Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

森長可

2025.10.08 15:00

もり ながよし

尾張織田家臣。

森可成の次男。

兄の可隆が先に討死していた為、父の没後に家督を継ぐ。


織田信忠に従い、長嶋一向一揆攻めや長篠の戦い、甲州征伐など数々の戦いで武功を挙げた。

父と同じく十文字槍の名人で「鬼武蔵」との異名をとる。

長篠の戦い

森長可は後詰の織田信忠勢



長可は武勇に秀でていたが、たびたび軍規を破るなど無法者な面があった。


あるとき長可は近江の瀬田川の関所にて、下馬をするように言われた。

しかし長可は急いでいたので下馬をせず、制止する役人を斬り捨てて通ったことがある。

これを聞いた織田信長は、笑って長可を許した。

そして五条大橋の武蔵坊弁慶にちなんで、瀬田橋で人を斬った長可を「武蔵守」に任じたという。



長可は武田家滅亡後、その功により信濃海津を領する。

しかし信長が本能寺で横死すると、旧領の美濃金山へと逃げ帰った。

その後は羽柴秀吉と誼を結び、秀吉と対立する織田信孝に与する美濃の諸将を討伐した。

池田恒興の娘を妻としている。


小牧・長久手の戦いでは、秀吉方として出陣する。

初戦の尾張羽黒での戦いは、徳川勢の奇襲に会い惨敗した。

その後戦線は膠着し、羽柴軍と徳川・織田連合の両軍は小牧で対陣におよぶ。

対陣が長期に渡ったので、池田恒興は小牧山城を迂回し後方の三河へ奇襲する策を進言した。

長可も羽黒での雪辱を果たすべく、養父の池田恒興とともにこの三河中入りに参陣する。


しかしこの奇襲策は徳川家康の知るところとなる。

池田・森勢は長久手で徳川・織田勢に追撃をうけ、両軍は激戦となる。

この戦いで長可は奮戦するも、敵の鉄砲に狙撃され討ち死にしてしまった。



森家は父の森可成も討死。

兄の可隆も討死。

弟の蘭丸・坊丸・力丸も本能寺で横死するなど、みな早死にしている。

家督を継いだ末弟の忠政のみが生き延びて、江戸時代に美作津山を領した。