Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

ハローおさおさん

フレディ マーキュリー さん (人物伝)

2019.02.28 22:00


【フレディ・マーキュリー (1946-1991年) 】


イギリスの音楽バンドグループ「クイーン」のボーカル。作詞家、作曲家。

ペルシャ系インド人。

ピュアでチャーミング Kawaii、愛情深い方。beautiful 。

女の人の事も、男の人の事も好きになってしまう。

サービス精神旺盛なエンターテイナー。

無二の類まれな美声をもつ。

7才からピアノを習い、クラシックにも詳しかった。

大学では芸術・グラフィックデザインを学ぶ。

親日家。猫好き。

エイズにより1991年11月、45才で死去。

1984年からの最愛の恋人、ジム・ハットンとは、最後まで愛しあいながら生を全う。


・日本の招き猫がほしかったけど、気にいるものが無く、結局、京都まで買いに行っちゃった。

・エイズだと公表し同情でCDを買われたくなかった為、死の前日まで病気を公表しなかった。



【クイーン】


1971年、ロンドンの大学時代に出会った4人でクイーンのバンドを結成。

「クイーン」と言うバンド名は、フレディのこだわりで命名。


当時は皆、別の分野の事を学んでいた。


・フレディ・マーキュリー(ボーカル) : 芸術・グラフィックデザイン

・ブライアン・メイ(ギター) : 天体物理学・博士号

・ロジャー・テイラー(ドラム) : 生物学

・ジョン・ディーコン(ベース) : 電子工学


1973年、デビュー。


ビートルズに憧れ、多重録音をフル活用。

音楽のジャンルを超え芸術を追求。


3rdアルバム内のキラークイーンで全英チャート入り。4thアルバム「オペラ座の夜」で勝負にでる。アルバム内の「ボヘミアンラプソディ」で全英の頂点に(9週連続1位を記録)。最終的には全米でも頂点に立つ。


1975年、当時、まだ世界的には無名であったクイーンが来日した際、羽田空港に思いがけず1200人もの女性を中心としたファンがつめかけ、大きな歓迎を受ける。日本でのライブも成功を納め、世界にでていく為の大いなる自信となる。以来、日本を特別な国と考え、6回、来日。

(火付け役は、日本の音楽雑誌ミュージックライフの編集者。エキゾチックで、長髪・美しい顔立ち、知性的、独特なサウンド、というキャッチフレーズで早くから雑誌に連続掲載。)

  →1976年には「手をとりあって」という楽曲を発表している。☆サビの一部を日本語で歌っている(アメリカ人の先生が教えてくれた)。恋人へのラブレター。2011年、東日本大震災の際は、チャリティCDアルバム「ソングスフォージャパン」にこの曲を載せている。



クイーンの歌 :  


・アイワズボーントゥラブユー 1995

(フレディが個人として発表した1985年のものに、クイーンの演奏を追加・編集したもの。)

・ショーマストゴーオン 1991

(フレディ病気で死にかけるも、命失うまで歌い続けるぞ、という決意の歌。ミュージックビデオがいい。)

・ドントストップミーナウ 1978

・ウィーアーザチャンピオン 1977

・ウィーウィルロックユー 1977

(以前は何とかロックユーの部分しか知らなかった。曲を最初から最後まで聴くとよかった)

・手をとりあって 1976

・ボヘミアンラプソディ 1975

(いろいろな葛藤をママに叫ぶ。ソウルフル、はじくようなピアノのバラード、オペラミュージカル、ロック。ミュージックビデオがいい。同名の映画上映中。)


◎映画 :「ボヘミアンラプソディ」

 2018.11〜2019 まだ上映中

    →フレディを中心とした、若者たちの青春映画。人間ドラマであり、クイーンサウンドをこれでもかと見せつける映画。

ん、感動。泣いた。 風貌や体格は違うけど、映画は映画として、とてもよかった。

この映画をみるのに世代は関係ない。

まだ上映続くかな。


自分の中ではフレディは生き続けている。

もはや不死身。

またブライアンメイさんなどが生存していることが救い。

フレディさんに出会えてよかった。

生きるのが楽しみになるワ ♪  




◎前回映画館を訪問したのは、4、5年前。

「STAND BY ME ドラえもん」2014年。

    →のび太がしずかちゃんと結婚するまでの話。号泣した。