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蒲生氏郷公顕彰会 日野

がもにゃん通信 第41号「若い忠郷には60万石は荷が重い?」

2025.10.21 04:18

秀行のあとをついだ忠郷、この「忠」の字は将軍秀忠の名から1字をもらったものです。蒲生家が徳川家から大切にされていたことがわかりますね。

その忠郷が12歳の時、家康は大坂城の豊臣秀頼を攻め、豊臣家を滅ぼしてしまいます。大坂冬の陣・夏の陣です。 

会津の忠郷にも出陣の命が下りますが、まだ年少であったため江戸での後備(うしろぞなえ)ということになりました。

豊臣家の滅亡により、徳川家の天下は揺るぎないものになり、平和な世の中がおとずれました。しかし、蒲生家の中は氏郷の死後、重臣たちの争いが絶えずおこっていました。

今回は若い忠郷に降りかかるお家騒動とその結末についてご紹介します。

また、蒲生貞秀公の文化人としての活躍もご紹介します。