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niwa saburoo の日本語文法概説

46. 並列節

2019.02.21 12:21

      46.1 ~て            46.4 ~ながら 

      46.2 ~(中立形)        46.5 ~たり

      46.3 ~なくて/ないで/ずに   46.6 ~し

 

 連用節の最初は、並列的に二つの節を並べる形を扱います。英語などの文法では「等位節」と言うことが多いものですが、日本語では、意味的にはともかく、文法的には「等位」とはいえません。前の節が独立することができず、後の節を「修飾」する形になっているからです。

     I went to Ginza and met my friends.

 この英語の文では、前の節はそれだけで独立できますし、後の節も「I」を補うだけで独立した一つの文になります。

     I went to Ginza. (And) I met my friends.

 しかし日本語ではそうなりません。

     私は銀座へ行って、友達に会いました。

     私は銀座へ行きました。そして、私は友達に会いました。

 後の節(こちらが「主節」です)は、「私は」を補えば一つの文になりますが、前の節は動詞の形が違っています。「て」を「ました」に変えればいいだけじゃないか、というのは正しくありません。「て」には「ました」の持つ過去という意味も丁寧体であるという情報も含まれていません。

     私はこれから銀座へ行って、友達に会う。

とすると、この場合は「行きました」ではなくて「行く」の意味です。前の節の動詞の文法的な内容は後ろの動詞によって決まります。つまり上の日本語の例では、前の節は後の節(主節)に対して従属的な関係になっています。つまり、「従属節」です。上の英語の例のようにそれぞれがかなりの程度まで独立しているのとは違うのです。

 そういうわけで、日本語では「等位節」を別にする必要はありませんし、したがって、英語の文法で言う「重文」を「複文」と分けることはしません。

 ただ、「~が、~」のような文型では、それぞれの節の独立度がかなり高くなります。

     私は銀座へ行きましたが、友達に会えませんでした。

 この「AがB」のように、AとBの内容が相反する場合を「逆接」と言います。上の「AてB」は「順接」です。さて、この「~が、~」の例を見ると、「等位節」あるいは「重文」と言ってもよさそうですが、順接と逆接で文の型が大きく違うという分析はあまり好ましくないので、すべて複文扱いにします。したがって、上の「~が、」の節も「従属節」とします。

 AとBが意味的にかなり対等な関係である「並列」の外に、部分的な並列とも言える「並行動作」、さらに同じ形式で表される「理由・様子」などの用法も一緒に見ておくことにします。「逆接」だけを表す「~が、~」「~のに」などは別にまとめます。

  

46.1 ~て、~    

46.1.1 V-て、~

 では初めに、「文をつなぐ」というイメージにぴったりの文型から。「~て、~」は非常に基本的な形で、いろいろな用法があります。

 「~て」は積極的に一つの意味を表す形式ではありません。文脈と、二つの節のそれぞれが表す意味、および述語の性質によって、節の間の関係、つまりは「~て」の用法が決定されるのです。逆に言えば、「~て、~」の形である意味を表すためには、それぞれの節が表す意味と述語に対する制限に従わなければなりません。「並列」以外の用法もまとめてとりあげておきます。

 上でもちょっと触れたように、この「~て」の節のテンスやムードは、文末の述語が現れるまでわかりません。逆に言えば、それらをはっきりさせないまま話が始められるということですが、意外に主節との関係で制限が多く、いい加減に使うと不自然な文になりやすい文型です。


① 継起

 続いて起こるいくつかの動作を「~て」でつないで行くものです。いちばん頭に浮かびやすい用法と言っていいでしょう。これも広い意味では「並列」ですが、次で見る「並列」と分けて、「継起」と呼んでおきます。「継起」というのはあまり一般的でないことばですが、読んで字のごとく、後のことが前のことに継いで起こるということです。

     兄が部屋に入ってきて、本棚の前に立ちました。

     昨日は図書館から本を借りて、ずっと読んでいた。

     わたしは夜中の2時頃に目が覚めて、トイレに行きました。 

 ふつうは同じ主体が次々に行なった事柄を時間の順序にしたがって並べて行く文です。意志的動作が多いのですが、そうでない例もあります。主体が人以外の場合ももちろんいろいろあります。

     コップは壁に当たって、粉々に割れた。

     木の葉が枝から離れて、風に吹かれて、地面に落ちた。

 以下は主体が違う例です。

     急に空が暗くなって、雨が降ってきた。

     中で何か大きな音がして、女性の叫び声が聞こえた。

     「誰かいないか」という声がして、男が中に入ってきた。

     雨が上がって、子どもたちが外に出てきた。

     学年末試験が終わって、彼女は旅行に出かけた。

 二つの節に因果関係があれば、後で述べる「原因・理由」の用法とします。最後の二つの例は、「原因・理由」に近い例です。

 上の例は、両方あるいは少なくとも片方の述語が非意志的です。主体が違って、両方意志的だと、「~て」では「継起」にならないようです。

    ?彼が部屋に入ってきて、彼女が顔をあげた。

 「~入ってきたとき」(→「48.2 ~とき」)や「~入ってくると」(→「49.4 ~と」)などにすると自然な文になります。

 また、二つの事柄には意味的なつながりが必要です。無関係な二つの事柄は、たとえ時間的に続いていても、この文型では表せません。

    ?彼は銀行から金を借りてきて、居間でテレビを見ていた。

     彼は散歩から帰って、居間でテレビを見ていた。(「時間の過ごし方」として

     関連がある動作)

     彼は銀行から金を借りてきて、それを債権者に支払った。

 単なる時間的なつながりなら、「~あと」で結んだほうが自然です。

     彼は銀行から金を借りてきた後、居間でテレビを見ていた。

 小さい子どもが「長い文」を書こうとすると、この「継起」の文型で次々に続けていきます。

     朝起きて、顔をあらって、御飯を食べて、歯をみがいて、、、

 日本語の複文は、文の終りまで行かないと、全体が過去のことか現在・未来のことかわからない場合があります。この「~て、~」は特にはっきりしません。上の例文も、「きのう」とか「毎日」とかを初めに付けると、いくらかわかりやすくなります。

 もっとひどいのは、最後になって否定文にしてしまうことです。

     昨日学校へ行って、勉強して、お昼ごはんを食べませんでした。

 この文で「しなかった」ことは食べることだけなのか、それともそもそも学校へ行かなかったのかわかりません。このような「~て、~」の文末は否定にしないことが大切です。否定の問題はあとでまたとりあげます。


② 並列:順接

 同じ「~て、~」でも、次のような例になると、少し違ってきます。   

     彼女は、昼は会社で働いて、夜は大学で勉強しています。

 続いて起こる動作というより、昼と夜との並列、あるいは対比というべきでしょう。次のように言えば、前後関係を表していることになります。

     彼女は、昼会社で働いた後、夜大学で勉強しています。

 主体の「は」以外に、副題の対比的な「は」が現れやすくなります。

     父にはネクタイを買って、母にはハンカチをあげました。

     あれをここにおいて、これをあそこに持っていってください。

     ビールを飲んで、餃子を食べました。

 最後の例は「飲んだ後で」ではなく、「飲みながら」に近い場合です。

 動作主体が別の場合も、もちろんあります。

     雨が激しく降って、風が強く吹きました。

     姉がピアノを弾いて、私が歌を歌いました。

 対比的な二つの動きを並べる場合もあります。

     雨はやんで、風が強く吹き始めました。  

     弟は外へ遊びに出て、妹は家でテレビを見ています。

 ただ、このような場合は、逆接の「~が、~」を使ったほうが落ち着くようです。どこに力点を置くかということが、つまり意味が違ってきますが。

     雨はやみましたが、風が強く吹き始めました。

     弟は外へ遊びに出ましたが、妹は家でテレビを見ています。

 「~て」で結べば、二つの動きの関係をごく自然なものと話し手が考えていることがわかります。「~が」で結べば、もちろん対比的な関係、Aに対してBが多少とも予想外のことであるという意味合いになります。


③ 方法・手段

     電車に乗って、学校へ行きます。

     はさみを使って、紙を上手に切ります。

     辞書を引いて、意味を調べました。

     テレビをみて、日本語を練習しています。 

 「AてB」のAが、Bのための手段や方法を表わします。どちらも同一主体の意志的な動作で、時間的には同時です。Aを行なうことがそのままBをしていることになります。

     歩いて学校に行きます。

の「歩いて」などは副詞と考えます。  


④ 様子

 Bの主体が動作をする時の様子・状況を従属節が表しているものです。その時の動作のしかた、身振りや服装などを表す場合は同一主体の意志的動作です。「52.様子」でもう一度とりあげます。まわりの状況を表すものなどもここに含めておきます。

     力を入れて握った。

     笑って答えた。(笑いながら)

     折り紙を折って遊んでいた。

     着物を着て踊っています。

     腕組みをして考えています。

     足を広げて立ってください。  

     壁によりかかって見ていた。

 精神的な状態を表すものもあります。

     自分の実力を信じて、頑張ってきなさい。

     落ち着いてゆっくりと答えた。

     あわてて逃げ出した。

 「あわてて」は副詞に近くなっています。「思い切って」「頑張って」など、他にも多くあります。「急いで」も副詞に近いものです。

 まわりの状況を表すもの。

     向こうの角に雑貨屋があって、切手を売っていますよ。

     無限大に宇宙が広がっていて、その中に地球が浮かんでいる。

     後になって、だまされたことに気がついた。


⑤ 原因・理由

 AがBを引き起こす原因・理由と解釈されるような場合があります。

     毎日遅くまで働いて、とても疲れました。

     疲れて眠ってしまいました。

     雨が降って涼しくなった。 

     二階から飛び降りて、けがをした。

     けがをして、会社を休んだ。

 理由を表す文型としては「~から/~ので/~ために」などの方が基本的です。「AてB」が理由を表せるのは、BがAの自然な結果になる場合だけで、Bが意志的な行動では使えないという制限があります。(→「50.理由」)

 次の例は理由のようにもとれますが、「精神的な状態」でしょう。

     頭に来て、相手の家に怒鳴り込んだ。

 主節が「評価」を表すものもここに入れておきます。

     君が来てくれてよかったよ。

     あんなことを言って悪かった。

     実験が失敗に終わって、とても残念だ。


⑥ 逆接

 多少特殊な例ですが、逆接になることがあります。

     答えを知っていて、教えてくれない。

     危ないとわかっていて、ついやってしまった。

 「AてB」のAが状態であることが多いですが、次のような例もあります。

     ここまで来て、なんで帰らなきゃいけないのか。

 あとでとりあげる「V-ながら」の逆接と近い用法です。上の例はみな「V-ながら」に書き換えられます。

以上で用法の分類を終わりますが、細かく分ければもっといろいろできそうです。大切なことは、学習者の立場から考えて、正しくこの文型を使えるようになるには、どう整理すればいいかを考えながら分類することでしょう。

 この「~て、~」の文型についてよく言われることは、この「て」自体に特別な意味があるわけではないということです。他の文型、例えば「AのでB」の場合は、どんな意味を表わしているかがこれだけでだいたい分かりますが、「AてB」というだけでは意味が定まりません。この文型は、多義であるというより、そもそも本来の意味がはっきりしていないと言えます。わかるのは、A、Bという二つの事柄がつなげられているということだけです。日本語話者は、前後の述語の種類・意味と場面・文脈から、その「~て、~」の意味を理解するのです。したがって、日本語学習者には手がかりのつかみにくい、わかりにくい文型だということになります。このことは、あとでもう一度考えてみることにします。


46.1.2 A/N-て/で、~ 

 「~て」の述語が形容詞・名詞の場合を見てみます。動詞文と違って、状態を表しますから「継起」はありません。動きの「様子」は表しません。意志的でもありませんから「方法」もありません。「並列」と「原因・理由」、そして「逆接」の三つです。

 まず、並列の例から。

     安くて、おいしいです。

     この犬は目が小さくて、耳が大きいです。

     高井さんの家は大きくて、安井さんの家は小さいです。

     Aさんはタイ人で、Bさんはマレーシア人です。   

 次に、原因・理由の例。

     湿度が高くて、蒸し暑いです。

     頭が痛くて、辛いです。

     彼は、奥さんが病気で、忙しいです。(a)

 名詞文の場合、「Nで」が述語なのか補語なのかを区別しなければ、単文か複文かを決めることができません。

 上のaの場合は「病気」の人と「忙しい」人は別人なので二つの述語があると考えます。 次のbの場合は「彼は病気です」「彼は会社を休みました」とは考えずに、「病気で(会社を)休む」という動詞と補語の関係と見なします。    

     彼は病気で会社を休んだ。(b)     

 原因・理由を表す名詞は、文法的には一つの名詞でも、内容的には文に相当する意味を持っているという特徴があるので、話が難しくなります。

 次のような例はちょっと判断が難しいです。

     彼は病気で、この一週間家から外に出なかった。

     昨日はひどい大雨で、木がたくさん倒れた。

 逆接の例。

     あんなに健康で、なんで働かないのか。(健康なのに)

     外見は怖そうで、実際はすごく優しい。(怖そうだが)


46.1.3 「~て、~」の難しさ

 以上で用法を一通り見たことになりますが、このように正しい例文だけを見ているだけではわからない難しさがこの文型にはあります。以下ではその点を少し考えてみましょう。

 さて、すでに述べたように、「継起」というのは、時間的なつながりのある二つの動きの関係を言います。言い換えると、つながりのない二つのことは、たとえ起こった順序でそのまま並べても自然な文とはなりません。

    ?家の近くの信号を渡って、忘れ物に気が付きました。

     電車を降りて、忘れ物に気がつきました。

 「電車を降りて」、その瞬間、電車の中に「忘れ物」をしたことに気づいた、というのはわかりやすい状況ですが、初めの例ではそのようなつながりがありません。あとの例でも、「電車を降りたとき/あとで、~」のほうがふつうの言い方ですが。初めの例は、例えば次のように言うところです。

     家の近くの信号を渡ったところで、忘れ物に気がつきました。

 次は主体が違う例です。

   a ?父が会社から帰ってきて、雨が降ってきた。     

   b ?彼女が窓を開けて、冷たい風が入ってきた。

 aのほうは、事柄としても関連がありません。「ちょうどその瞬間」とか、「幸いに雨に降られなかった」というような意味合いを表したいのなら、

     父が会社から帰ってきたとき、(ちょうど)雨が降ってきた。

     父が会社から帰ってきたすぐあとで、雨が降ってきた。

などの、時を表す表現を使ったほうがいいでしょう。

 bの例では、「窓を開ける」ことと、「冷たい風が入る」ことには明らかに関連がありますが、そのつながりを「~て、~」で表すことはできません。

 bの二つの事柄の関連を、単なる時間関係ととるか、AがBの「きっかけ」となった、と考えるか、はっきりした「原因-結果」の因果関係とみなすかによって、三つの文型があります。

     彼女が窓を開けたとき、冷たい風が入ってきた。

     彼女が窓を開けると、冷たい風が入ってきた。

     彼女が窓を開けたので、冷たい風が入ってきた。

これらはそれぞれ「48.時」「49.条件」「50.理由」でとりあげる文型です。


46.1.4 「は」と「が」

 複文の「ハとガ」の問題を「~て、~」の場合を例に少し考えておきます。主節と従属節の主体が違う場合、それぞれを「Nは/Nが」のどちらで表すかということが問題になります。特に問題になるのは従属節の主体です。従属節の主体の「ハとガ」の用法は、従属節の主節に対する従属度、逆に言うと、主節からの独立度と関係があります。

 が、その問題を考える前に、主体が一致している場合のことを考えておきましょう。例えば、次の例で「は」と「が」のどちらかを使うかは、単文の場合と条件は同じと言えます。

     兄が窓を開けて外を見た。

     兄は窓を開けて外を見た。

     郵便屋さんが自転車に乗って郵便を配っていた。

     郵便屋さんは自転車に乗って郵便を配っていた。

 たんに一つの事象として、特にどこにも注目せず、事態をそのまま記述すれば、「が」を使った無題文になり、その主体に注目して、主体がどうしたか、というふうに物事を述べれば「は」を使った主題文となります。

 主体が違う場合も、主節のほうは基本的に単文と同じように考えられます。

     学校が終わって、子どもたちが校舎から出てきた。

     両親が亡くなって、子どもたちは親戚に預けられた。

 「が」のほうは、事柄全体を一つのものとして描写し、「は」のほうは、その名詞に注目して、それに説明を加えています。

 問題は、従属節で「Nは」はどんな場合に使えるのかということです。最初に述べたように主節に対する従属度が低い場合、例えば、並列の関係にある場合は「は」が使えます。

     兄は両親と一緒に住んでいて、私はアパート暮らしをしています。

     雨はやんで、風が強く吹き始めました。

 後の例でどうして「雨は」で、「風が」なのかというと、この文の文脈では、「雨」はすでに出ていて、それがどうなったか(まだ降っているか/やんだか)に焦点があるので「は」がつけられ、「風」のほうは、新しく起こったことなので現象文として「が」になっているのです。

 原因・理由のような従属的な節では、「Nは」にできません。

    ×兄は約束を守ってくれて、私はほっとしました。(○兄が)

    ?雨は三日も降り続いて、川の水はあふれてしまいました。

     cf.兄は約束を守ってくれました/雨は三日も降り続きました。

 「兄」や「雨」の話が前から続いていれば、「Nは」と言えるはずですが、「~て」の形の従属節になって、後に文が続き、「原因-結果」の関係になったので、「Nが」にしないとどうも落ち着きません。この「が」は、従属節の中の「義務的なガ」です。

 「~て、~」でなく、次にとりあげる「~(中立形)、~」にすると、より並列的関係になるので、ずっと安定します。

     雨は三日も降り続き、川の水はあふれてしまいました。

 同じように、「川の水は」を次のように使うと安定しません。

    ?川の水はあふれて、町は水浸しになりました。


46.1.5 ムード

 「~て」はそれ自身が活用形ですから、独立した活用形によるムード、例えば命令・依頼・意志、それに活用のない「~だろう」「V-まい」などのムードは表せませんが、ムードを表す形式が活用するものなら、そのテ形がこの従属節になり得ます。ただし、並列・理由を表す場合です。

     読みたい本は買うべきで、借りるべきではない。

     彼女はかなり忙しいようで、引き受けてはくれなかった。


46.2 ~(中立形)、~

46.2.1 動詞文

 前節の「~て、~」の文型と似た表現です。もし「~て、~」のように形を書くとすると、「~、~」となってしまいます。これでは何だかわかりませんが、実際の例は次の二番目の例です。 

     朝7時に起きて、ごはんを食べた。    

     朝7時に起き、食事をした。

 上の例からもわかるように、この文型は書きことば的で、話しことばではあまり使われません。従って初級では提出されず、中級の読み物の中に出てくることが多くなります。

 意味的には「~て、~」とかなり近いのですが、多少違いが認められます。「~て、~」は一つの節のあとに一つの節が続く、ということを示すだけで、特に積極的な意味を持たないとよく言われます。結果的に、継起・並列・方法・理由・様子などいろいろな用法に分けられますが、どれが基本的とも言えません。それに対して、「~、~」の場合は、並列が最も基本的と言えます。単に二つの節を並べるだけでなく、積極的にその二つが対応していることを示す、ということです。

     日が昇り、月が沈む。

     男は外で働き、女は家庭を守る。(という時代があった)

 別の言い方をすれば、主節との関係が、テ形の方はより従属的であり、中立形の方がより並列的、英文法の言葉を借りれば等位節的であるということです。

 しかし、「~て、~」に見られたようないろいろな意味合いを持つことがないということではなく、次のようにほぼ対応する例を考えることはできます。

     部屋に入り、明りをつけた。       (継起) 

     コップが倒れ、水がこぼれた。           

     電車に乗り、東京に向かった。      (方法) 

     特殊な筆を使い、独特の効果をあげていた。     

     一日中歩き回り、すっかり疲れた。    (理由) 

     腹が減り、動けなくなった。            

     腕を組み、考え込んでいた。       (様子) 

     赤い帽子をかぶり、真ん中の席に座っていた。    

     一週間かかってレポートを書き、結局出さなかった。(逆接)


46.2.2 イ形容詞文

 以上は動詞の例だけを見てきました。イ形容詞の場合は、次のような形になります。比較のために「~て、~」の形を並べて出します。

     このりんごは大きく、安い。

     このりんごは大きくて、安い。

     このりんごは甘く、おいしい。

     このりんごは甘くて、おいしい。

 中立形の方が文が二つに切れる感じが強く、テ形の方は並列節が主節を修飾している感じが強くなります。修飾するということは、意味的には何かの説明を加えていることで、「甘くて、おいしい」の場合は、甘いことがおいしい理由であるという意味合いにもなります。

    ?昨日は頭が痛く、会社を休んだ。

     昨日は頭が痛くて、会社を休んだ。

 「頭が痛い」と「会社を休む」という二つの節を並列すると、そこに「原因-結果」の因果関係がつけられます。その場合、テ形の方が自然になります。 節の主体が別の場合は、中立形の方が文として締まった感じがします。

     彼はフォームがよく、彼女はスピードがある。 

     彼はフォームがよくて、彼女はスピードがある。 

                   

46.2.3 ナ形容詞文

 活用のところで述べたように、ナ形容詞の中立形「~に」は、イ形容詞とはちがって並列を表せません。もっぱら連用修飾用です。この形は、もともと国文法では「連用形」とされ、「静かだっ・静かで・静かに」の三つで一組でしたが、この本では「静かだった」をタ形とし、後の二つをそれぞれ「テ形・中立形」としました。並列にはテ形が使われ、中立形は連用修飾という分業になったわけです。

 次のような並列の例がありますが、「で/だ」の省略と考えておきます。

  ナ形容詞文

     音楽はだめ、美術も下手、書道もひどかった。

     音楽はだめで、美術も下手で、書道もひどかった。

     音楽はだめだし、美術も下手だし、書道もひどかった。

     あの人は英語は上手、数字には強い、空手はできる、というわけで

     何でもできる人だ。(~上手だ、~)

     あれも嫌い、これもいや、では世の中通じないよ。

     (~だ、~だ、では~)

 この二つの例は、基本形の「-だ」が省略されています。それぞれが一つの文相当で、引用に近い形です。 

  名詞文  

     この人は大学生、あの人は社会人です。 

     この人は大学生で、あの人は社会人です。

     あれが安達多羅山、あの光るのが阿武隈川。(高村光太郎)


46.3 ~なく(て)/ないで/ず(に)

 これまで述べて来た「~て」と「中立形」の文型では肯定のものだけを扱いました。否定にすると、少し面倒な問題があるからです。

 まず、「ナイ」のテ形は「なくて」ですから、テ形を使う文型では、

     行く   行って    行かない    行かなくて

     大きい  大きくて   大きくない   大きくなくて

     今日だ  今日で    今日ではない  今日ではなくて 

のいちばん右の列の形になるはずです。なお、この「なくて」の形を使った複合述語としては、「~なくてもいい・~なくてはいけない」がありました。

 動詞はもう一つ否定の形があります。「V-ないで」という形です。これは「V-てください」の否定の表現として、「V-ないで下さい」という形ですでに出ていました。

 イ形容詞も、中立形とテ形の対立に平行して、二つの否定の形があります。

     大きく:大きくて    大きくなく:大きくなくて 

 ナ形容詞と名詞述語の場合は、否定だけ二つあることになります。

     暇/雨 で    暇/雨 で(は)なく:暇/雨 で(は)なくて

 動詞の場合は、中立形に対応する否定の形はありません。

     行き:×行かなく    行って:行かなくて

 その代わりというわけではありませんが、上の「V-ないで」の形があり、またそのほかに、少し書き言葉になりますが、「ない」の古典語である「ず」

を使った「V-ず(に)」があります。

     きのうは、結局どこへも行かず(に)、ずっと家にいた。

 以上のようなわけで、十分に複雑なことになっています。肯定の形も含めて表にまとめると、次のようになります。

               動 詞   イ形容詞   ナ形・名詞 

    中   肯定  行き     暑く    (雨に)     

    立   否定  ─────    暑くなく   雨でなく     

    形        (行かず)    

       

        肯定  行って    暑くて    雨で     

    テ   否定  行かなくて  暑くなくて  雨でなくて   

    形       行かないで                 

            (行かずに)                  


 さて、それぞれの使い分けですが、イ形容詞の「-なく:-なくて」の違いは、肯定形の「-く:-くて」の違いに並行すると言っていいでしょう。

     今日は暑くなくて過ごしやすい。

     今日は暑くなく、過ごしやすい。

     結果がよくなくて残念だった。

     結果は思わしくなく、残念だった。

     この辞書はあまり重くなく、かさばらない。

     よくもなく、悪くもない。

 「-なくて」のほうが話しことばで、「理由・原因」の意味合いを感じるのに対して、「-なく」のほうは書きことば的で、並列的な感じがします。

 ナ形容詞・名詞述語の場合は、

     主人ではなくて、夫です。     

     おしとやかでなくて悪かったわね!

     そんなことは問題ではなく、問題にすべきはその無責任さである。

     アイヌ語は、日本語でもなく、外国語でもありません。

 「-なくて」は並列、理由、「-なく」は書きことば的で、並列です。

 問題は動詞の場合です。「-なくて:-ないで:-ず(に)」はどう違うのか、です。いちばんよく使われるのは「-ないで」でしょう。「様子・手段」などの意味になります。

     ゆうべは歯をみがかないで寝てしまった。

     エレベーターを使わないで階段を使っています。

     辞書を見ないで読んだ方がいいです。

     何日も話さないでいられますか。(V-ている)

     このことは言わないでおこう。(V-ておく)     

 「-なくて」は「理由・原因」の意味になる場合が多いです。

     小さい字が読めなくて困ります。

     きのうは、とうとう行けなくてごめんなさい。

     嫌なやつが来なくてよかった。

     弁償金は払わなくて済んだ。(払わないで)

 「-ずに」は「-ないで」の書き言葉という感じです。

     バスはなるべく乗らずに歩くようにしています。(乗らないで)

     学校へは行かずに、映画館に通ったものだ。(行かないで)

     兵器は使わずに済むのがいちばんいい。

     きのうは何もせずに一日家にいた。(しないで)

 「-ず」は「-ずに」よりさらに書きことばという感じがします。「する+ず(に)」は「せず(に)」という形になります。

     きのうは何もせず、一日家にいた。

 次のような「理由」を表すには「-ずに」ではなく「-ず」が適当です。

     エンジンがなかなかかからず、困ってしまった。

     なかなか明かりがつかず、皆不安だった。

 並列を表すには、「-ず」の形がいちばん適当です。

     手紙もこず、電話もなく、ずいぶん心配した。

     何も食べず、ものも言わず、立ち上がりもしなかった。 

   

[文末の否定との関係]

 「~て、~」のところで、文末を否定にしないように、ということを述べました。その解決策を考えましょう。

     けさ、ご飯を食べて学校へ行かなかった。

     けさ、ご飯を食べずに学校へ行った。

     けさ、ご飯を食べたが、学校へ行かなかった。

 最後の例は意味的に不自然な感じがします。「ご飯を食べた後、気持ちが悪くなって~」というような事情を書くところでしょう。両方否定なら、

     けさ、ご飯も食べず、学校へも行かなかった。

となります。

     春になって花が咲きませんでした。

     春になっても、花が咲きませんでした。

 「春になる→花が咲く」のような必然的な関係を否定するには「~ても」や「~のに」が適当でしょう。この例では「春にならない」場合はありません。


46.4 V-ながら

 次は「V-ながら」です。例文を見てください。

     歌を歌いながら歩いています。

     ごはんを食べながらテレビを見ます。

     音楽を聞きながら勉強します。  

 「ながら族」という言葉もありますが、この「V-ながら」という文型は、一つのことをするとき、同時にもう一つのことをしているという「同時進行」表わす文型です。

 「V」のところは中立形、つまりマス形と同じで、「AながらB」のAもBも同一人物の動作に限られています。そんなわけで、学習者にとっては覚えやすい文型です。

 また、AとBを入れ替えて、「BながらA」としても実際の動作としては同じです。しかし、重点は違ってきます。例えば、   

     テレビを見ながらごはんを食べている。

という文で、「何をしているのか」といえば、「食べている」のであって、「どんな状態で」といえば、(「新聞を読みながら」や「話しながら」に対して)「テレビを見ながら」なのです。

     テレビの語学番組を見ながら、ごはんを食べています。

では、ごはんがおいしくないだろう、と思われますし、

     ごはんを食べながら、テレビの語学番組を見ています。

では、勉強のしかたとしては集中が足りない、ということになるでしょう。

 以上のような意味で、同時進行といいながら重点に差があります。AとBのどちらが重要か、ということではなく、「AながらB」のとき、Aのほうが修飾要素だ、という当り前のことになります。

 「BながらA」にできないものもあります。

     辞書を引きながら、英語の本を読みます。

    ?英語の本を読みながら、辞書を引きます。

 この例は、同じ時の動作ではあっても、意味的にAがBのための手段や方法になっているので、BがAの修飾になりえない、ということでしょう。

    鏡を見ながらお化粧をします。

    ?お化粧をしながら鏡を見ます。

     

[逆接]

 以上の例は、Aの部分が動作でしたが、ここに状態性の述語(形容詞文・名詞文・状態を表わす動詞文)が来ると、文型の意味が変わります。

     金がありながら、ないという。

     知っていながら、教えてくれない。

     分からないながら、最後まで見ていた。

     子供ながら、しっかりしたことを言う。

 この場合は、逆接の「V-のに」に近い意味になります。

 同時進行の「V-ながら」は初級文法の重要な項目ですが、逆接のほうは使用頻度も少なく、文体的にも硬いので、提出は中級以降になるでしょう。

 動作を表わす動詞でも、文脈によっては逆接の意味になることがあります。

     ここまで来ながら、何で引き返さなきゃならないんだ。

     再三ゴール近くまで攻めながら、ついに得点できなかった。

この場合の「来ながら」は「来ていながら」、「攻めながら」は「攻めていながら」とも言えます。つまり、状態性の表現にできます。


[V-つつ(も)]

「V-ながら」と近い意味の表現です。書きことばです。逆接の用法もあります。「も」をつけると、逆接であることがはっきりします。

     なごりを惜しみつつ去っていった。

     大きな夢を見つつ、着実に計画を実行していった。

     「まずい」と文句を言いつつもよく食べた。

     愁いつつ岡にのぼれば花茨(蕪村)

 「V-つつある」という形を「24.アスペクト」でとりあげました。


46.5 ~たり、~(~たりする/たりだ)   

 「V-ながら」は、同時に行なう二つの動作を述べるものでしたが、「~たり」は交互に起こる事柄を述べます。述語のタリ形が使われます。

   a 日曜日は、本を読んだり、テレビを見たりします。

     Aさんは辞書を調べたり、参考書を見たりしています。

     うちの庭は、鳥が遊びに来たり、隣の猫が昼寝をしていたりする。

   b お父さんは、立ったり座ったりしています。

     その人は、廊下を行ったり来たりしていました。

     人が出たり入ったりして、ざわざわしている。

   c 雨が降ったり、風が吹いたりして、穏やかな日がありません。

     お客が来たり、子供が泣いたりで、休む暇がありません。

 aでは、二つの動作以外の動作も暗示されています。二つの動作の間には特に前後関係はありませんし、必ず二つとも行なわれなければいけないわけでもありません。aの例で言えば、ある日曜には読書とテレビ、次の日曜にはテレビと散歩、次は読書とスポーツ・・・のようなことでいいのです。

 初めの二つの例は動作の主体が一致している例です。初めの例では主体は省略されています。「私は」です。三番目の例は、主体が別で、「Nが」で表されています。「Nは」では成り立ちません。

    ×うちの庭は、鳥は遊びに来たり、隣の猫は昼寝をしたりする。

 bでは同一主体の正反対の動作が繰り返されます。何度も繰り返されている感じです。そして、その二つの動作以外に何か大切なことがあるようにも感じます。「お父さん」はお産が無事済むのを待っているのかもしれません(テレビドラマでよく見る光景です)し、「その人」は何か考えているか、あるいはリハビリで歩く練習をしているのかもしれません。三番目の例は、「~たりして」の形で全体が連用節(理由)になっています。

 cの例は、動作の主体が別のもので、連用節になっている例です。主体はやはり「Nが」です。

 「~たり」は動詞以外の述語にも使えますが、二つの状態の交替を表すことになるので、それほど多くは使われません。

     週末は忙しかったり暇だったりします。

     暑かったり、寒かったり(して)、変な天気ですね。

     受付の人は若い女性だったり、年を取った男性だったりします。

 「~たり~たりします」の「します」のかわりに「です」を使うこともあります。「しています」の場合は「小刻みな繰り返し」の意味があり、「です」にすると少しそれが失われますが、一応置き換え可能のようです。

     いつも寝たり起きたりです。

     毎日降ったり止んだりです。

 上のcの二番目の例では、「です」が文の途中で「~で」になっています。 初級では「~たり」を二つセットで提示することが多いのですが、一つだけ出して他を暗示することもよく行なわれます。

     時々、散歩にでかけたりします。

     頭が疲れた時は、軽い体操をしたりして、気分転換します。

 「AたりBたり」というのは、名詞句の「AやBなど」に似ています。一つだけで他を暗示するというのも、「Aなど」と対応します。

 また、否定や反語と結び付いて使われることもあります。    

     つまらないミスをしたりしないように注意してください。

     あの人が自分で掃除したりするものですか。

 否定は、単純に最後で否定します。

     辞書で調べたり、参考書を見たりしませんでした。

×辞書で調べなかったり、参考書を見なかったりしました。


46.6 ~し、~      

 これも「~て、~」や「~、~」と同じように、二つの事柄を並べる表現ですが、後のことを前のことにさらに付け加えるような意味合いになります。名詞を並べた「NもNも」に近い表現だということも言われます。

     田中さんも山田さんもいた。

     田中さんもいたし、山田さんもいた。

 動詞文・形容詞文・名詞文、みなこの文型になります。二つの述語の種類が違ってもかまいません。

     雨が降っていたし、風も吹いていた。

     彼は勉強もよくするし、スポーツも上手だった。

     あのレストランは高いし、おいしくない。

     彼はハンサムだし、金も持っていた。

     彼女は美人だし、優等生だ。

 「Aし、B」というとき、AもBも、ある観点からプラス・マイナスのどちらか同じ方に属します。上の例は、そうなっています。

 ちょっとへそ曲りな例文を考えてみましょう。例えば、

     雨は降っているし、風も吹いていない。 

というと、そういう状態が、あることをするためにちょうどいいか悪いかを言っているようです。つまり、タコ揚げだったら最悪の天気ですし、映画で雨の中のしっとりとしたラブシーンを撮りたいのだったらちょうどいい天気でしょう。(この文の中の「~ですし、」は?)

 今、考えていることにAもBもぴったり当てはまる、そういう時に「Aし、B」を使うのです。

 上の例からもわかるように、「Nも~し、Nも~」という形によくなります。「Nは/が~し、Nも~」のように後の名詞だけに「も」が付けられることもあります。「も」を使わない例もあります。

     兄が資金を貸してくれたし、弟は時々手伝いに来てくれた。

 この場合も、結局「兄も弟も助けてくれた」という共通の意味があります。

 「それだから~」というニュアンスが付け加わることが多いことも、この文型の大きな特徴です。「~し、~から、~」という形の文も多く見られます。

     彼は勉強もできるし、スポーツ万能だったから、女の子にもてた。

     これは便利だし、値段も高くないから、おすすめだよ。

「~し」だけで理由の意味合いを持たせることも多いです。

     彼もああ言っているし、許してやろうよ。(言っているから)


[節内の述語の制限]

 この文型がこれまでのものと大きく違う点は、従属節の中の述語がさまざまな形をとりうることです。「スル/シタ」のテンスの対立もありますし、普通形にも丁寧形にも接続します。他のムードも現れます。

 まず、文体から考えます。文末の述語が普通形、つまり文全体が普通体である場合には、「~し」は当然普通形です。丁寧体の場合はどちらでも使えます。

   a 雨も降っているし、風も吹いている。

   b 雨も降っているし、風も吹いています。

   c 雨も降っていますし、風も吹いています。

 教科書の丁寧体としては、bがふつうでしょう。cはかなり丁寧です。


[ムードの制限]

 「~し、~」はかなり独立性が高い方で、推量の「~だろう/でしょう」や伝聞の「(する)そうだ」も現れます。

     失敗もするだろうし、批判も受けるだろう。

     無事に着いたそうだし、何も心配することはないよ。

意志形は、推量の場合は使えますが、意志は表せません。

     そうとも言えようし、また別の解釈もできよう。

 命令・依頼は使えません。


[スル/シタ]

上の例の中で、「AしB」のBが過去形なのにAが現在形である例に気付いたでしょうか。Aの現在形はBの時と同じ時、つまり過去を示します。多くはAが状態性の述語か、動きの動詞でも習慣的なことを表す場合に限られます。

     その頃の社長は、金もあるし、実力もあった。

あのステーキはなかなかおいしいし、何よりも安かった。

     毎日ご用聞きが来てくれるし、困ることは何もなかった。

     ×切符も買うし、荷物も準備した。(○買ったし)


参考文献

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