金森穣、Noism1「実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』」吉祥寺シアター
■『R.O.O.M.』(上演時間:50分)
客席側以外の舞台全面が、銀箔のような光沢のある正方形でタイルのように埋め尽くされ、照明の色によって印象が大きく変わる「箱」「部屋(room)」のような空間をつくり出した。
通常の舞台で出演者が出入りするような「穴」はない。どこから登場するのかと思ったら、なんと天井の正方形が1つ天井からぶら下がり、ダンサーの脚がのぞいた。そこから舞台にドサッと落ちて登場、動き出す。その後、4人の体型の似た男性ダンサーが登場。最後に現れたのは大柄な欧米の風貌のダンサー(プロフィールによるとフランス出身)。最初の4人と最後の1人が対比されるような動きをしたところで暗転。
次に照明がつくと、5人は消えていた。相変わらず舞台に「穴」はないのに。でも、床に接した幾つかの「タイル」の輪郭にわずかな黒い隙間が見えたので、おそらくその部分を開けて出入りするのだろうと思った。その後は明るい中で「タイル」が幾つも開け閉めされ、ダンサーたちが自在に出入りするのを目撃することになる。
公演のパンフレットによると、金森穣氏は最近取り組んでいた「劇的舞踊」の後で、「抽象的」なダンスに取り掛かりたくなったらしい。それが今回の新作『R.O.O.M.』だ。確かにストーリーは見いだせず、1人で踊ったり2人や3人、それ以上の組み合わせで踊ったりと、目まぐるしくいろいろな「形」が展開していく。
電子音的な音楽、色鮮やかで斬新な照明と衣装、映像との組み合わせなど、「実験」的な要素が見られる。
振付に何ら良くないところはないし、ダンサーたちも懸命に振付の要求に応えようとしていることが見て取れる。必ずしも振付家の意図をよく理解して踊っていたわけではないかもしれないが、それでもいいのだろうし、そもそも振付家が自覚している意図だけがダンスの全てではない。
あまり大きな感銘を受けなかったのは、「抽象」が「記号」的になっていたことが一因かもしれない。記号化された抽象的な踊りを楽しめるときももちろんあるのだが、今回の作品では、「男性と女性(衣装の色の違いなどで区別される)」「アジア系と欧米系(踊りの構成で区別される)」といった対比がやや紋切り型に見えてしまった。「男性が女性を支える」構造も、昔に創作された古典作品や昔の物語(『ロミオとジュリエット』のような)を基にした作品ではそれはそれとして受け止めるが、「実験」ではその辺りにも切り込んでもいいのではと思ってしまう。しかし、そう願うのは、個人的な嗜好や思想によるのだろう。
女性ダンサーたちはトウシューズを履き、最後は裸足になっていたと思う。男性ダンサーたちは靴下を履いていた。トウシューズは、ポワント(爪先立ち)よりも、「硬い」ということを表すのが重要だったのではないかと思った。トウシューズの爪先で床をコツンとたたく音と、「タイル」をバタンと閉める音が鳴り響き、電子音の音楽と相まって無機質な雰囲気が出て、かっこよかった。
タイトルの『R.O.O.M.』には、省略を表す「.」が付いている。何の省略かというと、「Random. Organ. Oriented. Monster.」。「省略を表す」と書いたが、「Random.」というように全て書き出した言葉にも「.」が付いているので、もしかしたら、ひと続きの「Random. Organ. Oriented. Monster.」でもあるし、1つずつの「Random.」「Organ.」「Oriented.」「Monster.」でもあるということなのかもしれない。「Organ.」を「内臓」と取っていいのか分からないが、舞台全体がcell(細胞、小部屋)のように見え、同時に、ダンサーたちが細胞としてうごめいているようにも見えた。
■『鏡の中の鏡』(上演時間:20分)
『鏡の中の鏡』と聞けば、ドイツの作家、ミヒャエル・エンデの物語を想起する。大好きな作品で、何度読んでも発見がある。いつまでたっても謎の残る、不思議な本だ。しかし、金森穣氏の新作『鏡の中の鏡』はエンデとは関係ないようだ。ただ、英語タイトルは『Mirror in the Mirror』だが、ウェブサイトのURLには「鏡」を意味するドイツ語「spiegel」が使われているのは少し気になるところだが。
「鏡の中の」といえば、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』(原題は『Through the Looking-Glass, and What Alice Found There』、つまり「鏡を通り抜けて、アリスがそこで見つけたもの」)もあるし、「鏡よ鏡・・・」の『白雪姫』の継母なんかも思い浮かぶ。「鏡の中にいるもう一人の自分」もおなじみのイメージだし、想像力を刺激されるストーリー性のあるタイトルだ。『R.O.O.M.』も、実は最初にタイトルを見たときにエマ・ドナヒューの小説で映画化もされた『Room(部屋)』を思った。「抽象」を追及している公演ながら作品名にはストーリー性を感じるというのも面白いところだ。
『R.O.O.M.』では衣装などによって男女が対比されていたが、『鏡の中の鏡』でも、男性の金森穣氏と女性の井関佐和子氏が向き合う。しかし、後者はデュオであり、男性はズボン、女性はスカート(ワンピース)だが、その衣装の色と素材は同じように見える。2人は性別がどうのという以前に個人と個人であり、公私ともにパートナーである2人にとって男と女であることは重要だろうし、振付家とダンサーという関係でもあるけれど、あくまでも「パートナー」として対等に見える。
金森氏がインタビューで語っているように、「他者は自分の鏡」という永遠のテーマが扱われている。私はあなたであり、あなたは私である。最初はそれぞれ1人だった2人は、壁に設けられた「鏡」の中に自分と相手の両方を見る。同じ空間にいるようになって2人で踊り出しても、なかなか目を合わせることがない。視線や体が重なりそうになりながらもすれ違う。それでも最後は互いの存在を激しく見詰める。でもまた別れ別れになり、1人の世界へ入り込もうかというときに、舞台の端と端に座る2人は「ハッ」と顔を上げ、相手に(自分に?)気付く。そして暗転。
素晴らしかった。この作品は20分だったけれど、もっともっと見たいと思った。5500円の入場料は安くはないけれど、この20分でその価値はあっただろう。
冒頭、金森氏が踊り出したところで、やはりダンサーとしても「別格」だと思った。金森氏の踊りと比べると、『R.O.O.M.』のNoism1のダンサーたちの動きが「もさもさ」したものに思えてしまう。Noism1のダンサーたちにとっては酷なことだが、同時に、そのような素晴らしいダンサーでもある金森氏とダンスをできることは幸運でもあるのだろう。
金森氏の踊りを見ながら、「いつかはこの素晴らしい肉体が失われてしまうのか」という感慨にとらわれた。いつかは失われる肉体で踊られるからこそ、はかなくもたくましい魅力がダンスにはあるという当たり前のことを改めて感じる。素晴らしいダンスに出合えるのが奇跡なら、『鏡の中の鏡』で表現されていた、かけがえのない相手、自分のようなあなたに出会えるのも奇跡。金森氏と井関氏は本当に「運命の相手」なわけだから、『鏡の中の鏡』は二重の意味で「奇跡」なのだ。
そんな相手を思い、または、そんな相手の不在を思い、涙する。
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実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』
演出振付・空間・照明:金森穣
音楽:cyclo.(ryoji ikeda+carsten nicolai)、他
出演:Noism1
池ヶ谷奏、浅海侑加、チャン・シャンユー、ジョフォア・ポプラヴスキー、井本星那、林田海里、カイ・トミオカ、チャーリー・リャン、西岡ひなの、鳥羽絢美、西澤真耶、井関佐和子
『鏡の中の鏡』
演出振付・空間・照明:金森穣
出演:井関佐和子、金森穣
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【新潟公演】
2019.1.25(金)-2.17(日)
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館
【東京公演】
2019.2.21(木)-2.24(日)
吉祥寺シアター
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※下記画像は下記サイトより。