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草原のコトノハ

親と子のミッション

2016.02.28 18:56

家事の中で苦手なもの、3つ。

キャベツの千切り、アイロンがけ、そして弁当作り。

キャベツの千切りとアイロンがけは何とか勢いでできるとして…

小さな箱の中に形よく収まるように、

食べやすいように、

鞄の中で倒れても汁が出ないように、

ものを詰め込んでいく作業がどうしても苦手。

頭では作ってあげるのがよかろうとわかっていても、

心のほうがついてゆかない。

「怠けているわけではないよ。しばらくの間たっぷり眠ってしっかり休みなさい。」

仕方なく自分で自分にそうささやいて励ます。

そうして、食べさせ、着替えさせ、送り出し、迎え入れ、風呂に入れ、寝かす、

という必要最低限のことだけをやり続けて、

あっという間に10年近くたっていた。

長い間、そんな自分にちょっとがっかりしてた。

毎朝子どもの人数+旦那様の分までお弁当を作っている人の話を聞いては、

自分には愛が足りないからそこへ至れないのだなあ…って。

もうちょっと愛のあるニンゲンだと思っていたよ…自分。

がっかりしながらもたっぷり休んだ11年目の年明けに、

その機会がやってきた。

長女、次女、三女+夫のお弁当を作る機会。

抽斗の奥からごそごそと弁当箱を出して並べてみる。

4つの弁当箱がこちらをじっと見ている。

やるのか?やらないのか?

ふううと息を吐いて、よし!と、

ご飯を詰め、鮭をほぐし、卵を溶いて焼き、ブロッコリーを茹でる。

不思議なことに、フライパンと弁当箱を菜箸が何往復かするうちに、

誇らしくあたたかいものが胸の内にじわり、と芽を出していた。

なんだろ、この感じ。

自分でも驚いていた。

長いこと忘れていた、懐かしい情熱に似たあたたかな心の働きだった。

私には足りないと思っていた愛という心の機能が

ふっと目を覚ましたような。


『そっか、愛があるからそれができるのではないんだ。

それをすると、自分の中にある愛に気づくんだ。

本当はあったんだ、いつだって自分の中にも。』

4人分の弁当を詰めながら、そんなことを思ってた。

人と人との愛もきっと同じ。

どんなに魂の通い合った近しい存在でも、

初めからそれがあるわけではなく、

共にいて同じ時間を過ごす中で少しずつ少しずつお互いで気づき

育んでいくものなのだな。


辛くても苦しくても一緒にいることで、育つものがあるんだな。

今、育てにくさや忙しさの戦いの中にいて、そんな愛情わくもんかい!

と思っていても、”一緒にいる”

という時間を過ごすことで、

きっと自分の中に、

そして子どもの中に芽吹き・育まれるものがある。

愛があるから子育てができるわけでない。

子育てをしていくうちに愛が育まれるんだ、自分の中にも子どもの中にも、きっと。

~親子という関係になった者たちが脈々とつないできた愛を育むという壮大なミッションに気づいた朝の台所より~