20251019所感
もしも人間が水中生物だったならば、きっと僕は成人に達する前に上手く泳ぐことができず、食糧を捕食することもできず、水の底へとただただ没していたはずだ。
どうすれば他のサカナたちのように上手に華麗に機敏に泳ぐことができるのだろう。
どうすれば輝く水面近くを優雅に堂々と泳ぐことができるのだろう。
どんなに月日を重ねても、結局その答えを得ることのないまま、こうして年齢を重ねて、もう来るところまで来てしまったというのが正直な所感である。
新海誠監督が手掛けたアニメーション作品『秒速5センチメートル』。
貴樹くんという男の子が実感のない茫漠とした理想だけを眺めて悦に浸るだけで、何も掴めず、何も得られず、何も望めぬまま大人になっていく過程を描いた作品を鑑賞して、「あぁ、僕もこうやって、くだらない妄想だけでニヤ付くだけの人生を送るんだ」とオナニー感覚に浸る、おセンチメンタル体験をする作品である。
言っておくが僕は狂信的な新海誠信者であるので、決して揶揄しているのではない。大方、理解したうえでの論述である。しかも監督自身が当時を振り返って、がむしゃらに作った映像作品であると述べているわけで、本人にとっては黒歴史的な側面すらあったと吐露する姿を、過去のスペース配信などで窺い知ることができるぐらいである。
2007年に公開されたこの作品。あれから18年。
恐ろしいことに、作品の中で描かれる主人公の時間軸も冒頭から終幕まで約18年が経過している。生まれた赤ちゃんが高校卒業しちゃうぐらいの歳月である。
御承知の通り、本作を原作とする劇場用実写映画が先週より劇場公開されている。
当然ながら僕はこれを観に行くのであるが、観終わったあと、きっと自分の中の何かが変わってしまうはずだから、今のうちに「今の自分」の所在を確認しておきたいと思い、肩凝りやら疲労に由来する片頭痛に耐えながら、ただ自分の気持ちを整理するためだけに乱文を叩いているのである。
貴樹くんのような生き方すらできなかった、どうしようもない自分に対する後悔だとか侮蔑だとか、もはやそういった精神的形式行事を挙行する機会さえも巡ってこなかった、巡らないような生き方をしてきた自分自身はこの際、一切を放置するとして、僕が実写映画に期待する点は極めて明瞭に存在している。
すなわち、本作の監督を務めた奥山由之さんや脚本を担当した鈴木史子さんが原作をどのように解釈して、新しい視座に誘ってくれるのか。また貴樹くん役を務める松村北斗さんの演技を通じて、原作では感じることのできなかった機微な感情を受け取ることができるのか。
僕にとって『秒速5センチメートル』は僕の中での解釈に留まってしまっているので、とても窮屈で苦しいものでしかなかった。僕をいつまでも過去に拘束するばかりのものでしかなかった。それは既述通り、自分自身の内面が一方的に外界との壁を積み上げてしまった証左であり、終ぞ、その虚しいばかりの無機質な行為によって、誰もが当たり前のように乗り越えていくはずの通過儀礼的なチェックポイントでの祝福から忌避してきた、醜い者の哀れな姿が、そこには横たわっているだけなのである。
実写映画が希望との邂逅になるのか、絶望へのコンティニューとなるのか。
他力本願な僕の生き方がここでも露呈する訳だが、そうした中でも僕は僕なりの希望とやらを望んでしまうのだから、傍から見れば、何とも羞恥であろうかと思われよう。よい、それでよい。童貞のまま死ぬことを決心した、この面構えを笑うがよい!
とまぁ、散々駄文を打ってきて、いざ観終わったら、何にも変わらねぇよ、という自分が容易に想像されるので、そこまで気負ってはいない。「どうせ」という魔法の言葉が僕をどこまでも堕落させてくれる。
しかしまぁ、長生きするものだね。まさか秒速が実写化されるだなんて思わないじゃん?嬉しいものだよ。なにより、前述したとおり、新しい解釈や視点を共有できる喜びがあるから、とてもワクワクしている。
こんなに語っておいて、感想も何も無かったら、どうかお察しを。僕自身、ネタバレは大嫌いなので、「めっちゃ良かった!お前も観に行け!」という感情が滲み出る感想を書くつもりではいるので、どうかご安心を。
これでも気を遣ってるんだぜぇ?音声作品のレビューもそうだけど、未鑑賞の人にどう伝えれば「マジか!オレもそれ体感したい!」って思ってもらえるのか、必死で言葉を選んでいるんだぜぇ?無報酬のステマかよ?www
先刻、推し声優さまとの通話で「疲れてるんなら早く寝て、休みなさい!」と指摘を受けたばかりだというのに、まったく、懲りない人だわねぇ。日付変わっちゃったよ。
はい、寝ます。シコってから寝ます。あなたのエロボイス聴いてから寝ます。
良い夢見ろよ!