「自分は決して誰にも理解されない」と引き換えに獲得したもの
今でこそだいぶ変わりましたが、物心ついた頃からつい数年前まで僕は、
「誰もわかってくれない」「自分は決して誰にも理解されない」
と感じて生きてきました。そういう人はちょくちょく見かけます。
実際に理解されない体験をしてきたとも言えますが、
物心つく前からの根深い思い込みとも言えるところ。
この辺りに関連するアーリートラウマとサバイバルパターンを最近研究していて、
ああ、と思ったことがあります。
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多くの子どもは親との関係の中で不快な出来事があった時に、
「自分が悪いんだ」という説明でどうにか納得しようとします。
自分の脳を説得するというか、不快な出来事をどうにか受け入れられるようにするというか。
2歳くらいからかな。
そして、「自分が悪いんだ」という理解は、すべて間違っている。すべて。
もし防衛も思い込みもなく事態を眺めることができたら、
「この行動が、この結果を生んだ。それは不快な結果だった。」
または「あの人の地雷の爆発に巻き込まれた、もらい事故のような出来事が起きた」
ということであって、誰も悪くないし、もちろん自分も悪くない。
でもそんなものの見方をしている大人はほとんどいないし、
むしろ「誰々が悪い」という見方をしている大人ばかりの中では、
多くの場合、同じような理解の仕方しか学べないわけ。
ただ、どういう事情かわからないけれど、僕はそこは違った。
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僕はどうやら頑なに、「僕が悪いんだ」という説明を受け入れなかったのでした。
とはいえ生きていれば親にも叱られるし、
誰かがその人自身の傷から攻撃的にも関わってくるし、
他にもいろいろ不快な出来事はいくらでも起こる。
子どもなので、大人たちからそう関わられたら
はねのけるほどのパワーはない。
そうすると、「僕は悪くないのに、攻撃された。」
みたいな事態がいくらでも生じることになる。
ほんとうのことを理解していない人が、
僕に攻撃的なエネルギーを向けてくる。
僕のことなどほとんど知らないまま、
僕に攻撃的なエネルギーを向けてくる。
そういう状況をたくさん経験して、
「誰もほんとうの僕をわかってくれない」
という絶望を深めたようなのね。
「誰も悪い人はいない」という真実を譲らなかったため、
「決して誰にも理解されない」という絶望がもれなくついてきた。
物心ついた時にはもう絶望していた。
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ここからがおもしろいんだけど。
「決して誰にも理解されない」という深い孤独と絶望感は、
「誰も悪い人はいない」、言いかえると
「すべての人は善良な魂を持っている。すべての人は美しい存在である」
という真実に基づいている。
つまりうんと幼い時の僕は、その真実を絶対に手放さなかった。
そのことに最近気づいて、それはほんと、
あっぱれなことだったなあと思ったのでした。
おかげで僕は、人間のたましいというか、
人間の本体というかの善良性や美しさを、
変わることなく信じ続けることができた。
ほんとうによかったなあと思うわけ。
ずっと誰にも理解されないという絶望に苛まれて生きてきたけれど、
だんだんと「僕が誰にも理解されない」のをなんとかしようとするのではなく、
「人の善良さ、人の美しさ」という真実を分かち合う生き方にシフトしていったのでした。
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物心ついた頃から抱えている痛みがあったとしたら、
それと引き換えにあなたが得たものがある。
たぶんそれはとてつもなく大きなギフト。
あなたにとってそれは、どんなものでしょう。
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今後の予定
2/25 無料 オンライン
真意つながり合う社会への夢を語り散らす会
https://www.facebook.com/events/2121017254603326/
3/3 夜 オンラインセミナー
もうあんな男(女)やめちゃいなよ、の前に出来ること~
https://www.facebook.com/events/345859182679843/
3/5 夜 オンラインミニセミナー
アーリートラウマ〔5つの傷と防衛のパターン〕〜全体像を知ろう!〜
3/15 夜 東京
男と女の基本のキ!
~愛しあうために知りたい!大好きなひとの頭の中
3/19 夜 オンライン対談
自分の真実にとどまるためにできること
https://www.facebook.com/events/351858732331357/
3月21日 札幌
アーリートラウマ 5つの傷と防衛のパターンを学ぶ in 札幌
ー パターンを知り、パターンを超えて関わりあう方法
https://www.facebook.com/events/353095938628539/