魚沼市「未丈ヶ岳」登山 2025年 紅葉
私選“只見線百山”の検証登山。今日は“山頂草原”の草紅葉が見頃を迎えている二等三角点峰「未丈ヶ岳」(1,552.6m)。会津若松駅からJR只見線の列車に乗って新潟県入りし、検証登山で初めてとなるレンタカーで登山口に向かった。
「未丈ヶ岳」は小出駅から、直線距離でおよそ東微南22kmの新潟‐福島県境にあり、山の東には只見川が流れている。*出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/ *一部、筆者にて文字(青・緑)を記入
「日本山名事典」によると十二支の中で“ひつじ”が付く山は、全国に4座で最小。ただ、“未”は「未丈ヶ岳」だけに使われている。*4座:「羊蹄山(蝦夷富士)」、「尻別岳(前方羊蹄山)」(以上、北海道)、「未丈ヶ岳」、「櫃ヶ岳(羊ヶ岳)」(奈良県) *「野羊山」(やぎゅうざん、やぎやま/東京都父島)は、“やぎ”ということで除かれている。
みじょうがたけ 未丈が岳(大鳥未丈岳) (高)1553m
新潟県魚沼市。越後山脈の中央にあり、古生層からなる。
*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p990)
会津藩の地誌「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)には「未丈ヶ岳」が、會津郡(黒谷組石伏村)の項に“大鳥嶽”として、魚沼郡(小出島組三叉新田村)の項に“みしやうが嶽”として記されている。現在、上掲した地理院地図では、「未丈ヶ岳」と「大鳥岳」(1,348m)はそれぞれ独立した山になっているが、なぜそうなっているかは調べても分からなかった。
石伏村 〇山川 〇大鳥嶽
越後國にてはみしやうが嶽と云 村の未申の方七里餘あり、四時雪を戴く越後國魚沼郡小出島組三叉新田村と峯を界ふ
三叉新田村 〇山川 〇みしやうか嶽
陸奥國にては大鳥嶽と云 村より卯辰の方六里計數山の奥にあり 郡の條下に詳なり
*出処:新編會津風土記 (石伏村)巻之四十五「陸奥國會津郡之十八」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第34巻」p274 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179202/1/144 ) / (三叉新田村) 巻之百十七「外篇 越後國魚沼郡之七」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第34巻」p304 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179230/1/158)
現在、「未丈ヶ岳」には登山口は、奥只見シルバーラインに接する泣沢口1箇所のみになっている。しかし、この奥只見シルバーラインは自動車専用道路で路線バスは走っているが停留所は無く、徒歩や自転車での走行は不可になっている。このため登山口までの移動は車一択。そこで、今回は駅からレンタカーで移動することにした。
今回の旅程は以下の通り。
・前日に会津若松から只見線の列車に乗って全線乗車後に、小出で上越線の列車に乗り換え浦佐で下車
・浦佐駅前のレンタカー内で仮眠
・早朝、浦佐駅前からレンタカーで泣沢口(避難駐車場)に移動
・泣沢登山口から「未丈ヶ岳」山頂間をピストン山行
・下山後、浦佐駅に移動しレンタカーを返却
・浦佐~小出~(只見線)~会津若松~郡山という鉄路で家路に就く
天気予報は曇り時々晴れで、降水確率は低かった。熊に遭わない事を最優先に、「未丈ヶ岳」登山に臨んだ。
*参考:
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -私選“只見線百山”候補の山行記- / -只見線の秋-
昨日、午後半休を取って浦佐駅(新潟県南魚沼市)に向かって移動。
まずは、郡山から磐越西線の列車に乗った。
中山峠の南を貫く沼上トンネルを抜け会津に入り、猪苗代を出ると右車窓の正面に、山頂から徐々に色付き始めている日本百名山「磐梯山」(1,816.0m、会津百名山18座)が見えた。
会津若松に到着し、只見線内で呑む酒などを調達するため駅舎を出た。駅前の広場では工事が行われていて、“赤べこバリケード”が置かれていた。*参考:有限会社ワシオ商会「赤べこバリケード」
日本酒は渡辺宗太郎商店の「會津酒楽館」で手に入れた。
食材などは近くのスーパーで調達し駅に戻った。そして切符を購入し“袴ぽぽべぇ”の見送りを受けて、改札を通った。*「ぽぽべぇ」はJR東日本 会津若松エリアプロジェクト オリジナルキャラクター
改札脇に広がる「べこ牧場」の「若べこ」と「松べこ」の足元には、“落ち葉”が敷かれていた、
連絡橋を渡り、まだ列車が入線していない只見線の4-5番線ホーム向かった。
橋上から北西に目を向けると、先週登った「飯豊山」(2,105.0m、会津百名山3座)を含む飯豊連峰は、山頂付近に雲を載せていた。*参考:拙著「喜多方市「飯豊山」登山 2025年 紅葉」(2025年10月18日)
南側の空は雲が少なく、南西の奥には「博士山」(1,481.7m、同33座)、その手前には西部山地最高峰の「明神ヶ岳」(1,073.9m、同61座)と、伊佐須美神社山岳遷座地二峰の稜線がくっきりと見えた。*参考:伊佐須美神社「御由緒・歴史」
16時30分過ぎ、列車が入線してきた。キハ110+キハE120旧国鉄色の2両編成だった。
列車が停車すると、まもなく扉が開いた。私は後部となるキハE120旧国鉄色に乗り込んだ。
今回は、前回間違って“磐越西線‐新津”経由を選んだこともあって、慎重に“只見線”経由の会津若松~浦佐間の切符を購入した。
17:00、高校生を乗せて車内が賑やかになった小出行きの最終列車が会津若松を出発した。
列車は市街地の七日町、西若松を過ぎ、大川(阿賀川)を渡り会津平野の広大な刈田の間を進んだ。
会津若松市から会津美里町を経て、会津坂下町に入り会津坂下に停車すると高校生を中心とする客の大半が降りて、車内は閑散とした。ここで夕食を摂る事にした。会津若松駅近くのスーパーに揃っている総菜はどれも美味しく、手ごろな価格ということもあり私は気に入っている。
柳津町に入った列車は会津柳津に停車。ここで、只見線全線乗車恒例の“会越の酒 呑み比べ”をすることにした。今回は往復で全線乗車となるので、往路は会津の酒、復路は越後の酒を呑む事にした。「會津酒楽館」で選んだ会津の酒は、会津美里町の(資)男山酒造店「特別純米酒 一回火入れ」。
まろやかで良い香りが立つ、旨い酒だった。1865(慶応元)年創業の老舗酒蔵が、20年以上休業しながら復活しこうして旨い酒を造ってくれている。今回も、40代でIT業界から転身した八代目の決断と努力に感謝感謝とつぶやきながら盃を重ねた。
三島町に入ってしばらく駆けた列車は会津宮下に停車。
ここで2人が降りて、私が乗る後部車両は客2人になった。最終列車の静寂。私は好きだが、只見線の全線維持に公費が充てられている事を考えると、いつものように複雑な思いだった。
金山町に入り、会津川口に停車。ここでは上り最終列車(小出16時21分発・会津若松20時55分着)と交換をした。この列車は、キハE120の2両編成で、客は先頭に3人、後部に1人だった。
会津川口を出発し、列車は福島県保有区間(会津川口~只見、27.6km)に入り、本名、会津越川、会津横田、会津大塩と進んだ。
19:52、滝トンネルを抜け只見町に入った列車は、会津塩沢、会津蒲生を経て只見に停車。客の乗り降りは無かった。
20:02、列車が只見を出発。先頭車両は客ゼロで、後部は私と他1人だった。
20:32、“会越界”の六十里越を越えた列車は新潟県魚沼市に入り、大白川に停車。ホームの向かいの番線には、小出発・大白川着の列車が入線した。
21:26、終点の小出に到着。私と他1人の客が降りた。
小出からは上越線の列車に乗り換え、浦佐で下車した。
この後、駅舎を抜けて駅前に停められているレンタカー(シェアカー)で仮眠した。
今朝、未明に目を覚まし、準備をしてレンタカーから表に出た。すでに駅は目覚めていて、新幹線ホームも煌々と照明が点いていた。
近くのコンビニで朝食や水などを調達し、浦佐駅前を出発。
国道17号線を北上し、魚沼市に入って佐梨川を渡り右折、国道352号線に入り東進。そして、上折立地区で左折し県道50号(小出奥只見)線の「奥只見シルバーライン」区間を進んだ。
「奥只見シルバーライン」は、只見川最大のダム「奥只見ダム」と、その下流にある「大鳥ダム」の建設のために電源開発㈱が3年の歳月をかけて建設した資材運搬専用道路で、ダムが完成した後しばらくして新潟県に譲渡された、総延長22.6kmながら合計18.1kmにもおよぶ19本のトンネルが続く“モグラ道”となっている。*参考:魚沼市観光オフィシャルサイト「奥只見の歴史について」 / 土木学会 関東支部 新潟会「合計19㎞の地下世界が続く19本のトンネル群 ~奥只見シルバーライン~(魚沼市)」
*上図出所:*出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/ *筆者にて一部、文字や線形を記入/トンネル(灰色)は概略
5:27、泣沢避難所駐車場の出入口となる、上下開閉扉の前に到着。退避スペースに車を停車させ、扉を開けることにした。
事前に調べていたとは言え、『本当に勝手に開けていいの⁉』と思い扉に近づくと、“許可なく開放禁止”などという掲示は無く、レバーの脇に“この取手を矢印の方向に回して開けて下さい”との注意書きがあり、安心してレバーを回し、扉を押し上げた。
すると、外はまだ暗く、目を凝らすと駐車スペースらしい広場があった。
車に戻り、この広場に進めたのち、車を出て扉の下にぶら下がっていたロープを掴み、扉を閉めた。
そして、車を駐車位置と思われる場所に移動させ、登山準備をした。印刷してきた地図で山頂までの所用時間を確認。今日は、小出13時12分発の只見線の列車に乗るため、登下山を6時間以内と想定。このため、標準の山行より、かなり早いペースが必要だと再確認した。
5:45、車から降りて、登山を開始。しばらく車の轍がある道を進むと、途中で1台の車を見てホッとし、また少し進むと「未丈ヶ岳」登山口なった。
登山口には、登山カードを投函するポストと、記入台が置かれていた。ポストには(標高)640mと記されていて、山頂が1,552.6mということで、標高差約900mを登る事になる。
先に進むと、低木帯に延びる登山道となった。両脇は濃い茂みで、クマの存在が気になったので、熊除けの電子ホイッスルを鳴らし、北大クマ研の“ポイポーイ”を連呼しながら進んだ。*参考:北海道新聞「「ポイポーイ」クマよけのかけ声が響く北大天塩研究林 地図とコンパスで広大な山林を調査して歩く北大クマ研のヒグマ調査に同行」(2022年9月15日)
刻一刻と周囲が明るくなってきたので、用意していたヘッドライトを点けることなく先に進むと、下り坂になった。
5:53、坂を下りきると泣沢の支沢に出て、1回目の渡渉になった。事前の情報通り、水面上の石伝いに進むことができ、靴は全く濡れなかった。
5:56、泣沢に至り、2回目の渡渉。ここも石伝いに渡られた。
渡渉後、落ち葉が積もった登山道を進んだ。途中沢音が聞こえ小さな沢が登山道を横断していたが、ここは跨いで越えられる場所だった。
登山道は緩やかな勾配で続いた、すこし谷側に傾斜した場所もあったが問題はなかった。
また、沢音が聞こえ、近づくと少し幅のある沢だった。浅かったので、ここも容易に越えられた。
周囲の明るさが増し上空を見上げると、雲の間から青空が覗いていた。今日の予報は曇り時々晴れで雨の心配はなかったが、できれば晴れの時間が長い事を願った。
先に進むと、登山道が泣沢に向かって崩れている場所や、河岸の傾斜にそのまま通されたような場所があった。沢までの距離が短く、高さも感じないため怖さは感じなかったが、少しの油断で滑落するような危険箇所だった。
また少し進むと人工物が倒れていて、近づくと“未丈ヶ岳”と記された樹脂製の標杭だった。
この標杭の矢印の先は崖になっていて、クサリ場になっていた。朝露で地表が濡れていたこともあり、鎖を掴んで慎重に下った。
6:12、下ると泣沢の左岸に出て、3回目の渡渉となった。ここは川幅が広く、水深もあり、水面に出た石伝いに渡ることは不可能なことは一目瞭然だった。
ここで、準備してきた靴カバーを登山靴にかぶせた。
靴カバーはローカットのものだったが、川床の石に足を載せ、トレッキングポールでバランスを取りながら進むことで、濡れずに渡渉を終えられた。
渡渉後は、再びクサリ場になった。ここの登攀は、鎖無しでも可能だった。
昇りきると、登山道はしばらく歩き易い、落ち葉の道が続いた。
電子ホイッスルを時折鳴らしながら快調に進んでゆくと、「未丈ヶ岳」山道の象徴の一つになっている“赤鉄橋”が見えてきた。
6:21、泣沢が注ぎ込む黒又川に架かる“赤鉄橋”に到着。
渡り始めると、さっそく怖さを感じた。幅が狭く、手すりが無いこともあり、水面からはそれほど高くないのだろうと想定していたが違った。水面からは10m以上あるようで、水深も無いため、落ちたら大怪我するような状態だった。
ただ、この橋の形状のお陰で開放感が得られ、上流側の渓谷が綺麗に見えた。
無事に“赤鉄橋”を渡り、振り返った。Web上の写真では分からなかったが、この鉄橋は逆V字になっていた。橋長があり荷重を両岸に分散させるため、このような構造になったのだろうと思った。
渡橋すると目の前に空き地があった。三ツ又口小屋が建っていたという。そして、この空き地の右側には標杭があった。登山道の踏み跡は明確で迷う心配は無かったが、案内があると一層安心できると思った。*Web上の山行録には、ここが「未丈ヶ岳」三ツ又登山口としているものもあった。
この直後、倒れた標杭があり、その矢印が示す方向は、今までとは違った急勾配の斜面だった。本格的な登山の開始となった。
登り進むにつれて勾配は増し、急坂となった。
途中から岩場もみられ、やがて上方が開けた。
開けた場所に立つと、目指す「未丈ヶ岳」山頂が見えた。
この先は、ピークを右(南)に少し巻いて進むと、岩場を登る事になった。
そして、急坂を登ると、開けた空間が見えた。
6:30、尾根に乗ったのようで、スゥーっと延びる尾根筋の先に「未丈ヶ岳」が見えた。
この尾根には、ザレで痩せた“馬の背”が数箇所見られた。
尾根に立つマツに、国有林を占めす六日町営林署の札が取り付けられていた。
尾根を塞ぐマツ木立をさけるように右に少し巻いて進むと、登山道が一部崩れている場所があった。地表の状態から、だいぶ時間がたっているようだった。
少し進むと、開放的な尾根になった。正面に目指す山頂が見える開けた尾根、この風景は「未丈ヶ岳」登山を象徴するものではないかと思った。
しばらく開けた尾根を進むと、短い急坂とマツ木立が点在する区間になった。
マツ木立の中は落ち葉が堆積し、フカフカで足の負担が軽減された。
短い急坂は、岩場が多かった。
この岩場で振り返ると、先月縦走した“越後三山”の「越後駒ヶ岳」(2,002.6m)と「中ノ岳」(2,085m)が見えた。*拙著:「魚沼市 ・南魚沼市 “越後三山”縦走(2日目)「越後駒ヶ岳」 2025年 初秋」(2025年9月15日)
「越後駒ヶ岳」は、日本百名山に相応しい貫禄ある山容だった。
6:43、マツの密集帯に入った。
根が地表に出て凸凹していたり岩場が交じり足元が不安になる場所や、木と木と狭い間を抜ける場所もあった。
崖崩れ箇所もあったが、ここは表出したマツの根が滑り止めになって、難なく進めた。
尾根の勾配が増し、直登区間を進んだ。少しスピードが緩んだ。
しばらく進むと、前方に登山道を塞ぐような黒い物体が見えた。『まさかクマではないよな...』と思い電子ホイッスルを鳴らすが、動きが無かったので近づくと、地表に張り出した太めの木の根だった。
尾根は痩せていて、実を落とすような広葉樹もないため、クマはあまり気にならなかったが電子ホイッスルを定期的に鳴らしながら進んだ。直ぐに大きく甲高い人工音が出る電子ホイッスルは助かる、と改めて思った。
尾根のマツは左右不均衡なものが多かったが、美しい枝ぶりのものも数本見られた。
7:10、前方が大きく開け、974mピークに到着。
平場には標石が埋められていて、その表面には“三角点No23”と記されたプレートが取り付けられていたが、地理院地図の基準点成果等閲覧サービスで確認しても、当地の記述は無かった。
ここから先は、一旦、「松の木ダオ」と呼ばれる鞍部に下ることになった。
下る前に平場の端に立ち、「未丈ヶ岳」山頂方面を眺めた。鞍部は‐60mほどだが、山頂手前の1,204mピークへの尾根の傾斜を見ると、『鞍部に下ったあとの登り返しが、もったいない』と思ってしまった。
「松の木ダオ」に向かって下り始めた。序盤は土間を下りたが、途中からマツやブナの木立の間を進むようになった。
下って5分ほどで平場に近いような勾配になり、『ここが「松の木ダオ」か⁉』と思ったが、登り返しとなる上り勾配が見えないので、先に進んだ。
まもなく、緩やかな上りになり、登り返しが始まったようだった。「松の木ダオ」は特に案内板や標杭が無いといううことで特定できなかったが、先ほどの平場のような場所だったのだろうと思った。
ちなみに、“ダオ”とは漢字の“垰”(たお)で、山の尾根の窪みを示す鞍部orコルと同義だという。確かに、地理院地図を見ると、鞍部の位置に「松の木ダオ」と記されている。*下地図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/
登り返しの序盤は、傾斜が緩かった。
7:20、本格的な登り返しが始まった。
974mピークから見えた斜面から想像した通りの急坂で、ほぼ尾根筋に沿った直登だった。
7:23、少し息を切らせながら登り進んでゆくと、登山者の背中が見えた。登山口駐車場で見かけた車両の持ち主に、ここで追いつくことになった。
先行者と挨拶をかわし、引き続き黙々と急坂を登り進むと、足元に苔むした標石があった。側面を見てみるが、5㎝ほどしかた地表に出ていないこともあって、刻字は確認できなかった。
急坂は続いた。時に右に、時に左に巻くことはあったが、、尾根筋から大きく外れることはなく、“終始急坂直登”と呼べる区間だった。
7:32、登山道を塞ぐブナの倒木があり、開けた場所になった。
この倒木を跨ぐ前に振り返ると、「越後駒ヶ岳」の立派な山容が見られた。独立峰ではあるが、山頂尾根に3つのピークを持つ、台形の山容からは威厳が感じられた。
倒木箇所から先は、登山道の勾配が、少し緩やかになったような感じたした。足元は乾いた落ち葉が堆積し、適度な柔らかさで滑ることがほとんどなかったので、快適に登り進められた。
標高が上がるにつれて、根曲がりを見られ、ここが豪雪地帯であることも認識させられた。
登山道には、腐葉土の地面が割れて、足を取られてしまうような場所が数箇所あった。
7:44、登山道が左に巻き、開けた場所になると「未丈ヶ岳」山頂が見えた。
この後登山道が右に巻くと、段差があったり、涸れ沢のような小石が続く場所が続いた。
時折陽が差すと、紅葉終盤の葉が輝いて見え、少し元気が出た。
登山道には、雨溝が掘られた区間も見られた。
右に巻き、周囲が開けると、上方にピークが見えた。地理院地図で確認すると、標高は1,460mほどだった。
この先登山道は、短い区間だったが不安定になった。岩場や急斜面で完全に寝てしまった木々を越えることになった。
ここを抜けると、再び前方が開け“1,460mピーク”になった。
岩を登ると、「未丈ヶ岳」の堂々とした山頂尾根が見えた。
振り返って麓を見ると、なかなかの眺望が得られた。
“1,460mピーク”の先は、浅い鞍部になり、すぐに急坂となった。
そして、ガレぎみの岩場となった。『こういう場所は、開けて眺望が良いはず』と振り返ると...、
“1,460mピーク”より、さらに開けた眺望が得られた。少し右(北)に目を向けると、「桧山」(1,383.2m)と「百字が岳」(1,443m)の間に陽光を浴びた“毛猛山塊”の、野趣味が感じられる眺望が得られた。
山頂までは、もう少し。
低木や灌木の間に延びる登山道を登り進んでゆくと、徐々に勾配が緩くなった。
そして、左に大回りして進むと、開けた場所に標杭が見られた。
8:20、「未丈ヶ岳」山頂に到着。泣沢避難所駐車場から2時間25分で登頂した。
三角点標石は、探すまでもなかった。山頂平場に、“二等 三角點と刻まれた文字がはっきり読み取られる位置で埋まっていた。
三角点標石に触れ、「未丈ヶ岳」登頂を祝った。
*「未丈ヶ岳」:二等三角点「大鳥岳」
基準点コード:TR25539611501
北緯:37°10′59″.9483
東経:139°11′22″.1458
標高(m):1552.61
埋定:明治38年10月29日 *「点の記」より
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://service.gsi.go.jp/kijunten/app/
山頂からの眺望を確認。360度胸高ほどのササや灌木に囲まれていたが、その良さは確認できた。
北から只見町・南会津町・檜枝岐村と続く福島県側となる、東の眺望。正面に会津百名山(第17座)に挙げられながら、到達困難な山として“マイナー12名山”になっている「丸山岳」(1,819.8m)が見えた。奥只見ダム湖には雲海が広がっていた。
右(南)に視線をずらすと「三岩岳」(2,065.1m)が見えたが、その右にある「会津駒ヶ岳」(2,133m)は雲に覆われていた。
“会越界”の「六十里越」方面となる、北側の眺望。
「浅草岳」(1,585.3m、会津百名山29座)を背後に、田子倉ダム湖を覆うぶ厚い雲海が広がっていた。
右(東)に目を向けると、“寝観音”様の裏が見えた。
“寝観音*”様とは、只見町側から見える「猿倉山」(1,455m)から「横山」(1,416.5m)の稜線に現れる御姿。「猿倉山」が横顔、「横山」は座禅し組んでいる両手を表している、と言われている。
また、少し左(西)に目を向けると、“毛猛山塊”が、相変わらずの武骨さを見せていた。*「毛猛山」(1,516.9m)も、“マイナー12名山”に挙げられている
「桧岳」の西裾には渡渉した黒又川が注ぎ込む黒又川第二ダム湖(電源開発㈱黒又川第二発電所)が延びていた。
西側の眺望。
正面に、「唐松山」(1,079.3m)、「上権現堂山」(997.6m)、「下権現堂山」(896.5m)が見られ、
そして、やや左(北)には、山頂に米山薬師堂を祀る「米山」(992.4m)の山影が確認できた。一等三角点峰に相応しい、見事な孤立峰の山稜だった。
最後、南側の眺望。
やや右(西)に連なる「荒沢岳」(1,968.5m)は、山頂付近だけが雲に覆われていた。仰ぎたかった山だったので、残念だった。
「荒沢岳」の少し右に連なる“越後三山”の「越後駒ヶ岳」と「中ノ岳」も山頂付近がすっぽりと雲に覆われてしまっていた。山の天気は変わりやすい、と独り言ちた。
山頂からの眺望の確認を終え平場を後にし、「未丈ヶ岳」最大の見どころ“山頂草原”に移動した。
10mほど下ると分岐になり、左に曲がるとササ藪の間にその一部が見え、
“山頂草原”に着いた。新潟県内では珍しいと言われている「カワズスゲ」の草原で、草紅葉が見られるこの時期に多くの登山者が訪れるという。
これほどの広さ、開放感とは思っておらず、感動し立ち尽くしてしまった。
1,500mを越える山に登り、眺望ばかりか、この草紅葉が見られるのならば、「未丈ヶ岳」は登るに値する山だと思った。
8:30、草原を後にし、下山を開始。時間的に余裕はあったが、いつも通り早めに下る事にした。
なだらかな下り勾配を進み、急坂に変わる場所で前方が大きく開けた。
しばらくは、色付く山々を眺めながら進んだ。この開けた場所を下っている途中で、追い抜いた方と挨拶を交わしすれ違った。
眺望が終わり、足場が不安定な場所になった。登山時も通ったはずだが、初めて通るような感覚だった。
慎重に下ったつくりだったが、まもなく落ち葉に隠れた木の根で足を滑られ、滑って尻餅をついてしまった。
その後は、足を滑らす事なく森林限界を通り過ぎ、木々の間を気持ちくよく進んだ。
途中、4グループ、20名ほどの方々とすれ違い、快調に下った。
9:15、「松の木ダオ」下りると、往路気付かなったヒラタケが密集した木が見られた。
「松の木ダオ」から登り返し。
往路で『復路は大変だなぁ』と思っていたが、意外とスイスイと登られた。
9:21、登り返しを終え、974mピークを通過。
時折、雲の間から陽が差すようになり、葉が照らされると気持ち良さが増した。
黒又川の支流・明神沢とみかぐら沢が合流する地点に、大きなスラブが見えた。表面は少しざらついているようだが、ここを登攀した方はいつのだろうかと思った。
短い急坂を下り、痩せ尾根区間を進んだ。
少し歩いて振り返り、「未丈ヶ岳」山頂を眺めた。陽が差しているようで、草紅葉はより鮮やかに見えているだろうかと思った。
下りでスピードが出ているため、ザレ場や崩れた場所は慎重に進んだ。
開けた痩せ尾根は、下山の時も気持ち良いと思った。
9:50、痩せ尾根の端に着き、急坂を下る手前で振り返って「未丈が岳」を見収めた。
9:56、痩せ尾根から下る途中で、最後の登山者とすれ違い、三ツ又口に至り“赤鉄橋”を渡った。黒又川の水はエメラルドグリーンで、、陽光を受け水面はキラキラと輝いていた。
10:05、靴カバーを登山口に被せ、泣沢を渡渉。
泣沢に切れ落ちる箇所は、より慎重に進んだ。雨が降っていたら、ここは大変な場所だと再認識した。
小さな沢を渡ったが、『こんなに幅が広く、水量があったかなぁ』と思ってしまった。
10:17、石を伝って、泣沢を渡渉。
10:21、泣沢の支沢となり、最後の渡渉。
渡渉後、涸れ沢を登った。
登り終えると平場になり、スイスイと進んだが、両側の藪が密集度を考え、電子ホイッスルを鳴らしながら進んだ。
10:24、登山カードポストが立つ、登山口に到着。駐車スペースの車は増えていた。
下山は1時間56分、尻餅は1回ついたが、「未丈ヶ岳」の山行を4時間21分で終えることができた。
登山口を背に、登山開始時は暗くて見えなかった、轍のある道を少し進むと...、
まもなく私が車を停めた、「奥只見シルバーライン」泣沢避難駐車場に到着した。ここも停まっている車は増えていた。
さっそく車に乗り込み、「奥只見シルバーライン」に通じる扉を開けて車を移動させた。
扉を閉めて、行き交う車に気を付けて、轟音響くトンネルを駆け浦佐駅を目指した。
未明から午前中の登山ということで、熊との遭遇を一番に心配していたが、見かけることさえなく無事に「未丈ヶ岳」登山を終えた。
登山道が整備され、山頂からの眺望が得られ、そして草紅葉が見られる山頂草原を持つ「未丈ヶ岳」は、文句なしに“只見線百山”に入れるべきだと思った。
唯一の難点は、駅からの二次交通。今回はレンタカー(シェアカー)を借りられたが、台数が少ないことがネック。タクシー利用も考えられ、距離は小出駅から20㎞ほどで複数人で利用すれば料金は抑えられるだろう。しかし、奥只見シルバーライン内の退避スペース狭さや扉の上下など考えると、泣沢駐車場まで行ってくれるのか不明で、事前確認が必要だ。
新潟県側の私選“只見線百山”で、「未丈ヶ岳」は最も福島県境に近く、山頂から奥只見の深淵部を見られる素晴らしい山だった。二次交通の問題はあるが、福島県側の方々にも、是非只見線を利用し「未丈ヶ岳」に登って欲しいと思った。
約40分ほどで浦佐駅前に戻った。返却まで時間があったので、車の中で着替えるなど帰る準備をしてレンタカーに施錠し、駅に向かった。途中、“只見線全通の父”である田中角栄元首相像を仰ぎ見た。*参考:拙著「乗り納め(全線乗車 小出⇒会津若松) 2016年 初冬」(2016年12月26日)
切符を購入し上越線のホームに向かうと、まもなく下り列車が入線した。
11:55、長岡行きの列車が浦佐を出発。
12:03、八色を経て、魚沼市に入り小出に停車。降りて、昼食などの買い物をするため市街地に向かった。県道371号(堀之内小出)線の小出橋を渡ると、右前方に「未丈ヶ岳」が見えた。登った山は、山座同定が容易になる、を実感した。
そして、魚野川の上流に目を向けると「八海山」(入道岳 1,778m )を含んだ“越後三山”が見えた。
買い物を済ませ小出駅に戻り、さっそくホームに向かった。
列車は、キハ110旧国鉄色+キハE120の2両編成だった。
後部車両に乗り込み席を確保し、ホームのベンチで昼食を摂った。まずビールで、「未丈ヶ岳」登頂祝い。一気に半分ほど吞んでから、スーパーで買ったもちぶたのメンチカツを食べた。変わらぬ味で、旨かった。
もちぶたのメンチカツを食べ終え、一息ついて、出発時刻が近付いた列車に中に戻った。
13:12、会津若松行きの列車が、小出を出発。客は前後車両で10名ほどだった。切符は浦佐~会津若松間を購入していた。
列車が走り出し、右車窓から「未丈ヶ岳」を探し見つけたが、シャッターを切るタイミングが悪く、撮る事ができなった。
列車は籔神を経て「第一破間川橋梁」を渡った。
越後広瀬、魚沼田中を経て越後須原に到着すると、ツアー客が大勢乗り込んできて、車内は一気に賑やかになった。
上条を出て、「鷹待山」(339m)を巻くように右に大きく曲がった。
ここで、“会越の酒”吞み比べ。復路での越後の酒は、小出駅前の富士屋で購入した高千代酒造㈱(南魚沼市)の「巻機 無ろ過 生酒 艶」。ほど良い酸味を感じ、すっきりしたのど越しの旨い酒だった。
入広瀬を出て破間川沿いに山中を進むと、「第四平石川橋梁」を渡った。下流側には国道252号線の柿ノ木スノーシェッドの真っ赤な鋼材が見えた。
*破間川は、源流から旧大栃山村と旧穴沢村の境界(黒又川合流点付近)までを平石川と呼んでいたため、橋梁名にその名残がある。
「一ツ橋トンネル」を抜け、国道252号線を潜ると、破間川の上流側に私選“只見線百山”の“大白川山”が見えた。*参考:拙著「魚沼市 旧二等三角点「大白川」山 登山 2025年 春」(2025年5月24日)
13:56、列車が大白川に滑り込むと、驚きの光景が。ツアー客と思われる多くの客がホームにいた。大白川駅から乗車して、福島県に向かうツアー客を見たのは初めてだった。越後須原駅から乗り込んだツアー客は降りたが、引き続き車内は賑やかなままだった。
大白川駅から乗車したツアーは、おそらく「六十里越」(大白川~只見 間)の紅葉を見るために企画されたものだと思われたが、残念ながら見頃はまだ先のようだった。
列車は破間川の支流・末沢川に架かる16脚の橋を渡った後、“会越界”の「六十里越トンネル」(6,359m)に突入した。
8分ほどで「六十里越トンネル」を抜け、列車は福島県只見町に入り只見沢を渡った。木々の色付きは新潟県側と変わりなかった。
国道252号線を潜り、田子倉駅跡が残るスノーシェッドを抜け「余韻沢橋梁」を渡った。田子倉ダム湖の貯水量は少なく、湖岸がかなり露わになっていた。*田子倉ダムは電源開発㈱田子倉発電所の貯水池
渡橋後、「田子倉トンネル」など3本のトンネルを抜けると、右車窓から山間を防ぐ田子倉ダムと、その手前に電源開発㈱只見発電所・ダムの洪水吐ゲートが見えた。田子倉ダムの背後には、“寝観音”様の稜線も見られた。
複数のスノーシェッドを抜け「上町トンネル」を抜けた列車は減速し、手を振る多くの方々の出迎えを受けながらホームに滑り込んだ。
14:25、只見に停車。ツアー客がどうか不明だが、ここでも多くの方が乗り込んだ。
14:35、列車が動き出し只見を出発すると、ここでも列車に向かって手を振る方が居た。いつもは宮道踏切前で見かける、「駅前旅館 只見荘」の女将のようだった。私は、急ぎ手を振り返した。
列車は福島県保有区間(只見~会津川口、27.6km)に入り、市街地が見えなくなると、まもなく叶津地区に入り、右車窓からは只見四名山「蒲生岳」(828m、会津百名山83座)の“会津のマッターホルン”に相応しい山容が見えた。*参考: 一般社団法人東北観光推進機構「只見四名山」 https://www.tohokukanko.jp/attractions/detail_1006183.html
そして、、列車は只見線最長の「叶津川橋梁」(372m)を渡った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋検索」
列車が叶津川上に差し掛かると、複数の“撮る人”が居た。
渡橋後、八木沢地区の背後を駆けると、木々の間から只見川越しに只見四名山「会津朝日岳」(1,624.3m、同27座)が見えた。
そして、会津蒲生を出てまもなく、蒲生原越しに只見四名山「浅草岳」(1,585.3m、同29座)も見えた。
この後直後、墓地踏切に近づくと、“ありがとう”とカラフルに記された横断幕を持った、“いつもの”家族が手を振ってくれていた。私も手を振り返した。
列車は会津塩沢手前で、「第八只見川橋梁」を渡った。*只見川は電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖
「滝トンネル」を抜けて金山町に入り、会津大塩、「第七只見川橋梁」、会津横田、会津越川と進み、「本名トンネル」を抜けると「第六只見川橋梁」を渡った。
本名を出発して、只見川が近付くと「第五只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖
渡河後、只見川右岸を駆けた列車が「野尻川橋梁」手前で減速すると駅が近付いた。なんと、ここにも沢山の客が居た。
15:25、会津川口に停車すると、ツアー客と思われるこの客が乗り込んできた。
会津川口を出た列車は会津中川を経て、会津水沼手前で「第四只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱宮下発電所の宮下ダムのダム湖
この後、列車は下大牧集落の背後を駆け、「細越拱橋」を渡り、三島町に入り早戸に近づいた。只見川には観光和舟が2艘浮び、船頭や客が列車に向けて手を振ってくれた。*只見川は宮下ダム湖
早戸を出ると2つの長いトンネルを抜け、「第三只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖
宮下ダムの脇を駆けた列車は、会津宮下を経て「第二只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖
この後、会津西方出て名入トンネルを抜け、「第一只見川橋梁」を渡った。*只見川は柳津ダム湖
上流側、駒啼瀬右岸の「第一只見川橋梁ビューポイント」に向けてカメラをズームにすると、最上段のDポイントと、その下のCポイントに多くの“撮る人”が見られた。
“只見川八橋”を渡り終えた列車は、会津桧原を出て「滝谷川橋梁」を渡り柳津町に入った。その後、滝谷、郷戸、会津柳津と進んでいったが車内の賑わいは終点まで続き、(見頃は未だ先だったが)只見線が最も集客する紅葉期の混み具合だった。
会津坂下町に入り、会津坂本に停車。「キハちゃん」が満面の笑みで迎えてくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg
七折峠の下り坂登坂途上にある塔寺を経て、列車は刈田が広がる会津平野に滑り込んだ。
会津坂下を出ると、若宮を経て会津美里町に入り、新鶴、根岸と列車は進んだ。曇り空ということもあり外は薄暗く、西部山地の山々が黒く連なって見えた。
“高田 大カーブ”で左に大きく曲がり、進路を東に変えた列車は会津高田を経て、会津本郷手前で会津若松市に入った。
17:24、列車は大川(阿賀川)を渡り西若松、七日町を経て、終点の会津若松に無事に到着。1泊2日の只見線乗車・「未丈ヶ岳」登山の旅が終わった。
“観光鉄道「山の只見線」”のコンテンツの一つならないかと思い行っている、私選“只見線百山”の検証登山。新潟県の山は「未丈ヶ岳」で、今年最後となった。
今年は“越後三山”と「荒沢岳」の“難山”を踏破しようと考えたが、天候が悪く「荒沢岳」登山は取りやめた事が残念だった。
只見線の列車を利用する中で難易度の高い山は、新潟県側では「荒沢岳」「平ヶ岳」「守門岳」の3座となった。
「守門岳」は、“東洋一”と言われる大雪庇が見たいので、3月以降の残雪期で好天の日に登ることを決めていて、岩場登攀で危険度の高い「荒沢岳」と往復10時間越えの山行となる「平ヶ岳」は体力に問題の無い好天の日に登る必要があり、それぞれ登山計画が難しい。なんとか、この3座のうち2座には来年登りたいと考えている。
他の山々は、会津若松駅を起点にすれば、只見線を使った日帰り登山も可能なので、仕事が休みの日に荒天が続かないようならば、来年中に完踏したいと思う。
今年も魚沼市の山々を登り、“観光鉄道「山の只見線」”が周知され確立されるには、福島県と新潟県の沿線自治体や関係団体が、車窓から見える山の風景やそれぞれの山の魅力を伝え続ける必要があると感じた。私も引き続き、微力ながら、沿線の山々について山行記を通して発信したい。
(了)
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*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金
・只見線応援団加入申し込みの方法
*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。