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不易流行とリクリエーション

2025.10.16 08:38

Facebook成願 義夫さん投稿記事  ピカソも認めたレオナール・フジタの「日本の白」

以前、ポーラ美術館でレオナール・フジタ(藤田嗣治)の作品を見ました。

やはり、彼の描く世界には深く「日本的」な美意識が息づいていました。

藤田は、洋画を学ぶために26歳でフランスへ渡ります。

異国の地で試行錯誤を重ね、才能ある多くの画家たちと交流する中で、彼は「他人の模倣では本物にはなれない」と痛感します。

そこで藤田は、まず絵画の根本である“キャンバスそのもの”を見直すことにしました。

日本人である自分の特質を最大限に生かさねばならない。

そう考えた彼は、日本画の支持体である「紙」や「絹」の持つ優美な質感を、油絵で再現することを思いつきます。

結果として、従来の油彩用キャンバスではなく、自ら工夫した滑らかなキャンバスの上に、面相筆と墨で繊細な輪郭線を描き、淡い陰影を施した裸婦像を完成させます。

その作品は「素晴らしい白い下地(grand fond blanc)」「乳白色の肌」と評され、パリの画壇を驚かせました。

当時、そのキャンバスの製法は謎に包まれていましたが、後に藤田自身が「シッカロール(ベビーパウダー)」を使って手作りした下地であったことを明かしています。

そこから生まれた白は、まさに絹のように滑らかで、柔らかな光をたたえていました。

そもそも、白とはあらゆる光を100%反射する物質(絵の具や塗料などを含む)を指します。

ところが、この地球上には完全な黒が存在しないように、100%光を反射する完全な「白」も存在しません。

物体には必ず微細な凹凸があり、それが光を吸収してしまうためです。

藤田は、「白をより白く見せるには、キャンバスの凹凸による影をできる限り排除する必要がある」と考え、滑らかな下地に徹底してこだわりました。

しかし、それだけでは理想の「白」には届かない。

彼はやがて、色彩の「対比効果(明度対比)」を利用すれば、白をさらに美しく引き立てられることに気づきます。

すなわち、白を最も際立たせる色・・・つまり「黒」を組み合わせることによって、白はより白く、黒はより深く感じられるのです。

藤田は、この「白と黒の対比」を巧みに用いることで、独自の美の世界を築き上げました。

何よりも、彼のすごいところは「白に色をつけたこと」です。

そこに生まれた藤田の白は「人肌のような温かみのある白」でした。

話を戻すと、1919年にはサロン・ドートンヌに出品した6点の油絵がすべて入選し、ただちに会員に推挙されます。

この成功を機に、彼の名はパリ中に知られるようになり、フランスの美術界で一目置かれる存在となりました。

彼を一躍有名にした作品群は、白と黒を基調とし、余白を生かした平面的な構図を特徴としています。

それはまさに、浮世絵や水墨画のエッセンスを取り入れた「日本の美」の結晶でした。

この斬新な表現は、当時のパリ画壇に強い衝撃と新鮮な感動を与えたのです。

やがて藤田は「エコール・ド・パリの寵児」と呼ばれるほどの存在となり、20世紀初頭のヨーロッパ美術を代表する画家となりました。

さて、現代は「グローバルな時代」と言われています。

だからこそ、アートのみならずビジネスの世界においても、「日本人であること」を最大限に生かすことが成功の鍵であることを、私たちは改めて認識する必要があります。

ただし、伝統や過去の手法をそのまま取り入れるだけでは、古めかしくなり、ステレオタイプのありきたりの日本になってしまします。

時代に受け入れられる「新たな日本」や「オリジナリティー」は生まれません。

いかに「不易流行」を体現し、新しさの中に普遍の美を表現できるか・・・

それこそが、真の創造の核心なのです。 コンセプター 成願義夫


https://discoverjapan-web.com/article/72089 不足の美、四十八茶百鼠、不易流行…。

日本の伝統に息づく哲学はビジネスにも生きる【中編】】より

「日本の伝統に息づく哲学には、現代のビジネスに応用できるヒントがある」という考えの下、電通Bチームと小誌が立ち上げたDiscover Japan Concept。今回、SDGsに通ずる言葉(極意)をメンバーと語り合いました。

工夫することでSDGsを楽しむ

山 岡倉天心の『茶の本』を読んでいておもしろかったのが「茶道の根本は不完全なものを敬う心にある」という考え。まさに不足の美を説いていて、SDGsでは、食糧や水資源、エネルギーの過剰消費がひとつの課題となっていますが、足りないことや使わないことの中に、美しさや楽しさを見出していかないと、それこそ持続可能ではないと思います。

上 多様な視点が必要ですよね。トップダウンの考えではなく、市井の現場の声を聞くことも重要です。

高 足りないとは少しニュアンスは異なりますが、四十八茶百鼠にもつながると思います。これは江戸時代に贅沢が禁止され、制限の中でも楽しんだ粋な考え。SDGsも目標に向けた「義務」と思うのではなく、その中でも「楽しもう」という考えで工夫して取り組むことでより促進されると思います。

ナ 「工夫」という言葉から連想したのは、剣道の三磨の位。SDGsの「質の高い教育をみんなに」という部分で、みんな習うけど、それをどう工夫すればよいかは教えてもらえていない気がして。一人一世界をもっているのであれば、それをどのように工夫して社会やほかの一世界に適応させていくか、そこを試す場が少なくなってきている気がします。

倉 日本は昔から習いと稽古ばかりしていますよね。その先で「どう工夫するか」という考えが欠けている。まず一人一世界という考え方でオンリーワンの視点を育み、それを三磨の位の「工夫」でブラッシュアップする。これから未来に向けて新しいことをする人々にとって一番大事なことだと感じています。

ナ その工夫をアップデートするのが捨て育ちだと思います。自ら観察してポイントをつかみ、まねをする。そして自分の一世界でアレンジして、自分のものにしていく。

山 「質の高い教育をみんなに」も、受け身の教育ではなく、自分で学び、自分の一世界をつくっていこうととらえると、まったく違って見えてきそうですね。

倉 教育で自主性を育まないとね。そうじゃないと、SDGsも国連が言うからやる、という受け身が多くなる。

山 フレキシブルな取り組みが文化になることもあって、崩しはまさにそう。これは時間の流れが織り込まれたコンセプトで、書くことを省エネにしていったら、そこから平仮名という文化が生まれた。SDGsの目標は国連が決めましたが、時間を経て人や企業が工夫する中で、新しい文化が生まれたりするとおもしろい。

倉 崩しといえば、書家の華雪さんのワークショップが興味深かった。平安時代の平仮名の「あ」を並べて、「どれが正しい『あ』ですか?」と聞かれたのですが、答えは全部。いまは文科省が正しい「あ」を決めていますが、本当はひとつだけの正解なんてない。そもそも平仮名は、『枕草子』や『更級日記』など女性の日記からはじまっていて、それによって日本文化のやわらかさ、しなやかさが生まれた。平仮名を見るたびに、女性がつくった、女性活躍、と思い出すべきです。

上 多様性とジェンダー平等が、1200年以上前から芽吹いていたんですね。

ナ 伝統を大事にしながら変化も受け入れる文化は日本特有ですよね。不易流行を実践している。日本で何百年と続く老舗企業がたくさんあるのは、たとえば流行を積極的に取り入れる西海岸とは違い、伝統という軸がありながら時代によって革新をうまく取り入れているからだと思う。SDGsの「産業と技術革新の基盤をつくろう」にもつながる気がしていて、日本古来のバランス感覚にSDGsをうまく続けるヒントがたくさんあると思います。


https://wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com/entry/how-to-deal-with-blog-articles 【【ブログ記事との向き合い方】「不易流行」「序破急」「守破離」 心構えを考える】より

< 「ブログ道」? いやいや そこまでのことを言えるような者ではござんせん 考えるだけです >

もちろん、いろんな考え方があって、単にブログ記事を書くって言っても、その行為をする自分との向き合い方も人それぞれだと思います。

数いるブログ運営者の中には、記事を書き続けることに煮詰まってしまっていたり、最近ちょっと記事を書くことから遠ざかってしまっているなあっていう人も少なくないと思われます。

今回は、記事の書き方とか、記事ネタの見つけ方っていうことからはちょっと離れて、まあ、ブログに限らないんですけど、記事を書くにあたっての心構え、みたいなものを、昔の人に倣いながら考えてみたいと思います。

散文を書くっていうのは、どうゆうことなのか。昔の人もいろいろ考えているはずですもんね。

日本人が日常生活の延長ではありながら、言葉を使って「芸術的表現」をするようになったのは、いつ頃からなんでしょうか。

書き言葉が入ってきた平安時代からのようにも考えられますけど、書き遺さずとも和歌が語り言葉で伝えられていたっていうこともあり得ないことじゃないように思えます。

ただ、形式、みたいなものが定型化していくのは、やっぱり書き言葉が入って来てからなんでしょうね。

五と七っていう語感の良さを昔から感じていたとしても、話し言葉では単音を数えたりしないでしょうし、文字に表してみて初めて数字として認知できるような気がします。

10世紀初期には成立したっていわれている「古今和歌集」は、勅撰和歌集として日本最初のものですが、有名な「仮名序」に、紀貫之はこう書いています。

「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける 世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける 力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり(後略)」

書き文字としての漢字を「真名(まな)」ひらがなを「仮名(かな)」って言っていた頃の「和歌論」って言える文章ですけど、「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」るのが和歌なんだって言ってますよね。

 

やまとうた。

もう、人智をはるかに超えたナニモノかが、歌を詠む側にないと、優れた歌なんて詠めませんよ、ってことなんでしょうね。

でもまあ、タネは人の心だっていうことですね。知識とか学識じゃないです。

時代が進むと、五七五七七の和歌を、五七五の発句部と、七七の脇句部に分けて、複数人で交互に詠んでいく「連歌(れんが)」っていう形式で楽しまれるようになっていったんだそうですね。

尤も、歴史的なことはハッキリしていない部分も多いみたいで、連歌は奈良時代から歌われていたっていう説もあります。

江戸時代になると発句部と脇句部の掛け合いで滑稽味を出すのが流行ったそうで、数人で発句部と脇句部を連続して詠んでいく「俳諧」っていうのが定着していったそうなんですね。

この俳諧の中に登場してくるのが松尾芭蕉です。

俳諧の中で、その時のテーマをコントロールする役目を果たすのが、最初の五七五なんだそうですけど、この最初の発句が独立して、今でいう「俳句」になったんだそうです。

松尾芭蕉って言えば俳句の人っていう認識だと思いますけど、自身では、あくまでも俳諧って言っていたんだそうです。

「古池や かわず跳びこむ 水の音」五七五。

ほら、続けて、つづけて、ってことなんでしょうけど、俳諧ね。

どやって続けろっちゅうんじゃ! って感じですよねえ。

「古池や かわず跳びこむ 水の音」

「手ぬぐいわすれ あわてて戻る」七七。

だはは。目に見えぬ鬼神に怒られるわ!

松尾芭蕉については、いろんな本が出ていますし、いろんな解説もあります。

句を作るにあたっての心構えみたいなことなんでしょうけど「不易流行」っていう言葉を遺しているんですよね。

まあね、いろんな解釈があるんですけれど、ビジネスの極意、みたいに解説しているのも見かけます。

ものを書く姿勢じゃなくって仕事をする上での心構えってことですね。

そういう金言、格言が好きな人って少なくないですもんね。

「不易」っていうのは、変わらないもの。「流行」っていうのは、ハヤリっていう方じゃなくって、流れていくものってことなんですけど、本質は同じですよ。自分たちのビジネスの伝統を踏まえたうえで、今を取り入れましょう、っていうふうに言っていますね。

ほほう、そですか。って感じで、ビジネス格言としてはそゆことなのかもですけど、俳句を詠じる。ものを書くっていう観点から考えてみますと、不易と流行の本質は同じっていう解釈は、ちょっとズレているようにも感じます。

不易を表す言葉から受け取る概念。流行を表す言葉から受け取る印象。

相反する2つのイメージから導き出される1つのイメージ。

それが受け手の余韻につながるんじゃないでしょうかね。

モンタージュ、みたいなことなのかなあと。

何と何を組み合わせるか。文章が長くなれば、それは2つに限らないでしょうけれど意識すべき効果は同じでしょうね。

不易と流行と、その意外性を感じさせようとするのか、その同質性に気付かせるのか。

そういう、書く前の狙いを意識する、みたいなのが「不易流行」なんじゃないのかなあって思います。

俳句みたいに短ければ短いほど、その技量は難しいものになるんでしょうけど、それを読む人、聞く人を文を作る側に取り込んでしまおうっていう態度。

ま、芭蕉さんに直接聞いたわけじゃないですけどね。

文章って言いますか、物語りの方法として有名な言葉に「序破急」っていうのがありますね。

世阿弥の「風姿花伝」の中に出てきて有名になったんで、世阿弥の言葉です。っていう解説も散見しますけど、そうじゃないですんですよね。

古くからある雅楽の舞の調子の概念だそうで、そこから能に限らず浄瑠璃や歌舞伎に伝統的に使われているものです。

映画、舞台なんかで今でも「序破急」ってやっていますし、国際的にも三幕構成って主流ですよね。

静かに始まって、徐々に熱を帯び始めて、一気に盛り上がって終わる。

これが序破急ですね。

起承転結にあてはめて「起承」が「序」、「転」が「破」、「結」が「急」っていう説明もよく見ますけど、個人的には「起承転結」と「序破急」は、物語りを作るうえでは別物って考えるべきだと思います。

そもそも同じだったら、言葉を違えて2つが並列に存在している理由はないですよね。

同じなわけないです。

物語りの始まり方じゃなくって、終わり方の違いを意識して、どちらが適切かって考えて選べばイイんじゃないでしょうか。

「起承転結」と「序破急」ね。

極端に違いを言ってしまえば、起承転結の終わり方は、受け取る側が納得できるもの。ハッピーエンドでもバッドエンドでも、納得できることがカタルシス。

対して序破急の終わり方は、激しく動いてサッと終わる。受け取る側の余韻がカタルシス。

ま、無理矢理の区別ですけどね。

構成を考える上では、終わりが見えていないと始まらないってことになりそうです。

千利休の教えとして「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」っていうのがあります。

これは「守破離(しゅはり)」って言われて伝えられていますね。

お茶をやっている人にはお馴染みの言葉だと思います。

習い事は、師匠の教えを「守る」ことから始まる。

師匠から教わったことをしっかり自分のものに出来たら、その型を「破る」ことで、流派の型を守りながらも自分なりの型を創り上げる。

自分なりの型が納得できるレベルになったら、型そのものから「離れる」

これが守破離ですね。

ものを書くっていうことには、何の関連もないように感じられるかもしれませんが、序破急と相通じる考え方があるように思います。

茶道っていう「道」の考え方は日本独特のものなんだそうですね。

お茶に限らず、日本の芸事は、武道も含めてなんでも「道」ですもんね。

自分なりの型に向かって、これまで修行してきた型を破るっていうのは、かなり難しいでしょうし、かなりシビアな考えがないとそういう行動には出られないでしょうね。

ただ、独自の型っていうものを確立するに際して、元々の型を忘れるなっていう教え。

独自の、って言っても、それが派生してきた元々の型に原型があるわけですもんね。

立ち返る場所でもありますしね。

序破急に比べれば、かなり長い年月をかけての守破離っていうことでしょうけれど、大きな括りで考えれば、その型を受け取る相手がいて、その相手がどう受け取るかが重要っていうのは同じだと思います。

お茶にも客、受け手がいますからね。

必ずそうすべきっていうことではないんですが、ブログ記事を書く前に「不易流行」「序破急」「守破離」っていうことを意識して、メタレベルの観点を持つ。っていうことがイイのでは、っていう結論でありますです。