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故郷

2025.10.04 06:27

https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/130300/20/21/tisiki/rekisi.html 【柿の歴史】より

我が国の古文献を見ると「古事記」(711年)、「日本書紀」(720年)など最も古い記録では柿は地名、人名として現れ、既に奈良時代には柿のあったことが裏付けされています。

柿の品種名が見られるのは江戸時代中期の「毛吹草」(1645年)大和の御所ガキ、美濃の八屋の釣柿、安芸の西条柿などの銘柄産地の品種が知られていたことがわかります。

その後、明治時代に入って、現在の主力品種である富有、平核無が出てきます。

和歌山県での柿栽培の歴史

和歌山県政史によると「柿の起源はつまびらかでないが、伊都郡四郷村、野上町の各村、西牟婁郡上秋津村、東牟婁郡四村」などで1590年安土桃山時代に栽培され、販売したと記録されています。品種は青曽(アオソ)、似たり、ホゾグロなどが主な品種であったようです。

富有柿の導入

明治40年かつらぎ町島の山本長左衛門氏が東京の農園から「富有」の苗50本を取り寄せ、水田に植栽したとされています。(かつらぎ町史)

また、同年、九度山町役場が岐阜県より富有の苗木を買い入れ、古沢に植えられたとされています。

下古沢中心史

その後、大正10年に橋本市学文路の奥田耕一氏が、大正12年には入野(現川辺町)、大正14年に那賀郡麻生津村に導入されたと記録にあります。 (平核無の導入)

大正10年11月、橋本市学文路の奥田耕一氏が和歌山県園芸試験場より渋柿18種類を導入し、試験した結果、平核無が豊産性で当地に適したとされています。

その後、大正14年に九度山町、かつらぎ町に苗木を買い入れ植栽されたと記録されています。(果樹農業発達史)

「引用文献」

1985年和歌山の柿、1996年和歌山の柿、和歌山県政史、かつらぎ町史、下古沢中心史、果樹農業発達史


http://takamori-ichidagaki.com/ichidagaki/1/6.html 【市田柿のふるさと】より

第1章 市田柿の誕生

伊勢社の境内の柿の古木「焼柿」

柿は、奈良時代に中国から渡ってきたといわれています。江戸時代には飯田・下伊那地域でも干柿がつくられていて、立石柿は江戸でもたいへん有名でした。伊勢信仰がさかんだった下市田村に建てられた伊勢社。境内の柿の古木は、「焼柿」と呼ばれ親しまれ、接ぎ木によって村中に広められていきました。

奈良時代に中国から渡ってきた柿

【食用・用材として広く利用されていた】

渋柿の栽培は奈良時代には始まっていた

私たちが食べている柿は、日本をはじめ中国や朝鮮半島で古くから栽培されてきました。植物学上のカキノキ属に属する柿の仲間は、アフリカ以外の熱帯から温帯にかけて広く分布し、およそ二百種にのぼります。

日本にはヤマガキなどが自生していたという説もありますが、市田柿に用いられている渋柿は、奈良時代に中国から伝わったと考えられています。ちなみに、生食用の甘柿は、奈良時代以降鎌倉時代にかけて日本で改良されたものだといわれています。

柿は食用としてだけでなく、緻密な木質が好まれて、高級用材としても利用されてきました。古くは東大寺の正倉院にも、カキノキ科の木材を使った厨子「黒柿両面厨子」や献物箱「黒柿蘇芳染金銀山水絵箱」といった数々の宝物が納められています。

史料に残る柿の記述

黒柿蘇芳染金銀山水絵箱

最初に柿が文献に登場するのは『古事記』や『万葉集』のなかの地名や人名としてです。歌聖とも呼ばれた歌人柿本人麻呂の名前は「自宅の門のそばに柿の木があった」のが由来とされています。

その後、史料や文献に柿が登場してくるのは平安時代以降です。平安時代中期に編纂された律令の施行細則『延喜式』には、「柿百株」を栽培したという内容や、「干柿子二連」「熟柿子四顆」などが神殿に供えられたという記述があり、すでに渋柿が栽培・加工され、食べられていたことがわかっています。

また、三大古典説和集の一つ『宇治拾遺物語』には「柿の木に佛現ずる事」という、京の都の五条天神付近にあった柿の木を題材にした説話が残されています。同じく説話集の『古今著聞集』の巻十二偸盗の話にも渋柿が登場しています。

昔話にも「さるかに合戦」や「柿の大入道」など、柿の木が出てくるおなじみの話がいくつもあります。私たちが食べている柿は、日本をはじめ中国や朝鮮半島で古くから栽培されてきました。植物学上のカキノキ属に属する柿の仲間は、アフリカ以外の熱帯から温帯にかけて広く分布し、およそ二百種にのぼります。

飯田・下伊那地域は(古)東山道の要所

奈良時代から平安時代の頃、全国が五畿七道という行政区分に分けられ、七つの官道が整備されました。中国から伝来した栽培用の渋柿は、大陸との窓口でもあった九州地方から西海道、山陽道などを通って都へ伝わったと考えられます。さらに、それぞれの官道は都と地方をつなぐ幹線道だったので、行き交う人や馬によって、柿も日本各地へ広まったと想像されています。

飯田・下伊那地域は、奈良の都を起点に今の岐阜県、長野県、群馬県など本州内陸部を通って東北へと通じる(古)東山道の道筋にあたりました。そのことから、この地域でも早くから柿の栽培が行われたと推測されています。

『下伊那史』には、鎌倉時代弘安元年(一二七八)に日蓮宗の開祖日蓮聖人から伊賀良庄(現在の飯田市)の地頭代(と推定される)四条金吾頼基へ送られた礼状が紹介されています。これは『日蓮聖人御遺文』という史料に収められているものです。手紙には「串柿五把」と書かれてあり、鎌倉時代に飯田・下伊那地域で渋柿の栽培・加工がすでに行われていたことがわかる貴重な史料となっています。


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「悟り」と「やまと心」

古事記には「さとり」という語は直接出てきません。人が神と響き合う心を 「清明心(すがごころ)」 と呼びます。それは「にぎみたま」「和魂」が発揮されるときの透明な心であり、仏教でいう「悟りの心境」に近いものです。

清明心=曇りなき心の状態 → 悟りの境地に重なる

例:大国主が苦難を背負いながらも、白兎を助ける姿は「清明心」による行動の表れ。

古事記的「悟り」に近い三つの心

1. 清明心(すがごころ)

• やまと心の根っこにある清らかさ。

• 「すがすがしい」「すがしい」の言葉が示すように、曇りなく透明な心。

• 仏教的には「智慧の光明」と響き合うが、古事記では 生命に即した素直な心 として表現されます。やまと心の「純度」を保つ柱。

2. 直き心(なおきこころ)

• 「すがごころ」が外にあらわれた形。

• 曲がらず、偏らず、道理に従う自然体の心。

• 仏教的には「煩悩を離れた心」、古事記的には「天と地に正直な心」。やまと心の「方向性」を示す柱。

3. 知らす(しろしめす)

• 「しる」とは単なる理解ではなく、天地の理を悟り、そのままに生きること。

• 天皇や大国主の統治に象徴されるように、「悟りを実践する生き方」そのもの。

• 「清明心」と「直き心」が現実社会に働きかける姿。やまと心の「働き・実践」を担う三本の柱。

⭕️すがごころ → やまと心の純度⭕️なおきこころ → やまと心の方向性⭕️しろしめす → やまと心の実践この三つが合わさって、やまと心=古事記的な悟りの心 となるのだと思います。

「悟りに向かう」よりも、日々を澄んで生きることそのものが悟りの実践。

悟りは遠くにあるのではなく、日常の一瞬一瞬の中に光っているのです。やまと言葉でひとことにすれば✨ 「ひかりの道を、すなおに歩む」 ✨

この表現こそ、やまと心に息づく悟りに近いものではないでしょうか。「悟るために生きる」のではなく「生きる中に悟りがある」全国古事記塾主宰 今野華都子記す


【神を生み、祈るこころ 】

人は昔から自然の力「雷、嵐、地震、死や病など」をコントロールできないものとして体験してきました。理解できない大いなる力の前に立つとき、それを「神」と呼び名づけ、善悪を超えて受け入れました。

祈りは単なる願い事ではなく、天地と人とを結び、内なる神性を呼び覚ます営みです。

人が「神」という存在を思い描き、祈りをささげるのは、単なる恐れや願望だけではありません。それは、天地と人との結びを感じる深い心の働きです。古事記に記された神話の中にも、その理由を映すような場面がいくつも見られます。

1. 「いざなう」心 ― イザナギ・イザナミの神名

天地の始まりに現れたイザナギ・イザナミの二柱は、「いざなう」という言霊を宿しています。「いざなう」とは、互いを呼び寄せ、結び、新しい命を生むこと。

つまり、人が祈るとは、天地・男女・陰陽が誘い合い、結び合う営みそのものなのです。

祈りは「自分から外に差し出す心」であり、それはすなわち「神を呼び、生む」行為でもあります。

2. 天岩戸の物語に見る「祈りの力」

天照大神が天の岩屋にお籠もりになったとき、世界は闇に閉ざされました。

八百万の神々はただ嘆くのではなく、祝詞を奏し、舞をささげ、笑い合いながら祈りの祭りを開きました。その祈りと和(にぎわい)の力こそが、再び光を呼び戻したのです。

ここに示されているのは、「祈りとは絶望の中で光を呼び覚ます行為」であり、人が祈らずにいられない理由の根源でもあります。

3. 祈りは「むすひ」の働き

古事記にしばしば登場する「むすひ(産霊)」という言葉。

「生み出し、結びつけ、成長させる力」を指します。人は祈ることで、自らの内なる「むすひ」と大いなる天地の「むすひ」とを響き合わせます。

だから祈りは単なる願い事ではなく、天地の循環と人のこころが共鳴する瞬間なのです。

4. やまと言葉に映る「祈り」

やまと言葉で「いのる」は「斎(い)+宣(の)る」とも考えられます。

「斎(い)」は清らか、「宣(の)る」は言葉を放つこと。つまり祈りとは、清らかな言葉を響かせ、天地に宣り渡すことです。

言葉(こと)は事(こと)を生む力を持つと信じられ、祈りはただの声ではなく、現実を変える働きとして尊ばれました。

人が神を生み出し、祈らずにいられないのは、神話に映された「天地を誘い、結ぶ心」

闇を照らす「祈りと和の力」生命を生む「むすひ」の働き言霊としての「いのり」

これらが人の魂に深く刻まれているからです。

祈りは外に向かうだけでなく、自らの内なる神性を呼び覚まし、天地と調和する営み。

だからこそ、人は古代から今に至るまで、祈らずにはいられないのだと考えられます。

全国古事記塾主宰 今野華都子記す


「和(にぎわい)」とは?

やまと言葉の「和(にぎわい)」は、ただ争いがない「平和」とは少し違います。

それは「いのち同士が響き合い、共に栄え、生き生きと輝くこと」です。古事記には「にぎみたま(和魂)」という神の働きが描かれています。これは、荒ぶる力を鎮め、心を和らげ、世界を調和へと導く力です。にぎわいは、優しい風のように、人と人の間に流れ込みます。

祈りと和のめぐり

祈りは、私たちの心を澄ませてくれるものです。心が静かに開かれると、自然の声、人の声に耳を澄ますことができる。その響き合いが「和」となり、やがてにぎわいを広げていきます。

• 祈り → 個を清める → 内なる調和

• 和 → 共に生きる喜び → 社会・自然との調和  まさに、祈りは和の「種」であり、和は祈りの「花」。この循環が続くことで、人も共同体も大地も、豊かに息づいていくのです。

神話が語る「祈りと和」

古事記にも、祈りとにぎわいの力が描かれています。

 天岩戸の神話

神々が祈り、そしてアメノウズメが舞い笑うことで、アマテラスは再び岩屋から姿を現しました。光は戻り、闇は祓われます。

→ 祈りとにぎわいが合わさることで、世界に再び光が射したのです。

🐇 大国主の国造り

八十神に試練を課されても怨まず、白兎を助ける心を持った大国主。その和やかな心こそ「にぎみたま」の働きであり、祈りの実践でした。

今に生きる祈りと和

現代でも、祈りは「自分を整える瞑想」となり、和は「多様性を認め合う共生」として生きています。一人ひとりが澄んだ祈りを胸に抱くとき、社会は自然とにぎわいを増し、共同体の健やかさが広がります。

祈りは清らかな和の源であり、和は祈りを実らせる大地。

この二つの力は、古代から今に至るまで、人を支え、共同体を潤し、世界に光をもたらしてきました。「祈りは種、和(にぎわい)は花」この言葉には、古代から私たちの心に流れる深い知恵が込められているように思います。

全国古事記塾主宰 今野華都子記す

「イザナギ・イザナミ」の神名

二柱のお名前は 「いざなう(誘う)」 という動詞を基になっており、

「天地・男女・陰陽が互いに誘い合い、新しい命を生む」という働きそのものを神名に宿しています。

やまと言葉で詳しく読み解くと

⭕️イザナギ(伊邪那岐命)

• い … 生まれる、出る・動きの始まり

• ざ(さ) … 差し出す・現す・広がる

• な … 名・成す・結ぶ

• ぎ(き) … 霊(気)・生命力

「いざなぎ」は、

「命をいざない、生み出す力を持つ男性的霊」

「始まりを促し、形を結び、生命を吹き込むはたらき」です。

つまり、陽性・行動・始動を象徴する存在です。

⭕️イザナミ(伊邪那美命)

• い … 生まれる・発する

• ざ(さ) … 差し伸べる・示す

• な … 結び・調和・成り立ち

• み … 実・身・母体・豊かさ

「いざなみ」は、

「命をいざない、受けとめて実らせる力を持つ女性的霊」

「命を孕み、育み、完成へ導くはたらき」で陰性・受容・生成を象徴する存在です。

二柱の対比

• イザナギ … 光・火・種を放ち、「始める者」

• イザナミ … 水・大地・胎を抱き、「受けて生かす者」

イザナギはいのちを「始め、吹き込む」側で、

イザナミはいのちを「受け、育み、実らせる」側になります。

二柱の名は、ただの「父神・母神」というより、宇宙の創造原理(陽と陰の結び・誘い合い)をそのまま表したやまと言葉の響きなのです。

この事は現代を生きる私たちにとっても 男女の調和、社会における協働、個人の内なる陰陽のバランス、自然と人間の共生など、役割の上下ではなく、異なる特質が響き合うことで新しいものが生まれる、という考え方はとても普遍的です。

神話を「古い物語」と見るのではなく、今この瞬間をどう生きるかの知恵として活かすことが、現代における「国生み」につながるのです。

一緒に古事記を読み解いてみませんか? 全国古事記塾主宰 今野華都子