“臨時列車” 小出9時15分発・会津若松行き乗車 2025年 紅葉
秋の臨時列車として運行されたJR只見線の全線を走行する、小出駅発(9時15分)・会津若松駅着(14時15分)の列車に乗車した。
只見線の通常ダイヤでは、全線走行する列車は上下3本が設定されているが、双方とも1番列車は早朝発で、2番列車は7時間以上の間隔をあけて運行されている。このため、観光客は早起きして1番列車に乗るか、休日には客が集中する2番列車を利用するしかなく、現状只見線は観光鉄道と呼べる状況にない。特に小出始発(5時36分)の列車は、接続する上越線の列車もなく、駅周辺の数少ない宿に前泊するしかない。
今回乗車した小出発の臨時列車は9時15分発で、北の温泉地である越後湯沢や、南の中越の最大都市である長岡から上越線を利用し乗り換えられるばかりでなく、東京発7時4分の上越新幹線に乗れば浦佐乗換で利用できるダイヤに設定された。*下図出処:JR時刻表 2025年11月号 p642-643 *筆者にて赤枠記入
この臨時列車は、秋の紅葉最盛期を見込んで運行企画され、10月の最終土日、11月1~3日の三連休、そして次の土日、計7日間に設定された。*下図出処:東日本旅客鉄道㈱「秋の臨時列車のお知らせ」(2025年8月27日)
2022年10月1日、運休区間(会津川口~只見)の復旧工事を終えて約11年ぶりに全線復旧した後、只見線は復旧区間を上下分離方式で保有することになった福島県が中心となり、“観光鉄道「山の只見線」”に生まれ変わるため、生活利用から観光利用促進に重点をおいた施策を行うようになった。*参考:福島県「只見線の利活用」
未だ“全線走行列車上下3本”は変わっていないが、JR東日本も今回の紅葉期の他、ゴールデンウィークや夏期休暇のシーズンに全線走行列車を1本増やし観光需要に応えている。
只見線沿線は紅葉の見頃を迎えている。今回、11月3日は“晴れの特異日”と言われているため旅程を組んだが、沿線の天気予報は曇りで雨が降る可能性も報じられていた。この予想される天候でどれほどの客が乗るか不明だったが、只見線が最も集客する紅葉期に設定された“小出9時15分発”の実際を見てみたいと、前日入りした長岡から小出に向かった。
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
・(公社)新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線」
・(一社) 魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線
・魚沼市 だんだんど~も只見線沿線元気会議:Facebook (URL: https://www.facebook.com/dandandomotadamisen )
・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の秋- / -“観光鉄道「山の只見線」”目指して-
昨日、観光列車「SLばんえつ物語」号に乗って、会津若松から宿泊地の長岡に向かった。*参考:東日本旅客鉄道㈱「のってたのしい列車」 SLばんえつ物語
蒸気機関車C57に牽引された客車は、レトロな設えの普通車(2号・3号・5号(一部)・6号車)、大きな窓に正対する展望車(4号車)が連結され、自由に行き来できた。*5号車の一部は売店、7号車はグリーン車
この展望車両は、ソファが置かれた場所の窓はさらに大きく、天井近くまで切り取られた窓枠は、車窓からの景色を堪能できるすばらしいものだった。只見線を走る観光列車にも、このような大窓は必要だと改めて思った。
そして、最後尾(1号車)は「オコジョ展望車両」になっていて、ちびっ子たちが楽しめるフリースペース(オコジョルーム)と展望失(オコジョ展望室)があり、親子連れを中心にとても賑わっていた。
山間部に入ると蒸気機関車は出力を上げ、汽笛を大きく鳴らし、黒煙をモクモクと後方の車両になびかせながら進んだ。窓にすき間があるようでトンネルではこの煙や石炭を燃やした匂いがただよったが、旅情が増して心地よかった。
ちなみにこの蒸気機関車「C57-180」は、1946(昭和21)年に製造され1969(昭和44)年まで運行された後、新津駅近くにある新津第一小学校の前庭に静態保存されていたが、約2億円の費用かけて1999(平成11)年4月に「SLばんえつ物語」号として復活した。*参考:新潟市秋葉区「C57-180の保存と復活」
只見線沿線にもSLが静態保存されていて、会津坂下町立坂下南小学校には「C58-215」、会津柳津駅には「C11-244」、そして只見町の只見公民館には「C58-244」が置かれている。只見線では2002(平成14)年10月から2017(平成29)年5月まで、新緑や紅葉期等の観光シーズンにSL(C11-325)が運行されていた。しかし、現在は当該機が東武鉄道㈱で「SL大樹」号に使われていることもあり、この8年間只見線ではSLが走っていない。多額の初期投資や維持費が掛かるが、これら沿線の静態保存のSLが只見線の“定期運行車”として復活すれば、“観光鉄道「山の只見線」”の価値は高まるだろうと思った。*参考:拙著「会津美里町「蓋沼森林公園」 2017年 春」(2017年5月20日)
今朝宿を出て、戊辰役・北越戦争で長岡藩を率いた家老・河井継之助の墓参りをした。
新政府軍に長岡城を落とされ、奥羽越列藩同盟の盟主である会津藩をたよるべく、栃尾から難所・八十里越を越えて塩沢村(現 只見町塩沢地区)に入った河井継之助は、戦闘で銃撃を受けた左足の大けが元で、この地で息絶え荼毘にふされた。
彼の遺骨がしばらく埋葬されていた塩沢村にも河井継之助の墓があり、その場所は会津塩沢駅からほど近く、彼と只見線は縁がある。
長岡駅上空には、鼠色の雲が広がっていた。只見線の奥会津地域の天気予報も曇り時々雨だったので、できるだけ雨が少ない事を願った。
6:33、信越線経由、上越線・水上行きの列車が長岡を出発。切符は長岡~(只見瀬経由)~会津若松間を買おうとしたが、自動券売機は磐越西線経由と表示された。このため、やむを得ず会津若松の一つ手前の七日町の切符を購入した。
7:09、小出に到着。次の列車(長岡7時51分発・小出8時27分着)で乗り換えには十分余裕があったが、只見線の列車が混雑し座れない可能性もあるので、1本前の列車を利用した。
向い側の4番線には乗り換える予定の只見線の列車(キハ110+キハE120)が停まっていたが、まだエンジンはかかっておらず、乗車はできないようだった。
8時20分頃、2-3番線ホームの暖房の効いた待合室で時間を潰していたが、列車の混み具合が予想できなかったため、念のため並んでおこうと跨線橋を渡り只見線のホームに向かった。跨線橋の内壁は白壁に改修され、明るくなっていた。
4-5番線ホームに下りると、並んでいる人は居なかったが、奥にあるベンチには荷物が置かれていた。
ホームの端に移動し、今年9月に登った“越後三山”を眺めた。三座とも冠雪があり、なかでも「越後駒ヶ岳」(2,002.6m)の山肌の積雪は目立っていた。
また東に目を向けると、先月登った「未丈ヶ岳」(1,552.m)も見えた。『登ったことのある山は、すぐに同定できるなぁ』と改めて思った。
キハE120の前扉の前に移動し待っていると、徐々に客が来て、それぞれの扉前に並ぶようになった。途中、小雨がぱらついたが、客は待ち続けた。
8時45分過ぎ、運転手が現れ、エンジンを掛けた後、運行前点検を行った。そして、9時前に車両側面の赤ランプが点灯し、扉が開閉可能となり、ようやく列車に乗り込むことができた。この時、4つの扉の前に並んでいたのは、合わせて20名ほどだった。
9:15、只見線臨時列車・会津若松行きが小出を出発。まもなく、右に大きく曲がり「魚野川橋梁」を渡った。上側の“越後三山”はガスが掛かり、良く見えなかった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋検索」
小出から乗った客は、先頭キハ110に15人、後部キハE120に16人で、思ったより少なかった。好天の予報でなかったため旅行を止めた方が多かったのか、この臨時列車の存在を知らない方が多かったのかは不明だが、ちょっと拍子抜けした。
列車は刈田の間を進み、藪神手前では“権現堂山”(「下権現堂山」(896.5m)、「上権現堂山」(997.6m))とその山塊に続く「唐松山」(1,079.3m)が、それぞれ良く見えた。
そして、さっそく“呑み鉄”を開始。まずは、新潟限定のビール「風味爽快ニシテ」を呑んだ。アテは定番のサラダホープ
列車は「第一破間川橋梁」を渡った。破間川の水量は多く、左岸の東北電力㈱藪神発電所の送水口からも勢いよく水が吐き出されていた。
越後広瀬、魚沼田中を経て、越後須原で2人が降り4人乗り込んだ。私は上条を出発したあたりで、“会越地酒の呑み比べ”を始めた。
今回、越後の酒に選んだのは麒麟山酒造㈱のワンカップ。酒蔵のある阿賀町は只見線沿線ではなく磐越西線だが、今回往路で「SLばんえつ物語」号に乗ったこともあり、手に取った。
入広瀬を出ると、車窓から見える住宅や田んぼは減り、破間川との交差を増やしながら山間を駆けた。紅葉は最盛期の一歩手前という色づきだったが曇り空の下でもまずまず見ごたえだった。
「第四平石川橋梁」では、下流側に岩山に点在する色づいた低木、柿ノ木スノーシェッド(以下、SS)の真っ赤な鋼材、そして破間川のエメラルドグリーンなどが共演し、なかなかの景観だった。
渡河後に「一ツ橋トンネル」を潜り抜けると破間川の渓谷越しに、私選“只見線百山”の候補にしている“大白川”山が見えた。*参考:拙著「魚沼市 旧二等三角点「大白川」山 登山 2025年 春」(2025年5月24日)
9:59、大白川に停車すると、待機していた会津若松発・小出行きの1番列車と交換を行った。通常ダイヤでは、この駅で交換を行う全線走行の列車は、下り(会津若松発)2番列車と上り(小出発)最終列車なので、新鮮な感覚だった。
大白川を出ると「第五平石川橋梁」を渡り、列車は破間川の支流・末沢川沿いをしばらく進み、その後16回交差し“会越界”「六十里越トンネル」に向かって登坂した。
「第六末沢川橋梁」を渡ると、並行する国道252号線の茂尻橋の真っ赤な下部アーチ鋼材が際立って見えた。
「第八末沢川橋梁」では、上流側の狭隘な渓谷に紅葉が見られた。
「第十四末沢川橋梁」を渡ると、上流側を塞ぐ末沢第二取水堰の洪水吐からは勢いよく水が流れていた。
この後、「第十五末沢川橋梁」‐「第四毛猛トンネル」‐「第十六末沢川橋梁」を一気に駆け抜けて、列車は“会越界”を貫く只見線最長となる「六十里越トンネル」(6,359m)に入り、新潟県魚沼市を後にした。
7分ほどでトンネルを抜け、福島県只見町に入り只見沢を渡った。振り返って「六十里越トンネル」が穿かれた岩山と見ると、低木がオレンジに色づいていた。
そして、国道252号線を潜り抜け、再び振り返って只見沢を中心に山々を見ると、見事な眺めだった。両岸の木々の多様な色づきに岩肌の野趣味ある低木の紅葉は、国内でも屈指の列車から見える景観だと改めて思った。
この直後に列車はSSに入り、田子倉駅跡を通過。
そしてSSを抜け「余韻沢橋梁」を渡ると、橋上から田子倉(ダム)湖を見通せた。“只見沢入江”両岸の木々は豪勢に色づき、露わになった湖岸が良いアクセントになって、素晴らしい秋の風景となっていた。列車は“観光徐行”してくれたため、ゆっくりとこの眺望を堪能した。
ここで、右端に人影が見えたので、カメラをズームにしてみると、国道に車を停めてこちらにカメラを向ける“撮る人”が数名いた。ここ旧田子倉駅周辺は列車の撮影ポイントが多く、今日は小雨落ちる曇天だったが良い写真が撮れたのだろうかと思った。
「余韻沢橋梁」を渡り終えた列車は直後に「田子倉トンネル」に入り、続いて「第一赤沢トンネル」を抜けた。この明かり区間で振り返ると、山間を塞ぐ田子倉ダム(電源開発㈱田子倉発電所)の巨大な躯体が見えた。
そして、列車が減速し駅に近づくと、駅舎前で大きく手を振る方がいた。
10:29、只見に到着。停車時間が約40分長いため、列車から降りて駅舎に向かった。
駅頭に出ると、2022年10月1日全線運転再開からの“カウントボード”は、1129(日)を表示していた。
小雨落ちる中、国道沿いの店に向かい、買い物を済ませ駅に戻った。列車の背後に聳える只見四名山「要害山」(705m、会津百名山91座)は山肌一面が綺麗に色づいていた。*参考: 一般社団法人東北観光推進機構「只見四名山」
11:10、臨時列車・会津若松行きが只見を出発。市街地を抜け叶津地区に入ると、“会津のマッターホルン”に相応しい山容の只見四名山「蒲生岳」(828m、同83座)が見えた。
そして、列車は只見線最長の「叶津川橋梁」(372m)を渡った。
渡河後、八木沢地区の背後を駆けると、木々の間から只見川の上流方向に見えるはずの只見四名山「会津朝日岳」(1,624.3m、同27座)は雲(雪雲⁇)に隠れていた。
会津蒲生を出て列車が右に大きく曲がると、右車窓から蒲生原越しに只見四名山「浅草岳」(1,585.3m、同29座)が見えた、山頂付近は冠雪していた。
ここから住宅地に入り墓地踏切を過ぎると、いつも列車に向かって手を振って下さっているご婦人の姿が見られた。列車はこの家に近づくと警笛を鳴らしていたが、このご婦人に対する合図ならば粋な計らいだと思った。
列車は、会津塩沢手前で「第八只見川橋梁」を渡った。
そして、河井継之助の没地である塩沢地区の間を駆けた後、滝トンネルを抜けて金山町に入り。会津大塩を出た後に「第七只見川橋梁」を渡った。
渡河後、会津横田に停車し、次駅・会津越川を出てまもなく只見川の支流・大川入沢を渡ると、河口左岸の片屋根の家を眺めた。ここではいつもテラスから列車に向けて手を振ってくださる住民の方の姿があるが、この列車が臨時列車ということからか見られなかった。
列車が橋立地区に入り住宅の背後を駆けてまもなく、民宿「橋立」の駐車場隅に立てられた、只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通過した。
列車は、本名トンネルを抜けた直後に「第六只見川橋梁」を渡った。上流が直下に立つ東北電力㈱本名発電所・ダムは洪水吐を閉じて放流は無く、発電所側の排水口に水紋が見られた。
下流側には、先日“クマ被害”が発生した場所が見えた。
現場は只見川の堤防沿いに直線に延びる町道で、見晴らしもよく、朝7時頃ということで既に明るかったであろうことを考えるとクマの襲撃は想定外だったはずで、被害に遭われた男性は『まさか、ここで...』と思ったのではないだろうか。
襲ったクマはエサを求めて迷い込んだのか、帰るべき山が分からなくなったのか、いずれにせよ隠れる場所の無い集落近くの平場に居続けたクマは、今年の山中のブナやドングリの不作によって止むを得ず異常行動を取っていると思いたかった。
列車が本名を出ると、「第五只見川橋梁」を渡った。今日は只見川の水面に、水鏡は現れていなかった。
12:00、列車は会津川口に停車。小出行きの上り2番列車と交換を行った。
列車から降りて上空を見上げると、雲の切れ間から綺麗な青空が見えた。
12:29、会津若松行きの臨時列車は会津川口を出発。ここから、会津の地酒を呑んだ。今回選んだのは南会津町・開頭男山酒造の本醸造(500mⅬ)。
アテは、会津川口駅構内の売店で買った「赤べこ堂」(柳津町)の杵つき玄米団子のつぶあん。この団子と日本酒の組み合わせは良く、気に入っている。
列車が大きく左に曲がると、只見川に突き出た大志集落が見えた。只見川に水鏡は出ておらず、眺めはいま一つだったが、奥に連なる「岳山」(941.5m)山塊の山肌は燃えているよう色付きで目を引いた。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖
会津中川を出て、会津水沼手前で「第四只見川橋梁」を渡った。この橋梁は大半が下路式で、シャッターを切るタイミングが悪く、上部鋼材が映り込んでしまった。
再び只見川が近付くと、8連コンクリートアーチ橋・細越拱橋を渡り、三島町に入った。
早戸を出ると、列車は早戸トンネル・滝原トンネルを立て続けに潜り抜け「第三只見川橋梁」を渡った。
下流側、急峻な左岸に敷設されている高清水SSを見ると、ここにも“撮る人”が居た
12:57、列車は会津宮下に停車。ここでは、多くのツアー客が乗り込み、車内は一気に混雑した。
会津宮下を出発すると、「第二只見川橋梁」を渡った。
そして、会津西方を経て、名入トンネルを潜り抜けて「第一只見川橋梁」を渡った。
“観光徐行”で、止まってしまうのではないかと思えるほどの低速で走行してくれたため、車内では左右両方の車窓に向かって“大撮影会”が行われた。
会津桧原を出発すると滝谷の手前で「滝谷川橋梁」を渡り、柳津町に入った。渓谷は色付き、少し陽光が差していることから、それぞれの色が際立って見えた。
13:20、郷戸を経た列車は、会津柳津に停車。会津宮下駅で乗り込んでいたツアー客はここで降り、駅頭につけられた観光バスに乗り込んでいった。
車内に静けさを取り戻した列車は、会津坂下町に入った直後に会津坂本に停車。貨車駅舎(待合室)に描かれた、只見線のマスコット「キハちゃん」が満面の笑みで迎え、見送ってくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg
会津坂本を出ると七折峠を登坂し、下り途上の塔寺を経て、列車は左に大きく曲がりながら会津平野入った。小雨がぱらついていたが、上空の一部には青空も見えた。
この後、列車は会津坂下、若宮を経て会津美里町に入り、新鶴、根岸、そして会津高田に停車した。左車窓から刈田越しに先月登った「飯豊山」(2,105m、会津百名山3座)が連なる“飯豊連峰”を見るが、雲に隠れてほどんと見えなかった。
会津本郷直前で会津若松市に入った列車は、大川(阿賀川)を渡った。上流側には「大戸岳」(1,415.7m、同36座)の山塊が見えた。
14:15、列車は定刻に終点の会津若松に到着。5時間の只見線全線乗車の旅が終わった。
この後、磐越西線・郡山行きの列車に乗り換えた。猪苗代手前では「磐梯山」(1,816.0m、
同18座) を見てみるが、半分以上がすっぽりと雲に覆われていた。
15:36、郡山に到着。上空は薄い鼠色の雲に覆われていたが、雨は止んでいた。
郡山は東北新幹線が停車駅だが、これから東京に戻る場合、16時6分発のやまびこ60号に乗車すれば、東京に17時24分に到着できる。今回乗車した臨時列車(小出発9時15分)が常時運行列車になれば、東京圏の旅行者にとって只見線の日帰り旅を選択しても、負担なく楽しめるものになるだろうと思った。
今回の旅を終えて、只見線には1番列車と2番列車の間、“空白の7時間”を埋める全線運行列車が必要だと改めて思った。紅葉期から積雪期には、1番列車は出発時刻は日の出前後ということでしばらく薄暗く、2番列車は後半からどんどんと薄暗くなってしまう。今回出発駅から到着駅まで車窓からの景色を見続けられ、『“観光鉄道「山の只見線」”を目指すならばこうでなければ』と痛感した。
2022年10月1日の全線再開通から3年を経ても、只見線は“空白の7時間”と観光列車の不在で観光路線の強固な土台が整っていないと私は感じている。この課題について福島県を中心に策定された「第二期只見線利活用計画」(2023年~2027年)では、観光列車については“オリジナル観光列車”の導入を目指し、“空白の7時間”については“最適ダイヤの検討・検証”として対策をしているようだ。“オリジナル観光列車”が“空白の7時間”に運行されれば一石二鳥となるが、未だ具体的な形は見えていない。
只見線の観光路線化への道のりが容易でないが、只見線の観光力は高いが周知されきれていないというのも私の実感としてある。一人でも多くの方が只見線の全線(会津若松~小出間)に乗車し、多様な車窓の風景に見入る事が魅力の周知には欠かせない。そのためには、“空白の7時間”を埋める全線運行列車が必要で、福島県は新潟県とJR東日本の三者で協業し実現させて欲しい。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金
・只見線応援団加入申し込みの方法
*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。