祖母がゲームの対戦相手だった頃
2019.02.26 12:28
なにかを継続することは、
本当に難しいですね。
ブログの更新は全くできず、
筋トレも毎日出来ず、
食べること、寝ることぐらいでしょうか。
僕がまだ小学生の頃、
急に母が居なくなりました。
土日だけです。
学校に行ってくるとだけ聞いて、
あとは帰りを待つのみでした。
幸い、遊び相手の愛犬ドルと弟、
祖母が一緒にいてくれたので
全く寂しくありませんでした。
日曜日の夜、
家のベルが鳴ると、
ドルが吠えて一目散に玄関に走ります。
母の帰りをドルは待っていました。
僕が待っていたのは、
横浜のシューマイだったはずです。
家族のアイデンティティの根源というか
発端というか根底にあるのは祖父の信雄様です。
父以外、みんな家族は影響を受けています。
我が道を行くという言葉がぴったりで、
大晦日でさえ、決まった時間に寝て
決まった時間に起きる祖父です。
生前、病院でも仕事をしていて、
人生とは仕事と言わんばかりの人でした。
祖父こそ、仕事とプライベートの垣根が無く、
好きなことが仕事であり、人生でした。
その娘が僕の母彰子さんです。
そして、その息子が彼です
母は偉大なり。