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語源

2025.10.09 06:59

https://mbp-japan.com/miyagi/stage-up/column/410981/ 【「言霊の幸わう国」 大和言葉に見る「言霊信仰」】より                 長野淳子

活字を見ると眠くなる私が、久しぶりに一気読みした 「本」

高橋こうじ著 「日本の大和言葉を美しく話す」 ~こころが通じる和の表現~ から

今日もすてきなフレーズをご紹介しましょう。

「言霊の幸(さき)わう国」昔の人々は、日本を 「言霊の幸(さき)わう国」 と呼んでいました。

万葉集の柿本人麻呂の歌に「しきしまの大和の国は 言霊の幸(さき)わう国ぞ ま幸(さき)くありこそ」 という歌があります。

これは「この日本の国は、言葉が持つ力によって幸せになっている国です。これからも平安でありますように」という意味です。

古代の人々は、言葉に霊力が宿ると考える 「言霊信仰」 を持っていて、美しい心から生まれる正しい言葉は、その言葉通りの良い結果を実現し、逆に、乱れた心から生まれる粗暴な言葉は災いをもたらす、と信じていました。

「言霊信仰」

現代にも、この 「言霊信仰」 のなごりはあって、例えば結婚披露宴などのお祝いの席では 「別れる」 「離れる」 「切れる」 「割れる」 「壊れる」 などを縁起の悪い言葉と捉え 「忌み言葉」 として使いません。

宴の終わりは 「発展する」 イメージに通じる 「おひらき」 という言葉を使い、文字も 「御披良喜」 などと記します。

これは、私が日頃から提唱している「ポジティブシンキング」 「ポジティブトーキング」 に繋がっています。「前向きな言葉」 は 「前向きな考え」 から 「前向きな行動」 と導き 、ひいては 「良い結果」 をもたらす。

つまり 「日頃から前向きで、美しく、優しい言葉を使っていると、物事がいい方向に向かっていく」 ということです。

現代は、大人げない 「議会でのやじ」 や、ネット上での 「誹謗中傷」更に 「ヘイトスピーチ」 など、聞くに堪えない 「言葉」 の数々が蔓延していますが、できうるかぎり日頃から 「美しい言葉」 を使って 「幸わう国」 にしたいものですね!


https://ameblo.jp/kyurekihibikore/entry-12832020628.html 【敷島の大和の国は言霊の】より

【幸いの語源】

しきしまの大和の国は 言霊のさきはふ国ぞ ま幸(さき)くありこそ  ー柿本人麻呂

「言霊の幸はふ国」という表現は万葉集にも度々登場する。日本には言祝ぎの文化が根強くある。

幸いの語源は「さきはひ」。「さき」は花が咲くこと、「はふ」は這う、または延うの意。

幸いとは「咲き這ふ」ことであり、「心に咲いた花」が這うように広がって、長く続くこと。

「花」も「幸い」も根っこは一緒である。心に咲いた花は人の笑顔となり、口から咲きこぼれ、他者へと伝播する。「味はふ」という言葉も同様に、その味が消えずに長く続くこと。

口の中だけでなく、人生という時の流れの中に味わいが出る。

『和暦日々是好日2024 』睦月より抜粋

幸せは心に咲いた花が咲き続けること。 ふっと心に明かりが灯ったら、 その火を絶やさぬように。 何度も思い出し、にっこりと笑顔で。

今日は日中、エナガの群れのチチチチ、というかわいい声をたくさん聴きました。

そんなことを夜、思い出しています。いいことはすぐ忘れてしまうものですが、一日の振り返りにちょっと思い出してにっこりするのもいいものです^^ 


https://www.aoba-dc.jp/blog/?p=1393 【そうだったのか語源㉗ -美しい日本語 その1-】より

 日本人の耳にだけそう響くのだろうか、音(おん)として響きの美しい言葉を聞くとき、日本の文化を誇りに思い、その言葉の成り立ちに想いを馳せる。   

まずは、時の移ろいに関するものから触れてみたい。

テレビ番組のタイトルなどで、古都のことをわざわざ「いにしえの都」という。

 響きの綺麗な日本語だと思うが、「いにしえ」の語源は、「往 (い) にし方 (へ) 」から来ており、直訳すれば「行(往)ってしまった古い時代」ということになろうか。ちなみにこの言葉は「去(い)にしへ」とも書き、故人のことも指す。

 「とこしえ」は漢字では「永久」が当てられる。「常し方(へ)」あるいは「長し方(へ)」が語源と思われる。

 ちなみに「とわ」は「永久」「永遠」を当てるが、これは「常(とこ)」(接頭)=いつも変わらない、永遠である」の意を表す語から来ている。「とこしえ」の「え」は「いにしえ」同様、「え(あるいは(へ))(接尾語)」=「方」でその方向、向きの意を表す。「ゆくえ」「しりえ」「いにしえ」と同じ使い方である。つまり、「とこしえ」と「いにしえ」は過去と将来という意味で対(つい)である。

 「あけぼの」は、「明け」と「ぼの(ほの)」からできた言葉で、「仄々(ほのぼの)と明けていく」あるいは、「仄(ほの)かな明け」の意で、夜のしじまから東の空がほのかに明るくなっていく様を表している。日本の感性を感じる。

 一方で、これに似た言葉で「あかつき(暁)」という表現もある。これは、「あかとき(明時)」が変化した言葉で、夜が明ける時を指し、ほぼ同じ意味で使われる。

 日の出の「あけぼの」に対して、日の入りに近い表現で「たそがれ(黄昏)」がある。これは、夕焼けの赤みの残るモメントを指す言葉である。

 実は、古くは「たそかれ」と言われ、「誰 (た) そ彼 (かれ) は」、つまり「あの人は誰だろう?」と、日暮れて人の顔の見分けがつきにくい時間帯を指す。

転じて、人生の盛りを過ぎた頃を指すこともある。これもなかなか美しい日本語である。

 これに近い言葉で、「ひともし頃」という表現がある。「火点し(ひともし)」とは灯火をともすことを指し、つまり暗くなって人工的な照明がないと生活に支障をきたすような時間帯を指す。

 「訪れる」とはあまりに日常語で、特に語源など考えもしないかもしれない。

 えてして日常用語とはそんなものであろう。

 では、「訪れ」は「おとずれ」と読むが、これはどこから来たのだろうか。

 音は、音波というように空気の振動である。風が吹けば音が生じるが、こういった自然現象を古来の人たちは神の来訪と感じたようである。これを、音を連れて神が来訪するので、音連れ(おとづれ)と言った。これが「訪れ」の語源である。 

 人が来訪する時も衣服が擦れる、衣擦れや足音など「音連れ」なのである。

 さて、「うたかた」とは、はかなく消えやすいものといった意味である。

 漢字では「泡沫」が当てられている。これには多くの語源や由来がある。

 「ウクタマカタ(浮玉形)」の転、「ウキテエガタキモノ(浮きて得がたきもの)」の略、「ワガタ(輪型)」の「ワ」の延音「ウタ」、「ウツカタ(空形)」の転など、多くの説がある。

 水面に浮かぶ泡を指すが、「水の泡」という使われ方から、消えやすくはかないもののたとえとして用いられている。

 実は、漢字の「泡沫(ほうまつ)」は当て字である。

 ちなみに、このように漢字2文字以上をまとめて訓読みすることを、熟字訓(じゅくじくん)と呼ぶ。

 一般に「当て字」と呼ばれているものの中には、多くの熟字訓が含まれている。1946年に当用漢字が制定されたとき、「当て字はかな書きにする」という方針が打ち出され、その結果、熟字訓の語源の漢字はあまり用いられなくなった。一方で、もとの漢字には言葉本来の意味が表現されており、言葉の意味を理解するという面ではメリットも多いだが。

 閑話休題。

 「夢うつつ」、「うつつを抜かす」という言葉がある。

 これらの引用例から、「うつつ」とは夢を見ている状態、あるいは現代の言い方では、バーチャルな状態を表していると誤解を招くかもしれない。

 意外にも、「うつつ」には漢字の「現」が当てられている。

 つまり、(死んだ状態に対して)現実に生きている状態、現存を意味する。

 その他、気が確かな状態、意識の正常な状態、つまり正気を指す。