44. 単文のまとめ
44.1 単文の基本的構造
44.2 複合述語のまとめと補足
44.3 用語の問題
44.1 単文の基本的構造
以上で単文の話は一応終わりです。ここで、これまでのところを振り返って単文という形の作り方を復習してみましょう。
文の中心となるのは述語です。述語には3種類あります。名詞述語・形容詞(イ形容詞・ナ形容詞)・動詞です。そしてそれらが補語をとり、文の骨組みを作ります。名詞文・形容詞文・動詞文です。特に動詞文は補語の種類が多く、様々な事態を表すことができます。
その骨組みを飾り、より豊かな内容の文にするのが修飾(語)です。補語の名詞と名詞述語の名詞を修飾するのが連体修飾、述語を修飾するのが連用修飾です。「補語+述語」の全体を修飾するものを文修飾とします。
述語にさまざまな要素が付いて複雑な形になり、さまざまな意味を表すのが複合述語です。ボイス・アスペクト・テンス・ムードなど。特にムードは、文の基本的骨組みを包み込むような意味を持っています。
ムードの後、文の一番終わりに終助詞が置かれます。終助詞はムードに似ていますが、また少し違った役割を持っています。さらに、「文体」の違いによって日本語の文は大きく2つに分けられます。
以上が、単文の基本的な構造になります。文が表すべきことの中心となる事態を、その構成要素である名詞(補語)と述語を組み立てて表し、その後にさまざまな要素を付け加えていきます。そこで、その述語と補語の組み合わせ方と、述語に付け加えられる要素についてくわしく述べることが文法の中心的課題になります。
第1部の「はじめに」でも述べたように、主題「Nは」によるもう一つの構造も重要です。上で述べた骨組みの構造の中から、ある要素を取り出して主題とし、残りの部分をその主題についての解説とする情報構造を形作ります。それは、一つの文で終わるものではなく、いくつかの文がその主題をめぐって続44.単文のまとめ
けられることも多いのです。しかし、その話は「単文」を越えています。それは「連文」で扱うことにします。
[話し手の立場から]
以上が「文の構造」の概略的な説明です。さて、次に話し手の立場から、考えてみましょう。話し手が、あることをことばで表したい、聞き手に伝えたいと思ったとき、まず考えなければならないことは何でしょうか。実際に頭の中で起こっていることはわかりようもありませんが、「事態」の表し方、伝え方という点から考えてみましょう。
まず、基本的な事態の描写として、どういう述語を選ぶかです。何かの動きを表すなら動詞で、性質を表すなら、主に形容詞、場合によっては動詞を使います。
妹がご飯を食べ(る/ている/・・・)
このかばんは重(い/くない/・・・)
水が澄んでい(る/た/・・・)
名詞文が表すのは、「事態」というより、名詞の間にある関係です。それも、少なくとも二つに分けられます。形容詞に近い、主題の名詞のある属性を述べるものと、主題の名詞が表す属性にあてはまるものを選ぶものです。
あの人は社長です。(あの人は偉いです)
社長はあの人です。
動詞は「動き」を表すのが基本ですが、関係や存在、性質など、状態を表す動詞もありますし、「V-ている」の形が、現在進行中の動きのほかに「結果としての状態」や「単なる状態」など、動きのない場合も表すことは「アスペクト」のところで述べました。
先ほど述べた、「主題-解説」という構造の面からこれらの文を考えてみると、名詞文や形容詞文では、基本的に主題文になります。名詞のある性質や他の名詞との関係を述べることは、必然的にその名詞を主題としてとりあげて、それについての解説をすることに他ならないからです。
動詞文の中で、形容詞文のように名詞の状態や性質を述べるものは、基本的に主題文となります。(「V-ている」というアスペクトの形が使われます)
彼は 少し太っている/落ち着いた性格をしている。
また、真理を表すような文も、主題文になります。
太陽は東から昇る。
一般の動詞文は、事態をそのまま、特にその中の要素を取り出すことなく、全体的に述べることができます。
向こうで子供たちがサッカーをやっている/いた。
また、ある名詞を主題としてとりあげて、それについての叙述として事態を描写することもできます。
子供たちは向こうでサッカーをやっている/いた。
以上、ある事柄を表すためにどんな述語を選ぶかということと、それに関わって、「主題」を必要とするかどうかという点から文の形を考えてみました。ここまでは、だいたいこの本で「基本述語型」と呼んできたものの範囲ですが、以上の例にも、テンスやアスペクトなどの時間に関する表現は当然必要です。
さて、先ほどの、話し手が表現したいことの中心になる「事態」の表現を組み立てた後(と言っても、もちろん時間的な前後ではありません。文を作るための手順です)、必要なことは何でしょうか。それは、話し手がそれをどのような態度で聞き手に対して述べるか、ということです。
例えば、聞き手が実現すべき事態としてある事態を述べる、つまりは命令・依頼表現にするか、聞き手に情報を求める疑問表現にするか、それとも話し手の希望・意志などを聞き手に伝える表現にするか、それともそれらなしで、事態を描写し、それを事実としてはっきり述べるだけにするか、あるいは実現の可能性のあることとして述べるか、など、さまざまな「述べ方」があります。
これらのほとんどが先ほどの「ムード」(あるいは「モダリティ」)という名前で呼ばれるものとして分析されています。
さらに、終助詞がある種の意味合いを付け加えます。終助詞をムードに含めるかどうかには議論があります。表す意味はムードの諸形式と重なる部分がありますが、形式的特徴が複合述語とは大きく違いますし、機能も違いが大きいので、基本的には違うものと考えたほうがいいでしょう。
また、聞き手に対してどのような言葉づかいをすべきか、つまり、普通体でいいか、丁寧体を使うべきかという問題は、日本語を話すときに常に判断を迫られる問題です。これもムードとはまた違ったものです。
終助詞と文体は、話し手が聞き手に対して、言いたいことをどう伝えるか、という「伝え方」の問題として扱うべきものでしょう。
もう一つ、話しことばの重要な要素として忘れてはならないものがあります。イントネーションとプロミネンスです。プロミネンスというのは、文のある部分を強調して強く言ったりする言い方です。このような本では、(音声テープなどなしには)イントネーションについて十分に述べることはできませんが、実際の言語活動では決定的に重要です。これらは、ムードなどの事態の「述べ方」の面でも、終助詞などの「伝え方」の面でも大きな役割を果たします。
話しことばでのイントネーションなどの音声面の重要性は、これからの大きな研究課題です。
44.2 複合述語のまとめと補足
ここで複合述語全体を振り返ってみたいと思います。複合述語どうしの関係と、複合述語と副詞・疑問・否定・終助詞などとの関係をまとめます。また、補語と述語との慣用的な結合、慣用的な名詞述語の問題などをとりあげます。
44.2.1 複合述語どうしの前後関係(承接関係)
複合述語の要素の現れる順番はだいたい決まっています。例えば、受身と希望と伝聞の三つでは、
ほめ+られ+たい+そうだ
という順序になり、これ以外の可能性はありません。
×ほめられそうだたい/ほめたられるそうだ/ほめたそうられる/ほめそうられたい
/ほめそうたくられる
もちろん、「-たい」と「-そうだ」の形を「-たか」や「-そうな/に」などに変えるようなことをしてもダメです。
以上のダメな例は、いかにもむちゃくちゃな感じがしますが、なぜそう言わないのか、言えないのか、と学習者に聞かれたら、納得のいく説明をするのは難しいでしょう。そう決まっているんだ、と言うしかありません。
こういうことを、多くの複合述語に関して調べてみると、おおよそ次のようなことが言えます。動詞のすぐ後に続くのはヴォイスで、次にアスペクト、文末に各種のムードが現れます。
ボイス - アスペクト - ムード
食べ+られ+てしまっ+てはいけない+だろう
食べ+させ+ている+はずだ
非常におおざっぱに言って、「客観性」の強いものが先に、「主観性」の強いものが後になります。(この「主観性」とは何か、というのは難しい問題です。話し手の考え、とらえ方によるところが大きいもの、ぐらいに考えておいて下さい。)
まず、ボイスは話し手や聞き手と密接な関係はありません。事柄自体の問題です。アスペクトもそうでしょう。テンスになると、話し手の発話時という時間と関わってきます。発話時がいつであるかによって、話される事柄のテンスが決まるからです。
ムードの中では、事柄に関わるムードのほうが「客観的」なようですが、そうとも言えません。「推量」は相当に主観的なものです。それよりも、聞き手に関わるムードの中で「禁止・許可」「義務・必然・不必要」などのムードが、外界の事柄のあり方を表すという点ではより客観的なものになります。また、それらが一般的な事柄として述べられるか、聞き手に対する働きかけ(例えば、「義務」が「命令」に近い意味合いで述べられる場合など)として使われるか、によっても大きく違います。これは、それらの要素が現れる順を頭においての説明と言われるかもしれませんが。話し手と聞き手が直接に関わる「意志・命令・依頼」などがいちばん「主観性」の強いものです。
ただし、「伝聞」はちょっと特別です。「伝聞」は主観性とは別のもので、「情報のあり方」を示す表現です。事柄の「確からしさ」を話し手が判断するのではなく、他の情報源に委ねてしまうという特殊な言い方で、他のムードよりも外側に位置します。
[テンスとの前後関係]
ムードにはいろいろあり、種類によって他の要素との前後関係が決まっています。まず問題になるのは、テンス、具体的には「~た」の現れる位置です。テンスはムードの種類によって、どこに現れるか決まっています。
テンスの前に来るもの。逆に言えば、それ自身がテンスの対立のあるもの。
禁止・許可・義務・不必要・希望・様子(シソウダ)など
~なければならない/ならなかった
~しそうだ/だった
テンスの対立があるとはいうものの、ムードとしては現在形の用法が中心です。特に、一般的な事柄ではなく、「今、ここで、あなた/私は」という場合の禁止や希望がムードらしいムードと言えます。過去形はそのような状況を思い起こして描写しているわけで、ムードらしさが弱くなります。ただし、過去にすると「そうはしなかったが」という含みを持つものがあります。(「するべきだった」など)
テンスの形が前後に現れ得るもの。ただし、これらをテンスの対立と見なしていいかどうかは大いに議論の余地があります。(述語の現在形をル、過去形をタで表すことにします。)
~ル/タ らしい/らしかった
~ル/タ ようだ/ようだった
~ル/タ つもり だ/だった
~ル/タ はず だ/だった
~ル/タ のだ/のだった
~ル/タ もの だ/だった
V-スル/シタ ことがある/あった
V-スル/シタ ことになる/なった
V-スル/シタ ことにする/した
両方が過去形の場合、どういう意味合いになるのかが一つの問題です。文末が過去の場合、「そうしなかった」という含みを持つものもあります。
次は、必ずテンスの後に来るもの。
~ル/タ + だろう・そうだ(伝聞)
伝聞の「~そうだ」自体の過去形は使われません。過去に聞いたことにするには「~とのことだった」などの形を使います。「~だろう」と同じく、その時、その場での言い方です。
話し手の意志や聞き手に対する勧誘・命令・依頼などは動詞に直接接続し、テンスの対立もありません。これ自体は現在と考えておきましょう。動作の実現は将来のことです。
食べよう。
食べましょう。
食べろ!
食べてください。
[否定]
テンスと同じように、否定も多くのムードと関わりがあります。否定形の述語を受けられるか、それ自体が否定形を持っているか、などで分けてみます。
a.述語の否定形を受けず、それ自体も否定形にならないもの。
命令 意志・勧誘(よう/ましょう) まい な(否定命令)
命令・意志はそれぞれ対応する否定の言い方があります。勧誘の否定はどうするのでしょう。「行きましょう」に対して「行くのは止めましょう」とでもするしかないようです。
b.述語の否定形を受けられるが、それ自体は否定形にならないもの。
だろう らしい ようだ てください てもいい すればいい ことだ
それぞれ微妙な問題がありそうですが、一応ここに入れておきます。
c.述語の否定形を受けられ、それ自体も否定形になるもの。
てほしい ものだ わけだ はずだ
ただし、「言わないでほしい」「言ってほしくない」とは言えますが、「言わないでほしくない」とは言えないでしょう。「言わないでほしいわけではない」というような形なら言えますが。「~ものだ」も同様です。ただし、「~ないものでもない」ということはあります。
「~わけだ」は両方に否定が来られます。「~はずだ」はまた特殊です。
できないわけではない
来ないはずではなかった
d.述語の否定形を受けず、それ自体は否定形になるもの
たい
「しない+たい」という形があってもよさそうですが、ありません。「することを欲しない」と「しないことを欲する」という形の違いはありません。
e.それ自体が否定形であるもの
述語の否定形を受けるものを受けないものがあります。まず、受けるもの。
(の)じゃないか
「しないじゃないか」と言えます。
てはいけない/なくてはいけない
てはならない/なければならない
これらを肯定/否定の対と見なすか、それぞれ別の文型として立てるか、考えの別れるところです。実用的には別としておくほうがいいでしょう。
否定形を受けないもの。
ないか(勧誘)
意志動詞の否定形が勧誘の表現として確立したものです。
以上、大まかに言って、否定形にならないものがより主観的な、話し手の気持ちをそのまま表すようなムードです。
[疑問]
疑問の形になるかどうかということも、ムードの性質として重要な特徴です。
a.疑問の形にならないもの・なりにくいもの
命令 否定命令 そうだ(伝聞)
ようだ らしい かもしれない ことだ
b.疑問の形はあるが、もとのムードの「疑問」という対応がずれるもの
例えば「だろうか」は「だろう」の疑問形とはいいにくい用法です。
疑問の「か」がついた形を別のムードとするかどうかが難しい問題です。
だろう/でしょう よう/ましょう
c.疑問の形になるもの
その他の多くのムード
d.それ自体が疑問の形をとるもの
ないか(勧誘) (ん)じゃないか ないものか(願望)
イントネーションの問題も絡み、複雑なところです。
44.2.2 他の要素との関係
複合述語と他の品詞・ムードとの関係をまとめてみます。
①副助詞
まず、これまであまり触れることのなかった副助詞との関係です。複合述語に副助詞が関わる文型でよくとりあげられるのは、「V-てばかりいる」です。
漫画を読んでばかりいる。
「ばかり」の「すべてそうである」という意味が働き、「漫画を読む」こと、そればかりで、他のことをしない、という意味になります。ここで「他のこと」とは、例えば勉強をする、運動をする、などでしょう。「Nばかり」で、
漫画ばかり読んでいる。
とすると、「本を読まないで」と、「漫画」と同じようなものとの対比になります。ただし、
嘘ばかりついている。
のような場合は、「嘘」以外のものを「つかない」ということではなく、
嘘をついてばかりいる。
と同じになります。
強調の「さえ」「こそ」「まで」は複合述語の間に割り込みます。
呼んでも振り向きさえしない。
学生たちは教科書を買ってさえいない。
名前をたずねこそしたが、それ以上は何もいわなかった。
土下座をして頼みまでした。
「V-てしまう」の場合、「捨ててさえしまった」よりも「捨ててしまいさえした」のほうが自然な感じがします。
「振り向かない→振り向きさえしない」「たずねた→たずねこそした」で、動詞が「中立形+する」の形に分かれます。この「する」は形式動詞です。
「など」も同じように使えます。例示です。
金を渡すなどして、応援を依頼した。
「でも」の軽い例示の例。
ちょっと生徒の頭をたたきでもしたら、親がうるさくて大変だ。
ガンだと言われたからといって、別に何をするでもない。これまでと同じだよ。
「くらい」は最低限度を表します。
いくら僕でも、新聞を読むぐらいはするよ。
「は」「も」が形式動詞とともに使われる例は、すでにあちこちで紹介しました。
「副助詞+だ」が文末に来て、一種の複合述語のような形になる場合もあります。
あとは彼女を待つばかり/だけ だ。
運動は、せいぜい近所を散歩するぐらいです。
その厳しさは、さすがの彼も歩けなくなるほどだった。
この「ばかり・だけ・ほど」は、複文として「53.程度・比較・限定」でとりあげます。
失敗したら、辞表を書く/また挑戦する までだ。
ちょっと小言を言ってみたまで(のこと)だ。気にしなくていい。
この「まで」はちょっと特別な用法です。上の例は、よくない状況を仮定して、それへの対処の方法を述べます。下の例は、聞き手の反応に対して、話し手の行動のいいわけ・説明をしています。
② 副詞
副詞については「11.副詞・副詞句」でまとめました。複合述語との関わりをもう一度考え直してみましょう。
様子の副詞は動詞に、程度の副詞はおもに形容詞にかかり、基本述語型の中におさまります。
[時の副詞]
時の副詞は、いうまでもなく、テンス・アスペクトに関係します。
さっき 以前 もうすぐ これから
これらはテンスに関係しますが、時の名詞が副詞的に使われることが多く、初級ではこちらのほうが多いでしょう。
去年 先週 けさ きょう 今晩 あした 来年 将来
その他いろいろな形式がテンスと関係があります。
1945年 三日前に それから2時間後 21世紀に
アスペクトに関係する副詞。たくさんあります。
もう 来た/始まっている/捨ててしまった
まだ 来ない/降り続く
ちょうど 着いたばかりだ/見ているところだ
だんだん/次第に 明るくなってくる/減っていく
ずっと/絶えず 書き続けている
ついに/やっと 書き上げた
[態度の副詞とボイス]
ボイスの複合述語にかかるような副詞はあるでしょうか。次の例の副詞が何にかかっているか、その述語の主体は何かを考えてください。
兄はしぶしぶ自分のおもちゃを弟に自由に使わせた。
「自由に使う」のは弟で、「しぶしぶ使わせる」のは兄です。「しぶしぶ」は使役にかかっていると言えるでしょう。
受身の例。
彼はわざと警官に殴られ、それを写真に撮らせたんだ。
「わざと」は「警官」の態度ではなく、「彼」の態度を表します。言い換えれば「殴る」ではなく、「殴られる」にかかります。
[陳述の副詞とムード]
陳述の副詞は、特定のムードと結びついています。
依頼など ぜひ/どうか/どうぞ 来てください
命令 必ず 打てよ
意志 きっと 勝つぞ
二度と やるまい
推量 たぶん/おそらく 晴れるだろう
もしかすると 降るかもしれない
どうやら/どうも 始まるようだ/らしい
比況 まるで/あたかも 霧が晴れるようだ
断定・確信 絶対に/きっと/間違いなく これだ/これに違いない
疑問 なぜ/どうして こうなったのか
いったい/はたして これでいいのか
否定 けっして/とうてい/必ずしも うまく行かない
感嘆 なんと/なんて 難しいんだ!
これらの副詞は基本述語型の外にあり、文末のムードとともに基本述語型を包むような形になっています。
前に「11.10 副詞(句)の順序」で述べたように、陳述の副詞のあとに時の副詞、その後に様子(態度)の副詞、のように並ぶのがふつうです。これはちょうど文末の複合述語の、ボイス-テンス-ムードの順と逆です。つまり、基本述語型の「補語+述語」を中心として、両側に関係のある要素が並んで、包み込むようになっています。これは、日本語の文の構造の大きな特徴の一つです。
[評価の副詞]
「評価の副詞」は、特定の述語と関係しません。文全体の内容に「評価」を加えます。
あいにく、この商品は品切れだそうだ。
幸いにうまくごまかせたらしい。
「あいにく」は「品切れだ」までにかかり、「そうだ(伝聞)」はその外にあると考えられます。「幸いに」も「らしい」にはかからず、逆に言えば、「らしい」の範囲に「幸いに」が入っていると言えます。
評価の副詞は、推量・伝聞などのムードの範囲内にあります。
[発言の副詞]
発言の副詞がかかる先は、文ですらありません。
はっきり言って、この文章には問題があります。
本当のことを言うと、あれはうそです。
「はっきり言って」は文の内容についてのことばではなく、その文の「言い方」の説明です。その文が述べている事柄には関係ありません。「本当のことを言うと」は自分のこれからの発言に対する注釈です。このような、事柄を述べるためのことばではなく、ことば自体について何かを述べることばを「メタ言語」と言うことがありますが、発言の副詞はこのメタ言語になっています。
発言の副詞は、命令・意志・推量などのムードとともには使われません。
?本当のことを言うと、あっちへ行け/行こう/行くだろう。
断定のムードを持つ文とともに使われるからです。しかし、断定のムードにかかるとは言えません。引用とは違いますが、あとに続く文をかっこに入れるような働きがあります。そのかっこの中の文の制限が、断定のムードを持つということです。
評価の副詞・発言の副詞は文末のムードとは関係しませんが、これらもある種の「ムード」であると言えます。つまり、ムードとは述語だけのものではあません。この問題はまた後で考えることにして、ムードと他の要素の関係を考えていきます。
③ 終助詞
終助詞はほとんどの複合述語につけられます。特に、命令・依頼や意志・勧誘、そして推量の「だろう」のような「強い」ムードにもつけられることが大きな特徴です。文のいちばん外側にあって、文全体の意味にかぶさるようにして、ある種の意味を付け加えます。終助詞自体がムードの一種であるとも言えますが、複合述語の表すムードとはまたちょっと違った性質のものでしょう。
いちばん多く使われる「ね」と「よ」について言えば、話し手が自分の意見を聞き手と共有しようとすることを基本とする「ね」と、それに対して、自分の意見を聞き手にはっきり示そうとする「よ」は、ともに、今現在あなたと私が意思の疎通を行おうとしているのだ、ということ自体をはっきりさせるという機能を持っていると言えるでしょう。「ね」や「よ」をつけるべき時につけないと、聞き手に話しかけているという気持ちそのものが失われたような文になってしまいます。「な」や「ぞ」、「わ」なども、今私があなたに話しているんだ、ということの確認が基本にあるのでしょう。ことばのやりとりという行為の確認、という点では、間投助詞とよばれるものは、まさにそのためにあるものです。これらも、ムードに似て、またムードとは違った機能を持つものだと言えます。
44.2.3 「複合述語」という用語の問題
この本では、「複合述語」という用語をかなり広い意味で使ってきました。しかし、これはこの本の勝手な用語法です。「複合述語」ということばで違ったものを指すことがありますので、それを見ておきます。
[気をつける]など
一つは、慣用的な補語と述語の組合せです。例えば、
気がする 気になる 気をつける
などは、ふつうの「補語+動詞」とは違った点があります。まず、その動詞が名詞を修飾する形にできません。
自動車に気をつけた → ?自動車につけた気
ツリーに電気をつけた → ツリーにつけた電気
また、その名詞を疑問語で尋ねることもできません。
?自動車に何をつけた?
ツリーに何をつけた?
つまり、これらはふつうの「補語+動詞」と分析されるべきではありません。「気をつける」の場合で言えば、
Nが Nに Nを つける
という動詞型の「Nを」のところに「気を」を入れたものではありません。この「気に」は、他の「Nを」とは置き換わらないものですから、
Nが Nに 気をつける
のように、「気をつける」全体を一つの動詞のように考え、それがどのような補語をとるかを考えるべきです。
このような「名詞+助詞+述語」を「複合述語」と呼ぶことがあり、それは十分理由のある命名法だと思いますが、この本ではこれらは「連語」が「慣用的組合せ」としてまとまったもの、と考えるだけで、特別な名付けはしません。
[~予定だ]など
もう一つの問題は、複合述語に近い名詞述語の存在です。例えば、
我々は明日出発する予定/計画/考え だ。
という文は、「V-つもりだ」の文型とかなり近いものです。しかし、これらを「ムード」の文型とするほどのことはないようにも思われます。
これらの文は、修飾部分を取り去ると成り立ちません。
×我々は予定だ。
これらを文型としてどこに位置づけるかが問題になります。この本では、これらを「複合述語」に含めることはせず、連体節のところでとりあげることにします。
[~必要がある]など
また、「~Nがある/ない」の形で、ムードに近い表現があります。
君が行く必要がある/はない。(行かなければならない/行くことはない)
そうなる可能性がある。(そうなるかもしれない)
これらもムードの形式とはせず、連体節の中で触れることにします。
[あとがき]
第1部・第2部あとがき
なんとかここまでたどりつきました。先はまだまだ長いのですが、一つの区切りをつけられるところまで来ました。ここまで印刷したものを綴じて、何人かの方に見ていただき、御批判・御指摘をいただきたいと考え、野田時寛さんを通じてお願いすることになりました。第3部・第4部は合わせて一冊分の予定で、1年後ぐらいにはまとめたいと思っています。第2部の目次の後に、第3部・第4部の予定目次をのせておきました。
日本文法研究8年のレポートです。文法に興味を持ったのは学生時代からですが、概説を書こうと思って多少まじめに勉強を始めたのは8年前のことです。
私の願いは、日本語教育のために、実用的でしかも体系的な文法の本を一冊書くことです。この本が、その目標の実現に一歩でも近づいていることを願っています。
全体のそもそもの構想から、項目の立て方、原稿の検討と数回に及ぶ書き直し、参考文献捜しに至るまで、すべてにわたって野田時寛さんの協力を得ました。野田さんの厳しい指摘と悪口雑言のおかげで分量が初稿の3倍以上になりました。心からお礼を申し上げます。
1998年8月31日
第1部(第二刷) あとがき
上の「あとがき」から2年たってしまいました。いまだにこの仕事から抜け出せません。99年の10月に「第3部」を一応まとめたまではよかったのですが、その後ほとんど進みませんでした。やっと、多少の書き直しをし、20ページほど増えた「第1部」ができあがりました。同じように、「第2部」ももうすぐできあがる予定です。「第3部」の見直しはまだ先の話です。さらに、短い「第4部」も。
「百里を行く者は九十里を半ばとす」ということわざの意味がしみじみとわかってきました。
2000年9月15日
庭 三郎
第2部(訂正版)あとがき
第2部の訂正版です。アスペクトなどを書き足し、「複合述語のまとめ」を「単文のまとめ」として書き直したりなどして、30ページほど増えました。
いくらかでもよくなっていればいいのですが。
2001年5月28日
庭 三郎