除草剤の話
この除草剤の功罪話になる。
人間が古いから話題が昔の話になってしまうが50年前は人間はそちこちにいた。
田んぼの中でかがまって草取りをしてる人。
町まで荷を背負い売りに行く人、そしてまた買い物をして帰る人。
畦の草を刈る人。それを牛馬の為に荷って帰る人。
畑を耕し一方で収穫しそれを庭先で振るいをかけたり芋や大根を洗う人。
至る所に人の営みの人影があった。
その50年前、多少なりとも賑わっていた町街は道幅の狭いこともあり、今は郊外に大きな道をつくりおおよその車の通行はその迂回路を通過していく。
コンビニのような店以外、元々小さなお店には見向きもしないのだが、昔賑わった繁華街は全てシャッター街となりまるでゴーストタウンである。
ゴーストタウンは辺鄙な町街の話だが、里山の世界も負けず劣らずゴーストビレッジだ。
広大な仙台平野や大崎平野は見渡す限りの稲田が広がる。その耕地に供給する水源にあたる里山の住人は高齢化となりあちこち耕作地放棄が目に付く。
そんな中で雑草が全くない稲田、大豆畑が異様に見える。
今時雑草とりをしてる人などない。
牛馬の草刈りなどしてる人などいない。あるわけ無い。当地には家畜などいないのである。
そんな耕地に時々現れるのは人でなく大型機械である。耕す、植える、刈り取る。人影は街にも耕地にも里山にもない。
そんな無人の世界は除草剤の普及がつくり、有機農法は家畜の堆肥ではなく、原油粕から出る有機物を原料にした化学肥料で収量を上げてる。
薬剤散布はドローンが稲田を飛び回って回り効率を上げてる。
薬剤で効率よく生産が上がっている、広大な農地の農産物を私たちはありがたく頂いてるわけだが、その消費者の自宅周りは薬剤拒否で雑草に囲まれて生活してる人々が多い。
除草剤は危険だと拒否する。
僅かな面積に使用する除草剤や殺虫剤の量はどれほどの害があるのだろうか。
広大な宮城県の大崎耕地に注ぎ込まれる薬剤は、山の麓から太平洋の海岸線まで延々と流れ、下流ほど薬剤の濃度は想像できないほどになる。
除草剤を含めた農薬なしでは広大な農地を制御できない。その農地の生産物を平気で口にしている人が住宅地の周囲に除草剤の使用を拒否する人が多い。
雑草のない農地と雑草だらけの住宅地は不思議な世界である。
農業者は植生に詳しい。
一方自然の植生に関わりのない人は薬は危険ということになる。
知らないことは何事も高くつく。
除草剤は使い方を間違えば確かにトラブルのもとになる。
植物の世界には境界がない。枝や根は隣地との境界線はないのだ。
除草剤の普及で隣人と争いが増える。
そこにはビックビジネスが潜んでるようだ。
今年は彼岸花が正確にお彼岸に咲いた。
耕作地放棄した農地にソーラー発電所ができた。
砂利の下に防草シートが敷いてある。防草シートも砂利も雑草を抑制できない。
人間の単なる思い込みが無駄の山をつくりそれが大きなビジネスになってる。1万m2のこの施設を薬剤散布なしでは維持できない。
雑草も枯れたが全てが枯れた。原液を散布した最悪の例。
薄めればこうならない。除草剤の販売者の説明が足りないんです。