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言葉の創造の背景

2025.10.06 12:24

Facbook尾崎 ヒロノリさん投稿記事

おはようございます。『言葉の創造の背景』

徒然草にある「はかない」という言葉、そして質素で静かなものを指す「わび」「さび」。

もとは「侘しい」「寂しい」という陰りを帯びた言葉だった。

それが今では、日本の美意識を象徴する明るい響きを纏っている。

平安の貴族や公家が使った「あわれ」は、やがて武士の時代に「あっぱれ」として力強く転化した。言葉は、時代の息吹とともに新しい形を得てゆく。そこには、好奇心や熱情、そして何かを生み出そうとする人の創造の炎がある。

時代を映し、感性を織り込みながら変わっていく言葉たち。その変遷を辿ることのなんと「いとおかし」ことか。

どうか今日という一日が、あなたの言葉に新しい光を宿す日となりますように。🌿


https://ebook.shinchosha.co.jp/nami/201306_18/ 【美しいもの】より

                               乙川優三郎

対象書籍名: 山本周五郎長篇小説全集第4巻『小説日本婦道記』対象著者:山本周五郎

 山本周五郎の筆にも迷いがあると言ったら、多くの方が反論することと思う。およそ入魂の業である山本作品が、非力なひとりの人間の小さな世界を描いても、彼一流の深い眼差しによって清冽な作品と化すことはよく知られている。「日本婦道記」もそのひとつで、つつましく密やかな日本女性の美しさが謳われているが、その中の「花の位置」という一篇には彼らしい眼差しや信念があまり感じられない。

 終戦の年の「婦人倶楽部」三月号に発表しているので、書かれたのは一月ごろであろうか、戦時下の社会の異常な空気や圧力が作家の筆を鈍らせたのかもしれない。あるいは読者に考えるべき材料を提示したか、しようとして果たせなかったような気がする。

 主人公の父親がこんなことを言う。

「佐藤さんなんかついこのあいだ南方からお帰りになったばかりなんだが……前線で敵の鉄砲や爆弾をあびたときはなんでもなかったが、こっちで空襲を受ける気持はまるでべつだそうだ……つまり前線にいるときは戦っているんだ……だから鉄砲も爆弾もあらためて怖れる対象にはならない」

 本当に南方から生還した人がこれを読んだら、震えるか、虚しくなるだろう。今のわたしには山本流の人間洞察とは思えない。

 一方、主人公の頼子は「工場の中では戦っているからそれほど恐怖を感じない」という父の単純な考え方や、挺身隊として航空機工場へ通う妹の情熱に反発する。精鋭の一機に勝敗の鍵があるとしても、戦争そのものはそういう現実的なものを積み上げたところにだけあるのではない、と考える彼女は知的で冷静な存在である。そんな人がやがて挺身し、空襲の最中に待避壕を出て、飛行機の塗装を続けるという変身ぶりは虚しい。

 彼女は思う。

「この一機が頭上の敵を撃つのだ……この機といっしょなら死んでもよい……自分はこれからも空襲中に作業を続けることはやめないであろう。生とか死とかにとらわれていたのは、なまはんかな批判がはたらいたからである、ひと枝の梅のもつ美しさが、浅はかな自分の批判をぬぐい去ってくれた。明日は自分も庭の蠟梅を持ってゆこう」

 そして読者はどう思うであろうか。

 もしこの作品を誉められたら、戦争に批判的であったという山本自身が怒り出すような気がする。しかし、わたしの大いなる読み違いということもあるので、今回、特別な全集に収録されて万人の評価を待てるのはよいことだと思う。また執筆順に掲載された三十一篇を、その初出背景を踏まえながら読み通すことで、新たに見えてくるものもあるに違いない。

 後人が先人の作品を評価するとき、厳密には書かれたときの社会情勢や作家を取り巻く状況にも留意しなければならない。評者が同じ書き手の場合、特に時代小説は新資料の出現や情報網の整備といった恩恵にあずかる後人が作業的にも有利なので、過去の作品を批評する際には相応の礼儀が必要であろう。もしその先人と同じ時代に生きていたら、自分に何が書けたかと想像してみたい。

「花の位置」について考えてみなければならないのは、急速に敗戦へ向かいながら国を挙げて「鬼畜米英」「一億火の玉」と唱えていた非常時に書かれたことで、しかも「日本婦道記」でなければならない小説を珍しく実時間で仕上げていることである。国家事情を無視することのできない状況下で、山本はぎりぎりの選択をしたのかもしれない。批判的精神を捨てて挺身する娘を美しいとみたのでなければ、その真意は権力の目を晦ませて、読者に悲壮な覚悟の虚しさを伝えることであったろう。東京の馬込に暮らしていた彼は前年十一月の初空襲を体験していながら、小説の中では父親に暢気なことを言わせている。その裏には山本自身の空襲に対する恐怖があったかもしれない。いずれにしても「進め一億火の玉」とも読めてしまうこの作品が小説として成功したと言えるかどうか。どんなに優れた作家であれ、生まれ合わせた時代と無縁ではいられないことを感じてしまう。ちなみに掲載誌の表紙の絵は、神風の鉢巻をした挺身隊員とみられる娘の作業風景である。

 山本の作家生活は大正十五年発表の「須磨寺附近」から昭和四十二年の「おごそかな渇き」までで、概ね戦前、戦中、戦後ということになる。質素な暮らしと犠牲と激しい変化の時代で、苦痛も喜びも今とは比重が違う。

 山本が没した昭和四十二年二月、十三歳だったわたしは彼の存在すら知らなかった。それが今では彼の晩年にあたる年を生き、同じ作家として小品を書き続けている。人間と作品を山本と比べられたら、まあ、みっともないと言うしかないだろう。想念の中の江戸は近いものであっても、山本のように生活の汚穢まで書き切る胆力がない。しかも彼は汚れも美しくしてしまう。軽いものが増えて吹けば消えそうな時代を生きているわたしにとって、この先人の壁はむしろ高くなってきている。

 そうした観点からいうと、平成という時代を生きる今のわたしに「婦道記」は書けそうにない。まず女性のここまで立派な行為をあまり知らないし、見たり感じたりしないことにはうまく描写できないからである。また独特の文章が生み出す空間は山本のものでしかない。

「松の花」と「風鈴」は家格の違いがよく顕れているが、夫や家の役に立つことを生き甲斐にする女性のありようは同じである。終戦後に発表された「風鈴」の方に、どうなるか知れない変動の時代を生きる大衆の希望と困難を感じるのはわたしだけであろうか。「松の花」は昭和十七年の「婦人倶楽部」六月号掲載で、ミッドウェー海戦で大敗する前に書かれたせいか空間に落ち着きがある。

 作家でいるか国民でいるかという葛藤が山本にもあったように思う。それは十九年発表の「桃の井戸」や「尾花川」などに強く感じられて、どちらも国家権力の監視のもとで自由に書ける状況ではなかったときに発表されているが、そもそも時代小説の主役である武士は軍人であるから、作中人物の言葉が時局を反映するものであっても不自然なことにはならない。作家として逆に利用することもできたであろう。「尾花川」で、尊王攘夷の志士たちが集まる家の夫人が、天皇でさえ艱難に堪えているときに酒食を貪る彼らの自尊ぶりを暴いてみせるくだりは、国民の運命を弄び、自らを省みない軍閥へ向けた批判のようである。けれども物語は「今は非常のときでございます、ひともわれも、できるだけ費えをきりつめ、あらゆるものを捧げて王政復古の大業のお役にたてなければなりません」と献身的な覚悟へ落ち着き、「ほしがりません勝つまでは」と読めなくもない。

「桃の井戸」では「私の歌は格調の正しさでこそ人にも褒められるが、心をうつ美しさに欠けている、美しさは在るものではなく自分で新たに築きあげるものだ」という山本の美に対する認識が覗ける。歌人の女性が武家の寡夫に嫁いで継母となる物語だが、子育てに悩んだ末にある老婦から「武家に生れた男子はみなおくにのために、身命を賭して御奉公しなければならない、そのときまでお預り申して、あっぱれもののふに育てあげるのが親の役目です」と諭され、「三人の子たちが人にすぐれたもののふに成って、あっぱれお役に立って呉れる日を待ち望むだけである」と決心する。婦道ではあるが、「美」が「おくにのために」へ転化する構成は葛藤の産物ではないだろうか。いろいろ言われている昭和十八年の直木賞辞退の真因も、この作品群の中に潜んでいるような気がする。

 山本は曲軒として名高いが、なかなかユーモアのある人で、戦後間もなく書かれた最終作の「小指」がよい例である。放心癖のあるおっとりした気質の若い主人の存在が物語の空間を和らげて、武家でありながら親子関係もゆったりしている。彼の世話をする召使いの女性が婦道の実行者だが、ここにはそれまでの作品に見られる悲壮美はない。むしろおおらかで、女性の苦労がはっきり報われる結末が快い。

「小指」発表の年、山本は再婚し、横浜へ転居して新しい執筆活動に入る。その後の作品はどんどん昇華してゆく。戦後という新しい時代の訪れの中で、揺るぎない自分を取り戻したのかもしれない。社会の底辺を占める大多数の人間を見つめた彼は文学の求道者ではあるものの、大上段に構えて普遍的な真理を求めたわけではないだろう。

「煎じつめればこの世のことは何もかも美しいのであり」

 とチェーホフが書いている。

「美しくないのは生きることの気高い目的や自分の人間的価値を忘れたときの私たちの考えや行為だけである」山本が書こうとしたことのように思われてならない。

 (おとかわ・ゆうざぶろう 作家)


Facbook髙橋 眞人さん投稿記事

こんばんは。【今日の名言】高市早苗(女性初の自民党総裁)

(安倍元首相の銃撃現場で演説し)私達が生きている今。それは、誰かが命がけで守ろうとした未来です。時には命をかけて祖国を守ってくださった、たくさんの方々がいらっしゃる。その未来を私達は生きています。いまを生きる私達は、いまを必死に生きる。

(自民党総裁選勝利の弁)全世代総力結集で、全員参加で頑張らなきゃ、立て直せませんよ。だって今人数少ないですし、もう全員に働いていただきます。馬車馬のように働いていただきます。私自身も、ワークライフバランスという言葉を捨てます。働いて、働いて、働いて、働いて、働いて参ります。

(防衛費確保のため)増税する必要はない。次の世代に祖国を残すための支出だから、基本的に建設国債で対応すべきだ。岸田内閣で増税を示唆したことは、企業が賃上げや設備投資をしようというマインドを冷やすものだった。

中国にどのように向き合うか?)戦略的互恵関係を目指すべきだが、安全保障上の脅威には対応しないといけない。自衛力や日米同盟の強化、東南アジアとの協力を進める。一方で、食料問題や災害対策など日中双方の共通課題には協力して取り組むべきだ。

日本列島を強く豊かにしたい。どこに住んでも安全に生活し、必要な医療や福祉、質の高い教育を受けることができ、働く場所がある。そういう日本を目指したい。国力を強くするには経済成長が最も大切だ。経済成長を追求したい。

エネルギー・食料自給率の向上や、健康医療分野など安全を守るための財政出動を行い、税率を上げなくても税収が増えるように手を打ちたい。国が呼び水として財政出動すれば軌道に乗る事業はたくさんある。海外展開も推進し、日本に富を呼び込める賢い投資で経済を良くしたい。

法律案を書くのが趣味であり、唯一の取り柄みたいなものです。

私たちの美しい国土を外国製の太陽光パネルで埋め尽くすことには猛反対。

奈良の女です。大和の国で育ちました。シカを蹴り上げる人がいる。外国から来て日本人が大切にしているものを痛めつけようとする人がいるとすれば何かが行き過ぎている。

不法滞在に徹底的に対応する。

(選択的夫婦別姓制度について)これ以上議論できないというぐらい時間をかける。

戦後70年談話は実に未来志向でありベストだ。これ以上のメッセージは必要ない。

日本国民固有の権利である参政権を外国人に与えることにしても、人道的で美しいことではないかという感情論だけで判断してしまったら、誰が日本国の安全保障や子供たちの教育に責任を持つのでしょうか。

私は、日本の戸籍制度は世界に誇るべき優れたシステムだと思っています。日本の戸籍制度は、私たちのご先祖様の大変な知恵と努力の結晶なのです。こういうものを一時的な風潮や利便性だけで軽々に変えてしまったら、失うものは非常に多いでしょう。

※高市氏は10月4日、自民党総裁選で勝利し、新総裁に選出されました。


おはようございます。【今日の名言】GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)

●ダグラス・マッカーサー(連合国軍最高司令官)

日本人は12歳の少年のようなものだ。

(日本国憲法制定過程をめぐり)敗戦によって日本は、まさに白紙のキャンバスを与えられた。

●ハリー・トルーマン(米大統領)

(言論の自由を基本とする考えを表明して)一度、反対意見を封じ込めるという原則に政府がコミットすれば、もはや一つの道しか残されていない。それは、ますます抑圧的な手段の道であり、最終的にはすべての国民にとって恐怖の源となり、誰もが恐怖の中で生きる国を作り出すことになる。 (しかし、実際にはGHQはプレスコードを導入し、厳しい言論検閲を実施した)。

●米トルーマン政権の対日基本方針

日本を二度と戦争のできない国にする。

●GHQの基本方針

封建的な旧体制を根こそぎ取り除く。教育は民主主義の礎である。

●吉田茂(第45・48・49・50・51代首相)

日本は戦争に負けたが、奴隷になったのではない。GHQは Go Home Quickly(早く家に帰れ)の略だ。(1951年のサンフランシスコ平和会議での受諾演説で)わが国も先の大戦によって最も大きな破壊と破滅を受けたものの一つであります( 原爆投下や空襲による甚大な被害を間接的に訴え、日本の立場を国際社会に示唆した)。

(マッカーサー司令官に対して)貴方は日本の占領を円滑に進めるため、占領軍に最大限協力するべきであると私に要求される。私は日本の独立回復を急ぐため、占領軍が一日も早く日本から撤退するよう貴方に要求する。

●岸信介(第56・57代首相)

日本国憲法はGHQの占領下で、押しつけられたものである。(と言っても岸は米CIAから豊富な秘密政治資金を受け取っていた)。

(鳩山一郎らと結成した日本民主党の綱領で)占領以来の諸制度を革正し、独立自衛の完成を期する。

戦争終結以来すでに十年の歳月を経過したにかかわらず、自主独立の気風上がらず、国民道義のいまだ全からざることでありまして、これは私の衷心遺憾に感ずるところであります。

●鳩山一郎(第52・53・54代首相)

原子爆弾を投下した米軍の行為は、国際法違反だ(この発言はGHQ検閲官の目に留まり新聞掲載が許可されなかった。しかし、当時の朝日新聞がこっそり掲載したことで、GHQが同紙に発行停止処分を命令。これを契機に、朝日新聞を含め日本の新聞各社はGHQのプレスコードに違反しないよう自己規制を強めていった)。

憲法は国民の手で改めるべきだ。

公職追放という形でGHQの占領政策を直接体験したことで、GHQの意向に反した発言や行動は厳しく制限されることを、身をもって知ることになりました。

※連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は1945年10月2日に設立され、日本に対する占領統治の管理・実施機関として活動を開始しました。