2025年 10月5日
少しずつ秋らしくなっていく。昼間でも、肉体労働でもすれば汗をかくが、そうでもない限り暑いと感じる事はない。まあ、ここでも何度も書いてきた事だけど、10年前、20年前の事を思えば全然暖かいのだけど。昔だったら朝晩は小型のストーブが欲しくなる頃だった。来週は、篠原地区が丸ごと会場になるイベント「ぐるっとお散歩篠原展」がある。
最近、買い物などで出かけたついでに、地元の路線バスの走る時間帯が合うと、バスの写真を撮ることがある。やがて廃止される路線だが、何かの記念として写真としてでも残しておきたいと言う気持ちが働いた。とはいえ、私はマニアではないので、よく世間で言われるような「撮り鉄」みたいな情熱で写真を撮っているわけではない。
ただ写真と言うものは不思議なもので、どんなに何気なく撮った写真でも、10年も経つと独特の価値を帯び始める。写真の主題そのものだけでなく、たまたま映り込んでいたものでも、後から見ると特別の意味を持つようになる。
「ああ、たしかにあの頃は、こんな服装が流行ってたな」とか、「ああこの人、今は遠くに引っ越しているけれど、この頃はあの家に住んでいたんだっけ」とか、「ああこの家、取り壊して新築にする前の家だ」とか。今私が軽い気持ちで写真に撮っているバスだって、10年もすれば様々な意味を持つようになるはずだ。
路線バスが廃止されて、これからどうなっていくのかなぁと思いつつ、最近、こんな記事を読んだ。
日産「次世代プロパイロット」がスゴイ! 熟練ドライバーのような“ハンドルさばき&判断力”に「人の運転より安心できる!?」 27年度に導入予定の「運転支援技術」開発車を試乗!
自動車の自動運転なんて、そりゃあ企業が開発している最前線なら実用的な車の開発も進んでいるだろうけれど、普通に一般人が使うようになるには、まだ10年とか、それ以上の時間がかかると思っていた。ただこの記事を読むと、私が考えているよりも案外早く、普通に走るようになる世の中になるかもしれない。そんな技術を後押ししているのが人工知能の発達だというのが興味深かった。
そういえば、自動車の自動運転なんて、その考えが出始めた頃は、道路に信号を発するケーブルを埋め込んで、その信号に従って車が走る・・・なんて発想だったと思う。でもコンピューターの技術が進んで、車載カメラが、道路上の信号とか標識とかセンターラインとか、車とか自転車とか歩行者とか、どのような道路の環境かを車が判断する方向で真価が進んだ。それで自動運転の実現の可能性も見えてきたのだけど、それを一気に加速させようと力を発揮しているのが人工知能なんだそう。
まあそうだろうなぁ。人工知能に「こんな画像を作って」と言えば写真みたいな画像をちゃんと作ってくれる。それを考えれば、外界の映像を見て、それがどういう環境を意味しているかの判断なんて、一気にきめ細かさが変わって来るだろう。
おまけに、人工知能はせっせと情報を吸収しながら、より精度の高い人工知能へと進化する所がある。自動車に搭載される人工知能も、車の運転の際に起こりうる危険性なども、載っている人間なんかよりもずっと早いスピードで知識を吸収して、運転技能も向上させていくだろう。よく、人工知能の発達で人間の仕事が無くなる、なんて話があるけれど、車の運転なんかは、そんな一例になろうとしているのかもしれない。
車の自動運転の実現化は、やろうと思えば数年内に出来るだけの技術的な蓄積は進むのだろう。あとは、実際にやるかどうかの問題で、そこは人間の決断の問題になって来る。人間が操縦していない車が平然と町中を走り回るような世の中を、人々が受け入れるかどうか。「怖い」という意識が薄れて、受け入れてくれるようになるかどうか。
なんか私は、こういった決断は、中国の方が圧倒的に早いと思うし、実際、既に中国では自動運転のタクシーだってあるだろう。新しい技術の導入で多少の混乱はあるかもしれないが、それでもいいからやってしまえ、と強力に推進する国なら、日本以外にいくらでもあるだろう。たぶん、日本も慌てて、その流れに遅れてはならないと後追いをすることになるんじゃないのか。
さてそうなると、自動運転のバスやタクシーが普通に走る世の中も、それほど遠い未来の事ではなさそうだと思えてくる。道路が過密している都市部ではなく、そこまで交通量の多くない田舎道なら、導入の際の心配も、少しは減るだろうし。
上の写真は三ヶ木から青根へと結ぶ路線バス。今では一日に数本しか走らない。未来の形はどうなるかな。自動運転の路線バスのような形もあるかもしれないが、私は自動運転のタクシーを沢山走らせるようになるんじゃないかと想像している。
やはり路線バスのように、何時に走るか、どこに走るかが固定化されている乗り物よりも、好きな時間に、好きな場所に行ける形式の方が、人々には受け入れられるのではないか。