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2025.09.30 13:20

https://shindenforest.blog.jp/archives/68593843.html 【国歌君が代の「いはおとなりて」】より

君が代。再掲です。

今日は国歌「君が代」の核心部分の一部抜粋です。「いはおとなりて」この部分の解釈にも、完全解釈まで九つの段階があります。ここでは、解釈するための最初の基礎を書いておきます。さらに深く読み解くための指標となるからです。

「い」は「お」となりてとはどういうことか。古代から言霊は、多くの霊的な力を使う時に利用されてきました。そして、言霊の配列の差異によって、宇宙の構造から精神の構造までが大きく異なる影響が生まれてきます。

日本語の五十音には数多くの配列が知られています。

現在一般的な現代音図「あいうえおかきくけこ・・・」の他にも、天津菅麻音図、天津太祝詞音図、宝音図、布斗麻爾音図などいろいろあり、それぞれの図で示される宇宙観や仕組みは異なりますが、各々に魂の学びに必要な意図が込められています。

例えば、「いろは」の歌は、神から人へ伝えられる神示であり、「ひふみ」の歌は、人から神へ捧げる祝詞です。瞑想と祈りのような関係にあります。

「いろは」には神からのエネルギーを調律する作用もあるため、古来から唱える人も多く、

ほとんどの人には意味は理解できずとも大切に残されてきました。

「いろは」も「ひふみ」もどちらの内容も深淵であり、普遍意識から読み解く必要があります。

このように言霊の順序を変えるだけで、諸力に働きかけることが可能となり、大きくその力を利用できるようになります。

現在のところ、ことのは(言葉)、言霊の真の力を本当に理解する人はまだあまりいません。

だから「君が代」の真の意味も封印されてきたのです。

現代五十音図の「あいうえお」の順では、魂の学びの場を作るために、あえて宇宙の理がストレートに人に伝われないよう意図的に工夫されてきました。

そして、新しい世界では「あおうえい」で表される宇宙の摂理に沿った世界へと移行します。

「あいうえお」の「い」と「お」が入れ替わると「あおうえい」になります。

これが「い」は「お」となりて。

そして、このエネルギーシフトは、、宇宙だけではなく、個人の霊的覚醒も照応しています。

ヨガでは、霊体脊髄を通して生命エネルギーを昇華していきます。

この時に利用する言霊は、「あおうえい」です。

ヨガでは実際にこの音霊をエネルギー昇華の時に利用する技法が存在します。

この順序でなければなりません。

この順序であれば人は人体の中で最も動的な生命エネルギーの一つである性エネルギーを昇華することが可能となり、それによって高次の意識状態へと導かれます。

つまり物質世界に重点をおいた「あいうえお」では、エネルギーの昇華は出来ないのです。

エネルギーは留まっていることはできません。下に放出するか上に昇華するか。

人も宇宙も「あいうえお」の順序から「あおうえい」へと移行することで、スムーズにエネルギーの昇華が起こります。

地球は、今回の物質次元での大きなサイクルを完了すると新しいエネルギー領域でのサイクルに入ります。

そこでは、初級段階の学びを終えた魂たちが、さらに新しい魂の進化過程に入ることになります。

すでに霊的覚醒を促進させる光が地球に降り注ぎ始めていて、それは次第に強さを増しています。その光によって、すべての生命の波動が上昇し始めています。

この高次の光によって、私たちの感受性は増していきます。

それによって目が覚めはじめ、視野が拡がっていき、今までの古い制限された観念から脱却し、新しい世界へと移行することが出来ます。

今までも何度も霊的な光が地球上に注がれる周期はありました。

しかしながら、今回は人類の霊的覚醒だけではなく、地球の進化が同時に重なる地球始まって以来の特殊な時期に当たります。

地球は、物質界における波動までもすでに高まりつつあり、長い年月に渡り蓄積された歪の浄化があらゆる面で表出しています。

ある一定の周波数を超えて波動が高まると、地球はその表現媒体を物質からエネルギー体へと移行します。

「あいうえお」から「あおうえい」へ。それを表現したのが、「い」は「お」となりて

ここが、君が代の核心部分になります。

そのエネルギーシフトの内容と法則は、数字で表すと三三〇一四で表わされます。

つまりさざれいしです。

そして 「い」は「お」となりての先にどうなるのか、また今度お話しましょう。

この文章と参照したこの本「君が代」も御縁のある方々に届き、覚醒を早めるきっかけとなりますよう。


Facebook小名木善行ねずさんと学ぶ会さん投稿記事

【漢字渡来よりも先に文字があったからこそ、日本語には五十音があるのです。それが「神代文字」です。】

小名木善行・ねずさんの、とても興味深い論考です。

ぜひ、ご一読ください❣️

***

カタカナはどこから生まれたかといえば、神代文字であるカタカムナから生まれたという説が、いちばん合理性があるように思えます。

カタカムナが発見されたのは昭和24年(1949年)のことで、この文字は、他に八鏡文字(はっきょうもじ)とか化美津文字(かみつもじ)、あるいは上津文字(うえつもじ)とも呼ばれます。

その信憑性を疑う人もいますが、頭ごなしに否定してかかるというなら、いまの「常識」である「漢字からカタカナができた」という説も、かなり疑わしいものです。

それなら、可能性は可能性として探っていくのが良いと思います。

決めつけは、政治です。探求するのが学問です。学者の仕事は政治ではありません。

神代文字には、実に様々な種類があります。

みなさまよくご存知のホツマ文字、カタカムナ文字、アヒル(阿比留)文字の他にも、

上津文字、化美津文字、伊予文字、出雲石窟文字、トヨノ文字、山窩文字、豊国文字、春日文字、アソヤマ文字、越文字、アジチ文字、守恒文字、斎部(インべ)文字、惟足(コレタリ)文字、筑紫文字、重定石窟文字、ヤソヨ文字、阿奈伊知文字、マニナ文字、六行成文字、肥人文字、イスキリス文字 、タネマキ文字、種子文字、アイヌ文字、対馬文字、阿比留草文字、日文草書、薩人文字、阿波文字、天狗文字等々、名の知られた文字だけで34種類もあります。探せば他にももっとたくさん出てくることでしょう。

これらの神代文字は、それぞれ毎に、文字のカタチがまったく異なります。

まるでハングルのように見える文字もあれば、円弧の向きが意味を持つ文字もあります。

まるでメソポタミアの楔形文字のようなものもあれば、アラビア語のような文字もあります。

まるで多種多様なのです。

けれど、それら神代文字に共通しているのが「五十音である」という点です。つまり、「五十音である」という点で、神代文字は一致しています。

古事記の編纂を命じた天武天皇は、兄の天智天皇の改革路線を踏襲した天皇です。

その兄の天智天皇の即位は、唐と大規模な戦闘(白村江の戦い)があったわずか10年後です。また再び、戦いがあるかもしれないのです。

実際、唐は日本遠征計画を具体的に立てていましたし、この時代(7世紀)には、鉄は倭国オリジナルではなくなっています。

古事記にある天武天皇の「いまその誤りを改めなければ、幾年も経ないうちに日本はなくなってしまうであろう」という言葉は、共通の文字を確立して日本国内の意思伝達をひとつの言語で行なうようにしなければ、日本に唐が攻め込んできた時に、日本そのものがなくなってしまうという、強烈な危機感なのです。だから天武天皇は、太安万侶に古事記の編纂を命じたのです。古事記は、全部、漢字で書かれています。

けれど、その漢字は、漢文として書かれたのではなくて、漢字の音だけを用いた、つまり漢字をカナとして用いたところが随所にあります。というか、むしろその方が多いくらいです。

古事記では、その都度漢字の横に「以音」と、注釈がしてあります。

「以音」というのは、漢字は使っているけれど、音だけを採用していて、その漢字には意味がないという意味です。

つまり漢字を「カナ」として用いているのです。

この時代、地方ごとに異なる文字が使われていた一方で、漢字は外国語として日本全国に共通に普及していました。

だから共通語として、外国語である漢字を使って、全国各地の神代文字で書かれた史書を統一したのだと考えるのは、ごく自然ななりゆきです。

このことがわかると、古事記と同時期に編纂された日本書紀が、なぜ綺麗な漢文で書かれたのかも説明がつきます。

日本書紀が美しい漢文で書かれ、これが子供達の教科書になれば、子供達は自国の歴史や道徳を学べるだけでなく、外国語である漢文を、普通に読み書きできるようになります。

日本に攻め込もうとする唐の人々には、日本語はわかりません。

ところが日本人は、唐の国の文書を誰もが読み書きできるのです。

これは戦略上、国防上、ものすごく有利な国家インフラです。

古事記の文章の構造を読むと明らかなのですが、常に「問題提起」した後に「その回答を示す」という書き方になっています。

つまり、すべてにおいて「目的を持ってはじめる」という姿勢が一貫しているのです。

それが日本的思考です。

古事記の時代、天智天皇、天武天皇の時代というのは、一方に、日本語の表記が、各地方ごとに全部バラバラで、異なる神代文字が使われているという状況があり、一方に、他国侵逼の国難が迫っているという、国家緊急時の時代です。

そのようなときに、どの神代文字を我が国の共通語にするかで、国内で喧々諤々やっていては、もう間に合わないのです。

であれば、「外国語」として国内に広く普及している漢字を、この際、共通文字として日本語表記に使ってしまえ!というのが、実は、古事記における初の試みであったわけです。

こうしてカナとして用いられるようになった漢字は、時代とともに万葉仮名となり、そしてそれらがさらに草書体となることによって、ひらかなが生まれました。

そして神代文字からは、種々の神代文字から「いいとこどり」したカタカナが生まれました。

つまり、ひらがなも、カタカナも、もともと神代文字があったからこそ生まれた文化なのだと考えた方が、明らかに歴史を合理的に説明できるのです。

そして日本に、漢字渡来以前に、すでに高度な文化文明が栄えていた事実も、これによって裏付けることができます。

神代文字は、縄文時代の土器や、弥生時代の石版や、銅鏡、銅矛にも、たくさん見出すことができます。

いまは、それらが「意味不明のただの模様」として扱われていますが、実は、それが神代文字である可能性が高いのです。

要するに「漢字渡来まで文字がなかった」と考えるほうが、明らかに不自然です。

そうではなく、独自の文字を操る文化があったから金印が贈られたのです。

そして独自の文字があったからこそ、日本には五十音があるのです。

もっといえば、漢字渡来よりも先に文字があったからこそ、日本語には五十音があるのです。

それが「神代文字」です。

神代文字は、文字ではないという人もいるかもしれません。

しかし伊勢神宮には、稗田阿礼や菅原道真、あるいは源義経などが、まさにその神代文字で奉納した弊が残されています。

もっと身近にもあります。

少し古い神社に行ってお守札をいただくと、その中の紙片に、まさに神代文字が書かれています。

神代文字はファンタジーなどでは決してなく、実際にあったし、いまなお使われている文字なのです。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3640.html

全文はブログから、お読みください。

https://www.youtube.com/watch?v=6D_Yp3F-rmY