発着点に「八海山」(ハ)、「中ノ岳」(ナ)、「越後駒ヶ岳」(コ)の順に1泊2日で登る計画を立てた。
1日目に「八海山」に登り「中之岳避難小屋」に宿泊。2日目の旅程は以下の通り。
【2日目】
・「中之岳避難小屋」から「中ノ岳」に向かう
・「中之岳避難小屋」に戻り、朝食を摂った後に、「越後駒ヶ岳」を目指す
・「越後駒ヶ岳」から、難所「クジガハナ」を下って、十二平登山口に向かう
・十二平登山口から水無川沿いを歩き、大倉登山口に向かう
・大倉登山口から自転車に乗って、浦佐駅に移動
・浦佐駅から列車に乗って小出駅に移動し、只見線の会津若松行き最終列車に乗る
天気予報は悪く、曇り時々雨というものだった。山中での天気は更に悪くなるだろうと覚悟し、2日目の“越後三山”縦走に臨んだ。
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
・(公社)新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線」
・(一社) 魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線
・魚沼市 だんだんど~も只見線沿線元気会議:Facebook (URL: https://www.facebook.com/dandandomotadamisen )
・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -私選“只見線百山”候補の山行記-
昨日の未明、目覚ましのアラームで起きると外は“暴風雨”だった。
天気予報は雨だったが、窓を叩きつけ音を出すほどの強い風を伴っていた。30分ほど寝袋に入ったまま、うつらうつらし外の様子を伺っていたが雨風の強さは変わらず、『これは出発を後らせ、下山後に只見線の最終列車(小出発16時12分)に乗るのは諦めるしかない』と決め、もう少し横になることにした。
5時には雨風の音は一層強くなったが、空が白みかけた頃に雨音が聞こえなくなり、6時を過ぎると風の音も聞こえなくなった。
6時30分過ぎ起床。下肢に軽い筋肉痛があったが、体調に問題はなかった。
小屋の外に出て見ると、風は無く、霧雨が舞っていた。
小屋に戻り、朝食の準備。
汲んできた雨水を水切りネットで濾して沸騰させ、スープの素と自宅で冷凍して持ってきた塩むすび、ゆで卵をシェラカップに入れて雑炊にした。
この“適当”雑炊は、旨かった。
食事を終え、寝袋を片付けるなど出発の準備をして、荷物を置いて「中ノ岳」山頂に向かった。山頂は避難小屋から、うっすらと見えていた。
鞍部から、ピークに向かった。
ピーク手前で左(東)側の斜面を少し進み登りピークに乗ったが、山頂ではなく、
また左斜面を少し進むことになった。
すると平場となり、中央に赤いものが見え「中ノ岳」山頂に到着したようだった。避難小屋から5分と掛からぬ至近距離だった。
赤いモノは鳥居で、祠が祀られていた。脇には三角点標石が立っていた。
石標の南面を見ると、三等の文字を確認できた。
*「中ノ岳」:三等三角点「中ノ岳」
基準点コード:TR35539500601
北緯:37°05′06″.9383
東経:139°04′39″.3037
標高(m):2084.99
造標:明治41年5月26日 *「点の記」より
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://service.gsi.go.jp/kijunten/app/
三角点標石と、祠をはさんで反対側にある“中ノ岳山頂”と刻まれた石柱に触れて、「中ノ岳」登頂を祝った。昨日「八海山」から、難所「オカメノゾキ」を経てここを目指した山行を、2日掛かりで完遂した。
山頂には、御影石の立派な山座同定盤も置かれていたが、今回は全く役に立たなかった
晴れていれば、「中ノ岳」山頂からは、「八海山」(入道岳、八ッ峰)や「越後駒ヶ岳」の他、新潟‐福島、新潟‐群馬県境の著名な山々が見れれるという。
“中ノ岳”は、「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂)によると全国に7座にあり、最高峰は長野県にある山(2,236m)で、当山は3番目の標高となっていた。
なかのたけ 中ノ山 (高)2085m
新潟県魚沼市と南魚沼市の境。越後山脈中部、駒ヶ岳・八海山とともに魚沼三山の一つ。石英閃緑岩からなり、南に向かう主稜には古生層からなる兎岳や閃緑岩の丹後山・越後沢山がある。八海山との間にオカメノゾキと呼ばれるキレットがある。*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p758)
「中ノ岳」山頂を後にして、避難小屋に戻った。
5分ほどで避難小屋の真裏についた。壁を見ると、積雪時に2階から出入りできるようにハシゴが取り付けられていた。
昨夜、小屋を良く見られなかったので、ぐるっと回ってみた。雨水の収集タンクは小屋の右(西)側にあり、朝食前に利用させてもらった。昨夜の雨もあったためか、タンクの水量は多く、栓を回すと勢いよく水が流れ落ちた。雨水は綺麗で、ゴミなどは浮いていなかった。
入口は、正面の左脇。
扉を開けると、正面にトイレの扉があり、左側の扉を開けるとコンクリートの土間で、その上にコの字型の休憩スペースが広がっていた。土間にはサンダルが置かれ、壁際には銀マットが数枚巻かれ立てられていた。
2階も広く、10人はゆったりと休められるようだった。トイレは和式の便座1箇所だった。
部屋にはコンロやヤカンなどが置かれ、刈払い機の燃料などもあった。
壁には“越後三山縦走”に対する注意書きや、新型コロナ対策などが貼ってあった。
そして、1階正面の机には宿帳のような山小屋利用日誌があり、中を見ると、先月9日に「中ノ岳」~「御月山」間の刈払いをされた中ノ岳救助隊の記録があった。前夜、暗闇の中でも避難小屋に辿り着けたのは登山道の刈払いのお陰ということがあり、紙面に向けて感謝の一礼をした。
9:00、小屋を片付けバッグパックを背負い、“越後三山”(ハナコ)縦走の最後となる「越後駒ヶ岳」に向かって「中之岳避難小屋」を出発した。
まもなく、前夜の祓川の水場から登ってきた合流を通過し、刈払いされた登山道を北に進んだ。
「中ノ岳」~「越後駒ヶ岳」の稜線(約4.5km)もアップダウンが続くが、ナイフエッジのような痩せ尾根やクサリ場などの危険箇所や、深い鞍部や長い登り返しが無く、唯一「檜廊下」が注意箇所だと調べておいた。
昨日「オカメノゾキ」付近で見たこの稜線からも、さほど苦労するとは思わなかった。
霧雨が舞い続け、周囲の山々がまったく見えない中を歩き進んだ。
昨夜からの雨で登山道の状況は相当悪いと思っていたが、水溜まりは序盤のこの1箇所だけで、他は路面が濡れている程度で、歩き進むのに支障は無かった。
前方にはピークが見え、
そのピークを越えても、次のピークが見えた。
晴れていれば、凸凹の稜線が見えただろうにと思った。
時折、足元には小さい花々が見えた。
ミヤマコゴメグサ(深山小米草)、ミヤマシシウド(深山猪独活)、マツムシソウ(松虫草)。
9:16、前方に1,901mピークが見えた。
しばらく進むと、登山路がピークの中腹で岩場を横切っているのが分かった。
崖下は切れ落ちているため『大変な場所だなぁ』と思い進んだが、その岩場は、斜面に体を預ける事で、恐怖を感じることなく意外にスイスイと越えられた。
登山道は、1,901mピークの頂上右(東)側を巻くように延びた。頂上下を過ぎると、次のピークが見えた。
斜面に沿って延びる登山路は、傾いていた。慎重に進んだが、踏み出した右足が滑り、本日最初の転倒をしてしまった。斜面下の落ちたが、灌木に掴まり滑落は免れた。
なだらかなピークを越えると、前方に1,866mピークが見えた。
登山道はこのピークの東下の延び、頂上下付近で岩場の登りになった。
滑らぬよう、岩場を登り1,866mピークに着くと、登山道は細長い平場に延びていた。そして、歩き出してまもなく、登山道を横切る物体があった。10㎝を越える、大きなヒキガエルだった。
9:59、平場が終わると、「檜廊下」区間になった。
最初の岩山は、左(西)側を巻いて越えた。振り返ると、そそり立つ険しい岩山の様子が分かった。
続いて、垂直に切り立つ、裸岩の尾根が続いた。『この尾根を越えるのかぁ...』と弱気になりながら進むと...、
登山道は、左(西)側に鞍部のように落ち込み、岩山を巻いて延びていた。途中、太いマツの根を越えた。
トラバースを終え、振り返って岩山を見ると険しい絶壁だった。晴れていれば、谷底まで見え、その険しさを一層実感するだろうと思った。
10:16、上端からマツの枝が垂れ落ちる岩陵になった。
この岩陵は、その端を登ることになった。上端に着いて見下ろすと、滑落したらひとたまりもない、絶壁だった。
この“垂マツ岩陵”の先には、またピークが続いた。
ただ、登山道は歩き易く、ピークと鞍部の差もなかったため、スイスイと越えられた。
途中、ピークを左側(西)に巻く箇所があり、マツの幹がが頭上に横わたっていた。屈みながら進んだので、少々難儀した。
この先、今後は登山道が右(東)斜面に、斜めのまま延びた。
この斜面も滑らぬよう慎重に進んだが、また足を滑らせ登山道脇のササ藪に落ちてしまった。登山道に這い上がり、滑った場所を見て見ると、小さな木の根が見えた。ササの枯葉に隠れていたこの根に足裏が載って横滑りしたようだった。
10:55、「天狗平」(1,729m)となり、なだらかな稜線が続いた。
標杭が立っていたが、「天狗平」との文字は判別がつかなった。そして、緩やかな勾配の登山道が灌木の間に続いた。
「天狗平」を過ぎると、1,933mピークが見えた。
11:08、このピークの手前に石標が立ち、九合目と彫られていた。
ここで塩分補給。うめ塩飴を口に放り込んだ。
「天狗平」との標高差が約200mということで、ピークへの登山道は急坂だった。
雨は降っていなかったが、足元の草は未明までの雨で濡れていたため、かなり滑った。足元に気を付けながら登り進むと、岩場が現われた。
そして、岩陵の1,933mピークが見えた。
登山道は、1,933mピークの左側を通り、急坂が終わるとなだらかな尾根筋に延びた。
霧に閉ざされた尾根を快調に進んだ。
すると、右前方にピークが見えた。その位置から「会津駒ヶ岳」山頂のようだった。
11:36、登山道を進み左に少し曲がると、まもなく十二平登山口~「越後駒ヶ岳」の登山路に合流。標杭は傾き、ここの文字も擦れていた。
右に曲がり山頂を目指すが、ここで小雨が舞い出した。
10分ほどで、分岐を通過。分岐を右に曲がり斜面を下ると山小屋「駒の小屋」を経て、「駒の湯」・「枝折峠」・「銀山平」のそれぞれの登山口に通じている。
この分岐を右に曲がり斜面を下ると山小屋「駒の小屋」を経て、「駒の湯」・「枝折峠」・「銀山平」のそれぞれの登山口に通じている。
分岐の直後、再び木道に乗って進むと、まもなく前方にこんもりとしたピークが見え...、
このピークの斜面を登ると、前面が大きく開け、設置物や写真を撮っている登山者1人の姿が見えた。
11:50、「越後駒ヶ岳」山頂に到着。「中之岳避難小屋」を出発し、2時間50分を要した。
欠けたコンクリート製の土台の上には、剣を抱えた行者様の像があった。Webで検索すると、数多く見られる像で、「越後駒ヶ岳」に登ったことを実感した
一等三角点の標石はこの銅像の下にあった。二辺に大石や御霊碑などが接しているようで、『一等なのに、大丈夫だろうか⁉』と心配になってしまう状態だった。
*「越後駒ヶ岳」:一等三角点「越駒ケ岳」
基準点コード:TR15539504601
北緯:37°07′25″.0318
東経:139°04′30″.8970
標高(m):2002.63
設置:明治31年7月18日 *「点の記」より
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://service.gsi.go.jp/kijunten/app/
標石に触れて「越後駒ヶ岳」登頂を祝った。“越後三山”の全ての頂を何とか制した。
続いて、山頂からの眺望確認....だったが、小雨をもたらしている鼠色の厚い雲が取り囲み、山頂から眺望は全く無かった。
晴れていれば、南から西に向かって「中ノ岳」「八海山」が見え、東から北に向かっては「荒沢岳」や「未丈ヶ岳」、そして「毛猛山」や「浅草岳」など福島‐新潟県境の山々が一望できるという。
今後、「越後駒ヶ岳」には魚沼市側の「駒の湯」や「枝折峠」の登山口から登ってみたいと今回の山行を通して思ったので、山頂からの眺望は次回の楽しみにして、山頂を後にした。
下山途中、登頂にホッとしたのか、小腹がすいたため羊羹で栄養補給をした。水は、前夜に祓川水場で給水し、まだ冷感が残ったものを「中之岳避難小屋」から少しずつ飲んでいた。
12:07、「中ノ岳」登山道との合流点を通過。直進して十二平登山口に向けて下山した。
登山道は、まもなく急坂となったが、階段になっていて楽に進められた。
傾斜が緩やかになると、これから下って行く尾根が霧に中にうっすらと見えた。
そして、小さなアップダウンを繰り返し進んでゆくと、前方に尖ったピークが見えた。「グシガハナ」のようだった。
12:39、「越後駒ヶ岳」登下山の難所「グシガハナ」(1,811m)に立った。前方は霧に覆われ、真っ白だった。
昨日「オカメノゾキ」から見た、「グシガハナ」から十二平登山口の脇を流れる水無川へ向かう標高差1,300m超の急傾斜を思い出し、気を引き締めた。
「グシガハナ」から下り始める。想像通りの急坂直下降で、登山口までの2.5kmの道のりは大変なものになるだろうと思った。
また、小雨は止んでいたが、登山道に張り出している根や岩は濡れていたので、足元に注意し滑らぬよう慎重に下った。
尾根にはマツが多く茂り、時には太い枝を潜って下り...、
浮き出た根は、跨ぎながら越えた。下りながら、この動作は結構体力を消耗した。
13:12、開けた場所になった。霧が晴れたように感じ周囲を見渡すと...、
南に、昨日登った「オカメノゾキ」から「中ノ岳」に至る稜線が見えた。水場(祓川)から「中之岳避難小屋」に向かって、息を切らしながらトボトボと登った辛い記憶が蘇った。
そして、少し先に進むと、今度は1,308mピーク越しに雲漂う「八海山」が見えた。“信仰の山”に相応しい荘厳な眺めだった。
結局、雲が晴れたのはこの時だけだった。あとは周囲に山々を見ることなく、尾根が霧に包まれる中を下り進んだ。
登山道のマツは、途切れることがなかった。
13:40、尾根が緩やかになり、1,308mピークを通過。
そして、また急坂。徐々に両足の親指に痛みを感じるようになり、足先に体重をかけるのが怖くなった。
下りる途中で、栄養補給。下山で体力を消耗するとは思わず、この先何度かバウムクーヘンを食べた。
急坂直降下を再開。足を踏み出し体重がかかる度に、両足親指に強い痛みを感じ、途中から足を横向きにして下ることにした。
14:16、登山道は森林限界から木々の繁る森に入った。ブナが目立った。下り勾配が緩やかになったため、一息付けた。
だが、すぐに急坂になった。足を横に踏み出し、慎重に下った。
下り進んで行くと、斜面の肩の部分には一本松が立っていることが多いと感じた。一本松を、両足親指の休息の目印にして進んだ。
急坂は続いた。標高差1,300mの急坂直降は想像を超える厳しさだった。ここを登る際の急坂直登は、更に過酷で、十二平登山口から「越後駒ヶ岳」を目指すコースが“超上級”になっていることを実感した。
15:33、「雪見の松」(848m)と思われる場所に着くと...、
南西が開け、水無川の上流が見えた。
「雪見の松」の先は、痩せ尾根が多くなった。
標高が下がってくると、風雪の影響が少ないためか、枝を広げた立派なマツが見られるようになった。
肩の先の痩せ尾根を慎重に下った。
足を横にできない場所は、両足親指の激痛を我慢し、足を真っすぐ踏み出し下った。
16:12、只見線の小出発・会津若松行き最終列車の発車時刻になった。この列車に乗るには、「中之岳避難小屋」を6時前には出発する必要があったと再確認した。
少し先に進むと尾根の肩になり...、開けた場所から水無川を跨ぐように載る雪渓が見られた。
この雪渓にはトンネルのような穴が開いていたが、登山前に登山ルートを調べたところ、この穴は水無川に沿った登山道を登山者が通れるように掘られているものだという。*下図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/ *筆者にて一部、赤文字を記入
急坂直降を再開すると、崩落箇所を通過した。先に登山道が見えていたため、ルートロスはしなかった。
この崩落箇所からは、「八海山」東斜面を流れ落ちる、水無川の支流・笹花沢が見えた。
崩落箇所から5分ほど下るとトラロープが見え、突き当り、登山道は左(東)に折れた。
そして、下り坂の先が明るくなっていた。
坂を下りきると、標杭が見え...、
16:45、「越後駒ヶ岳」十二平登山口に到着。約4時間も掛かってしまったが、両足親指の痛みに耐え、何とか難所「グシガハナ」から約1,300mの急坂直降を終えた。
登山口周辺は丈の低い夏草に覆われていたが、広い範囲で刈払いがされていたようで、「千之沢小屋」に続く作業道も歩行空間がはっきりしていた。
ここから先は両足先の痛みから解放されて、平坦な道をスピードを上げて進んた。日暮れまで1時間ほど。クマの存在が気になるので、自転車を置いた約7km先の「八海おおくらの森」まで急いだ。
300mほど歩き進むとコンクリートの構造物の上を歩いた。ブナツルネ沢の“橋”となっているようで、コンクリート護岸に開いた穴が水無川に開かれていた。
このコンクリート護岸の先には、下山終盤に見えた雪渓が横たわっていた。
16:52、雪渓前に到着。表面は、雪が山の斜面から崩れ落ちた際に巻き込んだ土や腐葉土などに覆われていた。
中央には穴が開き、地元の方が登山者のために通れるようにしているとWebで知ってはいたが、地面は融水が流れ、先も見えないことから、山の斜面と雪渓の間を進む事にした。
頭上から絶え間なく落ちてくる雪融け水を受けながら、駆け足で雪渓を抜けた。
雪渓を背にすると、作業道は夏草に覆われていた。クマ除けに、電子ホイッスルを頻繁に鳴らしながら進んだ。
途中振り返って、「グシガハナ」~十二平登山口間の尾根を眺めた。『登る時も、かなり大変だなぁ』と改めて思った。
作業道は踏み跡明瞭で、時折舗装になり、快調に歩くことできた。
17:10、オツルミズ沢を渡った。
次に渡ったセンノ沢は、コンクリート護岸の穴が岩で塞がれ、越水していた。
この後も作業道は、一部岩で凸凹したり、沢水がたまったりした場所があったが、概ね歩き易かった。
電子ホイッスルを鳴らしながら黙々と歩き進むと、前方が開け、舗装面にガードレールが見えた。
作業道から県道265号(下折立浦佐停車場)線に切り替わる場所だろうかと思った。県道265号線は未成線で、ここの北側に連なる1,200m級の山を越えることなく途切れ、魚沼市側の道は下折立地区で国道352号線に接続している。
17:30、大きな駐車場を持つ「千之沢小屋」に到着。車は一台も停まっていなかった。この3連休の悪天候を考慮する必要があるが、やはり“超上級”の十二平口からの「越後駒ヶ岳」登山は人気がないのだろうかと思った。
「千之沢小屋」の前を通り過ぎ、右に鋭角に曲がり県道265号線を進んだ。
800mほど進むと左下に橋が見え、まもなく分岐を左に折れるように曲がり、市道大倉11号線に入った。
そして、その橋(金山橋)で水無川を渡った。
市道大倉11号線は、水無川の左岸に沿って延びた。左側は擁壁で、右側は水無川に向かって切れ落ちているため、クマ遭遇の可能性は低いと思ったが、電子ホイッスルは継続的に鳴らし続けた。
金山橋から1kmほど歩くと、何か甘ったるい匂いがし、まもなく、クマ捕獲の罠が置かれていた。
山間に住む地元の方々にとって、クマは身近な存在で『捕獲⁉、駆除⁉』と思ってしまったが、昨今のクマによる獣害を考えると罠の設置は行政としてやらざるを得ない措置だと思った。
また、少し歩くと車が停まっていて、河岸から人の声が聞こえた。水無川を見下ろすと、家族が川辺で遊んでいた。
18:06、田んぼが見えた、人里に着いたようで、多少、クマ遭遇の恐れが薄れた。
18:19、県道234号(桐沢麓五日町停車場)線に入り、緩やかな坂を上り「八海山おおくらの森」に到着。
昨日スタート地点となった“大倉”登山口を示す分岐を見て、“越後三山”縦走が終わった事を実感した。達成感より、無事に終わってホッとした気持ちと、今日の天候が悪く「越後駒ヶ岳」の山容や頂上からの景色が見られなかったことの残念さが勝った。
“越後三山”縦走を終え、この三山はセットで“只見線百山”に外せない山という考えは変わらないが、縦走は推奨できないとすべきだと思った。
縦走の難所である「オカメノゾキ」はさほど危険は感じなかったが、長時間の山行による疲れがあった場合や、雨や強風時は相当な危険があり、「グシガハナ」越えは登るにしても下るにしてもかなり体力を消耗してしまう。この2箇所の難所のため、“越後三山”縦走は私選“只見線百山”では推奨できない。
今回の経験で、“越後三山”は2回に分けて登るのが無難だと感じた。
①南魚沼市の大倉口などから「八海山」だけを登る
②魚沼市の駒の湯口や枝折峠口から「越後駒ヶ岳」を経て「中ノ岳」に登り、避難小屋で1泊し下山する
このように“越後三山”を分割して登れば、危険と過度な疲労を感じることなく三山を楽しめると思った。
「八海山おおくらの森」からは、輪行してきた自転車で浦佐駅に向かった。
丸屋根倉庫に脇に停めていた自転車は、変わりなく置かれていた。
下り基調の道を快調に進み、「八海山おおくらの森」から6.5km先の浦佐駅前に20分ほどで到着。さっそく、携帯電話を取り出し今晩の宿探し。小出駅前には2軒の宿があるが、何とか確保できた。
19:25、駅前のコンビニで夕食を調達し、荷物をまとめ駅に向かい上越線のホームで待っていると列車がやってきた。
19:34、小出に到着。
今夜の宿となる、駅前の川善旅館に移動しチェックインした。
さっそく、風呂に入ったが、両足の親指を見て愕然。体重をかけなければ痛みは感じなかったが、爪が浮いてしまったようで全面で内出血していた。やはり、下山時の痛みはただ事ではなかったと思い、両親指はこの先どうなるのだろうと心配になった。
入浴後、部屋に戻り「中ノ岳」「越後駒ヶ岳」登頂祝いの乾杯をした。只見線の最終列車内でできたのが一番だったが、“越後三山”縦走を果たしホッとする一杯になった。
今朝早起きし、未明の小出駅に向かった。夜中に降っていた雨は止んでいた。
輪行バッグを抱え、無人の改札口を通り、只見線のホームに向かった。列車が5番線に停車していたが、運行準備が終わっていないようで、扉は開かなかった。
ホームのベンチには2人の先客が待っていて、私の後にも2人の客がやってきた。昨夜、宿の女将さんが『只見線の始発列車の乗るというお客さんが、2組いますよ』と言っていたことを思い出した。“2022年10月1日只見線全線再開通”時の“特需”には到底及ばないが、新緑・紅葉・雪景色シーズン以外のこの時季に前泊してまで乗ってくれる客がまだいる事に、只見線の観光力の改めて思った。
5時20分頃、乗車可能となり、ボタンを押して扉を開き乗車した。列車はキハ110+キハ110東北色の2両編成で、私は後部の東北色車両に乗り込んだ。
今日の只見線乗車の切符は、昨日浦佐駅で購入していた。復路は間違えず、浦佐→(只見線経由)→会津若松の切符を選択した。ちなみに、会津若松から郡山間は、節約のためWきっぷを使った。
5:36、会津若松行きの始発列車が小出を出発。客は先頭が3人組を含む6人、後部がペアが2組を含む6人で、全員旅行者と思われた。
列車は発車すると、右に大きく曲がりながら「魚野川橋梁」を渡った。“越後三山”は雲に覆われ見えなかった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋検索」
晴れていれば、車中から並び立つ“越後三山”を見る事ができる。この角度で見ると、「八海山」(五龍岳)~「中ノ岳」間の難所「オカメノゾキ」が見えず、『どれだけ深い鞍部なんだ⁇』と思ってしまっていた。
市街地を抜けると小雨が車窓を叩き、ところどころ稲刈りを終えた田園の間を進んだ。
藪神を出てまもなく、列車は薮神カントリーエレベータ(JA魚沼)の前を通過。
今回の“越後三山”縦走開始から約3時間、このカントリーエレベーターは、「八海山」七合目となる見晴からカメラをズームにして確認できた。
復路も只見線全線乗車となったが、『早朝から日本酒はキツイなぁ』と“会越地酒の呑み比べ”はしなかった。車内では小説を手に、コーヒーを呑みながら車窓からの景色を眺め続けた。
列車は破間川に沿って、時に交差し、越後広瀬、魚沼田中、越後須原、上条、入広瀬と各駅に停発車しながら進んだ。その間、小雨は降り続けていた。
6:20、列車は大白川に停車。平日は“通学列車”となる向かい側の番線に停車する6時22分大白川発・小出行を見送った。
6:32、列車は大白川を出発。右に大きく曲がりながら破間川を渡り、末沢川に沿い六十里越に向かった登坂を開始した。
15回末沢川と交差し、「第十六末沢川橋梁」を渡り、列車は“会越界”となる長大な「六十里越トンネル」(6,359m)に突入した。
約8分かけて「六十里越トンネル」を抜けると、列車は只見沢を渡り福島県只見町に入った。
そして、国道252号線下を潜り、田子倉駅跡が残るスノーシェッドを潜り抜けると余韻沢橋梁を渡った。“只見沢入江”越しに田子倉(ダム)湖を眺めると、秋の大雨の備えてか、水位が下がり茶色い湖岸が目立っていた。
下りに入り、列車が「田子倉トンネル」(3,712m)、「第一赤沢トンネル」を抜け、「第二赤沢トンネル」の手前で振り返ると、雲の間から谷間を塞ぐ田子倉ダムの躯体が見えた。
そして、「上町トンネル」を抜けて市街地が見えてくると列車は減速し、ゆっくりと駅に向かった。宮道踏切では手を振って出迎えてくれる方の姿は無かった。
7:01、只見に停車。管轄境(JR東日本の東北本部と新潟支社)となるこの駅で、運転手の交代が行われた。
10分の停車の後、列車が只見を出発し、市街地を抜けると、叶津集落となり「蒲生岳」(828m、会津百名山83座)が右車窓から見えた。
そして、列車は只見線最長となる「叶津川橋梁」(372m)を渡った。
会津蒲生を出発し宮原集落に入ると、墓地踏切の前で“ありがとう”と記された横断幕を持った方々が手を振って下さっていた。ご家族のようで、子どもを抱えたお母さんと小さな女の子、そしてお祖母ちゃんの4人だった。私も手を振り返した。
会津塩沢手前では「第八只見川橋梁」を渡った。*只見川は電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖
滝トンネルを抜け、列車は金山町に入り、会津大塩を経て「第七只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱本名発電所・ダムのダム湖
会津横田を出ると、只見川に落水させる水路式の東北電力㈱伊南川発電所の背後を通過した。
会津越川に到着すると、駅付近の家の解体工事が行われいてるようだった。
会津越川を出てまもなく、大川入沢を渡ると左岸に建つ家から手を振る方が見えた。
7:52、列車は只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通過。小出駅を出て2時間26分掛かっていた。
本名トンネル抜けた直後に本名発電所・ダム直下に架かる「第六只見川橋梁」を渡った。ダムはゲートを閉じ、放流していなかった。
本名を出でてしばらく走ると、「第五只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖
8:02、列車は会津川口に停車。会津若松発・小出行の始発列車と交換を行った。
小出行はキハE120の単行(1両編成)で、なんと立客が10名ほど見られ、混雑していた。
39分の停車時間を利用し、駅舎を抜け、駅前の加藤商店でビールを購入した。只見線内でも“越後三山”縦走完了の祝いをしたかった。
8:41、列車は会津川口を出発。只見川沿いを左に大きく曲がると、左車窓から只見川に突き出た大志集落が見えた。
会津中川を出た列車は、会津水沼手前で「第四只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱宮下発電所の宮下ダム湖
三島町に入った列車は、早戸に停車。只見川は濁ったままだったが、水面は冴え風景の線を映す水鏡になっていた。
早戸を出て、早戸と滝原の2つのトンネルを抜けた列車は「第三只見川橋梁」を渡った。始発から客は増えず車内が静かだったこともあり、車窓からの風景を堪能できた。
この後、宮下ダムの脇から東北電力㈱宮下発電所の背後を駆けた列車は会津宮下に停車。徐々に明るくなってきた空には青空も見え始め、陽も差すようになった。
会津宮下で、10人ほどの客を乗せた列車は、会津西方手前で「第二只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖
会津西方を出て名入トンネルを抜けた列車は、“只見川八橋”の最後となる「第一只見川橋梁」を渡った。*只見川は柳津ダム湖
この後、列車は会津桧原を出て、柳津町に入り滝谷、郷戸と進んだ。
9:38、列車は、会津柳津に停車。ホームには人があふれ、多くの乗降があった。
会津柳津を出て賑わい出した列車は、会津坂下町に入った直後に会津坂本に停車。貨車駅舎(待合室)に描かれた「キハちゃん」が満面の笑顔で出迎えてくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg
会津坂本を出て七折峠に向かった列車は、下りに入り塔寺を経て、大きく曲がりながら会津平野の色付き始めた田園の間を静かに駆けた。
会津坂下を出て、右に大きく曲がった列車は、若宮を経て会津美里町に入り、新鶴、根岸と進んだ。
“高田 大カーブ”で左に大きく曲がり、再び進路を東に取った列車は、会津高田を経て会津若松市に入った直後に会津本郷に停車。その後、大川(阿賀川)を渡り市街地に入り、西若松、七日町を経た。
10:32、小出から4時間56分かけて、列車は終点の会津若松に到着。
輪行バッグを抱え、降車客の列の最後について跨線橋に上ると、市街地上空には青空が広がっていた。「越後駒ヶ岳」でもこれだけ晴れてくれればよかったのになぁ、と思い、“越後三山”縦走と只見線の旅を終えた。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金
・只見線応援団加入申し込みの方法
*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。 以上、宜しくお願い申し上げます。
以上、宜しくお願い申し上げます。