唐津焼の多様な魅力を真摯に伝えるものづくり。鳥巣窯 岸田匡啓さん
陶芸家の岸田匡啓さんと初めて会ったのは、佐賀市内にある角打ち(酒場)でした。一緒に旅する仲間の友人の一人として、飲みの席に呼ばれていたのでした。岸田さんが鞄からおもむろに取り出したのは布に包まれた自作のぐい呑み3点。平杯もあれば、ちょっと縦長の形状のものもあり、3つとも形が違います。「器が違うと、お酒の味も変わるんですよ」とニコニコしながら、ぐい呑みにお酒を注いでくれました。口当たり、香りの広がり方など、確かに器を変えるとお酒の感じ方も変わります。ちょっと驚きながら、みんなでああだこうだとたわいのない意見を交わしつつ、その違いを楽しんだのでした。そのとき手にした器が、凛とした緊張感を持ちながらも、手のひらに沿うように自然で収まり心地が良く、ああ、いいなあという感触として記憶にしまわれていました。
岸田さんの工房は、唐津でも街中から離れ、随分と奥まったところにあります。くねくねとした山道をひたすら走り、ちょっと心細くなってきた頃、ようやくあれかな?という建物が見えてきました。鳥巣窯の「鳥巣」とは地名ですが、本当に鳥の巣を思わせる、緑深い山の上の森の一角のようなところです。景色が良く空気の澄んだ、気持ちのいい場所でした。
岸田さんの作る器は唐津焼と呼ばれる器です。唐津焼の歴史をたどると、室町時代末期から桃山時代、朝鮮半島から来た陶工たちによって「蹴ロクロ」や「連房式登り窯」など、焼き物作りの新しい技術がもたらされました。それによって唐津焼は大きく発展を遂げ、唐津港から運ばれて、全国に広まりました。とりわけ茶人に好まれたといわれます。
「現在の唐津焼は、その当時の古唐津を手本にしながら、地元の土を使い、登り窯で焼かれています。様式は主に3種類あり、一番代表的なのは朝鮮唐津と呼ばれるもの。鉄の釉薬と、藁灰で作られた釉薬を掛け分け、混ざり合ったところに独特の風合いがあります。そして藁灰だけを使う斑唐津(まだらがらつ)、鉄絵が入った絵唐津などがあります。土の特徴は様々で、朝鮮唐津、班唐津は砂気のあるざっくりとした土、しかし一方で磁器に近いきめ細やかな土も使います。もともと大陸で磁器を作っていた陶工たちが、いい原料がなかなか見つからない中、唐津にあるもので磁器に近づけようと努力を続けた、という歴史的背景が影響していると思います。やがて陶石が見つかり、磁器が作れるようになる。唐津焼は有田焼のルーツでもあるんです。現在の作り手には、30〜40代の若手作家も多く、窯元は70〜80軒くらいあります。唐津は、全国にある伝統産地の中では比較的元気なほうではないでしょうか」
岸田さんは静岡出身。子供の頃からものづくりが好きだったそうです。大学は東京で西洋の美術史を研究していましたが、いつかは作り手側に回りたいとずっと考えていたとか。その延長で最初は建築方面を目指そうとしましたが、もっと素材から形が完成するまでを一人で行える職人仕事の方が自分には向いているんじゃないかと思い始めました。たまたま友人に誘われて行った益子での陶芸体験が、その後の人生を決めるきっかけとなりました。
「陶芸をやってみて、これは自分にできる、と直感しました。一生飽きずにやっていけると思ったんです。そこから修行先を探し始め、縁あって唐津にたどり着きました」
実は結婚する前の奥様が働いていた場所が唐津。そこで岸田さんも度々唐津を訪れ、窯元にも良く出かけていたそうです。唐津焼の陶芸家・川上清美氏の元で修行し、そのままこちらへ移住。唐津の地で独立しました。
「静岡に帰ることも考えましたが、唐津焼、古唐津を通して、山の素材、その土地の天然原料の魅力に気付いたんです。若手を応援し、産地を盛り上げたい、という考えを持つ川上先生の人柄にも惹かれていました。独立するならやはり唐津で、と思って土地を探して。この場所を選んだ大きな決め手となったのは、もともと窯元だったということです。家と登り窯がすでにあり、自分が思い描いていた工房に近かった。田舎暮らしも好きだったので、特に抵抗はありませんでした」
岸田さんに工房を案内してもらいました。電動で動くロクロが多い中、岸田さんは自分の足で蹴りながら回す蹴ロクロを使っています。電動は安定感があるけれど、同じ速度で一定にしか回らない。蹴ロクロは自分で調整しながらリズムを作ることができるからいい、と岸田さんはいいます。
「原料の土は50、いや100種類くらいあるのかなあ。スコップを持って土囊袋を担いで、自分で山に入って採ってきます。水に溶かしてドロドロにして、メッシュで濾して大きい石などを取り除く。そのまま置いて沈殿したら上澄みを除いて、ある程度乾かすと粘土になります。釉薬は20~30種類くらい。藁って書いてあるのは、隣の農家さんにもらった麦わらを焼いて灰にしたもの。釉薬の原料になります。」
岸田さんは驚くほど原始的に、ほとんど一人で、原料探しから全て自分の手で行っています。四房あるレンガ積みの登り窯は、年に3、4回火を入れ、作りためた作品を一気に焚いていきます。窯焚きが始まったら、丸二日は窯にかかりきりで目が離せません。終わりが近づく程火加減の調整が難しく手間がかかるそうで、気持ちを集中して火に向き合います。窯出しが終わったら、窯の中を綺麗に掃除して、壊れたところは修理して、また原料を採取して、とやることはいつも山積みだそうです。
工房の棚にぎっしり置かれた粘土と釉薬
登り窯
唐津焼は、野趣溢れる豪快さと可憐で優美な儚さの両面を併せ持ち、一言では言い表せない独特の魅力があるように思います。上品でありながら実用的で使いやすく、高級料亭からカジュアルな飲食店まで、幅広く料理の器として重宝される傾向があります。岸田さんの器は薄作りのものが多く、繊細ですきっと清々しいフォルムが特徴的。紙や布のようなイメージで器が作れないか、という発想で試行錯誤し、繊細な料理にも見合い、きちんと受け止められるよう意識しているそうです。
「お酒を飲んだり、店に食べに行ったりするのは好きなので、個展などで東京へ行ったら、気になる店にはできるだけ行って、勉強させてもらっています。盛り付けなどで刺激をいただくことも多いですし。自分はどちらかというと繊細な味が好みで、吟醸酒とか、いいお酒を美味しく飲めるような器が作りたいですね」
岸田さんは2018年の夏、初めてフランスで作品展示を行いました。そこで多くの気付きを得たといいます。
「例えばぐい呑みは、日本酒の味や飲み方など、日本の食文化を体得した上で成り立っているもの。文化的背景を共有しないと、器って分かりづらい面もあると思います。それを文化ごと伝えることも大事なんですが、一方で唐津焼の質感やグラデーションなどをオブジェのように見せることで、そういった背景を飛び越えて、直感的に伝わる面もあるんじゃないかと。登り窯で焼くことの面白さを伝えるために、その部分に着目できるような作品を制作することも一つの方法だと思いました。色々考えることで自分自身の頭の整理にもなりました。日本酒を知らない人、和食に興味のない人でも、違うチャンネルから入れる入り口を作ることが大事ではないかと思ったんです」
フランスでの展示は苦戦した部分も多かったようで、手に取って見てはもらえるものの、販売に結びつけるのは難しかったそう。器に愛着を持ち、お金をかける国民は、日本人が一番ではないかと岸田さんはいいます。この展示での経験が、何をどう伝えたらいいかを考えるきっかけになり、自身の作品作りにも大きな影響を与えたそうです。そこで生まれた岸田さんのもう一つのライフワークは、直感に訴えるオブジェ制作。あるときは、徒歩数分で行き来できる2つの会場で、実用的な器とオブジェの2タイプの作品をそれぞれ展示し、訪れた人の感覚を多方向に刺激するという、新しい試みを行いました。
「本当に知ってもらいたいことの根本は、1500年代から脈々と続く、壮大な歴史を持った唐津焼の魅力。自分たちはその価値に支えられてやっている部分もある。もちろんそれだけを当てにしていたらダメなんですけど、昔の唐津焼に魅せられて、少しでも近づけるようなものが作りたいという気持ちが出発点です。そこから現代で自分が作るとしたら、全然違うものを作っても昔のものに敵うものを作れるっていうのが理想なんですけど、それは自分の中ではまだまだで。できる限りお手本に近づく、という部分と、自分なりにアレンジしたオリジナルで、お手本に敵うものを目指す、というのを同時進行でやっていきたいと思っています。また、自分の作品をきっかけに、器だったり、食文化だったり、昔の唐津焼だったり、何かしらに興味を持ってもらえる入り口のような役割を担えたら嬉しいです」
唐津では毎年、ゴールデンウィークの時期に「唐津やきもん祭り」があります。特徴的なのは、作家本人が売り場に立って、自身の作品を販売していること。有田の陶器市等と比べると規模はやや小さいですが、作家と直接話ができ、ゆっくり器を見られるという、大人の楽しみがあります。陶芸家が飲食店や料理人とコラボして食事会を開き、器を実際に使用できる機会を提供したり、角打ちコーナーを作って酒器の使用感を確認できるようにしたり、などユニークなイベントもたくさんあります。また、岸田さんは毎年秋に町を主体とした「とりすまつり」を開催し、自身の新作展と共に、地元の特産品を集めたマルシェや餅つきイベントなど、楽しい催しを行っています。土地の空気を肌で感じることで、手に取る器の表情も違って見えるかもしれません。ぜひ唐津へ、お出かけください。
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鳥巣窯
佐賀県唐津市浜玉町鳥巣 880−1
tel/fax 0955-58-2111
窯元見学は随時。要事前連絡。
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文:江澤香織 写真:山本加容