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オムツと涙とハーバード

財布を無くして考える留学・子育てのトレードオフ。

2019.02.26 16:41

なんと、先週の金曜日に財布を無くした。


家のビル、保育園のアクセスキーを兼ねた学生証や

クレジットカード銀行のカードなど全て入った財布。。。


学校のイベントと打ち合わせのためキャンパスに子連れで行って、

ベビーカーの上に、財布も入ったカバンを残して


最近階段の昇り降りに夢中なお嬢さんと、

少し離れたところで遊んでいたら、

帰った頃には財布は消えていた。

(HKSはアメリカ標準では相当安全な場所なので、

もしかしたらどこか途中で落としただけかもしれないが。)


主に自分の不注意によるものなので、

財布がなくなった事自体は、悲しいけれど已む無いと思ったのだが


夜7時頃に家について財布が無いと気づいてからの、


ギャー!

このお嬢さんの寝る時間が近くなった今、極寒の中また連れて学校に戻って探すべきか?

ギャー!

何か娘さんが泣いて訴えている!しかしセキュリティや大学警察に電話しなくては!

ギャー!

そろそろお風呂入って寝る時間だけど、クレジットカードを止める電話だけは先に・・・

ギャー!

明日授業の合間に学生証の再発行に行かないと保育園の入館が・・

ギャー!

シッターさんに払う現金どうしよう・・・


とか色々パニックったことを思い出すにつけ、

(朝方から、国際LINEで起こされて、日本のカード対応など付き合わさせられた

心の支えの旦那様ありがとう・・・)


その夜から数日経って、


子育てと留学を両立する上での様々なトレードオフに想いを馳せた。


(月曜日、落ち着こうと思って、思わず買ったアイスクリーム。

ちなみに、Northeast地方は全米で一番アイスクリームの消費が多いらしく、

外がマイナスでもアイス屋さんは空いているし、結構人々がアイスを食べている・・・。)


***


個人的に留学しながら子育てするので大変だと思うことは、

主に以下の三つだ。


1) 絶対値として時間の制約が大きい


・ 娘は休日でも平日でも朝6.30amに起きる。

・ 娘が起きている間は、何かを読んだりPCに向かったりすることは、粗不可能。

・ 従って、日中誰かを雇って観てもらっている(大体$20/時間)か、寝ている間しか作業はできない。

・ 必然的に夜8時頃に寝てから朝6時までの間の、何時間を課題や予復習やその他作業に、どう配分して使うかということになる。

・ 子無し会社員だった時のように平日寝ずに仕事しても、週末に寝溜めして回復きるわけでもないので、あまり寝ない日が続くと、授業中寝落ちしたり、自分が体調を崩す(それでも娘を観てくれる人がいないのでこれが最悪のパタン)というしっぺ返しを食らう。


2) 「どこまでやるか」が子どもに与える影響が不安を増幅させる


・ どこまで娘との時間を作るか、どこまで子供主体の生活をするか。

→ たとえば、どこまで彼女の食べ物に時間をかけたり、週末に色々なものを見せてあげたり、絵本を読んであげたりして、手をかけるか。手をかければそれだけ効果があるとも感じるため、それを削ることに異常な不安と罪悪感を感じる。(言葉が遅かったりすると尚更のこと。。。)

・ どこまで夜の課外事業や社交イベントに出るか(一緒に出かけたり、ベビーシッターさんにお願いしたり)。

→上記とセットだが、普段と違うことをすると生活パタンが狂って体調を壊したりするので、どこまで自分に本当に必要なものに選択集中すべきか悩む。


3) コントロールできない予想外のことが多い


・ まだ1歳で保育園での集団生活も1年未満なので、娘が急に熱を出したり、怪我をしたり、吐いたりすることが多い。

・ たとえ、「今日寝てから3時間課題をやろう」と思っていても、熱を出したり咳をしていると、ずっと付き添っていないと寝れないので、せっかく立てた計画は崩壊する。(課題期限前だったりするとかなり焦る)

・ そして、大体、大事な時や楽しみにしているイベントの時に熱を出す。色々外にコミットしているとドタキャンで周りに迷惑をかける。


***


特に1)時間管理と2)どこまで手を掛けるか、は表裏一体で

完全に自分の中でトレードオフについて考えて判断するしかないことだ。


勉学(友人達との社交等含め)も子育ても、

それぞれすればするほどリターンがある。


でも自分の投入できる資源が有限である以上、

どこかに折り合いをつけなくてはいけない。


勉強も子育てもリターンが数値化できないし、

特に子育ては削ることでの精神的ダメージ(罪悪感)が大きいので

非常に難しいところだ。


その中で、留学生活も半分以上経って、


授業の中でも、この授業はしっかり予習するけど、

こっちの授業はサラッと事前リーディングを流すだけで済ます、とか

お洗濯や家事をしている時も子供の発達に繋がるように遊びながらやる、とか

子供の都合でドタキャン可能性にも周囲の理解をしてもらう(というか周囲の優しさに甘えてお情けをもらう、という方が正しいか)、とか


1)、2)、3)の折り合いをつけることにも、

少し自分なりのパタンができてきた。


さらに、子供や学校を優先しすぎて、

自分のことを忘れて削ぎ落としすぎると、

自分も崩壊することが、

身を以てわかった(年末の期末時期にお岩さんばりに顔が腫れる蕁麻疹を発症)ので、

少し運動したり、自分の食事も気をつけたりするようになってきた。


そんな矢先、


3)の予想できない事象について、

熱などの「子どもバージョン」ではなくて


財布を無くす、という「自分バージョン」の新たな外部ショックが発生したわけだ。


余裕というかバッファーがないと、

新たなる予想外の波が来た時に、

脆弱性が高い。


これが今回実感したことだった。


***


公共経済学などの授業の時に、

低所得世帯であるほど経済ショック

(リーマンショックみたいなものでも、震災みたいなものでも)

に対する脆弱性が高いという話がよく出てくるのだが、


なんとなく、「余裕が無いとショックを吸収できなくて崩壊する」


みたいな感覚が、自分の肌でもわかった気がする。


自分1人だったら財布を無くすなんて大したこと無いことだけど、

結構動揺した。


トレードオフを考えて選択しつつ、

外部ショックに備える、

って難しい。


しかし、

EquityとEfficiencyとか

成長と再分配とか

一見トレードオフに見えて両方実現できることも

あったりするわけで、

とにかく日々を楽しむことは大事ですね。