ZIPANG-10 TOKIO 2020酒の神が宿る地から「みむろ杉 × SHUWAN」新蔵完成記念 限定酒器 登場! 100碗限定、伝統と祈りを宿す特別な酒器
■みむろ杉「新蔵」誕生の背景
奈良・三輪の地で360年以上の歴史を持つ今西酒造が、酒の神を祀る大神神社の参道に新たな酒蔵「三輪伝承蔵」を開蔵しました。
「三輪を醸す」をテーマに、奈良の歴史・文化・風土・技を次世代へ伝えるための蔵。全ての日本酒は、すべて「菩提酛造り」「吉野杉の木桶仕込み」「奈良県産米使用」というこだわりで醸されます。
建築技法にも古の技術が活かされ、外壁には「板倉造り」、蔵内部には「校倉造り」を採用。建材ははすべて吉野杉を使用し、土地と調和した空間が完成しました。
蔵内にはガラス越しに仕込タンクの様子を見学でき、しぼりたての日本酒を、創業1660年の蔵元の旨さとともに味わうことができます。三輪の空気ごと感じられる、日本酒の聖地ならではのこだわりです。
「三輪という地が持つ本来の魅力を、もう一度取り戻せたら。清廉にして、この町の力になれることはないか—」そう語る今西酒造十四代目 今西将之の想いから、「三輪伝承蔵」は誕生しました。
株式会社シュワン(本社:福岡県福岡市、代表取締役:庄島健泰)が展開する酒器ブランド「SHUWAN」は、奈良・三輪で360年以上の歴史を持つ今西酒造の新蔵「三輪伝承蔵」完成を記念し、コラボレーションモデル「SHUWAN みむろ杉ロゴ刻印モデル」を発売いたしました。
※本商品は 限定100碗 のみの販売で、再販売予定はございません。
■限定酒器「SHUWAN✖️みむろ杉 ロゴ刻印モデル」
今回、みむろ杉「三輪伝承蔵」の新蔵完成を記念し、SHUWANみむろ杉ロゴ刻印モデルを限定販売いたします。SHUWANが誇る“香りをひらく”開口部の設計、空気に吸いつくような手馴染みの良さ。
見た目の美しさだけでなく、機能としての完成度もそのままに、みむろ杉の新蔵完成を記念した「特別な一碗」となります。
器の底には、みむろ杉の刻印デザインが施されています。この刻印のデザインテーマは「神仏習合」。
かつて神仏習合の形をとっていた大神神社や三輪信仰のイメージを受け継ぎ、神聖さと静謐さを備えた象徴として表現しました。
ロゴには大神神社と縁深い「白蛇」と「兎」、御神花である「ササユリ」があしらわれています。
SHUWANみむろ杉ロゴ刻印モデル
価格 :4,980円(税込)
数量 :限定100碗
株式会社シュワン
代表取締役:庄島健泰
所在地:福岡県福岡市博多区住吉3-8-27
東京Office:東京都港区南青山2-22-2篠崎ビル1F天酒堂
お問合せ:株式会社シュワン 東京Office
contact@shuwan.jp
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
伝統文化を感じる「神もうで」の旅
宮崎に眠る神話の世界感を体験!
西の正倉院
西の正倉院
門外不出の奈良の正倉院の原図を元に忠実に再現。百済王族の遺品と伝わる神門神社の宝物を展示し、中でも神門神社で発見された1003本の鉾が整然と並ぶ様は圧巻。最古の鉾には長禄3年(1457)とある。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020 古来より大切に継承されてきた伝統文化を感じる「神もうで」の旅 宮崎に眠る神話の世界感を体験!『キキタビ2022』観光キャンペーン開始
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37703868/
木曽谷の森林・林業の歴史
木の適材適所は素戔男尊(スサノヲノミコト)が宣われました
木曽路はすべて山の中である
島崎藤村の小説「夜明け前」の書き出しで伝えられるように木曽谷のおよそ9割は森林地帯、豊かな自然と森林資源に恵まれた木曽谷の森林と林業はどのように歩んできたのでしょうか。
神宮備林の時代
明治22年(1889年)、それまで官林だった木曽の森林は「御料林」に編入し、宮内省御料局が管理経営していました。御料局の木曽支庁は明治36年(1903年)に木曽福島に設置されました。
昭和22年(1947年)に国有林に変わると、長野営林局の庁舎として使用され、その後、福島営林署、長野営林局森林技術センター、中部森林管理局の森林技術第一センターとして使用され、平成16年(2004年)に庁舎としての歴史に幕を閉じました。 旧帝室林野局木曾支局庁舎は、現在、御料館として当時の林野行政の資料等が展示されています。
そして明治39年(1906年)、木曽谷の御料林の中に、「神宮備林」が設けられました。
伊勢神宮では、20年毎に神宮の建物や調度品を造りかえ、新しく清浄な神殿に神様のお遷りを願う「式年遷宮」を行います。
式年遷宮は690年から行われおり、鎌倉時代までは神宮の山から御用材を伐り出していましたが、良材が枯渇したため、江戸時代からは木曽谷から御用材を伐り出されるようになりました。
神宮備林は、20年ごとに行われる伊勢神宮の造営のため木曽ヒノキの供給を目的としており、木曽ヒノキの成長を助け、ヒノキ稚樹を発生させるために、当時は木曽ヒノキ以外の木を中心に抜き切りをしていました。
この当時、直径60cm以上で形質優良な木曽ヒノキを「大樹」として台帳に載せ管理しており、大樹は木曽谷全体では18,000本が選ばれ、赤沢自然休養林周辺では2,690本が指定されました。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~木曽谷の森林・林業の歴史~ 「木の適材適所は素戔男尊(スサノヲノミコト)が宣われました『檜は建築材に』・・・日本書紀」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5943170
木曽谷の物語
木曾五木とは
「木曽五木」の歴史は江戸時代まで遡ります。木曽谷の森林は、江戸時代、尾張藩直轄の領地でした。木曽の木材は昔から良質で、江戸城の築城や造船、土木用材等、様々なところで利用されていました。
約100年間、木曽谷の森林は大量に伐られ続けたため、木材資源が枯渇してしまいました。そこで、尾張藩は森林保護政策として「停止木制度(ちょうじゅぼくせいど)」を設け、ヒノキ、サワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキの伐採を禁止しました。
停止木制度は、ヒノキの保護を目的とし、ヒノキに外観が似て、かつ利用価値の高い樹種も禁止木に選びました。禁止木を伐採した者への罰は、「木一本、首一つ」と呼ばれるほどで、厳罰に処されました。
森林保護制度によって保護された樹種は「木曽五木」と呼ばれ、現在は木曽谷の名産品となっています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 木曽谷の物語 ~木曾五木~ 江戸時代後期『木曽式伐木運材図会』&『妻籠』総檜造りの脇本陣 奥谷!」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5972833/
木曾伝統の木材運搬方法
昔、木曽川を、木曾節に唄われた中乗りさんたちは、木曾深山の狭い急流を、1本づつにばらした木材の真ん中に乗って前後左右に飛び乗り、起用に木材を操りながら尾張藩まで届けたそうです。命懸けの仕事だったんですね・・・。明治44年JR中央線が開通するまで300年間続けられた木曾伝統の木材運搬方法です。
中乗りさんの魂は永遠に「木曾節」の流れに寄り添い或いは飛び移りながら生き続けていくことでしょう・・・
木曽のナー 中乗りさん
木曽の御岳(おんたけ)さんは ナンジャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
袷ょ(あわしょ)ナー 中乗りさん
あわしょやりたや ナンジャラホーイ
足袋もそえて ヨイヨイヨイ
ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
人はナー 中乗りさん
人は見目(みめ)より ナンジャラホーイ
ただ心 ヨイヨイヨイ
ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
木曽のナァー 中乗りさん
木曽の名木 ナンチャラホーイ
ひのきにさわら ヨイヨイヨイ
ねずにナァー 中乗りさん
ねずにあすひに ナンチャラホーイ
こうやまき ヨイヨイヨイ
(木曾節抜粋)※やはりこれは入れないと!「木曾五木」の節を追加しました。
中乗りさんたちは木曽川の、命も落としかねない急流を考えると(現在、日本ライン下りとして木の観光船で下ることが出来る)犬山のゆったりとした流れに辿り着いた時はきっと、ゆりかごに揺られているような気分だったに違いない・・・
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「日本の町『犬山』木曾の中乗りさんも癒された犬山のゆったりとした木曽川の流れで 『木曽川うかい』を楽しむ」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6234898
御嶽山ビジターセンター
近郊の見どころ
悠久の自然を踏みゆけば、山々がもたらした木曽の知恵を知ることができます。
街道を歩けば、旅人を迎え入れた歴史を感じることができます。
今、ここ木曽谷でできることは優雅なバカンスではないかもしれません。
体験できるのは今も木曽谷で暮らす人々が守り、受け継いできた知恵と歴史です。
木曽路での体験をとおして見つけてもらえたらと思っています。
「故きをたずね、新しきを知る」の”一歩”奥を・・・
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020長野県 木曽町王滝村の新たな発信拠点御嶽山の歴史・麓の文化を学ぶ『御嶽⼭ビジターセンター』が開業
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37152155
“四万十ヒノキ”を使った家具ブランド
「SHIMANTO HINOKI FURNITURE WORKS」が新商品を発売
四万十ヒノキの間伐材を使っています
四万十町の民有林面積は約40,000haであり、国有林を含めると町土面積の87%を森林が占めています。四万十町では、若者の定住促進や自伐林家との共生もはかりながら適切な育林と間伐を計画的に行うことで森の豊かさを守っています。
SHFWはその間伐材を使い家具をつくっています。間伐材と言うと曲がっていたり使い道のない木材というイメージもあるかもしれません。実際はそんなことはなく、間伐材も40〜50年かけて育った立派な木材なのです。
商品名の由来
SHFWの家具には、四万十町の地名や、森、川、山、沈下橋の名前等から商品名がつけられています。四万十川をはじめとした豊かな自然や観光スポットがある四万十町の魅力を、SHFWを通じて多くの方に知ってもらいたいと言う願いが込められているのです。
四万十川にかかる沈下橋
沈下橋とは
四万十川の沈下橋とは、増水時に川に沈んでしまうように設計された
欄干のない橋のことです。
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ZIPANG-6 TOKIO 2020 川~人~森を活かし、シンプルなデザインで長く愛せる家具を製作【四万十町森林組合】
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/32060276
天童の伝統文化と技術の継承
天童と将棋駒~人間将棋~
「将棋駒といで湯とフルーツのふる里」天童市は、山形盆地の中央に位置し、恵まれた自然環境の中に文化漂う街として発展しています。
この天童市が江戸時代より受け継ぎ育ててきた「将棋駒」は、 現在日本の中で天童市以外で生産するものはほとんど無く、産業として伝統ある「将棋駒」を後世に伝え守るたった一つの産地です。
天童市内では随所に将棋にちなんだ特産品や景色やイベントを見かけることができます。中でも春の人間将棋は圧巻です。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020日本の伝統文化~将棋~藤井二冠 JT杯挑戦&唯一伝統文化と技術を継承。山形・天童将棋駒
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10065574
【秋田県 × eiicon company】共創プロジェクト始動!
コンセプト
デジタルの力で自立した稼ぐ観光エリアの形成へ!
秋田県内の4つのエリア(大館市、にかほ市、湯沢市、美郷町)にフォーカスをあて、「地域の観光資源」と「全国の企業の斬新なアイデア・テクノロジー」を掛け合わせ、”自立した稼ぐ観光エリアの形成実現”を目指す共創プロジェクト、
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020 秋田県「大館市、にかほ市、美郷町、湯沢市」共創プロジェクト始動!『AKITA TOURISM INNOVATION BUSINESS BUILD 2022』
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37758379/
日本酒の歴史~三輪山の神語り~
國酒 「量より質の時代」
日本酒造組合中央会にて「新春振る舞い酒」
日本酒造組合中央会とは、酒類業組合などに関する法律に基づいた業界団体で、酒類業界の安定と健全な発展を目的とし、全国の約 1,750 の蔵元(清酒、本格焼酎・泡盛、本みりん)が所属しています。また、『國酒(こくしゅ)』といわれる日本酒、本格焼酎・泡盛、本みりんについて情報発信することで、国内外に幅広く認知を向上する活動に取り組んでいます。
日本酒の歴史
三輪山の神語り
高橋活日(たかはしのいくひ)美酒を醸す
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を厚く敬った崇神(すじん)天皇は神に捧げる御酒を造るために、高橋邑の活日(いくひ)を掌酒(さかひと)に任じました。活日(いくひ)は酒造りの杜氏(とうじ)の祖先にあたります。
そして活日(いくひ)は一夜にして美酒を醸かもしたと伝わります。崇神(すじん)天皇8年冬12月卯の日に大神への祭りが行われた後の酒宴で活日(いくひ)は御酒を天皇に捧げて次の歌を詠みました。
「この神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久」
(この神酒はわたしが造った神酒ではありません。倭の国をお造りになった大物主大神が醸されたお酒です。幾世までも久しく栄えませ、栄えませ。)
崇神(すじん)天皇と群臣(ぐんしん)は夜もすがら酒を酌み交わし、祭りの宴を楽しみました。この故実によりご祭神は酒造りの神として敬われるようになったとされます。三輪の地は美酒を産み出す酒どころとして人々によく知られていたのでしょう。
三輪の枕詞は味酒(うまさけ)で、額田王(ぬかたのおおきみ)の歌をはじめ「味酒(うまさけ)の三輪」は万葉集にも詠まれました。大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は酒の神、三輪といえば美味なる酒を古代の人々は想起したのでしょう。
そして、大神神社のご神木は杉で、古来神聖なものとされてきました。やがて時代が下がって、酒の神である大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の霊威(れいい)が宿る杉の枝を酒屋の看板とする風習が生まれ、軒先に酒ばやし(杉玉)を吊るすようになりました。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 國酒 「量より質の時代!? 日本酒の輸出総額が10 年連続で最高記録を更新中!」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7712323
吉野熊野国立公園の魅力に迫る!
地形・景観
山岳地域 大峰山脈は、標高1,915mの八経ヶ岳を最高峰に、稲村ヶ岳、山上ヶ岳、大普賢岳、行者還岳、弥山、仏生嶽、釈迦ヶ岳、大日岳、天狗山などの標高1,900~1,500mの山々が連なる関西を代表する山岳地域です。
大台ヶ原は、古生層、中生層の堆積岩からなり、標高1,500m前後に広大な平坦面をもつわが国ではまれな非火山性の隆起準平原です。地区内を流れる東ノ川が深いV字渓谷をつくり、滝や岩壁が連なっています。
大台ヶ原の東には大杉谷があり、水成岩の斜面が大きく侵蝕、流下し、千尋滝、ニコニコ滝、七ツ釜滝等、大小100に達する滝や淵が連続します。
河川地域 我国有数の多雨地帯である大峰、大台ヶ原の豊富な水を集め、熊野灘に注ぐ熊野川及び支流の北山川の中・下流域では、激しい浸食作用によりほぼ全域にわたり深いV字谷となっています。
北山川の中流にあたる瀞峡は、大峰山脈や大台ヶ原を源とする熊野川の支流である北山川下流域の峡谷で、上流から奥瀞、上瀞、下瀞に分かれ、そのうち下瀞が「瀞八丁」とも呼ばれています。
マグマで硬くなった地層が浸食されて垂直に切り立った絶壁や奇岩、深い淵が連なる変化に富んだ景勝地で、ウォータージェット船などで類い希なる渓谷美を探勝することができます。
海岸地域 平坦地に乏しく、壮年期の急峻な山地が海まで迫り、海岸には熊野灘の激しい波浪を受けた海食崖がよく発達しています。 海岸線は、沈降と隆起の繰り返しにより、複雑で変化に富み、沈水海岸、礫浜、海岸段丘等、様々な海岸地形を見ることができます。
尾鷲から鬼ヶ城にかけては、志摩半島から続く典型的な複雑な海岸で大小の湾入が続いています。これに対し、鬼ヶ城から新宮市にかけて続く七里御浜と王子ヶ浜は、直線的な隆起海岸で、海沿いに平坦地が続く礫浜です。 勝浦周辺から、浦神半島に至る海岸線は、また、複雑な海岸となり、屈曲に富み複雑な景観を見せています。
本州最南端の潮岬は陸繋島で、海食台地の平坦地が広がり、海岸段丘が見られます。この東側に浮かぶ大島にも海岸段丘がみられ、海岸線は潮岬とともに、特に南側が屈曲に富み、海食崖がよく発達しています。
植物
大台ヶ原の西部(通称:西大台地区)には、隆起準平原上に広大なブナ林が残されています。この林は、現存する表日本型ブナ林としては、我国有数のもので、学術的にも貴重です。また、日出ヶ岳等稜線部には、大峰山脈と同様、我が国の南限とされるトウヒ林が見らます。
大峰山脈では、八経ヶ岳山頂付近にシラビソ純林やコメツガ林、トウヒ林が成立し、一部は天然記念物に指定されています。 この地域は黒潮などの影響を受け、暖地性のラン、シダがよく繁茂し、北限とされるユノミネシダのほか、オオタニワタリ、ハチジョウシダ、グンバイヒルガオ、ハマユウ、ノアサガオなどの暖地性植物が、海岸地域などに生育します。
動物
大台ヶ原、大杉谷、大峰山脈の山腹に広がる自然林は、哺乳類を始め、鳥類、昆虫類の格好な生息地となっています。特に哺乳類ではニホンジカ、ニホンカモシカ、ツキノワグマなどの大型獣、ニホンザル、キツネ、ホンドリス、ノウサギ、イタチ、タヌキなどの中・小型獣が生息し、我国に生息する哺乳類のほとんどを見ることができます。
文化
吉野熊野国立公園は、中世から近世にかけて栄えた大峯修験と熊野信仰という宗教上の聖地を区域内に含み、これに関わる史跡や遺跡が多く見られます。
この拠点であった吉野山、洞川 、山上ヶ岳、前鬼及び熊野三山と呼ばれる那智山、本宮、新宮には古社寺が残り伝統を伝えています。
特に、大峰山脈の北端に位置する吉野山は、多くの史跡、社寺が残っています。"花の吉野"として名高い吉野山のサクラ林も、当初は宗教に由来して植林され、成立したものです。