柿一つ
https://app.fta.art/ja/artwork/05cca8081fdaf17ac32586cc55123221ec819f5f 【6つの柿】より
説明
六柿(中国語:六柿圖、ピンイン:liùshì tú)は、僧侶Muqi Fachangによる13世紀の中国絵画です。それは宋王朝の間に描かれました。Muqiは、中国絵画の自発的なモードの2つの偉大な指数の1人でした(もう1つは梁海です)。それは、未定義だが巧みにまだら模様の背景に浮かぶ6つの柿を特徴としています。それは紙の上に青黒のインクで塗られています。この絵は筆遣いの驚異的な技術で有名になりました。彼らのモデリングの微妙さはしばしば指摘されます。最も明るい柿をモデル化した太いブラシストロークと細いブラシストロークは、隣の暗い柿とは対照的に浮かんでいるように見えます。茎と葉の処理は漢字を思い出させ、その最高レベルでのブラシコントロールを明らかにします。カリフォルニア大学バークレー校のジェームズ・ケイヒル教授は、オンラインで入手できる講義全体を捧げました。
(六柿は)情熱...途方もない静けさに凝り固まった。
現在は京都の大徳寺の十光院分寺に所在しています。 一般に公開されることはめったにありません。
https://otaniis.wordpress.com/2017/02/27/%E7%94%BB%E6%9F%BF/ 【画柿】より
みなさん春休みをいかがお過ごしでしょうか?まとまった時間を使って、旅行に行ったり、何か新しい習い事なんかを初めてみるのもいいですね。でも、せっかく国際文化学科で学んでいるのですから、英語や中国語など、自分の専攻する国の言葉で書かれた作品を、原著で読んでみるというのはいかがでしょうか?
下に載せた詩は、アメリカの有名な自然詩人ゲーリー・スナイダー(1930-)の書いた「牧谿の柿Mu chi’i’s Persimmons」という詩を、私が日本語訳したものです。スナイダーは京都にも長く滞在した経験があり、相国寺や大徳寺で禅を学んだ人です。この詩は、曹洞宗の開祖である道元(1200-1253)が著した『正法眼蔵』に収められている、「画餅(がびょう)」のパロディーです。絵に描いた餅とは、実際には役に立たないことを表すことばですね。ですが道元はそれをひっくり返して、「絵に描いた餅でなければ、飢えを癒すことができない」と言います。これはどういうことでしょう。スナイダーの詩を読んで、その深みを味わってみてください。(2月27日:渡邊温子)
牧谿〈六柿図〉京都大徳寺龍光院蔵(重要文化財)
牧谿の柿 ゲーリー・スナイダー
画餅にあらざれば充飢の薬なし 仁治三年壬寅十一月 道元
廊下の突き当たりの壁の上 横のガラス戸に照らされている掛軸は
牧谿の有名な「柿」の水墨画 軸棒に掛かった風鎮が動かないように安定させている
私にとって、柿の絵ならば世界一 空即是色の完璧な表現であり 市で売られるのと同様にまだ枝と茎が付いている
原画は京都の素晴らしい臨済宗の寺にあり 年に一度公開される
こちらは、便利堂の完璧な印刷で
表具屋の助言に従って表装した私は秋ごとに掛けているさて、マイクとバーバラの果樹園の
この熟しすぎた柿手にナプキンを持ち 流しの上に屈み込んで 甘くオレンジ色のずくしを吸う これが私の好きな食べ方 枝を持ったままで あの画柿は 確かに飢えを癒す
https://note.com/kaduma/n/n12184c391a8d 【禅仏教と労働哲学】より
僕が提唱する労働哲学と、禅の思想、とくに曹洞宗は、ほんの少しだけ似ている。
なんてことを書くと、いろんな意味で混乱を招くかもしれない。「働かない勇気」とかなんとか言っている僕は、欲望のままに暮らすことを重視するわけだが、それは禁欲の印象がある禅とは真逆のように感じられるだろう。
確かに、禅に限らずそもそも仏教は、禁欲的な生活と坐禅を経て悟りに至るというロードマップを提示している(そこまで単純な話ではない、という反論もあるだろうが、その点にはのちに触れる。ここでは、少なくともそういう印象を持たれがちであると理解して欲しい)。
仏教の教えを雑に要約すると、こうなる。
自己という確固たる存在は錯覚であり、実際は縁起によって関連し合うだけの空なる存在である。しかし、自己という錯覚に惑わされることで、様々な欲望に塗れ、終わりのない欲望を追求し、欲望がくじかれるという経験を経て、人生は「一切皆苦」という状況になる。だからこそ、厳しい修行(あるいは浄土宗系なら南無阿弥陀仏を唱えるだけで済むが)を経て、色即是空であることを理解すれば、自己を捨て去り、苦しみから逃れられる。
細かい部分は議論が別れるし、仏教キッズからすればツッコミどころ満載の要約だろうが、世俗的な理解としては概ねこんなところだろう。
この方針で古今東西、様々な僧侶たちが修行を重ねてきた結果、狂気じみたレベルの「自己の放棄」も実現されてきた。例えば、ティック・クアン・ドックという男は、宗教弾圧に抗議するために、坐禅を組みながら眉ひとつ動かさずに焼身自殺を果たしたという。
ティック・クアン・ドック - Wikipedia ja.wikipedia.org
彼は長く厳しい修行を経て「熱い」「死にたくない」といった感情を錯覚であると切り捨てることに成功した。ある意味で、仏教にとっては誇らしい成功例だろう。仏教の教えを忠実に守れば、死に至る炎ですら苦しみになり得ないのだから。
一方で、1つの疑問がそこに残る。「一体、焼身自殺を求めた感情はなんだったのか?」という疑問である。
あらゆる感情を捨て去り、欲望を捨て去り、無我に至ったのだとすれば、宗教弾圧すら「どこ吹く風」と鼻歌でも歌いながら横目に見ておけばよかったのだ。しかし、彼はそれに憤慨し焼身自殺によって抗議することを選んだ。
それは彼の「欲望」でなければ、なんだというのだろうか?
ニーチェは、ティックのような禁欲主義的な人物を観察し「人は何も欲しないよりは、無を欲する」と言った。その通りだろう。人間が何も欲しないということは不可能である。何も欲しないということは何も行動しないということだが、何も行動しないときですら、何も行動しないという行動をとっている。行動するということは、それを欲しているということなのだ。
いくら欲望を削ぎ落としても、必ず人は何かを欲している。修行僧たちですら、無を求めて修行する。僕が思うに、そのことをよく理解し、向き合ったのが、禅であり、曹洞宗であり、道元なのだと思う。
禅が提示する悟りまでのロードマップを10段階で提示した「十牛図」というものがある。これは、「無我」の境地が8段目に位置しているという点で、仏教の教えの中でも少し特殊だ。
では9段目、10段目で何をするのかと言えば、無から俗世に帰ってきて人助けをする。というとなんだか良い話に聞こえるのだが、それだけではなく仏教の教えに反して酒を飲んだり、魚を食ったりもする。要はその辺をふらついている気のいいおっさんみたいなものになる。
人助けするのはいいとして、結局欲望を捨ててないじゃん?という印象を抱くことになるだろう。しかし、僕はこの魚を食いたいとか酒を飲みたいとか人を助けたいというのは、捨てても捨てても最後に残った、もともとそこにあった人間の欲望なのだと思う。
実際のところ、悟りを開いた人間が本当に捨てたのは欲望ではなく、苦しみなのだ。人はわざわざ欲望を抑え込み苦しむ。しかし、欲望はずっとそこにある。悟りを開こうが開かまいが、人はそれに向き合うことになるのだ。
道元は恐らくそのことを理解していた。彼はそもそも人は仏(悟りを開いた人)であるという発想からスタートし、「身心脱落」を説いた。これは様々な思考の束縛と苦しみを脱落させることを意味する。しかし、脱落させたとしてもそこには自分の中にある欲望が残っている。
この欲望はなんなのか? 「諸悪莫作」という言葉を見れば、理解できる。「諸悪莫作」とは「悟りを開いた人ならば、悪いことをしたいなんて思うことは無くなるよ」という意味の言葉だ。これは「そもそも人が欲望することは悪いことではない」という意味にもとれる。つまり道元は人間が初めから持っている欲望を肯定している。
そもそも道元は禅を広めることを欲望したし『正法眼蔵』を書くことを欲望した。全く欲望を捨て去っていたのなら、壁の前で手足が千切れるまで坐禅を組むか、さっさと死んでいただろう。そうではない彼の生き様そのものが、欲望の肯定だと考えられる。
「生活禅」という曹洞宗特有の修行スタイルも、欲望という角度から解釈できる。道元は飯の作り方から食べ方まであらゆる生活のスタイルをマニュアル化し、それに従うことを推奨した。この手のライフスタイルは一度軌道に乗り始めれば、やめることの方が苦痛になるのは、誰しもが知っていることである。禁欲的で規則正しい生活というものは、それ自体が欲望の対象になる。それは決して無理をして維持するようなものではなく、自然に欲望することができると、道元は生活禅を通じて教えてくれるのだ。
(そして、そもそも仏陀も人間の欲望を肯定していたのではないかと考えられる。なぜなら、人生が一切皆苦なのであれば、さっさと死ぬこと以外に解決策はないからである。仏陀がさっさと死ねと言わなかったことは、極めて重要だ。これは死んだ人間と、無我となった人間を、仏陀が区別していたことを意味する。生きるということは何かしらのの行為をすることであり、何かしらの行為をするということは欲望することでおる。生きることを肯定する仏陀は、そもそも人間の欲望を肯定している)
道元が行った欲望の肯定。これは僕の労働哲学とも一致する。