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とんぼの目

2025.10.12 06:17

https://note.com/kizukikumitate/n/ne6115f864552 【鳥の目、虫の目、魚の目に次ぐ、とんぼの目を持とうという話】より             きづきくみたてnote 森本康仁

「鳥の目、虫の目、魚の目」という話をご存知でしょうか。鳥のように、視座を高く持ち上げ、全体を俯瞰するように捉える目。虫のように、目の前にあるものをしっかりと、つぶさに見ていく目。魚のように、進む道を考える際に、潮の流れ、文脈を捉える目。という3つです。

これ、私も日々、仕事を通じて組織の問題解決を行っていく上で、どれも大切な視点だなということを思います。ただ、その中で、これだけだとどうにもならないなということも少なくないなということを感じていました。

そんな中で、今回、浮かんだのが、今必要なのは「とんぼの目」ではないかという閃きでした。どういうことかを説明します。

とんぼが複眼を持っているというのは有名な話ですが、一説によると1万から3万程度の単眼が集まった目を持ち、それぞれ違う映像を脳の中で1つの映像として処理し、捉えているということです。また360度の広角視野を持っているとも言われています。

これが、まさに令和の時代に必要な視点なのではないかということです。

私の仕事は、主に職場の中に入っていき、職場の中にある課題を解決するお手伝いをするわけですが、毎回、いろいろな人の話を聞く度に感じることがあります。

それは、AさんにはAさんの見ている景色や正しさがある中で、同じように、Aさんの上司であるBさんにはBさんの、Aさんの部下であるCさんにはCさんの見ている景色や正しさがあるなということです。

さらに広げていけば、Aさんの所属する部門Dにはその部門の正しさがありますが、上流の部門Eや下流の部門Fには、それぞれの正しさがあったりします。

さらに広げていけば企業の側から見ると、企業の正しさがあるわけですが、株主から見るとまた違った景色が見えてきますし、消費者から見るとこれまた違った景色が見えてきます。

その企業の消費者ではないけれど、その企業の周辺で生活をしている人たちにもその人たちの見ている景色がありますし、まだこの世界に生まれてきていない未来の子供達には、彼らが今後見えていくであろう景色、世界があります。

加えて言えば、人ではなく、地球環境から見たら、それはそれでまた違った景色が見えてくることでしょう。

これらの異なった視点を同時に視野に入れた上で、議論をし、意思決定をしない限りは、良い決定はできないのではないかと、私はここ数年、ずっとそういうことを考えています。

これまでの問題解決の限界

これまでの問題解決の典型的なフレームワークにギャップアプローチというものがあります。

現状と理想のギャップを捉え、ギャップを生み出す要因を分析していきます。WHY,WHYと掘り下げていく中で、真因を捉えます。

その真因を解決するために課題を設定し、解決のための手立てを複数立てながら、最適のアプリーチを取り、実行していきます。

と、ざっくりいうとそういったアプローチになります。

このギャップアプローチの限界については、いろいろなところで指摘されています。

私は、これはこれで全く役に立たないわけではなく、一定の領域ではとても有用だなと思いますが。

一方で、複雑な形で物事がつながり合っている中では、やっぱり十分な成果を生み出すことが難しいなということを感じていました。

そこで、代わりに出てくるものとして、システム思考という考え方が重要視されてきています。

システム思考について説明していくととても長くなるため、ここでは簡単にだけ触れておきます。

物事を分解していき、断片的に捉えるのではなく、物事がつながりあったシステムとして捉え、そのシステムが機能するように働きかけていくというアプローチです。


Facebook乃一 智代美さん投稿記事

自己ではないものと同一化(同一視)するのをやめると(俯瞰する、離れて観る)それだけで

生きるのがとても楽になりますし真理があるがままに観え始めます

〈身体〉

身体は肉体的には食べたものでできていますが心臓や肺は意思とは関係なく動き息も勝手に起こっています慌ただしさに気を取られて身体を一日中忘れていたってことありませんか?

全く意識していなくても細胞も組織も内臓も動いています

〈心〉

自分の意思に反して勝手に思考が出てきませんか?考えたくもない内容の思考も

全く意味のない取り止めのない思考も意思とは関係なく次々に現れて来ませんか?

怒りたくないのに怒りが沸々、カーッと出て来たり不安や怖れ羨望や嫉妬が予期せずに現れたり・・・

現れては消えて行きますよね私たちはそれらではなくそれらを俯瞰している意識(存在)の方

なのです

身体や心を俯瞰している意識に気づいてさえいれば意識が身体や心と同一化(同一視)して身体や心に反応したり振り回される事は無くなります

身体でも心でもない自己(存在-意識)として在り続けることで不甲斐ないと思っていた自分の行いや欠点も許せないと思っていた他人の言動もそれらが自分のものでも誰のものでもないんだと心底腑に落ちたとき平和(幸福)そのものとして在り続けるようになります